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42話 恋人二人の相談相手が俺でいいのか?

 カイルから休日の相談を持ち込まれた時、俺は迷わず答えた。


「本人に聞け」


「その本人に聞けないから相談してるんだよ!」


 旧第三学生寮の食堂で、カイルが机へ額をつける。


 入学第五百三十日。


 ゼニスから飛空艇で三日かけて戻り、報告と休養を終えてから十八日が過ぎていた。


 黒い管の調査は教師たちへ預けられ、俺たちは久しぶりに事件のない休日を迎える。


 そこでカイルは、エリスを街へ誘ったらしい。


 すでに交際している二人だ。


 一緒に出かけるくらい、俺へ相談する前に済ませてほしい。


「どこへ行けばいいと思う?」


「エリスが行きたい場所」


「何を話せばいい?」


「エリスが話したいこと」


「もし会話が止まったら?」


「飯を食え」


「アルトくんはアリエスさんと出かけた時、もっと色々考えたんじゃないの?」


 考えた。


 防寒具の値段、金属の熱伝導、昼食代、帰寮時間。


 恋愛に役立ちそうな部分が一つもない。


「お前たちは付き合ってるんだろ。普通に二人で行けばいい」


「普通がわからないんだよ」


 カイルは本気で困っていた。


 その後ろで、食堂の扉が少し開く。


 赤い髪、銀色の髪、猫耳、白金の髪、眼鏡が縦に並んでいた。


「覗くなら、せめて頭を横にずらせ」


 扉の陰から五人が転がり込んだ。


 アリエス、ルナ、ミィナ、ノア、グレイ。


 床へ重なった姿を見て、カイルが青ざめる。


「まさか、みんな聞いてたの?」


「途中からよ」


「最初から」


「お菓子も持ってきたよ!」


「ご、ごめんなさい」


「記録はしていないよ」


 グレイだけ、聞かれていない言い訳をした。


 嫌な予感がする。


   ***


 作戦名は、休日デート支援になった。


 名付けたのはアリエスだ。


「やめよう」


「もう決まったわ」


「俺の休日は?」


「カイルのために使えるなんて光栄でしょ」


 恋人のいる男を、恋人と残り三人が使って別の恋人を支援する。


 文章にすると、休日より先に人間関係が壊れそうだ。


 出発前の地下書庫で、グレイは通信道具まで用意した。


 細い金属管の片側へ話しかけ、反対側に風を通す。カイルの襟へつけた小さな受音石が振動すれば、周囲へ聞こえない声を送れるという。


「普通に小声で教えればいいだろ」


「三十メートル離れるんだよ。大声では二人に気づかれる」


「そこまで離れてまで教える必要があるのか?」


「支援だからね」


 言い方を変えても、やっていることは尾行だった。


 まず寮の廊下で試した。


 俺が一階の管へ「聞こえるか」と話し、カイルが二階の受音石で手を上げる。


 声は風に乗せられた荷物のように、空気そのものが端から端まで移動して届くわけではない。


 空気の粒が隣の粒を押し、その揺れが次々と伝わっていく。観客席で人が順番に立つ波と同じだ。


 管は揺れが横へ逃げる範囲を狭め、風魔法は外から入る雑音を一方向へ押し返す。


 強く吹かせすぎると、声より風の音が大きくなった。


「アルトくん。嵐の中から話しかけられてるみたいだ」


「下げろ」


 三回目で、普通の会話が聞き取れるところまで調整できた。


 休日の恋愛相談に、なぜ音響実験が必要なのか。


 俺にはわからない。


 グレイには、とても楽しいらしい。


 集合場所は中央広場。


 カイルとエリスは噴水前で待ち合わせ、菓子店、古道具市、川沿いの遊歩道を回る予定だった。


 俺たちは二人から三十メートル離れ、問題が起きた時だけ助ける。


「絶対に姿を見せるなよ」


 俺は全員へ念を押した。


「わかってる」


 アリエスは大きな帽子をかぶり、顔の半分を隠している。


 炎の狼を連れているせいで、遠くからでも誰か一発でわかった。


 ルナはシープの毛へ全身を埋め、雲に見せかけた。雲が地上すれすれを移動している時点で怪しい。


 ミィナとツナは魚屋の屋根へ上っていた。


「二人も魚も見えるー!」


 尻尾を立てて手を振っている。ノアは日よけの陰。グレイは古道具屋の測定器へ夢中になっていた。


 ナビは俺の肩。ホークは上空。カーバンクルはエリスの鞄。


 フェンリルまで含め、隠密向きの集団ではなかった。


 カイルが噴水へ来る。


 約束の十五分前だ。


 服の襟を直し、髪を水面で確認し、もう一度襟を直す。


「落ち着きがないわね」


「アリエスも買い物の日、店の窓で三回髪を見てたぞ」


「見てないわよ!」


「……五回」


 ルナが羊毛の中から訂正した。


 エリスは約束の五分前に現れた。


 淡い緑の外套を着て、髪をいつもより高い位置で結んでいる。


 カイルは挨拶をした。


 エリスも挨拶を返す。


 二人とも笑う。


 そこから会話が止まった。


 カイルの右手には、小さな包みがある。


 昨夜、俺の部屋で三十分かけて選んだ焼き菓子だ。


「甘すぎない方がいいかな」


「本人に聞け」


「渡す前に聞いたら贈り物にならないだろ」


「じゃあ二種類買え」


「予算が」


 最後は、片方を俺が試食させられた。


 その結果、カイルの贈り物より俺の夜食の方が高くついている。


 今、その包みを渡せば会話は始まる。


 だがカイルは、服の内側へ入れたまま動かない。


「何か言いなさいよ」


 アリエスが小声で怒る。


「聞こえてない」


 三十メートル離れている。


 広場には噴水の音と市場の呼び声もあり、二人の会話はこちらへ届かない。


「カイルへ助言を送ろう」


 グレイが細い金属管を取り出した。


「風で声を運ぶんだ。カイルの襟には受音石をつけてある」


「いつつけた?」


「朝、肩を励ます時に」


 友人の服へ無断で通信機を仕込む行為は、励ましではない。


 だがカイルは、完全に固まっている。


 エリスも困ったように噴水を見る。


「一回だけだぞ」


 俺は管へ口を寄せた。


「服を褒めろ」


 グレイが風を送る。


 寮で調整した弱い振動が細管を伝い、受音石まで届く。


 管を曲げると高い音が弱くなり、言葉の端が少し丸くなる。それでも、短い助言なら聞き取れた。


 カイルの耳元で、小さく音が鳴った。


「今日の服、素敵だね」


「ありがとうございます。カイルくんの外套も素敵です」


 会話が動いた。


「成功ね」


 アリエスが拳を握る。


 俺は自分の恋愛より、他人の会話一往復で達成感を得ていた。


 何かがおかしい。


   ***


 菓子店では、もっとおかしくなった。


 店内は混んでいた。


 二人は窓際の席へ座ったが、周囲の話し声で何を言っているか聞き取りにくい。


 ホークが屋根の通風口へ降り、風の流れを教える。


 俺たちは隣の仕立屋の裏へ回った。


 古い建物は、厨房と店内を細い換気管でつないでいる。湯気を屋根へ逃がすための管だ。


 グレイが受音石から続く風を、その換気管へ重ねた。


「さっきより長い。声が途中で漏れないか?」


「管の壁で反射するから、むしろ届きやすいよ」


 細い廊下で声が響くのと同じだ。


 音は管の中を何度も反射し、遠くまで進む。


 ただし曲がり角や枝分かれがあれば、別の出口へも漏れる。


 それを確認する前に、アリエスが管へ囁いた。


「次は手を握りなさい」


 店の中から、何人もの声が聞こえた。


「誰が?」


「私?」


「手を?」


 窓の向こうで、客が一斉に隣の人を見た。


 店員まで菓子を置き、厨房の料理人が包丁を止めている。


 換気管は一つではなかった。


 厨房、客席、二階の休憩室、隣の仕立屋。四つの出口へ分かれていた。


 アリエスの助言は、店内放送として建物全体へ届いた。


「切れ!」


 グレイが風を止める。


 遅い。


「今の声、アリエスさん?」


 エリスが窓の外を見た。


 カイルも立ち上がる。


 俺たちは裏口から逃げた。


 フェンリルの尻尾が角を曲がりきれず、看板を倒す。


 シープが軒へ引っかかり、ルナだけ先に地面へ落ちた。


 ツナは魚屋の干物を一列くわえ、ミィナが店主へ追いかけられている。


 隠密支援は、開始一時間で商店街から逃走する集団へ変わった。


 倒した看板と干物の代金は、当然こちら持ちだった。


 他人の恋愛を支えるだけで、俺の財布が先に傷ついている。


 店から離れる直前、俺は窓を振り返った。


 カイルはようやく焼き菓子の包みを渡していた。


 エリスは驚き、次に笑った。


 中から一つ取り出して半分へ割り、カイルへ返す。


 二種類買わなくても、二人なら味を分けられたらしい。


 俺が食べた試作品の代金だけが、完全な無駄になった。


「もう帰ろう」


「まだ川沿いが残ってるわ」


「次は何も送らない」


「見守るだけよ」


 見守るという言葉を、アリエスは監視と同じ意味で使っているらしい。


   ***


 川沿いの遊歩道は静かだった。


 冬の水は青く、岸の柳は葉をほとんど落としている。


 カイルとエリスは並んで歩く。


 今度は会話を助ける道具を使わない。


 距離も五十メートルまで広げた。


 聞こえなくていい。


 表情だけは見える。


 カイルが何かを話す。


 エリスは一度立ち止まり、彼の手を取った。


 次に話し始めたのはエリスだった。


 カイルは途中で口を挟まず、最後まで聞いている。


 二人は付き合っている。


 それでも、言わなければ伝わらないことがあるのだろう。


 俺には内容がわからない。


 わからないままでいい。


 風向きが変わり、言葉の端だけがこちらへ届いた。


「無理をした時ほど、大丈夫って言うから」


 エリスの声だった。


 カイルは俯く。


 交流戦の研究炉でも、救難灯台でも、彼は顔色が悪くなるまでホークを飛ばしていた。


 エリスは傷ができてから治すことはできる。


 だが、本人が疲労を隠せば、その前には止められない。


「心配させたくなかった」


「黙って倒れられる方が、もっと心配です」


 そこまで聞こえ、また風が弱まった。


 カイルは言い訳を続けなかった。


 代わりに、エリスの手を両手で握る。


 助言は必要なかった。


「もう行きましょう」


 最初に背を向けたのはノアだった。


「手伝うのは、ここまでです」


「そうだな」


 アリエスも帽子を外す。


 ルナはシープの上で眠り、ミィナは弁償させられた干物を自分で食べていた。


 俺たちは六体を連れ、二人を残して帰った。


   ***


 夕食の頃、カイルとエリスが寮へ戻ってきた。


 二人の手は、玄関へ入ってからもつながったままだった。


「楽しかったー?」


 ミィナが真っ先に聞く。


「うん。途中で知らない声が聞こえたけどね」


 カイルが俺たちを見る。


「何のことだろうな」


「アリエスさんの声でした」


 エリスは笑っている。


 怒ってはいないようだ。


「次は二人だけで行きます」


「はい」


 返事は七人同時だった。


「それと、これを返すよ」


 カイルが襟から受音石を外し、グレイへ置いた。


「途中から気づいてたのか?」


「菓子店でアリエスさんの声が天井から聞こえた時にね」


「どうして何も言わなかった?」


「エリスさんが、みんななりに心配してるんだろうって」


 エリスが苦笑する。


「でも、心配と盗み聞きは別です」


「はい」


 今度の返事は、さっきより小さかった。


 カイルは今日、無理を隠さないことをエリスと約束した。


 エリスも、心配を笑顔だけで飲み込まず、その場で言うと決めたらしい。


 二人の話は、管の向こうから俺たちが送った台詞より短い。


 それでも本人の声だから、きちんと届いていた。


 食事のあと、俺は自分の部屋へ戻ろうとした。


「アルト」


 アリエスに呼び止められる。


 ルナ、ノア、ミィナも食堂に残っていた。


 四人分の視線が集まる。


 今朝のカイルなら、ここで固まっていただろう。


 俺は朝からずっと固まっている。


「今日、何かわかった?」


「他人のデートへ通信機を持ち込むな」


「それだけ?」


 アリエスの声が低くなる。


 一人と向き合うカイルでさえ、何を話すか悩んでいた。


 俺は四人へ、まだ白紙に近い答えを持たせたまま待たせている。


 黙っていれば、今日のように誰かが管の向こうから正解を教えてくれるわけではない。


「先延ばしにしてることが、軽くはないってわかった」


 俺は四人を見た。


「すぐ全部は決められない。でも、聞こえないふりはしない」


 アリエスは頷いた。


 ノアも小さく笑う。


 ミィナは残っていた干物を俺の口へ押し込んだ。


「話が重い時は、食べれば軽くなるよ!」


 塩辛い。


 ルナは俺の肩へ頭を置く。


「……今日は、ここまで」


 助かった。


 恋愛相談の答えは出なかったが、少なくとも換気管から全校へ流れずに済んだ。


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