40話 消えない光を空へ
俺たちはゼニス学院の西端にある救難灯台へ来ていた。
入学第五百六日。交流戦三日目。
昨日は、黒い管の封鎖と事情聴取だけで一日が終わった。
初めての国際交流なのに、競技より報告書の枚数が多い。
朝食の席が足りなかった翌日から、アリエスは堂々と俺の隣へ座っている。
ルナは反対側。ノアとミィナは向かい側。
席は足りたが、食事中の視線が四方向から飛んでくるようになった。
国外へ逃げても平穏は見つからない。
初日は事故。二日目は事情聴取。三日目の朝は四方向から監視。
俺が思い描いていた国際交流には、もう少し観光と屋台があったはずだ。
「今日の合同訓練は、雲中での救難信号です」
ゼニスの教官が灯台の上を指した。
白い雲が都市の外壁へ流れ込み、塔の半分を隠している。
「小型飛空艇が遭難した想定で、各校が位置を知らせる信号を作ります。火、音、光、魔力通信。方法は自由です」
「一番遠くへ届けば勝ち?」
イグニスが勝敗表のない記録板を裏返す。
「遭難者と救助船が、互いを見つけられれば合格です」
勝敗ではないと言われ、少し残念そうだ。
俺たちの班には、灯台、手鏡六枚、色つきのガラス板、鐘、信号旗が渡された。
使い魔六体も訓練区画へ入れる。フェンリルとカーバンクルは灯台下。ホークは短い綱をつけて風向きを見る。シープとツナは雲へ出ない高さで待機し、ナビは位置を測る。
「光なら、私がやります」
ノアが手を上げた。
「雲の中ですよ。強く光っても、すぐ白く散ってしまいます」
教官が止める。
「だから試したいです」
ノアは譲らなかった。
召喚実習で、光を消すのではなく広げる方法を覚えた。昨日の炉でも、曇った窓の向こうから液面を見つけた。
傷つける光だけではないと、少しずつ確かめている。
「やろう。ただし最初から最大にはしない」
「はい」
俺たちは灯台へ上がった。
***
最初は白い光を、そのまま雲へ向けた。
百メートル離れた観測台にカイル、エリス、ホークが立つ。ナビが両地点の距離と時刻を合わせた。
「見えますか?」
ノアが弱く光る。
魔力通信からカイルの声が返る。
『塔の周りが白くなった。でも位置がぼやける』
光は真っすぐ進む。
ただし雲には小さな水滴が無数にある。光が水滴へ当たるたび、進む向きを変えられる。散乱だ。
牛乳が白く見えるのも、中の細かな脂肪やたんぱく質が色々な向きへ光を散らすためだ。
雲の中へ白い光を入れると、道筋全体がぼんやり光る。明るくはなるが、どこが出発点かわからない。
「もっと細くします」
「待て。細く強くすると、水滴へ集中して危ない」
昔のノアなら、空気レンズで一点へ集めていた。
救難信号で雲へ穴を開けても、遭難者は助からない。
次は色を変えた。
赤、青、緑のガラスを一枚ずつ通す。
観測台からは、青が最も白く広がり、赤は少し輪郭が残ったと返ってきた。
水滴の大きさが光の波長と近いため、空気分子だけの場合ほど単純ではない。それでも同じ霧の中なら、短い青の光より長い赤の方が遠くまで残ることが多い。
夕焼けが赤く見えるのも、太陽の光が長い空気の中を通り、青い光ほど途中で散らされるためだ。
「赤だけだと、アリエスの炎と区別できないわ」
「私の火の方が綺麗よ」
「遭難者に美しさを採点させるな」
三つ目は点滅させた。
一定の明るさは、雲の明るさへ紛れる。短く三回、長く一回、また短く三回。周囲にはない繰り返しなら、弱い光でも信号と気づきやすい。
「短いのは一秒。長いのは三秒。十秒休む」
グレイが記録板へ書く。
ノアが赤いガラス越しに点滅する。
『見えた! 三、長い一、三!』
カイルの声が返った。
「方向は?」
『まだ広い。右側だとはわかる』
見つけても、近づく方向がわからなければ救助船は雲をさまよう。
そこで手鏡を使う。
灯台の周囲へ六枚を向け、ノアの光を少しずつ違う方向へ反射させる。一枚だけなら、その方向にいない船へ届かない。全方向へ広げれば弱くなる。
六方向へ絞り、同じ点滅を送る。
鏡の角度は、入ってくる光と出ていく光の角度が同じになるよう合わせる。ルナが鏡を浮かせ、グレイが目盛りを読む。
ミィナは止める間もなく鏡の前へ飛び出し、両手を広げた。
「こっち、ちょっと温かいよ!」
「顔を出すな。光が強い場所だ」
ノアの光を強める前に、人と使い魔の位置を鏡の後ろへ移す。
カイルから返事が来た。
『今度は二本見える。間へ進めば塔に近づく』
二方向の光が、道の両端になる。
比較のため、他の方法も試した。
理科実験なら、一番よかった物へ丸をつけて終われる。
実際の事故は、こちらの都合に合わせて便利な道具だけを残してくれない。試験問題よりよほど性格が悪い。
アリエスとイグニスは、灯台上へ赤い炎を上げる。雲の水滴で周囲が橙色に染まり、昼でも目立った。
ただし、風が吹くたび形と位置が変わる。遭難艇が燃えているのか、救難信号なのかも区別しにくい。
「三回燃やして、一回休めば合図になるわ」
「雲の中へ火の粉を飛ばすな」
灯台の木製手すりが熱くなり、エリスに中止された。
カイルは風で鐘の音を遠くへ運んだ。
音は雲で見えなくても届く。ところが風下では大きく、風上ではほとんど聞こえない。岩壁へ反射し、別方向から鳴ったようにも聞こえた。
ミィナだけは反響の間隔から本物の方向を当てたが、遭難者全員に猫の耳を配るわけにはいかない。
信号旗は五十メートルで消えた。
魔力通信は便利だが、遭難艇の通信盤が壊れれば使えない。実際の事故では、使える道具から先に失われる。
「一つに決めない方がいいな」
光で方向、鐘で接近、炎は雲が薄い場所で補助。魔力通信は使える間だけ使う。
同じ情報を複数の方法で送れば、一つ壊れても全部は消えない。
八人の意見を一つにまとめるより、信号を四つ残す方が簡単だった。
グレイは訓練記録へ、各信号の届いた距離と失敗条件を書き足した。
「勝負なら、どれが一番強いの?」
ミィナが記録板へ鼻先を近づける。
「遭難者が持っている物による」
「それ、答えになってないよ!」
「一番を決める訓練じゃない。向こうが気づくまで、使える物を重ねるんだ」
「じゃあ全部使うの?」
「全部壊れたら、最後は大声だな」
ミィナが息を吸ったので、慌てて口を塞いだ。
「今は壊れてない!」
「できました」
ノアが笑った。
その瞬間、灯台の鐘が勝手に鳴った。
***
訓練用ではない警報だった。
『西空路で小型飛空艇が制御喪失! 乗員十二名!』
魔力通信が灯台へ響く。
雲の中から、何かが軋む音がした。
ナビの地図へ、赤い点が不規則に動いている。都市へ近づきながら高度を下げていた。
「救助船は?」
「二隻出ます。しかし遭難艇の信号が途絶え、雲で位置を失っています!」
教官が通信盤を操作する。
訓練で作った光を、本物へ使うしかない。
練習問題を解いていたら、教室の壁が開いて本物の遭難艇が出てきたようなものだ。
ゼニスの授業も、うちの学園に負けず実技の出し方がおかしい。
「ノア。灯台から救助船へ道を出せるか?」
「出せます。でも遭難艇から、この塔が見えるかは」
「向こうにも光を置く」
ホークとナビを飛ばしたいが、雲の外へ出せば位置を見失う。ツナなら空を泳げても、信号を持たせる方法がない。
「ミィナ。ツナはノアの光を運べるか?」
「ツナが食べなければ運べる!」
「光を食べるのか?」
「光精なら追いかけるよ!」
訓練炉で生まれた光精に似た小さな光球を、ノアが作る。攻撃用ではなく、赤く弱い明かりだ。
ツナの鼻先へ浮かべると、予想どおり口を開けた。
「飲み込ませるな!」
透明な小瓶へ光球を入れ、ツナの背へ結ぶ。瓶の内側を白く曇らせ、光を広い面へ散らした。
ミィナがツナへまたがる。
「遭難艇まで行く」
「一人で雲へ入るな」
「匂いと音なら見えなくてもわかる」
「帰る方向がわからなくなる」
ルナがシープを寄せた。
「……糸をつける」
灯台から細い命綱を伸ばし、二人と二体へ結ぶ。長さは三百メートル。それ以上離れたら戻る。
カイルとホークが綱を送り、グレイが距離を読む。エリスとカーバンクルは引き上げに備えた。アリエスとフェンリルは灯台の暖房炉を温め、戻った負傷者を受け入れる。
ノアは灯台へ残り、六方向の赤い点滅を続ける。
「行ってくる」
ミィナとルナが雲へ消えた。
***
命綱が百メートル出る。
百五十。二百。
雲の中から音は返らない。
「光を強くします」
ノアが両手を灯台のレンズへ向ける。
「一段だけだ。連続では上げるな」
赤い点滅が濃くなる。
雲全体を照らさず、六本の太い帯へ分ける。鏡の角度を一度ずつ動かし、探す範囲をゆっくり掃く。
細く一点へ集めれば遠くへ届くが、船へ当たった時に危険だ。広げすぎれば消える。
輪郭がわかり、目を傷つけない明るさを保つ。
「魔力残量は?」
『七十一パーセント』
ナビの表示板に数字が浮かぶ。
ノアはまだ余裕がある。しかし感情が高ぶるほど、光は急に強くなる。
俺は点滅の秒数を声に出した。
「一、二、三。長く。一、二、三」
呼吸も同じ速さへ合わせる。
二百四十メートルで、綱が右へ引かれた。
「何か見つけた!」
ミィナの合図だ。
三回引く。止める。もう三回。
遭難艇発見。
ノアの顔が明るくなる。
「光、届いています」
雲の中で、小瓶の赤い点が上下に動いた。
こちらの点滅へ返事をしている。
遭難艇の位置が、初めて一つに絞れた。
だが救助船は、すぐには近づけなかった。
『前方に赤い光が二つ! どちらが遭難艇かわからない!』
救助船から通信が入る。
雲の中の水滴と、都市外壁の磨かれた金属板が小瓶の光を反射していた。本物より弱いが、距離のわからない雲中では見分けにくい。
「点滅を変えます」
ノアが小瓶の光へ魔力通信で合図を送ろうとする。
「ツナに通信は通じない」
「ミィナなら綱で返せます」
短く二回、長く二回という新しい合図を、命綱の引き方で伝える。
一本、二本、止める。長く引く。それを二度。
雲の中で小瓶が動いた。
反射した偽物は、光の点滅だけをまねる。上下へ動くところまではまねない。
『動いている方を確認!』
「救助船へ、光の右側を進むよう伝えてください」
ノアは鏡の一枚を外し、一本だけ点滅の間隔を変えた。
左右へ同じ信号を出せば、船は中央を進める。片方だけ変えれば、どちらへ寄ったかもわかる。
右の帯が短く二回。左は三回。
救助船が自分の位置を答え、灯台側で進路を修正する。
その間にも命綱は横風で弓のように曲がった。
ナビの表示では、出した綱は二百四十メートル。しかし灯台からの直線距離は二百十メートルしかない。
綱の長さを、そのまま距離と思えば三十メートルずれる。
「ミィナたちを引きすぎるな。遭難艇へ固定してるかもしれない」
カイルとホークが張力を一定に保つ。緩めすぎれば綱が船の翼へ絡む。強く引けば、二人を雲の中へ放り出す。
エリスが綱へ色布を十メートルごとに結び、戻る速度を見えるようにした。
救難信号は、見つけたら終わりではない。
救助船が到着し、全員が帰るまで同じ明るさと間隔を保つ必要がある。
発見の瞬間だけ格好よく光り、あとは魔力切れで寝るわけにはいかない。
それはどちらかと言えば、ルナの担当だ。
「救助船へ送れ!」
教官が通信盤へ座る。
救助船一号は灯台から見て右の光。二号は左。二本の間を進み、小瓶の点滅を目指す。
カイルとホークが雲の流れを読む。風は西から東。光の帯が同じ場所に見えても、雲と遭難艇は流される。
ナビが一分ごとに小瓶の位置を測り、鏡の向きを修正した。
やがて、雲の向こうから船の鐘が二つ聞こえた。
救助船が到着した。
***
遭難艇は片方の浮力輪が止まり、船首から下がっていた。
救助船が左右から綱を取り、十二人を移す。
最後の一人が移った直後、遭難艇は雲の下へ落ちた。無人の岩棚へ衝突し、遠くで鈍い音が響く。
全員救助。
ミィナとルナも命綱をたどり、灯台へ戻ってきた。
ツナの背の小瓶は無事だった。中の光球は半分ほど弱くなっている。
「消えなかった」
ミィナが瓶をノアへ渡す。
「雲の中でも、ずっと見えた」
ノアは両手で受け取った。
昔の彼女は、自分を歩く照明器具と呼んでいた。光れば隠れられず、強くなれば誰かを傷つけると思っていた。
「私の光で、帰ってこられたんですね」
「十二人と、ミィナとルナもな」
「ツナも帰ってきたよ!」
「それもだ」
救助された乗員が灯台へ運ばれてくる。
エリスとカーバンクルが毛布と温かい水を渡し、アリエスとフェンリルが暖房炉を低い火で保つ。カイルは救助船の綱を片づけ、グレイは信号の時刻を記録した。
イグニスは何も燃やせなかったため、救助された三人分の荷物を黙って担いでいた。
派手な試合ではない。
勝者もいない。
それでも交流戦の採点官は、Fクラスとゼニス救助班の両方へ最高点をつけた。
「アルトさん」
片づけの途中、ノアが俺の袖を引く。
「次は、もっと遠くまで届く光を作りたいです」
「強くするだけじゃ駄目だぞ」
「はい。色と、間隔と、広げ方を変えます」
「なら手伝う」
ノアは嬉しそうに笑った。
その笑顔まで淡く光り、曇った灯台の窓へ映る。
後ろでアリエスが咳払いをした。
「交流戦のあと、忘れないでよ」
「わかってる」
アリエスはそれだけ言うと、記録板を抱えて先に階段を下りた。
ミィナは光精を追って走り、ルナは灯台の壁へ寄りかかって眠っている。
ノアの救難光は消えなかった。
俺は灯台の予定表へ、ノアとの訓練日を先に書き込んだ。
今度は、助けを求める前に待ち合わせ場所を決めておく。




