25話 答案用紙は八人で一枚
九条が開いた扉を通った瞬間、床に八本の白線が走った。
「全員、止まれ!」
止まるより先に壁が生えた。
俺と七人の間を白い板が通り抜け、円形の部屋を八つに切り分ける。声を上げる暇もなかった。
気づけば、俺は扇形の小部屋へ一人で立っていた。
足元にはナビがいる。
左右も正面も白い壁。入ってきた扉まで消えている。
「アリエス! カイル! 聞こえるか!」
返事はない。
壁を叩いても、音が吸い込まれたように響かなかった。
『音響遮断ノ術式ヲ確認。壁厚、測定不能』
ナビは動いており、魔力が戻った区画なのは救いだ。
正面の壁へ大陸共通文字が浮かんだ。
制限時間は一時間。
八人全員が同時に解答板へ触れれば合格し、一人でも時刻がずれた場合、答案は破棄する。
「時間を合わせろってことか」
壁の中央から黒い板がせり出した。手の形にくぼんでいる。
その上では砂時計が落ち始めた。
俺の部屋には時計とナビがあるため、合図さえ送れれば、同時に触ることは難しくない。
問題は、その合図が送れないことだ。
九条の声が天井から降ってくる。
「一人分の部屋には、一人分の答えしかない。八人で一枚の答案を出してみろ」
「せめて呼び出しボタンをつけてください!」
「俺の時代の教授は、質問すると自分で考えろと言った」
「嫌なところだけ再現しないでくれ!」
返事はなかった。
***
壁、床、天井。
手がかりを探して一周すると、部屋の隅に親指ほどの穴があった。
耳を近づける。
何も聞こえない。
細い棒を入れると、途中で金属へ当たった。
「ナビ。穴の先を調べられるか?」
『微弱ナ風ヲ検出。金属管ガ壁内ヲ通過シテイマス』
管なら、音を送れるかもしれない。
昔の船や建物には、伝声管という物があった。管の片側で声を出すと、空気の振動が壁に囲まれたまま反対側へ進む。
糸電話も似ており、声で膜を震わせ、その振動を張った糸へ伝える。空気中へ広がらない分、離れた場所まで届く。
ただし穴は途中の金属板で塞がれている。
俺の部屋にある道具だけでは動かせなかった。
「一人分の答えしかない、か」
隣の部屋には、別の手がかりがあるはずだ。
俺は穴へ口をつけ、できるだけ大声を出した。
「誰か聞こえるか!」
やはり返事はない。
次に、ナビの外装で管を三回叩く。
かすかな振動が指へ返った。
すると塞いでいる板の向こうから、同じ三回の振動が返ってきた。
「いる!」
俺がもう一度叩く。
今度は一回叩き、少し間を置いてから二回。
誰だかわからないが、こちらへ返事をしている。
直後、管の中で風が吹いた。
金属板がこちらへ少し動く。
「カイルか!」
ストーム・ホークと風を送っているのだろう。ところが板は管の途中へ斜めに挟まり、それ以上進まない。
別の方向から管が熱くなった。
アリエスとフェンリルだ。
金属は温まると膨張するため、管の外側が伸び、挟まっていた板との間へわずかな隙間ができた。
風が強くなる。
板が俺の部屋へ飛び出し、ナビの正面へ当たった。
『物理的ナ通信障害ヲ排除』
「無事なら何よりだ」
管の奥から、途切れた声が聞こえた。
「アル……聞こえ……?」
「アリエスか?」
「聞こえる! みんな無事よ!」
一つの管へ八つの部屋がつながっているようだ。
声は小さく、何度も反響して重なっているが、それでも孤立しているより百倍よかった。
最初に全員の名前を呼んだ。
アリエスの部屋にはフェンリル。カイルにはホーク。エリスにはカーバンクルがいる。
ルナの返事はシープの鳴き声に半分埋もれた。ミィナはツナを管へ入れようとして、頭だけを挟ませている。
ノアとグレイは一人ずつ。俺の足元にはナビがいる。
八人と六体、欠けていない。
「壁が出た時、怪我をした人は?」
エリスが八人の手足を順番に見回す。
カイルがホークの尾羽を壁へ挟みかけた以外は無傷だった。ホークの機嫌だけが悪い。
「帰還石は使える?」
全員が順番に石を握る。
光はつくが、一人が砕けば全員失格だ。残り時間があるうちは、使わない。
壁越しでも、最初に確認することは変わらなかった。
ノアの提案で、全員が管から一歩離れて深呼吸した。
一斉に話せば、言葉は反響の中へ埋もれる。一人が話し終えたら、管を一回叩き、次の者へ渡すことにした。
顔の見えない会議は、普段の八倍ほど時間がかかった。
「こっちの部屋には砂時計と解答板がある!」
「私のところも同じです!」
エリスの声が返る。
全員が同じ仕掛けを見ていた。
「一緒に押せばいいんだね! もう押していい?」
ミィナの指が、解答板へ伸びる。
「待ってください。部屋ごとに砂の量が違います」
ノアの声だ。
俺は砂時計を見る。
残りは半分より少し多く、ナビの計測では三十七分十二秒。
「私のは、もう半分を切ってるわ」
「僕のは四十分くらい残ってる」
アリエスとグレイの答えが違う。
砂時計を基準にすれば失敗する。
「ナビの時刻で合わせる。今から三十秒後だ」
「私たちはナビの時計が見えない」
「俺が数える!」
単純すぎる答えだ。
全員が解答板の前へ立ったことを確認した。
「十、九、八」
管へ向かって数える。
返ってくる自分の声が遅れて重なった。
「七、六、五」
八人分の部屋を回った音が、四や五や六を一緒に聞かせてくる。
「今どこ!」
「数えるのを止めないで!」
「三、二、一、今!」
板へ手を置く。
赤い光が部屋を満たした。
結果は不合格で、解答時刻の最大差は二・三秒だった。
壁へ数字が浮かぶ。
「二秒くらい大目に見てくれよ!」
九条から返事はない。
砂時計の砂が一度に減り、残りは二十分。
次に失敗したら、時間切れになる。
さらに、白い壁が低い音を立てた。
左右から指一本分ずつ近づいている。
『室内面積、毎分一パーセント減少』
「九条さん! 不合格で部屋まで狭くする必要ありますか!」
「試験前に勉強しなかった学生へ、締め切りが近づく感覚を教えている」
「字のまま物理的に近づけるな!」
今度は九条の声が返った。
俺が怒鳴っている間にも壁は動き、解答板と背中の距離が少しずつなくなっていた。
フェンリルやシープがいる部屋は、俺より先に窮屈になる。
失敗できるのは、やはり次が最後だ。
***
「反響する声で数えるのは無理だ。別の合図を作る」
俺は管へ耳を当てた。
部屋の広さと管の長さが違うため、声の届く時間も反射の回数も違う。
空気中の音は、一秒に三百四十メートルほど進むため、数十メートルなら遅れは一秒未満だ。
だが人間は、重なった言葉から正しい一つを選ぶ時に、もっと遅れる。
長い合図ほど間違いやすい。
「一回だけならどうにゃ?」
ミィナが片耳を管へ寄せる。
「音が聞こえたら、みんなですぐ押すの! 数えない!」
「一回の音も、部屋ごとに届く時間は違います」
ノアが不安そうに答えた。
「金属管そのものを叩けばいい」
空気より、硬くて弾性の高い金属の方が振動を速く伝える。
耳を線路へ当てると、遠い列車の音が空気中より早く聞こえる。金属は押されても元へ戻ろうとする力が強く、振動を隣へ素早く渡すからだ。
声を使った一回目は、管の中の空気を何度も往復した音まで拾ってしまった。
今度は、管そのものを一度だけ震わせる。
最初に指へ届く強い振動だけを合図にすれば、後から来る反響を数える必要はない。
管が途中で切れていたり、柔らかい材料で固定されていれば振動は弱くなる。ここでは最初に叩いた三回が全員へ届いたため、少なくとも道がつながっていることは確かめてある。
この程度の管の長さなら、八部屋へ届く差は人間の反応よりずっと小さい。
ほかに、心拍を数える案も出た。
だが一分間の脈拍は人によって違い、緊張すれば、すぐに速くなる。ルナは待っている間に眠れば、反対に遅くなる。
砂時計は部屋ごとに量が違う。魔力時計を合わせようにもナビは一体しかいない。
必要なのは八個の時計ではない。
全員へ一度に届く、たった一回の合図だ。
「でも、誰が叩くの?」
カイルの問いに、俺は管の形を考えた。
八本は中央でつながっているため、中心へ衝撃を与えれば、ほぼ同時に全員へ届く。
「使い魔が通れる穴はない?」
「カーバンクルなら入れそうな隙間があります」
エリスが答えた。
管の蓋は外れたが、中は人間の腕が入らないほど細い。それでも、カーバンクルなら通れる。
問題は、暗い管の中で中心を見つける方法だ。
「私の光をカーバンクルの膜へ入れます」
ノアが細い光球を作る。
エリスの防護膜が光を包み、カーバンクルの額へ貼りつけた。遠くの部屋で、小さな鳴き声が管へ入る。
「ツナも入れるにゃ!」
「お前のツナは百二十キロあるだろ! 管が先に詰まる!」
「じゃあ応援する! がんばれー!」
「声を反響させるな! 残り十五分だぞ!」
ストーム・ホークが管へ弱い風を送り、カーバンクルを中心へ導く。
フェンリルは体が大きすぎて入れない。代わりに管の入口へ鼻をつけ、カーバンクルの匂いを追った。
シープはルナの部屋で管を浮かせる。中心側が少し低くなり、カーバンクルが交点を通り過ぎずに済む。
「……中心に着いた」
ルナには管の重さの変化がわかる。
ミィナも耳を澄ませた。
「カーバンクルが真ん中で止まったよ! そこで合ってる!」
グレイは細い薬草の蔓を管へ伸ばしていた。八方向から来る風が集まる場所で葉が揺れたという。
全員の能力が、見えない中心を指している。
「エリス。カーバンクルへ、三十秒後に管を叩かせるよう伝えられるか?」
「契約を通して短い指示なら。ノアさんの光が消えたら三十数えるよう伝えます」
ノアが光を一度強くし、消した。
八人が板の前で待つ。
声は使わない。
白い壁は肩幅の少し外まで迫っていた。
手を板へ置くには半身になるしかない。胸元の受験票が壁へ擦れ、紙の音まで大きく聞こえる。
ナビの内部時計では残り四分三十二秒。
カーバンクルが三十を正確に数えられる保証はなく、エリスの指示が契約を通してどこまで伝わったかもわからない。
それでも、これ以上確かな方法を一時間で作ることはできなかった。
科学は失敗をなくす道具ではない。
わかっている誤差を減らし、残った危険を全員で引き受けるための道具だ。
隣の部屋でツナが管を噛み、ミィナが止める音がした。
「ツナ! 今は食べ物じゃないよ!」
「今それを言うな!」
緊張が少しだけ抜けた。
次の瞬間、澄んだ金属音が指先へ届いた。
板へ触れる。
白い光が部屋を満たした。
合格。
解答時刻の最大差、〇・一八秒。
俺一人が正確な時計を持っていても、一回目の答案はそろわなかった。
二回目にそろえたのは、カイルとアリエスが開いた管、ノアとエリスが送った光、カーバンクルとホークとシープ、位置を確かめたミィナとルナとグレイだ。
答えは最初から、俺の部屋には置かれていなかった。
八枚の壁が同時に床へ沈んだ。
俺たちは円の中心で顔を合わせる。
フェンリルは狭い部屋から解放されるなり床へ伸びた。シープは潰れた体を左右へ振って膨らませ、ホークはカイルの頭を一度だけ蹴って飛び立つ。
カーバンクルは管から出るとエリスの胸へ飛び込んだ。応援だけしていたツナは、なぜか自分の手柄のようにミィナの顔へ張りつく。
救出作戦は、最後だけ少し格好がつかなかった。
アリエスとノアとルナとミィナが、なぜか一斉に俺のところへ来た。
「無事?」
「一人で変なことをしていませんでしたか?」
「……壁越しでも、うるさかった」
「ミィナの告白の返事を考えてた?」
最後の一言で空気が止まる。
「告白?」
アリエスが聞き返した。
「今ここで共有しなくていい!」
「答案は八人で一枚」
「恋愛まで共同答案にするな!」
カイルが俺の肩を叩く。
「アルトくん。進級試験より難しそうだね」
「他人事みたいに言うな。お前もエリスとの答案を出せ」
今度はカイルとエリスが同時に赤くなった。
試験後の反省会は、議題だけなら山ほどありそうだ。
円の中心にあった床が開いた。
カーバンクルが銀の鍵を押しながら戻ってくる。
待ち構えていたツナが鍵をくわえて飲み込もうとし、カーバンクルが両前脚で必死に引っ張った。
「最後まで協力の方向がおかしい!」
ミィナがツナの顎を開き、エリスが鍵を救出する。
九条の声が最後に一度だけ響いた。
「一人で正解するより、全員で時刻を合わせる方が難しい。忘れるな」
声が消えたあとも、八人は円の中心に立ったままだった。
一人で閉じ込められた時間は一時間もない。
顔を見られなかっただけなのに、やけに長く感じた。
「次からは、壁が出る前に縄でつながる?」
カイルが冗談めかして言う。
「移動するたび八人で転ぶぞ」
「転ぶ時も一緒にゃ」
「それは嫌だ!」
笑い声が、ようやく同じ場所で重なった。
八人で出した答案には、点数より先に全員の声が戻ってきた。




