34話 使い魔がいない二人の放課後
放課後の教室で、ノアとグレイだけが呼び止められた。
入学第四百四十日。
「二人は旧召喚場へ行け。一年生の召喚実習を手伝ってこい」
ミネルヴァ先生が紙を二枚渡す。
「どうして僕たちだけ?」
グレイが渡された紙を裏返す。
「使い魔がいないからだ」
教室の空気が少し止まった。
アリエスの足元にはフェンリル。カイルの椅子の背にはホーク。
エリスはカーバンクルを抱き、ルナはシープの上で寝ている。
ミィナとツナは窓から半分ずつ外へ出ていた。
俺の肩口にはナビがいる。
六体いないのではない。
八人のうち、ノアとグレイにだけ相棒がいない。
普段は八人で騒いでいるから目立たない。召喚実習という名前がつくと、その空席だけが急に大きく見えた。
「去年の実習で補助員が召喚獣を連れて行き、呼び出された側が怯えた。使い魔を持たない者が入口を担当する決まりになった」
先生は説明を続ける。
「嫌なら断ってもいい」
ノアは紙を両手で持った。
「行きます」
「僕も興味はあるよ」
グレイが白衣の胸元へ手を入れる。
「採血は禁止だ」
「まだ何も言ってないけど」
「顔に書いてある」
去年、グレイの召喚へ誰も応えなかった理由がよくわかる。
「俺たちも行くよ」
「手伝いは二人だけだぞ」
「使い魔を連れて、離れた場所で待つ。終わったら一緒に帰る」
ノアが少しだけ笑った。
放課後に二人だけを送り出すほど、俺たちは行儀のよいクラスではない。
***
裏山の旧召喚場は、一年前と変わっていた。
割れた石は交換され、雑草も刈られている。
俺がチョークでつないだ補助線だけは、保護材を塗られて残っていた。
修理代を節約できたため、学園が正式な実習場へ戻したらしい。
俺たちが廃品を直すと、次の年から他のクラスが使う。
貧乏くじが、一年遅れで戻ってきた。
一年生が十二人、魔法陣の周りへ並んでいた。
担当教官は、召喚生態学のマルタ先生だ。
「補助員は内側へ。見学者と使い魔は柵の外へ」
俺たちは指示に従った。
フェンリルとホークは伏せ、カーバンクルとシープも主人から離れない。
ツナだけは柵を魚網と勘違いし、噛み始めた。
ミィナが尾を引いて止める。
ノアは魔法陣へ入る生徒の杖を預かる。
グレイは召喚後の健康確認表を持った。
「呼び出した相手が現れても、すぐに触らない。名前を決めつけない。契約を急がせない」
マルタ先生が一年生へ言う。
「召喚は命令ではない。こちらの魔力へ応え、話を聞きに来てもらう術式だ」
去年の俺たちは、SSレアだのガチャだのと騒いでいた。
今思えば、店頭へ並んだ商品を見る態度だった。
フェンリルたちが怒らなかったのは、かなり運がよかった。
マルタ先生は柵の外にいる六体を教材にした。
「触れてよい時と、嫌がっている時の違いを見ろ」
アリエスが手を出すと、フェンリルは自分から額を寄せる。
知らない一年生が近づけば、耳を立てて匂いを確認した。
尻尾は下がっていない。逃げる距離も取らない。
警戒はしているが、恐怖ではない。
ホークは翼を広げた時に手を出すと、嘴で指を払う。羽根を整え終わるまで待てば、カイルの腕へ乗った。
カーバンクルは額の宝石へ触れられるのを嫌がり、エリスの袖へ隠れる。
シープはどこを触っても気にしないように見えたが、毛を強く引けばルナごと三メートル逃げた。
「……枕を引っ張らないで」
怒ったのは使い魔より主人だった。
ツナはミィナ以外の手も噛む。
「これは嫌がってる反応ですか?」
「ツナは味見してるだけ!」
違いがわからないため、ツナは参考外になった。
ナビは触れる前に『接触目的ヲ申告シテクダサイ』と音声を出す。
最もわかりやすい。
「同じ種類でも、同じ反応とは限らない。耳だけで決めず、呼吸、姿勢、逃げる距離を一緒に見るんだ」
人間でも、笑っているから喜んでいるとは限らない。
複数の変化を見て、普段の状態と比べる。
グレイは五体の平常時の呼吸数と、ナビの浮上高度、稼働音を確認表の端へ書き足した。
「数字があれば、次に違った時も気づける。うひひ、記録項目が増えてきたね」
「採血より先に見るものがあったな」
「耳が痛いよ」
先生に言われる前に記録しただけでも、去年より一歩は進んでいる。
一人目の生徒が小さな風ネズミを呼ぶ。
ネズミは生徒の靴を嗅ぎ、肩へ登った。
契約成立。
二人目は何も現れない。
生徒は落ち込んだが、マルタ先生は魔法陣から下ろした。
「今日は応える相手がいなかった。それだけだ」
三人目の少年が中央へ立つ。
高価そうな杖と、新しい契約首輪を持っていた。
「僕なら上級魔獣が来る。父上が触媒を用意したんだ」
魔法陣へ青い結晶を置く。
光が立ち上がった。
現れたのは、子犬ほどの白い狐だった。
毛の先が水晶のように透き通っている。
「クリスタル・フォックス!」
マルタ先生が声を上げる。
「珍しい魔獣だ。全員、動くな」
狐は魔法陣の中央で体を伏せていた。
耳は後ろへ倒れ、尾を腹の下へ巻いている。
少年は喜び、首輪を持って近づく。
「僕の使い魔にしてやる」
「待ちなさい」
ノアが止めた。
「怯えています」
「呼ばれたんだから契約するに決まってる」
少年が手を伸ばす。
狐の毛が逆立った。
水晶の毛先が一斉に光を反射する。
細い光の針が周囲へ飛んだ。
少年の頬をかすめ、後ろの石へ突き刺さる。
マルタ先生の防護膜が一年生を包む。
「首輪を捨てて下がれ!」
少年は驚いて首輪を落とした。
金属音へ反応し、狐がさらに体を丸める。
閉じ込められた動物へ正面から手を伸ばせば、残る選択は噛むか逃げるかしかない。
ここには逃げる場所が少なすぎた。
「白い衝立を外して! 反射する物も伏せて!」
ノアが補助員へ指示する。
グレイは首輪を布で包み、金属の光を隠した。
俺たちも柵の外から顔を伏せる。
ノアの肩も跳ねた。
眩しい光へ、体が勝手に反応したのだ。
指先から光が漏れる。
「ノア!」
俺が呼ぶ。
「消さなきゃ」
焦るほど光は強くなる。
狐は白い壁際へ逃げた。
反射した光が重なり、目を閉じても明るい。
ノアは自分の光で相手を傷つけるのが怖くて、召喚を辞退した。
その一番嫌な形が、今起きている。
「消さなくていい! 広げろ!」
俺は上着を脱ぎ、ノアの頭から被せた。
「えっ」
「指先だけ外へ出せ。光を一点へ集めない」
強い光でも、広い場所へ分ければ一か所へ届く量は減る。
虫眼鏡で日光を集めると紙が焦げる。逆に同じ光を布と曇りガラスで散らせば、部屋を柔らかく照らす明かりになる。
問題は光の総量だけではない。
どれだけ狭い場所へ集中しているかだ。
エリスが柵の外から、薄い白布を投げる。
俺は受け取り、ノアの指先の前へ張った。
細かな繊維の隙間で光が散り、一点へ集まっていた光を広い面へ分ける。
裸の照明へ白い覆いをつけると、影が柔らかくなるのと同じだ。
壁へ刺さっていた白い線が、淡い明かりへ変わった。
光の針も弱くなった。
狐の毛が光を反射するなら、入る光を柔らかくすれば、跳ね返る光も弱くなる。
完全な暗闇にすればいいわけではない。
知らない場所で急に何も見えなくなれば、余計に怯える可能性がある。
足元と帰還線だけが見える明るさを残す。
「そのまま、狐の足元だけを照らせ」
「はい」
ノアの呼吸が戻る。
上着の中で俺の腕を掴んだまま、光を弱く広げた。
俺も半分ほど上着へ入っているため、顔が近い。
柔らかな金髪が頬へ触れる。
「アルトさん。心臓が速いです」
「光を制御することだけ考えろ」
「アルトさんのです」
「今言わなくていい!」
柵の外で、アリエスの杖が赤く光った。
事故を一つ止めるたび、別の事故が育つ。
***
狐は壁際から動かない。
少年は首輪を握ったまま、不満そうにしている。
「僕の触媒で来たんだ。僕の物だろ」
「物ではありません」
ノアが上着から出て答えた。
まだ俺の袖を掴んでいるが、光は安定している。
「じゃあ、どうすれば契約するんだよ」
「近づいてくるか、選んでもらう」
グレイが木箱を二つ置いた。
一つは少年の前。
もう一つは、召喚陣の帰還線の前だ。
両方へ同じ水と肉を入れる。
「何をしてる?」
「選択肢を作る。君の所へ行く道と、帰る道だよ」
動物が怯えているかどうかは、言葉だけでは聞けない。
耳、尾、呼吸、距離、餌を食べるか。
見える反応を一つずつ比べる。
近づいた人から離れるなら、それだって立派な答えだ。
「まず全員、三歩下がって」
グレイが指示する。
自分も下がった。
去年のグレイなら、珍しい狐へ一番近づいていただろう。
狐はしばらく動かなかった。
ノアの淡い光が、二つの道を同じ明るさで照らす。
少年が待ちきれず、一歩出た。
狐の耳が伏せる。
「近づかないで」
グレイが少年の肩を止めた。
「僕の使い魔じゃないくせに、命令するな」
「だからわかるんだ。持っていない者が、持ち主のつもりで触ったら駄目だ」
グレイの声から、いつもの笑いが消えている。
狐はゆっくり立ち上がった。
少年の前にある箱へ近づく。
水を一口飲んだ。
少年の顔が明るくなる。
だが狐は首輪を見ると、また耳を伏せた。
箱から離れ、帰還線の前へ歩く。
「待てよ!」
「待つのは君だ」
グレイが首輪を取り上げた。
狐は帰還線の前で振り返る。
ノアを見る。
次にグレイを見る。
そして光の中へ消えた。
契約は成立しなかった。
少年は地面を蹴る。
「失敗じゃないか!」
「怪我をさせず帰した。今日はそれが合格だよ」
マルタ先生が静かに言った。
少年から契約首輪を預かり、次の実習までに使い方を学ぶよう命じる。
少年の頬には細い傷が残っていた。
エリスが近づき、治癒をかける前に本人へ許可を取る。
カーバンクルも一緒に小さな膜を張った。
グレイは傷の長さを見たあと、測定板をしまう。
「記録しないのか?」
「本人の傷だ。授業記録は先生へ任せるよ」
珍しい魔獣の攻撃痕でも、勝手に研究材料へしない。
少年は治った頬へ触れ、帰還線を見る。
「次に呼べたら、首輪なしで待てばいいのか」
「来てくれるかは、あの子が決める」
グレイが首輪を少年の手へ戻す。
「でも待ち方は練習できる」
少年はすぐには頷かなかった。
それでも首輪を返せとは言わず、一年生の列へ戻った。
実習場へ、ようやく息を吐く音が広がった。
***
残りの召喚は、大きな事故なく終わった。
契約したのは十二人中七人。
五人は何も呼ばないか、現れた相手を帰した。
数字だけなら七勝五敗に見える。
命を扱う授業で、勝敗へ変える方が間違っている。
柵を開けると、六体が主人の元へ戻った。
フェンリルはアリエスの手を舐める。
ホークはカイルの肩へ乗り、カーバンクルはエリスの胸へ飛び込んだ。
シープはルナを乗せ直し、ツナはミィナの周りを泳ぐ。
ナビは俺の前で止まった。
どの相棒も、命令されたから戻ったようには見えない。
「ノア。もう一度召喚する気になった?」
帰り道で尋ねる。
「まだ怖いです」
ノアは正直に答えた。
「でも、光を消せない時にもできることがあるとわかりました」
「グレイは?」
「今は六体の健康記録で十分かな」
グレイは確認表を閉じる。
「相手が来る前から、採血量を考えてた。選ばれなかったのは当然だよ」
「反省したのか?」
「うん。次は採血の前に署名を」
「まだ採る気じゃないか!」
グレイは笑った。
その時、確認表の間から白い物が落ちた。
クリスタル・フォックスの毛だった。
一本だけ。
「盗んだのか?」
「違うよ。帰る前に、あの子が僕の箱へ置いた」
触ろうとした手を止め、紙ごと小瓶へ滑らせる。
直接触れず、折らず、採取時刻と場所を書く。
「本人が置いた物なら、調べてもいいかな」
「血よりはな」
ノアが俺の上着を抱えたまま歩いている。
「そろそろ返してくれ」
「あっ。すみません」
返そうとして、袖へ顔を近づける。
「アルトさんの匂いがします」
「それは俺の上着だからな」
「もう少し借りてもいいですか?」
「寮までなら」
「はい」
グレイが確認表へ羽ペンを走らせた。
「貸出物、上着一着。返却予定は旧第三学生寮」
「記録するな」
「大事だよ。相手へ渡した物は記録しないと」
「狐の毛と同じ扱いにするな!」
使い魔の欄は、今日も二人とも空白だった。
それでも帰り道には、グレイの小瓶へ入った狐の毛と、ノアが返してくれない俺の上着が増えている。
俺の肩だけが、行きより少し寒かった。




