26話 一年Fクラス帰還報告書
九条の試験を抜けた先には、八枚の鏡が並んでいた。
そこには、俺たち八人が映っている。
ただし鏡の中にいる俺は、俺が動いても動かない。
アリエスが一歩進むと、鏡のアリエスは一歩下がった。
「気味が悪いわね」
「向こうのアリエスも同じ顔してるー!」
ミィナが笑う。
鏡のミィナも笑ったが、口元から覗く八重歯の位置が逆だった。
鏡の表面へ波紋が広がる。
俺たちと同じ姿の八人が、硝子の中から床へ降りた。
その後ろからは、使い魔六体まで現れる。
赤いフェンリル。青白いホーク。宝石を持つカーバンクル。丸いシープ。空中を泳ぐツナ。そして銀色のナビ。
色も傷も同じだ。
『警告。当機ト同一ノ魔力反応ヲ検出』
『警告。当機ト同一ノ魔力反応ヲ検出』
二体のナビが同時に告げた。
「どっちが本物?」
『当機デス』
『当機デス』
「役に立たない質問だった」
正面の台座には、賢者の証である青い結晶が置かれている。
その前へ文字が浮かんだ。
自分を越えた者だけが、証を持ち帰る。
「最後は自分に勝てってことか」
鏡の俺が同じ言葉を口にする。
俺の一番苦手な相手は、俺で決まりだ。
***
最初にぶつかったのはアリエスだった。
二頭のフェンリルが同時に吠え、同じ大きさの炎を吐いた。
アリエスと鏡像は右へ避けようとして、互いの炎を正面からぶつけた。
爆風が左右へ抜ける。
「私の真似をしないで!」
「私の真似をしないで!」
声まで重なった。
カイルの金属弾は鏡像の風に落とされる。鏡像の弾も、本物のホークが作る横風で外れた。
エリスの防護膜同士は押し合ったまま動かない。
ミィナと鏡像は拳を合わせ、同時に痛がって飛び退く。
ルナは自分とシープを重くした。鏡像も同じ場所へ同じ重力をかけたため、床の方が沈んだ。
「……面倒」
「……面倒」
二人とも座り込んだ。
ノアの光と鏡像の光は同じ明るさで混ざる。グレイが眠り薬を投げれば、向こうも同じ中和薬を投げた。
俺は鏡像の俺と向かい合ったまま、まだ何もしていない。
「先に動いた方が対策される」
「先に動いた方が対策される」
考えていることまで同じだ。
俺が右手で小石を拾うと、向こうは左手で拾った。
同じ動きに見えても、左右が逆になっている。
鏡は本当は左右を入れ替えているわけではない。
鏡へ向けた前後の方向を反対に映すため、こちらから見ると左右が入れ替わったように感じる。
だが鏡から実体になったこいつらは、体の作りまで左右反対だ。
「全員、相手の利き手を見ろ!」
本物のカイルは右手で杖を持つ。鏡像は左手だ。
アリエスの制服の胸章も逆側についている。カーバンクルの宝石にある小さな欠けまで反対だった。
右手と左手は、回転させても完全には重ならない。
こういう鏡映しの関係をキラリティーといい、右手用の手袋を左手へはめにくいのと同じだ。
薬には、形が鏡映しになっただけで、効き方や毒性が変わる物まである。
「見分けられるだけで、勝ててないわよ!」
アリエスの言う通りだった。
左右が逆でも、威力は同じだ。完全に左右対称の火球なら弱点にもならない。
俺が気づくことは、鏡像の俺も気づく。
「自分と戦うのをやめる!」
七人が俺を見る。鏡像の七人も鏡像の俺を見た。
指示が相手と同時になった。
俺たちは右隣の相手へ走る。
鏡像の俺も同じ号令を出した。だが鏡像の七人は、誰もそちらを見なかった。
鏡像のアリエスは本物のアリエスだけを追う。鏡像のカイルも、自分の元になったカイルへ弾を撃ち続けている。
「あいつら、命令を聞いてない!」
同じ記憶と能力は持っていても、八人の班ではなかった。
鏡像は自分の本物を映し続けるだけで、隣にいる鏡像を助けようとせず、任された役目を変えようともしない。
俺たちの動きが交差すると、鏡像の隊列は簡単に崩れた。
「自分を越えるって、昨日の自分を一人で殴ることじゃない!」
鏡像の俺も叫んだ。だが助けを求める相手の名前は呼ばなかった。
***
本物のアリエスの前へ鏡像の俺が来て、本物の俺の前には、鏡像のアリエスが立つ。
これは配置として正しいのだろうか。
「遠慮なく燃やすわよ」
左右のアリエスが同時に笑う。
「やっぱり相手を間違えたかもしれない!」
鏡像のアリエスが火球を撃つ。
俺はナビの警告より先に床へ伏せた。
本物のアリエスとは何度も訓練した。彼女は狙う直前、左の踵を少し浮かせるため、鏡像なら右だ。
知っている弱点は、自分の物だけではない。
火球が頭上を通過する。
「ナビ、床の温度を!」
『右前方、急上昇』
鏡像のフェンリルが地面から炎を出す場所を避ける。
逃げながら、俺は水袋を床へ投げた。
鏡像のアリエスは水を蒸発させるため、炎を広げた。その湯気が視界を隠す。
その向こうから、本物のツナが飛び込んだ。
ミィナは鏡像のグレイを追いながら、ツナだけをこちらへ回していた。
ツナの尾が鏡像のアリエスの足を払う。
俺は倒れた杖を蹴り飛ばした。
一人で倒してはいないが、自分と戦えという文章に、一人で戦えとは書いていない。
本物のアリエスは、鏡像の俺を追い詰めていた。
鏡像の俺は、火の届くぎりぎりへ逃げ、床の砂を拾っている。
「アリエス、上だ!」
俺が叫ぶ。
鏡像のナビが天井の留め具を解析し、照明を落とそうとしていた。
本物のフェンリルがアリエスの外套を引く。照明は二人の間へ落ちた。
アリエスは落ちた金具を炎で溶かし、鏡像のナビの飛行板へ絡める。
「あんたの悪知恵、普段から見てるのよ!」
鏡像の俺は、なぜか少し傷ついた顔をした。
他の組み合わせも崩れ始める。
カイルは鏡像のルナと戦っていた。重くされる前にホークで高く上がり、金属弾ではなく羽根を何枚も落とす。どの一枚が重くなったか、風の乱れで見つけ、そこだけ避けた。
ルナは鏡像のカイルの弾を、本人ではなく銃口だけ重くして止める。
ノアの弱い光は鏡像のミィナを倒せない。代わりに床へ何十個もの光点を作り、影の向きで本物のミィナへ位置を知らせた。
ミィナは鏡像のノアを殴らず、ツナにくすぐらせた。集中の切れた光をグレイの眠り香が包む。
エリスは鏡像のグレイが投げる薬を、膜で一滴ずつ分離した。
グレイは鏡像のエリスの膜へ、毒ではなく色の違う水を何度も投げる。
色が混ざった場所を見て膜の流れを読み、薄い一点へカーバンクルを飛び込ませた。
自分の能力は、自分が一番知っている。
だが仲間の癖なら、一年間隣にいた俺たちの方が知っていた。
最後に残ったのは二体のナビだった。
『当機ガ本物デス』
『当機ガ本物デス』
「またそれか」
外見も声も同じ。右の飛行板を怪我した跡だけが左右逆だ。
「問題。俺が最初に頼んだ案内は?」
『最寄リノ教育機関ヘノ経路案内』
『最寄リノ教育機関ヘノ経路案内』
記憶まで同じだった。
俺は手を広げた。
「ナビ、帰るぞ」
一体はその場で警戒を続け、もう一体は、迷わず俺の胸へ飛び込んできた。
抱き止める。
『落下防止任務ヲ継続シマス』
第零層へ落ちた時の約束を、鏡像は記録として知っている。
だが今も続けようとしたのは、本物だけだった。
鏡像の八人と使い魔六体が、一斉に硝子へ戻る。
八枚の鏡に亀裂が入り、青い結晶の周りから光が消えた。
***
賢者の証は、手のひらに載る八角形の結晶だった。
八つの面へ、それぞれ俺たちの名前が刻まれている。
俺一人の面だけ、名前の下に小さな空白があった。
世界樹の出生記録がない印だと、見ただけでわかった。
「進級試験には関係ない」
九条の声が鏡の奥から聞こえる。
「一年次の履修は記録されている。胸を張って地上へ持ち帰れ」
「九条さんは一緒に来ないんですか?」
「俺は第零層の記録だ。ここから出れば消える」
書庫の本を持ち出せるか尋ねると、九条は物理の入門書を一冊だけ許した。
「答えではなく、考え方を持っていけ」
床に帰還用の魔法陣が現れる。
俺たちは九条へ頭を下げ、八人と六体で光の中へ入った。
次に目を開けた時、アビス・ホール入口の雪景色が見えた。
入学第三百四日。
地上では、出発から四日が過ぎていた。
「一年Fクラス、全員帰還!」
救護班の声が飛ぶ。
ミネルヴァ先生が走ってきた。最初に八人を数え、次に六体を数える。最後に俺の頭を一度だけ殴った。
「地図にない場所へ入るなと言っただろう!」
「不可抗力です!」
「帰還石の反応まで四日消えていたんだぞ!」
怒鳴る先生の目は赤かった。
俺は賢者の証を差し出す。
八つの名前を確かめた先生は、長く息を吐いた。
「合格だ。全員、二年生へ通常進級する」
特例でも飛び級でもなく、三百四日分の出席と授業と試験で、一年生を終えたのだ。
その場で喜ぶ前に、八人そろって救護天幕へ運ばれた。
俺は歩けると主張したが、四日間反応が消えていた受験生の意見は採用されなかった。
使い魔も一体ずつ診察を受ける。
フェンリルは空腹。ホークは尾羽が一枚曲がり、カーバンクルには管の中を走った時の擦り傷があった。シープは水分不足で、ツナは食べすぎ。ナビだけは異常なしと自己申告した。
『当機ハ正常デス』
「鏡に頭から突っ込んでただろ」
『正常ナ衝突デス』
「異常な衝突があるのか?」
診察が終わると、今度は帰還報告書を書かされた。
八人が別々に書けば内容のずれを疑われる。そこで食堂の長机へ一枚の紙を置き、全員で順番に確認した。
地図にない黒い扉。時間のずれた廃校舎。魔法の止まる洞窟。九条真の思念体。八人で解いた二つの試験。
嘘は書かなかったが、世界樹の学籍簿と俺の出生記録については、報告書へ載せず、ミネルヴァ先生だけへ伝えた。
「学園長へは私から話す。今は進級を喜べ」
「卒業できないかもしれないのに?」
「二年も前から卒業式の心配をする生徒は、お前くらいだ」
先生は呆れながらも、日本語の本を保管庫へ取り上げなかった。
「お前が読め。手がかりがあれば八人で共有しろ。一人で第零層へ戻ろうとしたら、今度こそ殴る」
「さっきもう殴られました」
「次は二発だ」
卒業問題より、先生の拳の方が先に解決すべき危険かもしれない。
***
入学第三百二十九日。
一年次修了式。
大講堂で名前を呼ばれ、八人は順番に修了証を受け取った。
俺の紙にも、今度はきちんと名前がある。
席へ戻る途中、アリエスが自分の修了証をこちらへ並べた。
「同じ紙ね」
「クラス名も成績欄もな」
「成績欄は見なくていいわよ」
俺の視線より早く紙を隠す。
反対側ではミィナが修了証を丸め、ツナの口へ入れようとしていた。
「食べさせたら再発行だからな!」
「筒にして持ち帰るだけだよ! たぶん!」
一年間で信用は育ったが、食べ物に関する信用だけは、入学初日から変わっていない。
最終的な卒業印の問題は残っている。九条と第零層のことは、まず八人とミネルヴァ先生と学園長だけの秘密にした。
二年かけて方法を探す時間はある。
旧第三学生寮へ戻ると、葡萄ジュースと料理が待っていた。
人間用の杯が八つ。使い魔用の皿が五つ。その隣には、食事機能のないナビ用の空皿まで置かれていた。去年より正規予算がある分だけ肉が厚い。
「一年Fクラス修了に」
グレイが杯を上げる。
「二年生でも全員一緒に!」
ノアが続けた。
乾杯の後、カイルがエリスを中庭へ呼び出した。
今度は覗かないことにした。
ただし十分後、二人が手をつないで戻ってきたため、結果は聞くまでもなかった。
「交際成立ノ確率、百パーセント」
ナビが全員へ聞こえる声で発表した。
「ナビ、声が大きい!」
カイルは真っ赤になり、エリスはその手を離さなかった。
祝うことが、また一つ増えた。
「それで、どっちから言ったの?」
アリエスが容赦なく尋ねる。
「ぼ、僕から。二年生になっても、一番近くで支えてほしいって」
「私は、もう近くにいるつもりでしたと答えました」
エリスの方は赤い顔でも言葉がはっきりしている。
「カイル。告白でも一発目は当たったな」
「アルトは四人分の一発目をいつ撃つのかな?」
交際を始めて十分で、もう反撃まで覚えていた。
俺が杯へ口をつけると、制服の袖を四方向から引かれた。
アリエス、ルナ、ノア、ミィナ。
「アルト。ミィナの告白について、説明が必要よね」
「共同答案の時間です」
「……逃げたら、重くする」
「返事を聞く」
進級試験は終わった。
俺の恋愛追試はまだ始まったばかりだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
第一章「一年生編」は、これにて終了です。
次話からは二年生編。八人と六体の学園生活は、教室の外へさらに広がっていきます。




