35話 代表選考に筆記試験は聞いてない
二年Fクラスの机に、金色の封筒が八通置かれていた。
入学第四百六十五日。
「ラブレター?」
ミィナが匂いを嗅ぐ。
「八人同時に届くか!」
「アルトならあり得るわ」
アリエスが四通を俺から遠ざけた。
差出人は学園長。
中身は、国際魔法交流戦の代表選考通知だった。
「天空都市ゼニスに各国の魔法学園が集まる。競技、研究発表、合同訓練を行う大会だ」
ミネルヴァ先生が教卓へ腰を預ける。
「昨年まではSクラスから選んでいた。今年は全クラスへ参加資格がある」
「つまり、イグニスを倒せば代表ね」
アリエスが指を鳴らす。
「燃やす相手なら任せて」
「……潰す相手も」
ルナまで片目を開いた。
カイルは杖を確認し、エリスは薬を数える。
グレイの鞄からは、参加させてはいけない色の煙が出ている。
全員、実技試験だと思っていた。
「選考の一時間目は筆記だ」
先生が続ける。
八人の動きが止まった。
さっきまで人を燃やす順番を相談していた連中が、羽ペン一本へ敗北した瞬間だった。
「聞いてない!」
「今言った」
金色の封筒が、退学通知より怖く見えてきた。
***
大講義室には、二年と三年の候補者が集まっていた。
Sクラス、Aクラス、生徒会の推薦組。
Fクラスは最後列の端へ追いやられた。
「交流戦へ行く前に、名前を書けず落ちるんじゃないか?」
前の席から笑い声が聞こえる。
昔なら大陸文字を読むだけで時間切れになった。
一年以上、授業と試験を受け、今は辞書なしでも問題文を読める。
遅いことに変わりはない。
問題用紙を裏返す。
『未知の魔力装置を起動する前に、確認すべき事項を記せ』
計算式はない。
『破損した飛空艇から十人を救助する計画を、使用魔法と中止条件を含めて記せ』
正解が一つではない問題ばかりだ。
公式を覚えれば点が来る試験より性格が悪い。
俺は選択肢が四つあれば、わからなくても四分の一で当たる世界から来たのだ。全部自分で書けと言われた途端、そのささやかな希望まで消えた。
「最大火力で障害物を排除」と書く音が前から聞こえる。
アリエスも同じ言葉を書きかけ、手を止めた。
俺たちが森で学んだのは、火力より先に管の中身を調べることだった。
装置なら、温度、圧力、魔力の流れる向き。
同じ型の正常品があれば比べる。なければ外観を記録し、最も弱い入力から試す。
救助なら人数と負傷、風向き、足場、帰還経路。
何人倒れたら撤退するか。どの測定値を越えたら魔法を止めるか。
計画は、成功する方法だけでは足りない。
失敗を認める線も必要だ。
答案の最後に、確認者の名前を書く欄があった。
一人で決めず、別の者が読み直すための欄だ。
俺はナビと書きかけた。
ナビは生徒ではない。
消して、カイルと書く。
試験中に相談はできないが、普段なら一番無茶を止めてくれる。
横を見ると、カイルも確認者へ俺の名前を書いていた。
少し嬉しい。
その向こうでエリスが、確認者へカイルと書いている。
俺の感動は三秒で終わった。
試験後、答案はチーム内で交換された。
実技へ進む前に、互いの計画から危険を一つ見つけるのが最後の設問だった。
アリエスの紙には『障害物を火で除去する』とある。
その横へノアが『中に人がいないか光で確認』と書いた。
ルナの紙は、最初から『全員を軽くして運ぶ』の一行だけだった。
「短すぎないか?」
「……読む時間を節約」
グレイが『軽くした後の着地点がない』と追加する。
ミィナの救助計画には、風向き、匂い、足音の数が絵で描かれていた。
文字は少ないが、煙の中で見えない人間を探す手順としては使える。
カイルは全員を助けようとして、撤退条件を空欄にしていた。
エリスが赤い線を引く。
「救助する側が二人倒れたら、一度戻ります」
「まだ助けを待つ人がいても?」
「戻って人を増やします。カイルくんまで倒れたら、次の救助ができません」
優しい人間ほど、中止条件を書くのを嫌がる。
けれど撤退は見捨てることではない。
次に戻るための手順だ。
グレイの紙は、測定項目が三十六個あった。
「全部調べてたら飛空艇が落ちるぞ」
「どれも興味深いんだけどな」
「命に関係する五個へ絞れ」
俺の紙には、装置の測定ばかりで周囲の避難範囲がなかった。
アリエスに指摘される。
「あんた、機械を見ると人間を忘れるわよね」
「そこは否定できないねぇ」
一人で書いた計画は、自分の癖まで答案になる。
交換した赤字の方が、採点結果より役立ちそうだった。
俺の答案は返ってきた時の方が文字数が増えている。
八人で受ける筆記試験というより、互いの駄目なところを正式な用紙へ書き合う行事だった。
***
筆記試験の後は、屋外実験場へ移動した。
中央には、樽ほどの透明な卵が十個並んでいた。
卵の中では、青い光が不規則に揺れていた。
「課題は『魔晶卵』の孵化だ」
試験官のヴィクトリア会長が説明する。
「八十度前後、一定の魔力圧、緩やかな回転。この三条件を保てば、中から光精が生まれる」
失敗すれば卵は割れ、光精は元の魔力へ戻る。
命が死ぬわけではないと聞き、ノアの肩から力が抜けた。
「一チーム一個。制限時間は二十分。殻を傷つけずに孵せ」
表示板へ配点が出る。
筆記計画三十点。
孵化成功四十点。
温度と魔力の安定二十点。
説明と片づけ十点。
「一個だけ?」
アリエスが卵を覗き込む。
「予備はないの?」
「ないわ。失敗したら、筆記点だけで待ちなさい」
一回勝負。
派手に壊せば、やり直す前に終わる。
試験官が開始の鐘を鳴らした。
Sクラスの台から、すぐ炎が上がる。
イグニスが卵を空中へ浮かせ、その周りを火で包んだ。
「三分で孵してやる!」
「あっちは始めたわよ」
アリエスの指先にも炎が灯る。
俺が止める前に、彼女は自分で火を消した。
「……先に中を見るんでしょ」
「よく我慢したな」
「子ども扱いしないで!」
ノアが卵へ弱い光を通した。
表面は冷たい。
中心では、青い光が小さく縮んでいる。
「右側だけ光が弱いです」
ミィナが殻へ耳を当てた。
「左で、こつこつ鳴ってるよ!」
「中で動いてるのか?」
「出たいけど、寒くて動けない音だよ!」
そこまでわかるのは、猫の耳だけだ。
「熱を均等に渡せばいいんですよね」
エリスが実験場の隅にある水桶を指した。
「火傷を温める時も、炎へ直接当てません。温かい布で包みます」
治癒術師の言葉の方が、熱力学の本より早かった。
「卵を入れられる鍋は?」
「食堂の寸胴鍋なら」
「誰が試験へ持ってきたのよ」
「ミィナ」
「お昼にスープを作る予定だったにゃ」
代表選考より昼食へ備えていたらしい。
寸胴鍋へ水を張り、卵を直接沈めず、細長い台へ載せる。
アリエスとフェンリルが水を温める。
カイルとホークは水面へ弱い風を送り、鍋の中だけをゆっくり回した。
エリスとカーバンクルは卵の周囲へ薄い膜を張る。膜へ八方向から弱い魔力を流し、どこか一面だけ圧が下がらないよう交代で手を添えた。
強く押すのではない。卵が普段受けている魔力を、途切れさせず均等に保つためだ。
水は炎より温まるのが遅い。
その代わり、一か所だけ急に熱くなりにくい。
風呂へ入った時、湯の中で右足だけ焼けることがないのと同じだ。
「七十六度です」
ナビの数字をノアが読み上げる。
「中は六十八度。右側がまだ少し低いです」
「右を下へ回す」
ルナとシープが卵を軽くし、グレイが敷いた布の上で少しずつ転がした。
一人で押せば勢いがつきすぎる。
アリエス、カイル、エリス、ノアが順に手を添え、卵を半周させる。
俺とミィナは反対側で受け止めた。
「アルト、腰!」
「卵に腰はない!」
「アルトの腰にゃ! 潰れる!」
言われてから痛みに気づいた。
樽ほどの卵を受け止める役は、種火しか出ない男へ任せる仕事ではない。
ルナが重さをさらに抜く。
「……これで軽い」
「最初から頼む!」
「アルトが持ちたいのかと思った」
思っていない。
ミィナの耳が動いた。
「音が速くなったよ!」
こつ、こつ、と今度は俺の耳にも届く。
殻の内側から、小さな何かが叩いている。
「温度を上げますか?」
ノアがアリエスを見る。
アリエスは火を強くせず、鍋へ近づけた両手をそのまま保った。
「今の熱で動き始めたなら、変えない方がいいわ」
俺の出番がなくなった。
だが、その判断で合っている。
主人公らしく最後に答えを言う準備だけはしていたのに、卵は俺の解説を待ってくれない。
生まれる側からすれば、俺の見せ場より湯加減の方が大事らしい。
数字だけなら、まだ七十八度。
水と鍋に残った熱は、炎を強めなくても卵へ移り続ける。
やがて中心も七十八度へ上がった。
青い光が、卵の中いっぱいに広がる。
「圧を少し上げるよ」
グレイの合図で、八人が殻へ手を置いた。
大きな魔力を一人から流せば、触れた場所だけへ偏る。
種火ほどしかない俺の魔力でも、八方向の一つにはなれる。
青い光が八本の筋になり、中心で重なった。
殻へ、細い亀裂が入る。
「割れた!」
「違う。中から叩いてる」
ミィナだけが笑った。
亀裂の隙間から、小さな青い手が出る。
次に頭。
光精は自分で殻を押し開け、鍋の上へ浮かんだ。
歓声を上げた瞬間、ツナが口を開ける。
フェンリルが尾で弾き飛ばした。
「食べるなと言う前に止めてくれた!」
使い魔の方も、二年目になって成長している。
Sクラスの台を見る。
光精は先に生まれていた。
ただし殻は炎を当てた側だけ黒く、反対側には大きな亀裂が走っている。
速さでは負けた。
俺たちの卵に残った傷は、中から開いた細い線だけだった。
光精は八人の頭上を一周し、最後に鍋の縁へ座った。
ミィナが昼食用の匙を差し出す。
「スープは、まだできてないにゃ」
生まれたばかりの光精は、匙を椅子にして満足そうに光った。
***
最後は片づけだった。
Sクラスは割れた卵の破片を残し、試験官に呼び止められている。
俺たちは湯を冷まして排水場所へ流す。
容器を洗い、借りた鍋を調理器具置き場へ返した。
ツナが最後まで鍋を舐めていたため、もう一度洗うことになった。
結果発表は日没前だった。
「代表は、二年Fクラス八名」
ヴィクトリア会長が読み上げる。
一瞬、意味がわからなかった。
「俺たちが?」
「筆記二位。孵化成功。温度差は最小。実技中の説明も最高点よ」
最大火力は参加チームで最下位。
孵化までの時間も、参加チームで一番遅い。
それでも八人が途中の変化を説明し、殻をほとんど傷つけずに光精を出した。
「納得できん!」
イグニスが表示板の前へ出た。
「俺たちの方が先に孵した!」
「速さだけを競う試験ではないわ」
ヴィクトリア会長は動じない。
「殻の片側が黒くなった原因を説明できる?」
イグニスは黙る。
俺はSクラスの記録板を指した。
「火に近い側だけ、表面温度が百十度を越えてる。中の光が逃げようとして、反対側を割ったんだと思う」
「敵に教えるつもりか?」
「次は三個とも孵した方が、交流戦の練習になるだろ」
しばらく睨まれた。
やがてイグニスは記録板を俺の胸へ押しつける。
「代表が恥をかいたら承知しない。ゼニスで負けて帰ってくるな」
「お前も補欠だろ」
「補欠ではない! 特別火力要員だ!」
名称を変えただけに聞こえる。
それでも以前なら、記録板ごと燃やしていた。
失敗の数字を消さずに残せるくらいには、少し変わった。
「やったぁ!」
カイルとエリスが抱き合う。
アリエスはイグニスの方へ胸を張り、ルナは結果を聞いてまた眠った。
ノアとグレイは、生まれた光精が帰還するまで見送る。
ミィナは代表章を噛んで本物か確かめた。
六体も一緒に行けると聞き、フェンリルが吠え、ホークが空へ上がる。
カーバンクルはエリスの腕で跳ね、シープは眠ったまま少し高く浮いた。
ツナは何も理解せず、洗った鍋へもう一度頭を入れた。
『遠征先、天空都市ゼニス。移動予定、飛空艇ニテ三日間』
ナビが旅程を表示する。
「空の街か。宿は個室よね?」
アリエスが会長へ確認する。
「代表予算は八人分。使い魔の部屋はないわ」
全員が六体を見る。
フェンリル、シープ、ツナだけで、一部屋へ入る量ではない。
「追加の部屋は?」
「一泊、金貨一枚」
三日分の昼食どころではない。
代表に選ばれた喜びは、宿代の計算で消えた。
「ミィナとツナは、屋上の水槽で寝る! その分、部屋を一つ減らせるにゃ!」
ミィナが宿の案内を奪い、屋上浴場の絵を尻尾で叩いた。
「宿の水槽を勝手に寝床へするな!」
「じゃあアルトの風呂で飼う!」
「俺の部屋を魚類込みにするな!」
周囲の候補者がこちらを見る。
代表発表から一分。
他国へ行く前に、俺の部屋だけ水族館になりかけていた。




