表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/50

23話 魔法禁止につき猫の勘で進みます

 入学第三百二日。


 名簿を見つけた教員室で六時間休み、俺たちは黒板の奥へ続く階段を下りた。


 最初の異変は、ノアの光が消えたことだ。


「あれ?」


 杖の先で光が瞬き、そのまま闇へ溶ける。


 次にナビが俺の肩へ落ちた。


『外部魔力、低下。飛行機能ヲ、停止シマ』


 最後まで言い終える前に、ナビは沈黙した。


「ナビ!」


 慌てて拾うと、外装に傷はない。中央の光だけが消え、手のひらの上で冷たくなっていた。


 後ろから、毛布を床へ落としたような音が続いた。


 クラウド・シープだ。


 雲の体は羊一頭分まで縮み、石段へ座り込んでいる。ストーム・ホークも飛べなくなってカイルの腕へ着地した。スカイ・ツナに至っては空中から落ち、ミィナが両手で受け止めている。


「ツナがただの大きい魚になったにゃ!」


「生きてる。鰓も動いてるわ」


 エリスがツナの体を確かめる。


 フェンリルの炎は消え、カーバンクルの額の宝石も暗い。それでも五体とも主人から離れず、召喚契約の感覚も残っている。


 消えたわけではなく、魔法だけが使えなくなったのだ。


「帰還石も光らない」


 カイルが石を握って青ざめた。


 俺たちはすぐに階段を戻った。


 十七段上がると、ナビの光が戻る。シープが膨らみ、ツナはミィナの腕から浮かび上がった。


 一段下りれば、また止まる。


「境目があるね」


 グレイが壁へ白墨で線を引いた。


「ここから先は地脈につながっていない。魔力を外から受け取る道が切られているんだと思う」


「科学なら使えるんでしょ?」


 アリエスが期待する目を向けてくる。


「科学は、魔法の代わりに何でも出してくれる神様じゃない。動かす力がなければ、ただの説明書だ」


 電池のない懐中電灯は光らず、燃料のない車も走らない。


 仕組みを知っていても、必要なエネルギーまでは生えてこない。


「つまり?」


「俺も普通の役立たずになる」


『訂正ヲ要求シマス』


 境界の上に置いたナビだけが反論した。


「そこだけ急に動くな。怖いだろ」


 先へ進むか、それともここで引き返すか。


 帰還石が使えない区画へ入れば、撤退手段を一つ失うことになる。


「私は行きたい」


 最初に言ったのはアリエスだった。


「帰還石が使える場所までの道は残せる。危なくなったら、ここまで走って戻る。それじゃ駄目?」


「全員が戻れる目印と、魔法なしで明かりを作る方法が必要だ」


「それならあるよ」


 グレイが調理道具から火打ち石を出した。


 予備の布へ灯油を染み込ませ、短い木の棒へ巻く。火花を散らすと橙色の炎がついた。


「燃焼の三要素だ。燃える物、酸素、火をつける熱。この三つがそろえば、魔力はいらない」


 地球の理科室で習った火の基本だ。


 薪も蝋燭も、同じ仕組みで燃える。魔力で火球を作れなくても、油そのものが持つエネルギーは消えていない。


「ただし、狭い場所で燃やせば酸素を減らすし、煙も出る。決勝と同じことを、自分たちへやる危険がある」


「風が止まったら消すのね」


「一本道でも三十分ごとに戻り、壁へ縄を固定する。使い魔は抱えて運ぶ。これでどうだ?」


 七人が頷いた。


 ツナだけはミィナの腕の中で不満そうに尾を振った。


「今日は飛ばない方が楽ー!」


 飼い主の方が喜んでいた。


   ***


 階段の先は、湿った石の洞窟だった。


 アリエスが先頭で松明を持ち、カイルとグレイが壁へ縄を固定する。エリスはカーバンクルを鞄へ入れ、ルナはシープを背負い、ミィナはツナを抱えている。


 ホークはカイルの頭へ止まった。


「爪が痛い。せめて肩にしてくれない?」


 ホークは聞こえないふりをした。


 フェンリルだけは、自分の足で歩ける。炎を失っても大きさと牙は残っているため、前衛の仕事まで失ったわけではない。


 俺はナビを胸の内側へ入れた。


「アルト、そこ暖かい?」


 ルナが俺の胸元を見ている。


「ナビ用だ。お前は羊を背負ってるだろ」


「……交換する?」


「何と何をだよ」


 答えを聞く前にアリエスに睨まれた。暗闇でも視線だけは熱い。


 最初の分かれ道で松明の炎が左へ傾いた。


「空気が流れてる。左がどこかへつながってるな」


 炎は、簡単な風向計にもなる。


 だが二つ目の分かれ道では、両方の道から風が来て、炎が真っすぐ立った。


「右にも左にも出口があるの?」


「細い穴がつながってるだけかもしれない。風だけじゃ決められない」


 科学の答えには、測れていない条件が必ず残る。


 その時、ミィナの耳が左右別々に動いた。


「右は水の音! 左は羽虫がいっぱい! それに、右の空気の方が冷たいよ!」


「わかるのか?」


「猫を何だと思ってるの!」


「魚を追いかける人」


「それも正解!」


 ミィナは胸を張り、右の道へ進んだ。


 人間には同じ黒い穴にしか見えないが、彼女は壁の湿り気を嗅ぎ、遠くで落ちる水滴を聞き分けている。


 さらに、足元の泥に混じった小さな虫の殻まで見つけた。


「この虫は外の森にもいる。地下だけでは増えない。風上に地上か、食べ物のある部屋がある」


 俺の理屈より、猫の鼻の方がよほど役に立つ。


 ミィナは分岐ごとに壁を引っ掻き、戻る道へ三本の傷を残した。


 俺たちは念のため布も結ぶ。ところが四つ目の分岐で、さっき結んだばかりの布が前方から現れた。


 また廊下と同じだ。


 真っすぐ進んでいるつもりでも、洞窟の緩い曲がりに気づかず、一周している。


「右足と左足では歩幅が少し違う。暗い場所で目印がないと、同じ方へ曲がり続ける」


 人間が目隠しをして歩くと、真っすぐ進めず、円を描くことがある。左右の足の長さや筋力だけでなく、わずかな地面の傾きまで積み重なるからだ。


 俺の科学知識では、その現象へ理由をつけることしかできない。


 もっとも、先に気づいたのはミィナだった。


 彼女は布の匂いを嗅ぐと、まだ通っていない細い横穴を見つけた。


「こっちは新しい水の匂い!」


 横穴の先は天井が低くなっている。


 アリエスの松明が急に小さくなった。


「止まれ。火が消えかけてる」


 風はあるのに、炎だけが弱い。


 俺は長い棒の先へ小さな火を移し、低い場所へ差し込んだ。炎は膝の高さで消え、頭の高さでは燃えている。


「下に二酸化炭素が溜まってる。空気より重いから、窪みから抜けないんだ」


 洞窟では、見えない気体が池のように溜まることがある。匂いも色もないため、人間が息を吸って確かめれば、その一回が最後になりかねない。


「燃焼に必要な酸素が足りない場所では、松明が先に警告してくれる。ただし人間より必ず先に消えるとは限らない。これだけを信じて入るのも危険だ」


 俺たちは腰を低くせずに、来た道へ戻った。


 ミィナが見つけた上側の割れ目を一人ずつ通る。ツナとシープは主人に抱かれ、フェンリルは腹を床へ擦りながら抜けた。


 魔法がないと、強力な召喚獣も大きな荷物に近い。


 それでも置いていくという意見は、誰からも出なかった。


 三つの分岐を越えたところで、洞窟が揺れた。


「全員、壁から離れて!」


 天井から石が落ちる。


 フェンリルが体を張ってノアとエリスを庇った。俺は隣にいたミィナの腕を掴む。


 床の一部が沈み、岩壁が横からせり出した。


 視界が塞がれる直前、アリエスの手がこちらへ伸びる。


「アルト!」


 指先は届かなかった。


 轟音が止んだ時、俺とミィナは、残る六人と四体から切り離されていた。


 正確には、ツナとナビもこちらにいる。


 ただし魚は飛べず、案内板は胸の中で寝ていた。


「頼れるのはミィナだけだ」


「もっと敬っていいにゃ」


 暗闇の中で猫の目だけが得意そうに光った。


   ***


 松明は壁の向こうへ残した。


 完全な闇の中で、ミィナが俺の手を取る。


「ボスは三歩後ろ! 尻尾を踏んだら噛むからね!」


「見えないのに三歩をどう測るんだ」


「ミィナの匂いを追えばいいよ!」


「難易度が高い」


 右手は握られているので、匂いまで追う必要はない。


 それでも足元の石へ何度もつまずき、狭い穴では四つん這いになり、前を進むミィナの尾が顔へ当たる。


「尻尾に顔を埋めたら噛むよ!」


「そっちから当ててるんだろ!」


「暗闇なら何をしてもばれないと思った?」


「思ってない!」


 壁一枚向こうから聞こえているかもしれない。留年より先に社会的な命が危ない。


 細い穴を抜けると、水の匂いが強くなった。


 ミィナが俺を止める。


「前に深い穴があるよ! 石を落とすね!」


 足元の小石を投げると、水音が返るまで二秒ほどかかった。


 かなり深い。


 落下距離は、重力加速度に時間の二乗をかけて半分にする。地球とほぼ同じ重力なら、およそ二十メートルだ。


 ただし今の二秒には、水音が戻ってくる時間も混じっており、穴の形もわからない。計算は底を見せてくれる魔法ではなく、落ちたら無事では済まないと教える目安にしかならない。


「右の壁に細い道があるよ! ミィナが先に行く!」


「俺が先じゃなくていいのか?」


「見えない人が先に行って、何をするの」


 正論だった。


 俺は彼女の腰へ予備の縄を結び、自分の腰ともつないだ。


 ミィナの足が滑れば俺が引き、俺が落ちれば、たぶん二人で落ちる。


 安全策としては半分ほどしか役に立たない。


 湿った壁へ体を押しつけながら、一歩ずつ進む。


 途中でミィナが止まったため、俺の額が後頭部へ当たった。


「どうした?」


「今、少しだけ嬉しい」


「落ちそうなのに?」


「ボスがミィナだけを頼ってる」


 声は暗闇の中で近かった。


「みんな、獣人を見ると足が速いとか耳が可愛いとか言う。アルトも最初は、猫がしゃべったって顔をしてた」


「それは否定できない」


「でも、授業では何ができるか聞いた。対抗戦ではツナと一緒に役目をくれた。今も、先を決めるのを任せてる」


 結んだ縄が少しだけ引かれる。


「だから好き。ボスだからじゃない。アルトが男の子だから、好き」


 足を滑らせかけた。


「今言うのか?」


「明るいと恥ずかしい」


 暗闇のおかげで、告白まで俺の耳へ届かなかった。


 返事を探すと、アリエスの袖を掴む手と、ルナの眠そうな顔と、ノアの細い光が浮かぶ。


 誰にも嘘をつきたくない。


「ミィナ、俺は」


 壁の向こうから、何かを引っ掻く音がした。


 一回。二回。少し間を置いて三回。


「フェンリルにゃ!」


 ミィナが耳を立てる。


「わかるのか?」


「お腹が空いた時の掻き方」


 緊張感のない暗号だった。


 音を追って進むと、細い壁の向こうからカイルたちの声が聞こえた。


 ミィナが一番薄い場所を探す。こちらから石を叩き、向こうでは魔力を失ったフェンリルが前脚で岩を崩した。


 穴が開いた途端、赤い髪が飛び込んでくる。


「アルト! 怪我は?」


「泥だらけなだけだ」


 アリエスは俺の全身を確かめ、次に腰の縄を見た。


 反対側はミィナの腰へつながっている。


「ずいぶん仲良く探検してたのね」


「命綱だ!」


「暗い穴で二人きりでしたから、必要ですよ」


 ノアは笑っているのに目だけが笑っていない。


「……アルト、泥だらけ」


 ルナが俺の胸へ指を滑らせる。泥を一筋取って、顔を近づけた。


「お風呂で洗わないと」


「そうね。背中は私が洗うわ」


「髪は私が洗います」


「耳の後ろはミィナが洗うー!」


「どうして四人で洗う前提なんだよ!」


「じゃあ僕が」


 カイルが手を挙げる。


「それは遠慮する」


「僕だけ扱いがひどくない?」


 エリスが小さく吹き出し、カイルの腕を引いた。


「カイルくんは、私とホークを洗うのを手伝ってください」


 今度はカイルが返事を失った。


 魔法が戻ったら洗い場の順番で戦争が起きそうだ。


 幸いにも、再会した場所から十歩先に新しい境界があった。


 一歩越えるとナビが起動し、ツナがミィナの腕から浮かぶ。シープはルナの背中で膨らみすぎ、天井へ挟まった。


『外部魔力、正常値ニ復帰』


「帰還石は?」


 青い光が戻っている。


 撤退できる。


 安堵した直後、正面の扉に見慣れた文字が浮かんだ。


 理科準備室。


 日本の学校でしか見たことのない札だ。


 扉の奥から、昨夜と同じ男の声がする。


「科学があれば魔法はいらない。そんな顔をしていた頃の俺に、よく似ている」


 扉が内側へ開いた。


 白衣を着た半透明の男が、黒板の前で俺たちを待っていた。


 教卓には欠けたビーカーと錆びた天秤が並んでいる。どれも地球の理科室にあった物とよく似ていた。


 迷宮の底で待っていたのは魔物ではない。


 俺より先に卒業できなかった科学好きの留年生だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ