第11話「孤独な決戦と砕け散る命」
神殿の正面に広がる巨大な広場は、すでに地獄の様相を呈していた。
空を覆う赤黒い雲から、タールのように粘り気のある瘴気が雨となって降り注いでいる。
美しい白亜の石畳は黒く腐食してひび割れ、逃げ遅れた人たちが地面を転げ回りながら苦しげに喉をかきむしっていた。
肺に空気を吸い込むたびに、細かいガラスの破片を飲み込んでいるような激痛が胸を切り裂く。
セレスティアルはふらつく足に力を込め、広場の中央、最も瘴気が色濃く渦巻いている発生源へと真っ直ぐに向かって歩を進めた。
周囲の神官たちが制止の声を上げているようだったが、もはや耳には届かない。
足裏から伝わってくる大地の悲鳴が、セレスティアルの身体を内側から冷やしていく。
これほどまでに巨大な死の気配を前にして、自分の小さな命ひとつを対価にしたところで、果たしてどれだけの光を生み出せるのだろうか。
それでも、歩みを止めるという選択肢は存在しなかった。
広場の中心に辿り着き、セレスティアルは周囲を取り囲む黒い闇の壁を見据える。
両手を胸の前で強く組み合わせ、深く、長く、痛みに満ちた冷たい空気を肺の底まで吸い込んだ。
体内の魔力回路を全開にし、命の炎そのものを燃料として燃やし始める。
皮膚の下を沸騰した鉛が駆け巡るような感覚に、目の前が白く明滅した。
「すべて、消え去れ」
裂帛の気合いとともに、セレスティアルの身体から純白の光の柱が天に向かって真っ直ぐに立ち上った。
光は同心円状に広がり、触れるそばから黒い瘴気を焼き払い、澄んだ空気へと還元していく。
しかし、闇の波は果てしなく、光が押し返した先から次々と新しい瘴気が押し寄せてきた。
激しい綱引きのような力の均衡が、セレスティアルの華奢な身体に逃げ場のない負荷をかけていく。
膝の関節が軋む音を立て、皮膚の表面からじわりと血の汗がにじみ出した。
「あっ、ぐ……」
口の端から赤い筋がこぼれ落ち、純白の衣装に生々しい染みを作る。
視界の端から少しずつ色が抜け落ち、世界が白黒の冷たい風景へと変貌していくのを感じた。
呼吸の仕方が分からなくなり、空気を求めて唇を震わせるが、喉の奥は干からびたように張り付いて動かない。
痛みを通り越し、指先からゆっくりと感覚が剥がれ落ちていく。
もはや自分が立っているのか、倒れているのかすら定かではない。
ただ、胸の奥で燃え続ける命の熱だけが、光を紡ぎ出すための唯一のよすがだった。
あの冷たくて厳格で、不器用なまでに自分を甘やかしてくれた神官長の顔が、白濁していく意識の裏側に浮かび上がる。
ユリスの腕の温もりと、雨上がりの森の匂いがひどく恋しかった。
彼にもう一度会いたい。
その強烈な未練が、最後の一滴の魔力を振り絞る引き金となる。
セレスティアルは喉の奥から声にならない絶叫を上げ、自身の命の限界を突破するほどの極大の光を周囲に放った。
広場を覆っていた厚い闇の壁が、ガラスが砕け散るような高い音を立てて崩壊していく。
空を塞いでいた赤黒い雲が真っ二つに割れ、そこから一条の澄んだ陽光が差し込んだ。
瘴気の気配が完全に霧散したことを肌で感じ取った瞬間、セレスティアルの身体を支えていた最後の糸がふつりと切れた。
指先から放たれていた光がふっと消え失せ、空っぽになった身体が、重力に引かれるまま冷たい石畳へと傾いていく。
迫り来る硬い地面を前にして、セレスティアルは静かにまぶたを閉じた。
これでいいのだと、冷え切った心の中で小さくつぶやく。
偽りの聖女としての役目を、最後まで果たすことができたのだから。




