43話 冬休みの旧寮は恋愛禁止
目を覚ますと、俺の枕に雪が積もっていた。
「……屋内だよな?」
天井を見る。
屋根板の隙間から白い粉が落ち、朝日を浴びて光っている。
綺麗だ。
寝室でなければ。
入学第五百七十日。二年目の冬休み初日。
夜から降り始めた雪は、旧第三学生寮の一階窓を半分まで埋めていた。
学園都市では十年ぶりの寒波らしい。
八人以外の生徒はとっくに帰省し、教師も本校舎の宿直室へ移っている。
家へ帰る場所のない俺と、なぜか帰らなかった七人だけが旧寮へ残った。
「みんなと冬休みを過ごすためよ」
アリエスはそう言った。
「実家の舞踏会が面倒だから」
本音は一秒後に出た。
カイルとエリスは雪で馬車が止まり、グレイは実験道具を運び出せず、ノアは人の多い本校舎を避けた。
ミィナは冬眠しないが、魚があればどこでもよいらしい。
ルナは帰省という言葉を聞く前から寝ている。
俺は布団を頭からかぶった。
冬休みくらい、朝の点呼を気にせず二度寝したい。
その願いは、天井から落ちた雪の塊で潰された。
冷たい。
冬休みとは、授業が休みになる期間ではなかったのか。
少なくとも、朝から自分の寝室で雪かきをする期間ではないはずだ。
俺の中の常識はそう訴えたが、旧第三学生寮の屋根は聞いてくれなかった。
「全員起きろ! 屋根が室内になった!」
***
一階の食堂へ集まる。
暖炉には火がある。
それなのに寒い。
アリエスとフェンリルが火力を上げるたび、暖炉の前だけ夏になり、背中側は冬のままだった。
「もっと燃やせば暖かくなるわ」
「薪が三日分しかない」
「森から取ればいいでしょ」
「外を見ろ」
窓の向こうは白一色だった。
森へ続く道は消え、玄関の扉も雪の重さで半分しか開かない。
吹雪が収まるまで、最低二日。
救援が来るとしても、そのあとだ。
今ある薪を一晩で使い切れば、明日の俺たちは暖炉の思い出で暖まることになる。
「温度を測ろう」
ナビを食堂の中央へ浮かせる。
『室温、九度。暖炉前、二十八度。北側壁面、二度』
「差がありすぎるね」
グレイが眼鏡を拭く。
眼鏡だけではない。
窓ガラスも白く曇り、下の木枠から水が流れていた。
濡れた外套八着、使い魔五体の呼吸、鍋から上がる湯気。部屋の空気には水分が多い。
暖かい空気は、水蒸気を多く含める。
それが冷たい窓や壁へ触れると、抱えきれなくなった水が滴になる。結露だ。
冷たい飲み物を入れたコップの外側が濡れるのと同じで、壁の中から水が湧いたわけではない。
「窓の水、飲める?」
ミィナが窓枠へ舌を近づける。
「埃と塗料入りでよければな」
ツナが先に舐め、すぐ顔をしかめた。
魚にも不評だった。
「火を強くして、窓を乾かせば?」
アリエスが暖炉へ薪を足す。
室温は十一度へ上がった。
窓の水は増えた。
「なんでよ!」
「暖めた分だけ、濡れた服から水が蒸発した」
乾いたわけではない。
水の居場所が、服から窓へ移っただけだ。
しかも窓際の床は濡れ、冷えて薄い氷になっている。
ミィナが踏み、滑った。
空中のツナへ掴まろうとして二人まとめて食卓へ突っ込む。
朝食のパン籠が飛んだ。
ルナだけはシープに載ったまま、落ちてきたパンを一つ受け止めた。
「……朝ご飯」
寒波より食欲が強い。
「熱を増やす前に、逃げる場所を塞ぐ」
壁、窓、床、屋根。
古い寮には隙間が多い。
暖炉が部屋を暖めても、冷たい外気が入り、暖かい空気は上から逃げる。
穴の開いた桶へ湯を注いでいるようなものだ。
まず桶を直さなければ、薪がいくらあっても足りない。
「冬休み初日の課題は、寮を凍死しない程度にすることだ」
「評価は?」
カイルが聞く。
「朝まで全員生きていたら合格」
「落第条件を聞きたくないね」
卒業するために入った学園で、冬休みを生き延びる試験が始まった。
筆記用具はいらない。
必要なのは薪と藁と、修理費を後回しにしてきた学園への恨みだった。
***
作業を始める前に、俺は食堂の壁へ一枚の札を貼った。
『非常時につき恋愛行為禁止』
昨夜、暖炉前の長椅子は場所取りで揉めた。
カイルとエリスは一枚の毛布へ入り、アリエスは当然のように俺の隣を確保し、ルナは俺の膝を枕にした。
ノアは遠慮して端へ座り、ミィナは毛布を持ち去った。
暖を取る行為と、そうではない行為の境界が消えかけている。
「何よこれ」
アリエスが札を指す。
「共同生活の秩序だ」
「恋人同士でも?」
「全員が同じ部屋で寝るんだぞ」
「誰かさんはゼニスで同じ部屋どころか、同じ寝台まで使ったけど」
俺は札の端を強く押さえた。
糊が乾く前に剥がされそうだ。
「寒いから近づくのはいいんだよね! じゃあキスは?」
ミィナが聞く。
「禁止」
「じゃあ抱きつくのはいい?」
「防寒に必要な範囲だけ」
「必要な範囲って、どこからどこまで?」
「質問を禁止する」
札の下へ、質問禁止と書き足した。
校則を増やす教師の気持ちが、少しだけわかった。
もっとも、教師が規則を増やす時も、こんなに顔を赤くしていたとは思わない。
俺は札の文字を二度なぞった。
字が震えているのは寒さのせいだ。
そういうことにした。
***
窓は二重にした。
割れていないガラスの内側へ、油を塗った薄紙を木枠で張る。
ガラスと紙の間に、指二本分の空間を残した。
空気は、動かなければ熱を伝えにくい。
服が一枚の厚い布ではなく、細い繊維の間へ空気を閉じ込めて暖かくなるのと同じだ。
「紙を窓へ貼るだけでいいの?」
ノアが枠を押さえる。
「隙間を作るのが大事だ。ぴったり重ねたら一枚と変わらない」
ノアの弱い光を紙へ当てると、穴や剥がれた場所だけ明るく見えた。
カイルとホークが弱い風を送り、紙が揺れる場所を探す。エリスとカーバンクルは樹脂で隙間を埋めた。
グレイは壁の前へ乾いた藁を詰めた板を置く。
詰めすぎれば空気がなくなり、少なすぎれば中で風が動く。
ナビで表面温度を測りながら、厚さを変えた三枚を比べる。
一番厚い板ではなく、藁を軽く重ねた板の内側が最も暖かかった。
「踏んだらもっとたくさん入るよ!」
ミィナが藁を踏み固めようとする。
「布団を石みたいに固めて寝たいか?」
「石の布団はやだ!」
「なら踏むな」
ミィナは代わりに、藁の中へ潜った。
猫耳だけが板の上から出ている。
ルナとシープは屋根裏へ上がった。
屋根板の隙間は、古い布と樹脂で塞ぐ。ただし暖炉の煙突周りには燃える物を置かない。
アリエスが乾燥させようと火を近づけるたび、フェンリルが袖を噛んで止めた。
「私の使い魔なのに、アルトみたいな止め方しないで」
教育の成果だろう。
少し嬉しい。
俺の仕事が一つ奪われたことは、もっと嬉しい。
アリエスを止める係は、危険で、忙しく、給料が出ない。
フェンリルが引き継いでくれるなら、俺は喜んで退職する。
ただし、主人の袖を噛んだままこちらへ得意そうな顔を向けるのはやめてほしい。
俺が今まで歯で止めていたみたいではないか。
屋根の外側は、雪を全部落とさなかった。
重すぎる場所だけ除き、風上側へ低い雪壁を作る。雪の中にも空気が多く含まれ、風を遮れば断熱材になる。
かまくらの中が外より暖かいのは、雪そのものが熱いからではない。
中の空気と人の体温を、風から守るからだ。
ただし煙突と換気口は塞がない。
暖炉の煙が逆流すれば、寒さより先に一酸化炭素で倒れる。
「見えない毒?」
エリスが換気口の前へ赤い注意札を立てる。
「匂いも色もない。頭痛や吐き気が出る前に、火の燃え方と換気を確認する」
カーバンクルの膜で換気口を塞がないよう、床へ赤い線を引いた。
フェンリルも暖炉へ顔を近づけすぎない。
炎の狼が煙で倒れたら、笑い話にもならない。
昼を過ぎると、別の問題が出た。
窓の近くへ置いたスープだけが、食べ始める前に冷める。
中央の鍋は湯気を上げているのに、俺の皿には薄い脂の膜が張っていた。
「席を替わって」
アリエスが自分の皿と交換する。
「お前のも冷めるぞ」
「火で温めるから平気」
杖先へ小さな火を灯し、皿の底へ近づける。
スープは温まった。
木の匙も焦げた。
「成功ね」
「匙を一本失ってる」
「温かさには代えられないわ」
備品を犠牲にする時だけ、貴族らしい決断が早い。
俺は冷めた方を飲んだ。
味は同じだ。
そう自分へ言い聞かせたが、向かいで湯気の立つ皿を見るたび、心の温度まで一度ずつ下がった。
そこで食卓を北側の壁から離し、床へ残った古い絨毯を重ねた。
足元の冷気が弱くなる。
温度計の数字は一度しか変わらない。
だが、人が感じる寒さは室温だけでは決まらない。
冷たい壁や床へ体の熱を奪われ、風が皮膚の近くの暖かい空気を剥がせば、同じ十四度でも寒く感じる。
つまり、俺のスープが冷めたのも気のせいではない。
科学的に不運な席だったのだ。
「次はアルトの席、暖炉の近くにする?」
ノアが聞く。
「いや。あそこはアリエスが薪を追加するたび燃える」
「燃えないわよ!」
匙は燃えた。
俺は証拠品を食卓へ置いた。
***
夕方。
食堂中央は十四度。
暖炉前は十八度。北側壁面は九度。
朝より差が小さくなった。
薪の消費は半分。
窓の水滴も減っている。
「成功ね」
アリエスが暖炉へ薪を投げようとする。
「半分でいい」
「まだ寒いわよ」
「服を着ろ」
「着てるわよ!」
全員、外套を着たままだ。
魔法学園の冬休みとは思えない。
もっと薄着で暖炉を囲み、温かい飲み物を手に恋愛話でもするものではないのか。
現実では、手袋をしたまま硬いパンをスープへ浸している。
夕食後、一階へ寝具を集めた。
二階と三階はまだ五度しかない。
男女別の階という規則より、凍らない場所が優先だ。
壁際から、グレイとナビ。カイルとホーク。エリスとカーバンクル。ノア。ミィナとツナ。ルナとシープ。
フェンリルは暖炉の前。
アリエスは、その隣。
俺は恋愛禁止札の下へ布団を敷いた。
これなら監視もできる。
「そこ、一番隙間風が来るよ」
ノアが心配そうに窓を見る。
「紙を張ったから平気だ」
平気ではなかった。
夜半。
風向きが変わり、俺の枕元だけ冷たい空気が流れ始めた。
紙の端が剥がれたらしい。
直そうと起きたが、体が震えて指へ力が入らない。
昼に屋根へ上がった時、袖を雪で濡らしていた。
乾いたと思っていた服が、背中だけ冷たい。
「アルト?」
暖炉前からアリエスが起きる。
「寝てろ。紙を直す」
「唇、青いわよ」
「元からだ」
「どこの種族よ」
アリエスは俺の腕を掴み、暖炉前へ引いた。
フェンリルが体を丸め、背中側へ場所を作る。
「服を脱いで」
「ここで?」
「濡れたままの方が危ないでしょ!」
全員が寝ている食堂だ。
ゼニスの夜とは条件が違う。
いや、条件が同じでも今はやめてほしい。
乾いたシャツへ着替え、毛布へ入る。
アリエスも隣へ潜った。
「恋愛禁止」
俺は壁の札を指す。
「防寒に必要な範囲なら許可って、自分で言ったわよ」
体温が近づく。
フェンリルの背中からは穏やかな熱が伝わり、前からはアリエスの赤い髪が顎へ触れた。
十分ほどで震えが止まる。
「もう大丈夫」
「なら寝なさい」
アリエスの手は毛布の中で冷たかった。
昼から火を使い続け、本人の指先まで温める余裕がなかったらしい。
俺はその手を両手で包み、自分の胸元へ入れた。
「ちょっと」
「防寒に必要な範囲だ」
「札を作った本人が最初に破ってない?」
「手を温めてるだけだ」
アリエスは笑い、俺の頬へ短く口づけた。
「これも防寒」
「どこが」
「顔」
反論する前に、もう一度触れる。
今度はさっきより長い。
暖炉の火が小さく鳴った。
壁の札が、隙間風で剥がれて落ちる。
朝まで誰も拾わなかった。
***
翌朝。
室温は十三度。
八人と六体、全員生存。
冬休み初日の課題は合格だった。
「恋愛禁止の札が落ちてるよ!」
ミィナが拾う。
「誰か破ったの?」
「糊が乾かなかっただけだ」
「アルトとアリエス、同じ毛布で寝てた!」
「防寒だ」
ノアは何も言わず、温かい茶を二つ置いた。
ルナはシープへ頬を埋める。
「……次に寒い時は、交代」
予約制にするな。
カイルとエリスは、最初から一枚の毛布を分けていた。
札を守ったのはグレイとナビだけだ。
『当機ハ恋愛機能ヲ搭載シテイマセン』
「僕と一緒に数えないでくれるかい?」
グレイが、この冬一番傷ついた顔をした。




