33話 八人で出かける休日はデートに入りますか?
俺たちは湖にいた。
入学第四百二十日。森から帰って二十三日後。
授業をさぼったわけではない。
ミネルヴァ先生が、働きすぎた生徒には休養も必要だと言い出したのだ。
「お前たちは入学してから、寮を直し、森を焼きかけ、迷宮へ落ち、村の井戸を直し、違法な魔力管まで止めた」
「森を焼きかけたのは主にアリエスです」
「誰が焼いたっていうのよ!」
本人が一番大きな声を出した。
「とにかく一日休め。次の授業へ疲労を持ち込むな」
そう言って渡されたのが、王都郊外にある月鏡湖の貸しボート券だった。
教師から休日を命令されたのは初めてだ。
もっとも、券には八人分と書かれている。
使い魔六体の分はない。
「六体は留守番かな」
カイルが言った瞬間、フェンリルが低く唸った。
ホークは券を嘴で突き、カーバンクルの方は、エリスの腕へしがみつく。
シープはルナを乗せたまま動かない。ツナはもう湖へ入っている。
ナビだけが人数へ含めるべきか判断できず、券の上を旋回していた。
「全員で行くー!」
ミィナが券を頭上へ掲げる。尻尾まで真っすぐ立っていた。
休養日の最初の仕事は、六体をボートへ乗せる方法を考えることになった。
嫌な予感しかしない。
***
貸し出されたのは、木製の大きな手漕ぎボートだった。
定員十名。
八人なら余裕がある。
フェンリルは三人分あり、シープは、毛を含めれば二人分。ツナの重さは、魚屋の秤で百二十キロを超えた。
最初から定員を無視している。
「二艘借りよう」
「券は一艘分しかないわよ」
アリエスが財布を確認する。
「追加料金は?」
「銀貨四枚です」
受付の女性が笑顔で答えた。
昼食三日分。
「一艘で行こう」
俺たちの安全は、昼食三日分に負けた。
ボートを桟橋へ寄せる。
まず俺とカイル、グレイが中央へ乗った。
次にエリスとノア。
船は少し沈んだものの、まだ余裕がある。
ルナとシープが後ろへ乗る。
船尾が水面へ近づいた。
アリエスとフェンリルが前へ乗ると、どうにか水平へ戻った。
「完璧ね」
「ミィナがまだだ」
本人はツナへ跨がり、水面から手を振っている。
「ミィナは自分で泳ぐ!」
「魚から落ちるなよ」
「落ちても泳げるにゃ!」
ホークは上空、カーバンクルはエリスの膝、ナビは俺の肩口。
これなら沈まない。
争点は座る場所だった。
「アルトの隣は私よ。前で漕ぐんだから」
アリエスが左へ座る。
「私は反対側なら邪魔しません」
ノアが右へ座った。
「……膝、空いてる」
ルナが後ろから俺の背へ乗る。
水上のミィナまで船の右縁へ手をかけた。
「ボスの横、まだ半分空いてるよ!」
「全員離れろ!」
遅かった。
船が右へ傾く。
湖面が縁まで上がり、冷たい水が一気に入ってきた。
グレイの鞄、昼食の籠、着替えの袋が右へ滑る。
さらに傾く。
「きゃあっ!」
「動くな! 反対へ移れ!」
全員が一斉に左へ移った。
今度は左へ傾いた。
「一斉に動くな!」
俺の指示が一秒遅い。
ボートは振り子のように左右へ揺れ、最後に昼食の籠を湖へ投げ出した。
「お魚!」
ミィナとツナが籠を追う。
「昼食だ!」
魚ではない。
ツナが籠の下へ潜り、背中で持ち上げた。
昼食は助かった。
俺たちの服は、出発前から腰まで濡れた。
受付の女性が桟橋から拍手している。
「まだ縄も解いていませんよ」
聞こえないふりをした。
***
桟橋へ戻り、水を掻き出す。
「八人が乗れる船なのに、どうして傾いたんだ?」
カイルが濡れた靴を絞る。
「重さだけじゃなく、重さを置く場所が悪い」
船は水へ浮くために、自分の重さと同じだけの水を押しのける。
風呂へ入ると、水面が上がるのと同じだ。
船が重くなれば、それだけ深く沈み、押しのける水も増える。
これが浮力だ。
だが、合計の重さが定員内なら、どこへ立ってもいいわけではない。
右へ全員が集まれば、当然、重心も右へ移る。
船を下へ引く重心と、水から押し上げる浮力の中心がずれると、船は傾く。
傾いた側から水が入れば、重心がさらに外へ移る。
あとは坂を転がる荷車と同じだ。
「つまり、アルトの隣を取り合ったから沈みかけたのね」
アリエスが三人を見る。
「アリエスさんが最初に座りました」
「……私、上に乗っただけ」
「ミィナはツナで泳ぐ!」
責任の押しつけ合いが始まった。
「誰が隣でもいい。左右の重さをそろえろ」
「じゃあ私が左で、ルナが右。ノアは前」
「ミィナは?」
「湖」
「仲間外れはよくないです」
配置だけで昼になる勢いだ。
グレイが湖畔の売店を指す。
「空の樽を借りよう。船の左右へつければ、傾きにくくなる」
丸い浮き樽を二つ借りる。
一本の棒で船の左右へ固定して、樽を水面へ浮かせた。
アウトリガーだ。
船が右へ傾けば、右の樽が水へ深く沈む。すると押しのける水が増え、その分だけ、強い浮力が船を押し戻す。
左右へ補助輪をつけるようなものだ。
いきなり全員を乗せる前に、石袋で試す。
中央へ置いた時は、船がまっすぐ沈むだけだった。
同じ袋を右の縁へ置くと、樽が水へ半分沈み、傾きを止める。
さらに袋を重ねると、樽も完全に沈んだ。
補助があるからといって、絶対に転覆しないわけではない。
支えられる重さには限界がある。
「立ち上がるのも禁止だ」
「どうして? 重さは変わらないよ」
カイルが水面へ浮かぶ筏を指差す。
「重心が高くなる。鉛筆を寝かせた時より、先端で立てた時の方が倒れやすいだろ」
船の底へ低く座れば、重心も下がる。
立って手を振れば、少し傾いただけで体重が外側へ移り、さらに船を倒す。
ミィナとツナには、立たない、飛び込まない、魚を追わないと三回ずつ言い聞かせた。
最後の一つだけ、返事がなかった。
「これなら全員で右へ寄っても平気?」
「限界はある。試すなよ」
ミィナがすぐ右へ寄ろうとしたため、尻尾を掴んだ。
「ボスが尻尾触った!」
「沈没防止だ」
「もう少し上でもいいよ?」
「何の話だ!」
受付の女性がまた拍手した。
休養地でまで評判を落としたくない。
今度は、重い者から位置を決める。
フェンリルとアリエスは前。シープとルナは後ろ。
カイルとグレイが左右の櫂を持つ。
エリスとカーバンクル、ノアが中央。
俺は荷物の横へ座った。
ミィナとツナは左右を自由に泳ぐ。
ホークは上から風向きを見て、ナビは傾きを表示する。
ようやく桟橋を離れた。
「アルトの隣が荷物なの、納得できないわ」
「荷物は喧嘩しないからな」
籠の中から、昼食の焼き魚が一匹消えていた。
荷物まで信用できない。
***
湖の中央は静かだった。
水面へ山と空が映り、風が吹くたび細かく崩れる。
カイルとグレイが櫂を動かす。
左右が同じ速さなら、船は真っすぐ進む。
カイルだけが強く漕ぐと、船首はグレイ側へ曲がった。
「押した側と反対へ曲がるんだ」
「右足だけで地面を蹴ったら、体が左へ回るのと同じだよ」
二人は何度か蛇行したあと、ようやく呼吸を合わせた。
エリスがカイルの後ろから手を重ねる。
「こうですか?」
「ち、近いよエリスさん」
「力をそろえるためです」
明らかに必要以上に近い。
こちらを見ていた四人の目が細くなる。
俺は何も見なかったことにした。
代わりに、俺の隣へ座る時間を十分ずつ交代することになった。
誰が決めたのかは知らない。
最初はアリエス。
「別に隣へ来たかったわけじゃないわ。前が重すぎるから調整よ」
そう言いながら、肩が触れる距離から離れない。
次はノア。
話そうとするたびに顔を赤くし、十分間で天気の話を三回した。
ルナは交代時間のほとんどを俺の肩で眠った。
最後のミィナは、湖から船縁へ上半身だけ乗り出す。
濡れた髪と服から水が落ち、俺の膝だけがまた濡れた。
「これでデートになる?」
「十分座っただけだ」
「じゃあ今度は、もっと長いデートにする!」
軽い言葉なのに、逃げ道だけはきっちり塞がれた。
交代を見ていたグレイが、紙へ時刻と心拍数を書いている。
「研究するな」
「重心移動とアルトくんの脈拍に相関があるかと思って」
「ない。紙を湖へ捨てろ」
「環境汚染はよくないよ」
正論を使う場所が間違っている。
湖畔で買った菓子と果物を広げる。
フェンリルには干し肉、ホークへ木の実を渡し、カーバンクルは果物の端を齧った。
シープは雲のような毛へパン屑を溜め、ルナが寝ながら拾って食べる。
ツナの昼食まで魚だった。
同族を食べていいのか聞いてみたが、本人は尾まで飲み込んだ。
召喚獣の価値観は難しい。
「こういうの、久しぶりね」
アリエスが湖面へ足先を入れる。
「戦わなくていい外出は初めてかもしれない」
「ダンジョンも森も、毎回何かに追われてたからな」
「今日は何にも追いかけなくていい?」
ミィナが船の横から顔を出す。
「追うな。追われる物も見つけるな」
「もう見つけたー!」
ミィナが指した先で、水面に銀色の魚群が跳ねた。
ツナの目が輝く。
「待て」
ツナが飛び出した。
ミィナも尾を掴んだまま引かれる。
しかも、結んでいた昼食籠の縄が、ミィナの足へ絡んでいた。
籠、ミィナ、ツナが一本につながる。
船が急に加速した。
「止めろぉぉぉ!」
ツナは魚群を追い、湖面を一直線に泳ぐ。
ボートの船首が持ち上がった。
アウトリガーが左右の揺れは止めるが、前後の暴走までは止めてくれない。
岸から離れていく。
カイルとホークが向かい風を作る。
アリエスは火を出そうとして、全員に止められた。
「木の船で火を使うな!」
「じゃあどうするのよ!」
「籠の縄を切る!」
「昼食がなくなる!」
全員の判断が昼食に負ける。
ルナが片目を開いた。
「……魚だけ、重くする」
「ツナまで沈むぞ!」
「……ミィナは軽くする」
重力が分かれた。
ツナの腹が水へ沈み、速度が落ちる。
ミィナは縄に引かれたまま水面から浮いた。
ノアが籠へ光を当て、グレイが結び目の位置を見つける。
俺は船首へ這い、縄を外した。
急に抵抗を失った船が回転する。
カーバンクルの膜が全員を包み、外へ投げ出されるのを防いだ。
ボートは三回回り、止まった。
ツナは魚群を追い続けている。
縄から外れたミィナだけが、空中で俺へ飛んできた。
「受け止めて!」
「無理だ!」
胸へ直撃した。
俺は船底へ倒れ、ミィナが腹の上へ乗る。
濡れた尻尾が脚へ巻きついた。
「にゃはは、捕まえた!」
「俺は魚じゃない」
「知ってる。男の子」
耳元で言われ、顔が熱くなる。
アリエスが櫂を持ち上げた。
「そのまま湖へ戻りたい?」
「事故だ!」
「便利な言葉ですね」
ノアまで冷たい。
ルナはもうシープの上で寝直している。
騒ぎの原因であるツナは、魚群へ逃げられて戻ってきた。
口には水草しかない。
「反省しろ」
ツナは水草を俺の頭へ載せた。
反省しているようには見えなかった。
***
夕方。
俺たちは濡れた服を湖畔の岩へ並べた。
着替えは最初の浸水で半分濡れ、残りはツナの暴走で全部濡れた。
受付から借りた大きな毛布を八人で羽織る。
フェンリルとシープが左右から温めてくれた。
使い魔は役に立つ。
シープの毛へ顔を埋めたルナだけは、最初から自分の毛布を確保している。
「結局、デートだったのかしら」
アリエスが毛布の中で尋ねる。
「八人と六体で?」
「全員で出かけたんだから、集団デート」
「それなら次は二人がいいです」
ノアが小さく言う。
「ミィナも二人で行きたい!」
「……私も」
三方向から予約が入った。
アリエスも黙ったまま、俺の腕をつねる。
「順番は?」
カイルが余計なことを聞いた。
四人が同時に俺を見る。
「今日決める話じゃない!」
俺は毛布から逃げようとした。
八人を包んだ一枚なので、俺だけ立てば全員の毛布が落ちる。
逃げられない。
受付の女性が、乾燥用の火鉢を持ってきた。
「仲のよいご家族ですね」
「まだ家族じゃありません!」
「では、こちらの記念写真はいかがですか?」
差し出された写真には、一枚の毛布から八人の頭だけが並んでいた。
その下には『月鏡湖の新婚団体様』と書かれている。
買わなければ、掲示板へ飾るらしい。
値段は銀貨四枚。
二艘目のボートと同じ値段だった。
俺たちは昼食三日分を守るため一艘へ詰め込み、昼食三日分を写真へ払った。
休養とは、財布だけを軽くする行事なのかもしれない。
少なくとも、体より先に小遣いが休眠へ入った。




