29話 魔力ゼロの村では井戸水も汲めません
空の桶を持った人の列が、ラグナ村の入口まで続いていた。
入学第三百九十日。真実の鏡を見てから三十五日後。
調査許可と授業日程がそろうまで、申請書を四枚書き直した。
魔力が消えた村より、判子が一つ足りない書類の方が学園では先へ進めないらしい。
ようやく許可を奪い取り、二年Fクラスは王都から南へ馬車で二日進んだ。
目的地はラグナ村。
人口三百人ほどの農村だ。
馬車を降りても、最初に見えるのは畑でも家でもない。
「井戸が壊れたんですか?」
ノアが先頭の老人へ尋ねる。
「井戸は壊れちゃいない。水を上げる魔法が動かんのだ」
石造りの共同井戸を覗く。
水面は十メートルほど下にあり、水は澄んでいる。井戸が枯れたわけではない。
井戸の上には魔力で回る揚水輪がついているが、羽根は止まったままだ。
「十二日前の朝から、村中の魔道具が動かなくなった。火も水も灯りもだ」
村長が俺たちを集会所へ案内する。
台所の火炉、粉を挽く臼、畑へ水を送るポンプ。生活のほとんどを小さな魔石へ頼っていた。
魔石そのものは残っているが、周囲から魔力を補充できず、十二日で使い切った。
俺たちの魔法も完全に消えたわけではない。
体内へ蓄えてきた分なら使えるが、一度使えば、村の外へ出るまでほとんど戻らない。
アリエスが指先へ火をつける。普段なら拳ほどの火球になる魔力を使い、蝋燭ほどの炎しか出なかった。
フェンリルの背中も赤く光るだけで燃え上がらない。
ホークは高度を取れず、シープはルナ一人を浮かせるのが限界。ツナはミィナの肩ほどの高さを泳ぎ、すぐに地面へ降りた。
カーバンクルの膜とノアの光も、手のひらほどの大きさしかない。
「第零層と似ています。でも、少しは使えますね」
「あの時は地脈から完全に切られてた。ここは流れ込む量より、出ていく量が大きいんだと思う」
浴槽の栓を抜いたまま細い水を入れているようなものだ。
入る水より抜ける水が多ければ、最後には空になる。
グレイは全員へ魔法使用札を一枚ずつ配った。
緊急時以外は杖へ巻いておく。札を外した者は、誰がどれだけ使ったか申告する。
目に見えない残量ほど、使う前に規則を決めた方がよい。
ゲームなら画面の隅へ青い数字が出る。現実ではアリエスが「少ししか使ってない」と言い張るだけだ。そちらの方が信用できない。
村人は薪で火を起こせるし、川で洗濯もできる。
一番の問題は、飲み水だった。
川は家畜の放牧地を通るため、そのまま飲めない。井戸水は安全だが、桶一杯を縄で十メートル引き上げるには時間と力がいる。
三百人分を毎日手で汲み、列ができていた。
「魔力がなくても動くポンプを作れないか?」
村長に頼まれ、誰もすぐには答えなかった。
七人の視線が俺へ集まる。
俺の額に、いつから魔力がなければ科学へどうぞと書かれたのだろう。
井戸の列で、空の桶が石へ当たる音だけが続く。
「仕組みだけ作っても、誰が動かすの?」
最初に口を開いたのはルナだった。
いつもなら答えを考える前に寝るのに、今日は止まった揚水輪を見たまま起きている。
「仕組みは作れる。でも、動かす力は必要です」
「科学で何とかなるんじゃないの?」
アリエスが消えた火花を見つめたまま呟く。
「科学は力を増やして見せることはできても、何もないところから力を作れない」
第零層の洞窟と同じだ。
今回は、火打ち石と油だけでは足りない。三百人分の水を十メートル持ち上げる仕事がある。
誰かが、その分のエネルギーを出さなければならない。
村人の中には、俺たちを疑う者もいた。
「学園の魔法使いが来たのに、魔法は使えない。木の車を作るだけなら村でもできる」
列の後ろから声が飛ぶ。
もっともな不満だった。
学園へ助けを求め、二日待って来たのが魔力の弱いFクラスだった。肩書きだけなら返金を求めたい。
「今日中に桶一杯を自動で上げられなければ、作業をやめます。使った木材も元へ戻します」
俺は村長へ約束した。
成功する保証はない。だからこそ、失敗した時に村へ残す損害を先に決めておく。
村の子どもが空の桶を持ち、列の最後へ並んだ。
卒業印の調査は後回しだ。
まず今日の水をどうにかする必要があった。
***
俺たちは古い揚水輪を分解した。
魔力軸は回らなくても、歯車と縄は使える。
グレイとエリスが井戸水を検査する。毒も濁りもない。カーバンクルで浄化する必要もなかった。
カイルとホークは村を回り、木材、滑車、長い縄を集める。
ホークは個人魔力で短時間なら飛べる。ただし一時間飛ぶと、周囲から補充できないカイルの顔色が悪くなった。
「今日はもう飛ばすな」
「でも、まだ屋根の上を」
「魔力が戻るまでは温存しよう。歩いて探せるところなら、僕たちが行くよ」
エリスがカイルの手から杖を取り上げる。
交際を始めた効果は、治療より先に無茶を止めるところへ出ている。
アリエスとフェンリルは倒木を運ぶ。
炎は使えなくても、フェンリルは大きな体で梁の片側を担ぎ、ミィナも反対側へ肩を入れた。
ルナとシープは日陰で寝ている。
「休憩はまだだぞ」
「……考えてる」
よく見ると、シープの体へ細い縄が何本も載っていた。
ルナは目を閉じたまま、縄が擦れる場所を指で確かめている。重力魔法が長く使えないため、物理的に軽く動く組み方を考えていた。
ノアは弱い光を井戸へ落とし、水面までの距離を測る。
ツナは井戸へ飛び込もうとして、ミィナに尾を掴まれた。
「中の魚を確認するにゃ!」
「飲み水を食事会場にするな!」
ナビは古い歯車の寸法を測った。
『大歯車ノ直径、小歯車ノ四倍。必要回転数ヲ四分ノ一ヘ低減可能』
「その代わり、縄を引く距離は四倍になる」
歯車も滑車も、力を無料で増やす道具ではない。
小さな力で持ち上げられる代わりに、長い距離を動かす。仕事の量は大きく変わらない。
重い荷物を緩い坂で運ぶのと同じだ。真上へ持ち上げるより力は少なくて済むが、その分だけ歩く距離が伸びる。
「力を出す人の代わりは?」
ノアの視線が、空になった水車へ移る。
井戸の横には、村の用水路が流れていた。
水量は少なくても、一日中止まらない。
「……あれ、ずっと動いてる」
ルナが水面を指す。
「人が寝ても、授業中でも」
「この流れを使おう」
用水路へ木の羽根車を置き、軸を歯車へつなぐ。
羽根は八枚。
板の角度を全て同じにするため、ナビが木材へ線を引く。カイルが切り、グレイが割れ目へ樹脂を塗った。
中心の穴がずれれば回るたびに軸が揺れる。エリスとカーバンクルが膜で部品を固定し、ミィナが木槌を両手で振り上げた。
「強く叩きすぎるなよ」
「三割! これくらい?」
一撃で木材が床へめり込んだ。
「それで三割なのか?」
「優しさを七割入れた」
残りの七割がどこへ入ったのかは見えない。
ルナが考えた縄の組み方は、固定滑車と動滑車を一つずつ使うものだった。
桶を支える縄が二本になるため、一本へかかる力はおよそ半分になる。その代わり、桶を一メートル上げるには縄を二メートル巻かなければならない。
「……軽くなるけど、長くなる」
「昼寝と同じだな。起きてる時間を減らすと、寝る時間が増える」
「……それは得しかない」
例えを間違えた。
流れる水が羽根を押す。回転を小さな歯車から大きな歯車へ伝え、桶の縄を巻き上げる。
ところが最初の試作は、桶が水面へ着く前に止まった。
「動けー!」
ミィナが羽根車を押そうとする。
「待て。力が足りない原因を探す」
用水路は浅く、羽根の半分しか水へ入っていない。軸も曲がり、木同士が擦れている。
水の力より摩擦の方が大きい。
「ナビ。どこで止まってる?」
『軸受ケ部ノ抵抗ガ全体ノ六割』
グレイが油を塗る。カイルとミィナが軸を削り直し、エリスの膜で水路を少し狭めた。
同じ量の水を狭い場所へ通すと流れが速くなる。
ただし狭めすぎれば上流が溢れる。村の畑へ水が行かなくなれば本末転倒だ。
ノアが上流と下流へ光の目盛りを置き、水位を監視する。
二回目。
羽根車がゆっくり回った。
大歯車が動き、縄を巻く。
井戸の底から水桶が上がってきた。
村人から歓声が上がる。
だが桶は縁へ着く直前で傾き、半分を井戸へ戻した。
「半分成功!」
「半分失敗だ!」
桶の重心が縄の真下にない。
ツナが口を出そうとして、片側の取っ手を噛んだからだ。
「犯人はお前か!」
ツナを井戸から離し、左右の縄を同じ長さへそろえる。
三回目で、ようやく一杯分の水が地上へ届いた。
回転は遅い。それでも村人が休んでいる夜も動き続ける。
大きな貯水桶へ少しずつ溜めれば、朝の列を短くできる。
最初に水を受け取ったのは、列の最後にいた子どもだった。
母親へ桶を渡し、空になった小さな器をもう一度差し出す。
「もう一杯もらえる?」
「機械が回ってる間はな」
羽根車は一定の速さで水を上げ続けている。
村人が一人ずつ縄を引いていた時より遅く見える。だが疲れて止まる時間がない。
一時間で何杯になるか、ナビが回転数を数えた。
一杯二十リットルを十二分で汲み、一時間で百リットル。
飲み水だけなら、一人一日二リットルとして、六時間で村全体の一日分になる。
料理と洗浄の分までは足りない。羽根を広げるか、貯水桶を増やす必要がある。
一台作って終わりではない。
使う量を測り、足りない分を次へ直すところまでが村の仕事になる。
格好よく完成と言いたかったが、一台目から改良予定という札がぶら下がった。
Fクラスらしいと言えば、あまりにFクラスらしい。
「科学って便利ね」
アリエスが回る羽根車を見る。
「便利なのは用水路だ。水が高い場所から低い場所へ流れる力を借りてるだけだよ」
科学は請求書を見えにくくすることがある。
今回の料金は、上流から流れ続ける水が払っていた。
***
夕方までに貯水桶が満ちた。
村人は久しぶりに井戸の列を離れ、家へ帰っていく。
俺たちは集会所で遅い昼食を取った。
フェンリルには大鍋一杯の肉。ホークへ木の実。カーバンクルには小さな魔石を与える。
シープは水桶へ鼻先だけを入れ、ツナは自分の分の魚を三秒で飲み込んだ。
周囲から魔力を補充できないため、召喚獣の食事だけでは能力は戻らない。それでも体力と機嫌は回復する。
「村の魔力が本当にゼロなのか調べよう」
グレイが村の地図を広げる。
持ってきた小型魔石を、井戸、畑、森、集会所の四か所へ一時間ずつ置いた。
普通の土地なら周囲の魔力を少し吸い、重さと明るさが増える。
測定前に八個の魔石を同じ箱へ入れ、重さと明るさをそろえてある。
同じ条件から始めなければ、置いた場所による違いなのか、石ごとの違いなのかわからない。
ナビの測定にも誤差があるため、同じ石を三回ずつ量り、その平均を最初の値にした。
井戸を直した直後に、今度は石を置いて一時間待つ。
村人から見れば、学園の魔法使いは水車大工の次に石の観察会を始めたことになる。俺が村人なら、追加料金を払う前に説明を求める。
「一回測れば十分じゃないの?」
アリエスが八個目の測定を待ちながら尋ねる。
「体重計だって、床が傾いてたら数字が変わる。何回か測って同じくらいなら、その範囲までは信用できる」
「毎朝の体重も三回測れば、一番軽い数字を使っていい?」
「平均を取れ」
ミィナは聞こえないふりをした。
井戸と畑の石には変化がなく、森の石は置く前より魔力が減っていた。
「ゼロじゃない。吸われてる」
ナビが四つの測定値を地図へ並べる。
減少が大きい順に線を引くと、全て北東へ向かっていた。
北東には王立魔術学園がある。
「学園が村の魔力を吸ってるってこと?」
カイルの声が低くなる。
「四点だけでは断定できない。もっと細かく測る」
俺たちは村を八区画へ分けた。
八人が一つずつ魔石を持ち、同時刻に地面へ置く。六体は能力を使わず、班の移動と周囲の警戒を助けた。
一時間後、値を集める。
村の南西では減少が小さい。北東へ近づくほど大きい。
高い場所から低い場所へ水が流れるように、魔力にも濃い場所から薄い場所へ向かう差がある。
自然な流れなら、魔力が多い森から村へ散るはずだ。
実際は逆だった。
村全体から一本の細い道へ集められている。
地図へ値を色分けすると、北東へ細くなる帯が浮かんだ。
一つの点だけなら、土や地下水の違いかもしれない。複数の点が同じ方向へ並べば、偶然の可能性は小さくなる。
それでも学園が犯人だとは限らない。
学園の向こうに別の施設があるかもしれず、地下の管が途中で曲がっている可能性もある。
測定でわかったのは方向だけだ。
原因を決めるには、実物を見つける必要がある。
「音の先、掘ってみよう!」
ミィナが地面へ耳を当てる。
ツナも横で真似をしたが、魚の耳がどこにあるかはわからない。
「下で、水じゃない音がするよ! ずっと同じ速さで脈打ってる!」
フェンリルが前脚で土を掘る。
一メートルほど下から、黒い根のような管が出てきた。
表面には学園の校章が刻まれている。
管の中を、魔力が村から北東へ流れていた。
「鏡の黒線と同じですね」
ノアが弱い光を当てる。
黒い管は光を吸い、脈打つ速度を上げた。
「切る?」
アリエスが炎を出す。
「待て。切った瞬間に溜まった魔力が戻れば、村ごと吹き飛ぶかもしれない」
エネルギーは消えない。
どこかへ運ばれたなら、運ばれた先に溜まっている。
俺たちが井戸へ作った仕組みと同じだ。
流れを作るには高低差がいる。
この村より魔力の低い何かが、学園の方角で口を開けている。
黒い管をたどる前に、背後から村長の声がした。
「それを知っている者が、隣の森におる」
村長はミィナを見ていた。
「猫の一族が住む森だ。あの子と同じ耳を持つ者たちがな」
ミィナの尻尾が止まった。
「ミィナの村にゃ」




