38話 正解のない魔法実技試験
交流戦初日の会場は、ゼニス魔法学院の研究棟だった。
入学第五百四日。天空都市ゼニスへ着いてから、一日休養を挟んでいる。
飛空艇で三日揺られた直後に試合をさせない点だけは、うちの学園より人道的だった。
「競技場じゃないの?」
アリエスが不満そうに杖を回す。
「人を燃やす種目は明日以降だってさ」
「燃やすって決めつけないで」
「では最大火力を見せる種目はいつだ!」
後ろのイグニスが聞いた。
やはり同類だ。
石造りの研究棟には、五か国から集まった生徒が班ごとに並んでいた。制服も杖も違う。話し言葉は転移の時から続く謎の現象で理解できるが、壁の案内文字は大陸共通文字以外も混じっている。
話し合いは大陸共通語なので困らない。読めない現地文字の札へ触れないことから始めた方がよさそうだ。
使い魔六体は試験区画の外周から補助し、装置へ直接触れない決まりだった。
ところがツナが水の匂いを追って実験区画へ入ろうとし、フェンリルが尾を噛んで止める。ホークは梁の上、カーバンクルはエリスの腕、シープはルナごと浮いていた。
ナビだけは測定補助として装置のそばまで入ることを認められた。
「第一種目は未知装置対応試験です」
ゼニス学院の教官が説明を始める。
「各班へ、構造と用途を伏せた魔力装置を一台ずつ渡します。制限時間は六十分。安全に起動し、装置の働きを報告してください」
「安全に起動とは、どの出力までだ?」
グレイの羽ペンが、記録板の上で止まる。
「それも自分たちで判断してください」
「中止条件は?」
「自分たちで決めます」
「壊した時の減点は?」
「装置によります」
何を聞いても、答えが返ってこない。
アリエスは苛立ち、俺は嫌な汗をかいた。
答えが一つなら、知っている公式へ逃げられる。
何を調べ、どこで止めるかまで自分で決めろと言われる方が、よほど怖い。
試験官へ質問しても「自分で考えろ」で返される。
それで装置が爆発したら、たぶん「なぜ止めなかった」と聞かれる。教師という職業は、前の世界から便利にできていた。
***
俺たちの台へ置かれたのは、樽ほどの銀色の筒だった。
上には三つの魔力弁。横には丸い窓と、針の折れた圧力計らしき物がある。下から黒い管が床へ伸びていた。
「燃やせば動く?」
アリエスが手を伸ばす。
指先へ火が灯る前に、彼女は筒の下から伸びる黒い管を見た。
「……先に見るんでしょ。わかってるわよ」
「俺、まだ何も言ってないぞ」
「言いそうな顔をしてた」
二年目になると、止める前に止まることもあるらしい。
まず周囲を空ける。
エリスとカーバンクルが退避線を引き、見学区画へ破片が飛ばない位置を確かめた。カイルとホークは換気口の向き、ミィナは匂いと音を調べる。
開始五分で、まだ誰も格好いい魔法を使っていない。
観客から見れば、八人で樽を囲んで匂いを嗅ぐ地味な競技だ。俺たちからすれば、樽の方が観客席へ飛ばないよう祈る立派な実技だった。
「甘い匂い! 中で水が動いてるよ!」
「液体か?」
「水より、ちょっと重い音!」
グレイが外側の術式を紙へ写す。ノアは弱い光を窓へ当て、反射の違いから内部の液面を探した。
「半分くらい入っています。上は空洞です」
「色は?」
「青。底だけ黒いです」
ナビで表面温度を測る。二十二度。三分待っても変化なし。
折れた圧力計は使わない。同じねじ径の正常な計器を試験官へ借り、取り付け前に大気中で零を示すか確かめる。
「試験なのに道具を借りるの?」
隣国の生徒が笑った。
「壊れた計器を信じるより安い」
新品だから正しいとも限らない。零点を見て、軽く圧をかけ、針が戻るところまで確認した。
初期圧力は大気より少し高い程度。
三つの魔力弁には文字がない。色も全部灰色だ。
「一番左から全開にしよう」
イグニスの手が、一番左の弁へ伸びる。
「全開にする理由は?」
「最大まで入れれば働きがわかる!」
「爆弾でも同じことを言うのか?」
特別火力要員は見学区画へ戻された。
グレイが弁の下にある魔力線を追う。左は筒の底、中央は上部、右は外周へつながっていた。
「底が加熱、上が加圧、外周が冷却かもしれない」
「逆かもしれないだろ」
「だから少しずつ試そう」
グレイが中止条件を先に書き、エリスが退避の合図を決めた。
表面温度五十度。初期圧力の二倍。異臭、金属音、液面の急変。どれか一つで入力を止め、退避する。
「底から一秒。次に中央、最後に右。反応が残っている間は次へ行かない」
グレイが順番を読み上げる。
俺が左の弁へ手をかけると、ノアが袖を引いた。
「待ってください。底の黒いものは、焦げ跡でしょうか」
窓の奥へ光を通す。
黒く見えた部分は、焦げではなく沈殿物だった。もし焦げ跡なら、同じ場所を温める前に傷を確認する必要がある。
「……助かった。最初から決めつけてた」
「仮と書いたのはグレイさんです」
俺の記録板には、まだ何も書いていなかった。
頭の中だけで正解にしてしまえば、紙の上へ仮と書いても意味はない。
左の魔力線に割れがないことを確認してから、俺の種火ほどの魔力を一秒だけ入れた。
何も起きない。
三十秒待つ。
底の温度が〇・三度上がった。
「やっぱり加熱ね」
「まだ断定しない。魔力が流れた場所で抵抗熱が出ただけかもしれない」
細い導線へ電気を流すと熱くなるように、魔力線も流れにくい場所では温度が上がる。装置の目的が加熱とは限らない。
二回目は中央へ同じ量を入れた。
圧力計が一目盛り動き、液面に泡が出る。
右では外周の術式が青く光り、温度が〇・二度下がった。
「加熱、気体注入、冷却でよさそうだ」
グレイが記録へ仮と大きく書いた。
仮の一文字が大事だ。三回同じ反応が出るまで、装置へ名前をつけない。
名前をつけると、人間は急にわかった気になる。
俺たちは使い魔へ名前をつけた初日から散々振り回されているので、その危険だけは身に染みていた。
***
他の班は先へ進んでいた。
ゼニス学院の首席班は、三つの弁を同時に開き、筒から青い結晶を取り出した。
「魔晶石生成炉です!」
歓声が上がる。
別の学校も火力を上げ、結晶を大きくしようとする。
俺たちはまだ低い入力を繰り返していた。
「このままじゃ時間切れよ」
アリエスが時計を見る。
「わかってる。次は三つを組み合わせる」
液体を温め、上から魔力を含む気体を入れ、外周で温度を一定にする装置らしい。
中央の圧力を上げれば、液体へ魔力が溶け込む。炭酸飲料の瓶の中では、高い圧力で二酸化炭素が水へ押し込まれている。蓋を開けて圧力が下がると、溶けきれなくなった気体が泡になる。
この炉も似ている。
ただし、温めれば液体から気体が出やすくなり、内部圧力も上がる。加熱と加圧を同時に最大へすれば、結晶より先に容器が負ける。
「さっきの光の濁り方なら、左を三、中央を二。右は温度が上がってからでいいと思います」
ノアが窓を覗いたまま言う。
グレイは記録を見直し、右の弁へ置いた手を離した。
「その順で試そう。十秒ごとに止める」
アリエスが底を弱く温め、カイルが中央弁へ一定の魔力を送る。右の冷却はルナが弁を一目盛りずつ調整し、外周の冷却術式を一定に保った。
ノアが液体の濁りを光で見る。グレイは圧力。ナビは温度。ミィナは音。エリスは退避線から誰も入れない。
一分後、液体の中へ小さな青い粒が現れた。
「できた!」
「まだ開けるな」
入力を止めても、底の温度は二度上がった。
金属と液体に残った熱が、遅れて中心へ移っている。火を止めた鍋がすぐ冷たくならないのと同じだ。
圧力も少しずつ上がる。
右の冷却だけを一目盛り続け、温度が横ばいになるまで待つ。次に中央の排出弁らしき細管を、布をかぶせてほんの少し開けた。
甘い匂いの青い蒸気が出る。
ミィナが首を横へ振った。
「にゃっ、これは吸いたくない匂い!」
カイルとホークが蒸気を無人の換気筒へ送る。
圧力が大気と同じになってから蓋を開けた。
底には爪ほどの青い結晶が一つ。
小さいが、容器も人間も無事だ。
「得点は大きさじゃないはずだ」
そう言った直後、隣の炉から金属の悲鳴が聞こえた。
***
ゼニス首席班の二回目だった。
一回目より大きな結晶を作ろうと、加熱と加圧を上げている。圧力計の針は赤い線へ近づき、炉の横腹が震えていた。
「止めろ!」
俺が叫ぶより先に、窓が白く曇った。
内部の液体が急に泡立つ。
冷却弁を開いた生徒が叫ぶ。
「冷えません! 外周へ魔力が流れない!」
床下の黒い管が脈打っていた。
冷却へ使うはずの魔力が、逆向きに吸い込まれている。
温度五十八度。圧力は初期の二・四倍。
俺たちが決めた中止線を越えていた。
「全員、退避!」
エリスとカーバンクルが見学者の前へ防護膜を張る。
アリエスとフェンリルは炎を使わず、炉の周囲から燃える物を蹴り出した。カイルとホークが換気口を開ける。
ルナは炉を押し潰さず、蓋が飛ばないよう上から局所重力をかけた。
「圧を抜く!」
ゼニスの生徒が主弁へ手を伸ばす。
「一気に開けるな!」
俺も反対側の弁へ走りかけた。
「アルトくん、そこは加圧側だ!」
グレイの声で足が止まる。
焦って、床へ写した魔力線を左右逆に見ていた。
俺が開ければ、止めるどころか、さらに圧力を入れるところだった。
「上の細管! あっちなら気体だけ抜ける!」
高圧の炭酸瓶を振ってから開ければ、中身まで泡になって噴き出す。炉の液体が急に沸騰すれば、体積は一気に増える。
ノアが窓へ光を通し、液面の上に残る空間を示した。
「細管は生きています。上の気体だけなら抜けます!」
グレイが布と木箱で細管の出口を囲う。俺は長い棒の先へ弁回しを結び、退避線の外から少しだけ回した。
青い蒸気が箱へ噴き出す。
箱の中の布へ液滴が当たり、勢いを失う。カイルの風が残りを換気筒へ運ぶ。
圧力が二倍を下回る。
そこでルナの重力を少し弱めた。押さえすぎれば蓋が変形し、弁まで動かなくなる。
一・五倍。温度五十九度。
まだ上がっている。
「外から冷やす!」
アリエスが水桶を持ち上げる。
だが炉へ近づく直前、自分で足を止めた。
「一か所だけ冷やしたら、盾と同じになる」
一年目の対抗戦で、熱した盾を雪水へ入れて割ったのはアリエスだ。
熱い金属の一部だけを急に縮めれば、厚い炉壁にも亀裂が入る。
「覚えてたのか」
「誰のせいで盾の破片を三日拾ったと思ってるのよ!」
濡れ布を外周へ巻き、カイルの弱い風を当てる。蒸発で少しずつ熱を奪う。
温度が五十八度へ戻った。
圧力は一・二倍。
金属の震えが止まる。
誰も歓声を上げなかった。まだ蓋を開けていない。
Fクラスにしては成長した。
一年前なら煙が止まった時点で勝利宣言し、ミィナが蓋を開け、俺の反省文が一枚増えていた。
大気圧と同じになり、表面温度が四十度を下回るまで待つ。試験時間は、とっくに終わっていた。
退避線の内側には、青い液が数滴落ちていた。
ミィナが近づこうとするのを、フェンリルが前足で止める。匂いだけで安全とは決められない。
グレイは長い柄の先へ白紙を挟み、液へ触れさせた。
「強い腐食性はなさそうだ。でも魔力を含んだまま反応してる」
砂へ吸わせ、密閉壺へ入れる。
床の傷へ残った青い光はノアが見つけた。
水で流せば排水へ広がる。濡れ布で拭き取り、その布も壺へ押し込んだ。
事故を起こした班の一人は、弁へ触れた手を赤くしていた。
「大丈夫だ。少し熱かっただけだよ」
本人は隠そうとしたが、エリスが手首を取る。
エリスは返事を聞かず、手を流水へ入れた。
「試験結果を聞きに行かないと」
「手が先です」
カイルが負傷者の記録板を代わりに持った。
炉を止める場面では全員が装置を見ていた。人の傷へ最初に気づいたのはエリスだった。
俺も機械へ目を奪われる癖を、筆記試験で指摘されたばかりだ。
四十分後。炉の蓋を、長い棒で少しだけ持ち上げた。
大きく育ちかけた結晶は、急な圧力変化で細かく砕けていた。
首席班の生徒が肩を落とす。
「同じようにやったのに」
グレイが記録を並べる。
「冷却へ入った魔力が半分だ。手順より先に、黒い管へ吸われてる」
首席班の生徒は砕けた結晶と数字を見比べ、記録板を消さずに抱えた。
競う相手ではあるが、爆発する炉の隣に敵味方はない。
爆発した後なら、まとめて被害者と書かれるだけだ。
***
採点官は、俺たちの爪ほどの結晶を持ち上げた。
「二年Fクラス。生成量は最下位です」
アリエスの眉が動く。
「ですが、未知装置への初期確認、中止条件、事故対応は最高点。第一種目の首位とします」
「最下位で首位?」
ミィナの耳が左右へ倒れる。
「結晶を作る競技ではありません。正体がわからない装置を、安全に扱えるかを見る試験です」
爪ほどの結晶で、首位。
火力の試験なら、採点官の目を疑っていた。
採点されたのは、装置の名前を早く当てたかではない。わからない間に小さく試し、危なくなった時に止まれたかだった。
事故を起こした首席班も失格にはならない。自分たちの記録を提出し、原因調査へ加わることが課題になった。
俺たちは壊れた冷却線を床下まで追った。
石板を外すと、黒い管が姿を現す。
ラグナ村で見た物と同じ太さ。同じ継ぎ目。同じ古い学園校章。
「どうしてゼニスにあるの?」
ノアの光が、管の傷を淡く照らした。
管は研究炉から魔力を吸い、壁の向こうへ続いている。
俺は表面へ手を近づけた。触れなくても、低い振動がわかる。
一秒に約四回。
森の魔力喰らいが追っていた音と同じだった。
「これ、学園へつながってるかもしれない」
遠征先で見つけたのは、国際交流の記念品ではない。
故郷から五百日かけて逃げてきた卒業問題が、空の街まで先回りしていた。




