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41話 握手は勝敗が決まる前に

 交流戦の最終種目を告げられた時、俺が最初に確かめたのは、勝敗規則ではなかった。


「今日中に終わりますか?」


 ゼニスの教官が怪訝な顔をする。


「制限時間は二時間ですが」


「そのあと表彰式と閉会式ですよね。土産物屋は何時まで開いていますか?」


「アルト。聞く順番がおかしいわよ」


 アリエスに後頭部を叩かれた。


 入学第五百八日。交流戦五日目。


 救助騒ぎの翌日は遭難艇の回収と信号記録の提出で潰れ、最終種目は二日遅れで行われることになった。


 天空都市まで来て買った物が、替えの靴下と、アリエスと片方ずつ持っている手袋だけでは寂しい。俺は、食堂で売っていた雲蜜菓子を、帰りの飛空艇へ持ち込みたかった。


 ところが、競技会場は市場ではなく、研究棟の地下だった。


 昨日まで封鎖されていた黒い管が、床の中央を横切っている。


 帰り支度を済ませた使い魔六体も、見学区画へ並んでいた。


 フェンリルは土産の肉串をくわえ、ホークはカイルの荷札を足へ巻いている。カーバンクルはエリスの鞄から顔だけ出し、シープの背にはルナの毛布が載っていた。


 ツナは空の菓子箱へ頭を突っ込み、ナビは飛空艇の出航時刻を十七分おきに知らせてくる。


 国際交流の最終日にふさわしい姿かと聞かれれば、ただの帰省前の学生だった。


「最終種目は魔力網の安定化です」


 教官は、管を挟んだ左右の台を示した。


「ルミナス校は西側。ゼニス校は東側を担当してください。各台には温度計、圧力計、流量計があります。中央の封印箱を安全に停止できれば終了です」


「向こうへ入って、見に行っていい?」


 ミィナが境界線を踏む。


「越えた班は失格です。測定記録を見せることも禁止します」


「協力試験じゃないのか?」


「どちらが先に停止条件を見つけるか競う試験です」


 黒い管を見つけたのは、俺たちだ。


 それを競技用に使う教師の神経は、相変わらず丈夫だった。


 管は昨日までより細い音で震えている。


 一秒に約四回。


 ラグナ村でも、研究炉でも聞いた音だ。


「競技用の模造管ですか?」


 グレイが膝をつき、継ぎ目の校章を見る。


「安全装置はあります」


「質問の答えになっていません」


 教官は目を逸らした。


 土産物屋の閉店前に、ろくでもない物が始まりそうだった。


   ***


 開始の鐘が鳴った。


 西側には三つの弁がある。


 赤、青、白。色は違うが、どれが何へつながるかは書かれていない。


 俺たちは、弁へ触れず、最初の五分を測定に使った。


 温度三十一度。圧力は大気の一・四倍。流量は一分あたり十二目盛り。


 ナビが十秒ごとに記録する。


 ミィナは管へ耳を当て、カイルとホークは通風口の風を調べた。エリスとカーバンクルが退避線を引き、アリエスとフェンリルは燃える物を遠ざける。


 ルナはシープへ横になり、管の振動で毛が揺れる回数を数えていた。


 寝ているようにしか見えないのが欠点だ。


 ノアは弱い光を継ぎ目へ通す。


「赤い弁の先だけ、光が揺れています」


 グレイが術式を紙へ写した。


「赤は流入。青は排出。白は外周の圧力調整だと思う」


「仮、だな」


「大きく書いておくよ」


 向こうのゼニス首席班は、すでに赤い弁を開いていた。


 東側の流量が増え、中央の封印箱が青く光る。


「先を越されたわよ」


 アリエスが杖を握る。


「越されていい。爆発も先にしてもらおう」


「縁起でもないこと言わないで」


 俺たちは青い弁をほんの一目盛り開けた。


 西側の圧力が下がる。


 十秒後、元へ戻った。


「反応が遅いですね」


 ノアが窓の光を追う。


「弁から箱まで距離がある」


 水道の蛇口をひねっても、長い管の先では、すぐ同じ流れにならない。


 管の中を魔力の変化が伝わるまで時間がかかる。


 もう一度、同じ量だけ開く。


 今度は十五秒後に圧力が下がり、二十五秒後に戻った。


 グレイが首を傾げる。


「さっきより遅い」


「東側が何か操作してる」


 境界線の向こうで、ゼニス班も計器を見ていた。


 こちらの記録は見せられない。


 向こうが何を開いたかも見えない。


 二つの班が、同じ管の両端で別々に蛇口をひねっている。


 これで安定させろという方が無茶だ。


「せめて開始時の値を合わせないか?」


 俺が境界線の向こうへ呼びかける。


「こちらの初期圧力は規則で見せられません」


「こっちもだ」


「では無理ですね」


「結論が早い!」


 教官は、競争なら工夫が生まれると思ったのだろう。


 同じ体重計へ二人が左右から乗り、相手の数字を隠したまま自分だけ五十キロへ合わせるようなものだ。工夫より先に体重計が壊れる。


 俺たちは操作した時刻だけを声で伝えることにした。


 数値ではない。規則には触れない。


 ところが向こうが「今、下げました」と言っても、何をどれだけ下げたかはわからない。料理番組で調味料を適量としか教えないのと同じだった。


「青を少し!」


「少しとは何目盛りですか?」


「規則で言えない!」


「面倒な試験ね!」


 アリエスの意見に、初めて両校が同時に頷いた。


「白を一目盛り下げます!」


 ゼニス班の声が聞こえた。


 操作内容は口にしている。記録を見せるなという規則で、会話まで禁止されてはいない。


「こっちは青を一目盛り開ける!」


 俺も叫んだ。


「敵へ教えてどうするのよ!」


「敵と同じ配管を使ってる時点で、隠して得する情報じゃない!」


 教官たちが顔を見合わせた。


 禁止とは言わない。


 規則の穴を見つけることだけは、この学園で一年以上かけて上達した。


   ***


 十分後。


 中央の封印箱は、さっきより大きく振動していた。


 ゼニス班が圧力を下げる。


 遅れてこちらの流量が下がる。


 俺たちが流量を戻す。


 今度は向こうの圧力が上がりすぎる。


 互いに相手の変化を打ち消そうとして、弁を動かす。


 その結果、圧力計の針が二十二秒ほどの間隔で大きく往復し始めた。管の細かな振動も、一秒に四回から五回へ増えている。


「正しい方向へ直してるはずなのに!」


 ゼニスの生徒が叫ぶ。


「直す時刻が悪いんだ!」


 ブランコは、前へ来るたび背中を押せば大きく揺れる。


 押す力が小さくても、揺れる周期に合わせて繰り返せば振れ幅が増える。共振だ。


 今の俺たちは、ゆっくり上下する圧力が上がったのを見て下げている。


 だが、計器へ変化が届く頃には、管の中では下がり始めている。


 そこへさらに下げる操作を重ね、次は下がりすぎて上げる。


 二校で交互にブランコを押していた。


「一度、全弁を止める!」


「止めたら箱が破裂します!」


 ゼニス側の計器は、こちらから見えない。


 あちらには何か別の数字が出ている。


 記録を交換できれば、どの操作が何秒後に反対側へ届くかわかる。


 しかし見せれば失格だ。


 俺は審判台を見た。


「失格すると、装置は誰が止めるんですか?」


「え?」


「両校とも失格したら、先生方が止められるんですよね?」


 返事がない。


 おい。


「アルトくん」


 グレイが記録板をこちらへ向ける。


 圧力の大きな往復は二十二秒ごと。管の細かな振動は一秒に五・六回。


 封印箱の継ぎ目から黒い光が漏れている。


 見学区画でフェンリルの炎が低くなった。


 ホークは翼を広げたまま高度を失い、カイルの肩へ着地する。シープも床まで沈み、眠っていたルナが毛布ごと転がった。


 ツナは空を泳げなくなり、ミィナと一緒に受け止めた菓子箱を潰した。


 カーバンクルの額の光も弱い。


『周辺魔力、急速低下。管ヘ吸引サレテイマス』


 ナビ自身も一度、高さを保てず俺の頭へ落ちてきた。


「痛っ! お前まで落ちるのか!」


『飛行機能ハ魔力補助ヲ使用シテイマス』


 俺の頭を踏み台にして、ナビはもう一度浮かんだ。高度は三センチ。意地だけで飛んでいる。


 ラグナ村の十二日間を、地下室一つで早送りしているようなものだった。


 フェンリルは炎が消えてもアリエスの前へ立ち、ホークは飛べなくても翼でカイルの顔を黒い光から隠した。


 魔法を奪われても、こいつらは逃げなかった。


 だからといって、主人の試験に付き合わせていい理由にはならない。


 競技用の模造品ではない。


 先生方は本物の管へ安全装置を足し、それを試験問題と呼んでいた。


 追試の答案用紙に火薬を塗るような真似をするな。


「失格でいい! 記録を渡すぞ!」


 俺は紙を掴み、境界線へ走った。


「待ちなさい!」


 教官が止める。


 その前に、向こうの生徒も記録板を持って走ってきた。


 境界線の上で、二枚の板がぶつかる。


 俺たちは同時に相手の数字を見た。


「東から西まで十八秒!」


「西から東は十二秒です!」


 流れの向きで、届く時間が違う。


 東側の赤い弁を閉じた六秒後に、西側の青を少し開く。伝わる時間の差を埋め、反対向きの変化を同じ頃に届かせる。


 圧力の振れが最大になる前に、反対向きの変化をぶつける。


 ブランコが前へ来た時に押すのではない。


 後ろへ戻そうとする時に、逆から力を加える。


 振動を打ち消す逆位相だ。


「一度で合わなかったら?」


 カイルが弁へ手を置く。


「さらに揺れる」


「聞かなければよかった」


 俺もそう思う。


 正解を知っているわけではない。二枚の記録から、最もましな時刻を選んだだけだ。


 失敗した場合は中央から退避し、両端の主弁を機械的に閉じる。閉鎖で圧力が上がるなら、細い逃がし管を先に開く。


 エリスが中止線を読み上げ、ノアが避難路を光で示した。


 勝つための操作より、外した時に生きて帰る手順の方が長い。


 俺たちらしくて安心したくはないが、少なくとも昨日の研究炉よりはましだった。


「次の山は十一秒後!」


 ナビが数える。


「十、九、八!」


 ゼニス班が赤を閉じる。


 俺たちは六秒待つ。


「青を半分!」


 カイルとホークが弁を一定速度で回す。


 圧力計の針が上がりかけ、途中で止まった。


 八目盛りあった圧力の振れ幅が、三目盛りまで小さくなる。管の細かな振動も、一秒に五・六回から四・二回へ落ちた。


「もう一度! 今度は白を一目盛り!」


 アリエスとフェンリルが熱で固着した弁を外側だけ温める。ルナが局所重力で軸をまっすぐ保ち、ミィナが滑る取っ手へ布を巻いた。


 ノアは継ぎ目へ光を通し、亀裂が広がっていないかを見る。


 エリスとカーバンクルは、中央へ近づいた生徒を退避線まで戻した。


 グレイとゼニスの記録係が、互いの時刻を一枚の板へ重ねる。


「三、二、一!」


 両側の弁を逆向きへ動かした。


 低い唸りが止まる。


 一秒に二回。


 一回。


 最後に中央の封印箱が大きく息を吐くように震え、青い光が消えた。


 周囲の魔力が戻り始める。


 最初に浮いたのはシープだった。ルナを背へ載せたまま、何事もなかったように天井近くまで上がる。


「下ろせ! 今は天井の強度を試してない!」


 ホークとツナも飛び、フェンリルの毛先へ赤い炎が戻った。カーバンクルは見学区画の全員へ薄い膜を広げる。


 ナビだけは俺の頭から動かなかった。


「復旧したなら浮け」


『着地地点ノ安定性ヲ確認中デス』


「俺の頭を計測台にするな」


 どうやら落ちたのが少し恥ずかしいらしい。


   ***


「両校、規則違反です」


 静かになった地下室で、審判が宣告した。


「測定記録を交換したため、最終種目は双方失格となります」


 アリエスが噛みつく。


「交換しなかったら爆発してたでしょ!」


「安全装置はありました」


「動いてなかったじゃない!」


 安全装置の表示灯は、黒く消えている。


 言い訳まで停止してくれればよかったのに、教官の口は正常だった。


 ゼニスの生徒が手を上げる。


「失格で構いません。記録は共同提出にしてください」


「僕らもそれでいい」


 グレイが答えた。


 勝敗は引き分け。


 交流戦の総合順位も、ルミナスとゼニスが同点になった。


 表彰台の一段目へ二校が詰め込まれ、俺は知らない男子生徒の肘を脇腹へ受けながら記念写真を撮られた。


 友情を示す握手も求められた。


 俺とゼニス班の代表は、競技中に記録板をぶつけたのと同じ場所で手を握る。


「次は最初から見せ合おう」


「次は、先生が安全装置を確認してからにしよう」


 意見は完全に一致した。


   ***


 停止した封印箱を開けると、中には古い分岐図が残っていた。


 西は王立ルミナス魔法学園。


 南西はラグナ村。


 北は天空都市ゼニス。


 三本の黒い線が、同じ地下設備へ集まっている。


 管の継ぎ目に刻まれた製造番号も、ラグナ村で写したものと最初の六桁が同じだった。


 偶然ではない。


 誰かが同じ時代に、同じ目的で三か所をつないだ。


 俺たちは分岐図と両校の測定記録を封印袋へ入れた。


 証拠は増えた。


 当然、報告書も増えた。


 両校の記録を一冊へまとめるだけで、夕方までかかった。


 時刻の基準がゼニスとルミナスで二分ずれ、温度目盛りも小数点の位置が違う。国際交流らしい問題が、最後になって急に押し寄せてきた。


 グレイと向こうの記録係は楽しそうだった。


 俺は楽しくない。


 同じ事故を二種類の単位で読む作業は、反省文を両面印刷にしただけだ。


 閉会式を終えた時には、土産物屋の灯りが消えていた。


「にゃあぁ……雲蜜菓子、買えなかったー!」


 ミィナが空の紙袋を覗く。


「世界規模の魔力網より、今はそっちの方が悔しい」


 翌朝、ゼニス班の代表が飛空艇まで走ってきた。


 手には雲蜜菓子の箱。


 蓋へ、共同優勝と書かれている。


「半分ずつだ」


 俺たちはもう一度握手をした。


 ミィナとツナが箱を丸ごと持って逃げた。


 今度の共同作業は、菓子の奪還だった。


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