第13話「偽りの終焉と真実の光」
王都の空を覆い尽くしていた赤黒い瘴気の雲は、嘘のように晴れ渡っていた。
大広場を包み込んだ銀青色の光が収束していくと同時に、天高くから降り注いだ神託の余韻が、冷たい石畳の上に静かな波紋のように広がっていく。
人々を救うのは偽りの聖女による自己犠牲ではなく、運命に結ばれた二つの魂の調和である。
その声なき言葉は、神殿に仕えるすべての神官たちの心に直接響き渡り、決して覆すことのできない揺るぎない真実として刻み込まれた。
セレスティアルはユリスの腕の中に抱かれたまま、ゆっくりと瞬きを繰り返した。
魔力を使い果たして冷え切っていた身体の奥底から、ユリスの流し込む深い青の魔力が泉のように湧き出し、指先から足の先までを温かな血潮で満たしていく。
肺に流れ込んでくるのは、もはや肺を焼くような死の匂いではなく、雨上がりの深い森の香りと、それに溶け合う自身の甘い花蜜の香りだった。
「歩けるか」
頭の上から降ってきたユリスの声は、いつもの冷徹な響きを完全に失い、ひどく甘く、そして安堵に濡れていた。
セレスティアルは小さく頷こうとしたが、わずかに力を込めただけで全身の筋肉が悲鳴を上げ、視界がぐらりと横に滑る。
「……申し訳ありません。足に、力が」
かすれた声で答えるよりも早く、ユリスの長い両腕がセレスティアルの背中と膝の裏に差し入れられた。
ふわりと身体が宙に浮き、分厚い法衣の硬い布地越しに、力強い鼓動の音が耳に押し当てられる。
周囲の神官たちが、最高権力者である神官長が偽りの聖女を抱き上げている光景を前にして、誰一人として咎める声を上げない。
それどころか、神託を受けた彼らは一斉にその場に膝をつき、二人の前に深く頭を垂れて道を譲っていく。
かつては冷たく、息が詰まるほどに重苦しかった神殿の空気が、今はどこまでも澄み切り、祝福の熱を帯びているように感じられた。
ユリスは迷いのない足取りで大広場を抜け、静寂に包まれた自身の私室へと向かう。
重厚な扉を足で押し開け、部屋の中に足を踏み入れた瞬間、セレスティアルは深い安堵の吐息を漏らした。
そこは完全に、ユリスという強大なαの気配で満たされた安全な巣だった。
寝台の上に静かに下ろされると、ユリスはすぐには離れず、セレスティアルの額にかかった銀糸のような髪を指先で優しく梳いた。
「もう、何も隠す必要はない。あなたは聖女の身代わりとしてではなく、私の番としてこの神殿で生きるのだ」
深い青の瞳が、逃げ場のないほどの真っ直ぐな熱を帯びてセレスティアルを射抜く。
その言葉の重みに、胸の奥でずっと張り詰めていた冷たい罪悪感の糸が、音を立てて解けていくのを感じた。
「妹のルミナは……どうなるのでしょうか。私は彼女を救うために」
「案ずるな。大瘴気が払われた今、王都全土の魔力循環は正常化した。彼女の病の根源も、あなたの放った浄化の光と私の魔力の調和によってすでに癒されているはずだ」
ユリスの硬い指先が、セレスティアルの目尻に浮かんでいた涙の雫を静かに拭い取る。
そのかすかな皮膚の摩擦から伝わる熱が、ひどく心地よい。
病床の妹の無事が保証されたことで、セレスティアルの心を縛り付けていた最後の鎖が完全に消え去った。
「ユリス、様」
自然と口からこぼれ落ちたその名前は、今までで一番甘く、そしてひどく無防備な響きを持っていた。
ユリスの呼吸がわずかに深くなる。
彼はセレスティアルの頬を両手で包み込み、引き寄せるようにして自身の額を押し当てた。
至近距離で交差する視線と、互いの吐息が混ざり合う距離。
濃密なフェロモンが部屋の空気を満たし、理性の境界線を優しく、しかし確実に溶かしていく。
「あなたは、私に命を救われた。ならばその命の使い道は、私が決める」
唇が触れ合う寸前の距離で、ユリスは祈るように低く囁いた。
「私の傍で、私のためだけに息をしなさい。それが、あなたの新しい役目だ」
もはや反論する言葉など、どこにも見当たらなかった。
セレスティアルはゆっくりと目を閉じ、自らその熱の塊のような唇へと自身のそれを重ね合わせる。
触れ合った瞬間に弾けた魔力の火花と、流れ込んでくる甘い香りに、身体の奥がとろけるように痺れていく。
偽りの器としての時間は完全に終わりを告げ、ただ一人の男にすべてを委ねる、真実の日々が静かに幕を開けた。




