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偽りの聖女と冷厳なる神官長【オメガバース】  作者: 水凪しおん


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第7話「暴かれた真実と甘やかな咎め」

 肺の奥まで侵食していた泥のような疲労感が、波が引くようにゆっくりと薄れていく。

 重くこわばっていたまぶたをかすかに震わせ、セレスティアルは緩やかに視界を開いた。

 最初に鼻腔をくすぐったのは、深い森の樹々を濡らす冷ややかな雨の匂いだった。

 続いて、背中を包み込むシーツの極上の滑らかさと、沈み込むような寝台の柔らかさが、輪郭を持って全身の感覚を呼び覚ましていく。

 そこがユリスの私室であることは、光を抑えた豪華な天蓋の装飾をみるまでもなく明らかだった。

 しかし、決定的にこれまでと異なる事実が一つある。

 自身の肌にべったりと張り付いていたはずの、鼻を刺すような偽装香の匂いが完全に消え失せている。

 代わりに満ちているのは、隠し続けてきた男Ωとしての、熟れた果実のようなむせ返るほどに甘い花蜜の香りだった。

 大回廊での出来事が、鮮烈な映像として脳裏に蘇る。

 瘴気を払うために魔力の限界を超えた結果、偽装は完全に剥がれ落ち、大勢の神官たちの前で自らの性と香りを露呈してしまったのだ。

 心臓が肋骨の内側を激しく打ち据え、指先から急速に血の気が引いていく。

 終わりだ。

 聖女を騙った大罪人として裁きを受け、一族もろとも破滅の道を歩む未来が、真っ黒な絶望となって目の前に立ちはだかった。

 弾かれたように身を起こし、逃げ出そうと床へ足を踏み出した瞬間、ひどく熱を持った大きな掌が肩を力強く掴んだ。


「動くな。まだ魔力回路が修復しきっていない」


 真横から降ってきた低く威圧的な声に、セレスティアルの肩がびくりと大きく跳ねる。

 いつからそこにいたのか、ユリスがベッドの傍らに置かれた椅子から静かに立ち上がり、見下ろすようにこちらを見据えていた。

 深い青の瞳には一切の光が宿っておらず、凍てつくような冷気が漆黒の法衣から立ち昇っているようにみえる。

 セレスティアルは掴まれた肩の熱に震えながら、よろめくように床へと膝をついた。

 滑り落ちた毛布を握りしめ、冷たい石の床に額を擦りつけるようにして深く頭を下げる。


「申し訳、ありません」


 喉から絞り出した声は、自分でも驚くほど無様に震えていた。

 肺の空気をすべて吐き出し、ただひたすらに許しを乞う言葉を紡ぎ続ける。


「私を、いかようにも罰してください。ですが、妹は……病に伏せるルミナだけは、どうかお助けを。彼女は何も知らず、ただ私が勝手に……っ」


 弁明の言葉は、頭上から降り注いだ息を呑むほどのαのフェロモンによって強制的に遮られた。

 雨上がりの森の香りが、鋭い刃のような輪郭を持って部屋の空気を支配する。

 息が詰まるほどの圧力に顔を上げると、ユリスはゆっくりと膝を折り、セレスティアルの目の前へと身を屈めていた。

 感情を読み取れない冷徹な表情のまま、彼の手が伸びてきて、セレスティアルの青ざめた頬を強い力で包み込む。


「私がいつ、あなたの出自や性別について咎めた」


 低く唸るような響きを持つ言葉の意味が理解できず、セレスティアルは瞬きを繰り返した。

 男であること、Ωであること、聖女を騙ったこと。

 そのすべてが露見したというのに、ユリスの怒りの矛先はまったく別の方向を向いているようだった。


「なぜ、たった一人で大瘴気の中心に身を投げ出した。なぜ、あのように命を削り落とすような真似をしたのだと聞いている」


 頬を包む掌の熱が、じりじりと皮膚を焦がすように上がっていく。

 ユリスの青い瞳の奥で、決して表には出さないはずの激しい焦燥と、焼け付くような怒りが渦を巻いているのがみえた。


「私には、それしか……皆を救うためには、あの力を使うしか方法がありませんでした」


「黙れ」


 短い拒絶とともに、ユリスの腕がセレスティアルの細い背中に回り込み、強引に抱き寄せる。

 分厚い胸板に顔を押し付けられ、硬い布地の感触と、耳障りなほどに早い彼の鼓動の音が直接鼓膜を揺らした。

 同時に、先ほどまでの鋭い威圧感が嘘のように溶け落ち、ひどく甘くて優しいフェロモンの波がセレスティアルの全身をすっぽりと包み込んだ。

 怒りではなく、深い安堵と庇護欲に満ちた、運命の番を鎮めるための香り。

 本能がそれに抗えるはずもなく、恐怖でこわばっていた筋肉が嘘のように弛緩していく。


「あなたの正体など、とうに気づいていた。その上で、私があなたを庇護すると決めたのだ」


 頭頂部に落ちるユリスの吐息が、ひどく熱い。

 彼はセレスティアルの銀糸の髪に指を絡め、祈るように深く息を吸い込んだ。


「二度と、私の手の届かない場所で命を散らそうとするな。あなたは、私がいなければ呼吸すらままならない存在なのだと理解しなさい」


 それは罰というよりは、呪いにも似た重たい執着の告白だった。

 枯渇していた魔力の隙間に、ユリスから流れ込んでくる温かな力が満ちていく。

 そのすべてを包み込むような包容力に、セレスティアルは抗うすべを持たないまま、ただ彼の胸に顔を埋めて静かに涙を流すことしかできなかった。

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