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幻妖學園カサンドラ  作者: 佐野イヴキ
私立源陽學園・一学期
4/6

第4話 大書庫の支配者

 さっき出ていったばかりのはずなのに、豊川南吉の姿はどこにも見当たらない。

 一組の生徒だとバレている以上、三年一組の教室にいるとは考えづらい。それに、大江の走っていった方向のほうが教室には近いのだ。もしかしたらもう大江が先に教室へ押しかけていて、一組の生徒に訳を聞いたりしているかもしれない。


 職員室の前を通り過ぎて、先生に言いつけてみるのもアリだったかな……なんて考えては、やっぱりやめだ! と首を横に振る。

 埴生先生がまた怒り狂って、今度は廊下を駆け回り始めても厄介なことになる。

 それに、埴生先生でさえ鬼女になった姿はあんな感じだ。もし他の先生に相談したとして、それがもっと恐ろしい強大な妖魔に変じて怒り出したらどうする? 僕じゃあきっと手に負えない。

 源陽學園での生活は思いのほか、大変なものになりそうだ……。


 豊川は校舎内をひたすら逃げ回るよりも、どこかに隠れてやり過ごすことを選んでいるかもしれない。

 そう思い立った僕は、場所だけ教えてもらっていた図書室に足を踏み入れた。


「うわ……! すっ、げぇ」


 なんとこの学園の図書室は、一階のおよそ四分の一に相当する。

 しかも地下一階と繋がった巨大な図書室であり、その尋常ではない蔵書の数から、生徒たちには『大書庫』というあだ名で呼ばれているのだった。

 アニメ映画の、『美女と野獣』で出てきたような図書室だ。天井まで伸びた本棚は見上げているだけでひっくり返りそうなほど。大階段を降りながら、こんな場所に逃げ込まれたら到底見つからないぞと考えてしまう。


 静謐な大書庫に僕だけの足音が響く。

 昼休みが終わりそうだからか、どうにも生徒の姿は見当たらない。豊川どころか、委員会の生徒や司書らしき姿もない。


 それでも僕は階段を降り続けた。

 おとぎ話のような光景に、ごくりと唾を飲む。

 一週間、いや一ヶ月、一年間住み着いたってここの本を読破することは出来ないだろう。

 所々に本を探す用の端末が設置されているけれど、あんな機械もはたして役に立つのかどうか、だ。


 そして、僕は随分歩き続けて、この大書庫の最奥に辿り着いた。

 重々しい両開きの扉。特に何をする部屋だとかの表示は無い。雰囲気からして古い倉庫かなにかだろう。

 扉に手を掛ける。鍵は開いていたので、僕はそのまま両手に力を込めてそれを押し開けた。


「お邪魔しま……す!」


 ギィ……と嫌な音がする。建付けが悪いのか、普段あまり使われていないのか。

 室内は狭く、床が見えないほど大量の本が平積みあるいは山積みにされていて、沢山のダンボール箱は積み重なってそのまんまになっていた。


 部屋の真ん中に、一部分だけぽっかりと不自然に空いたスペースがある。

 本を踏まないように掻き分けて進んでいくと、そこにはグシャグシャに乱れたブランケットの塊があって──女子生徒がひとり、横たわって目を閉じていた。


「……!」


 思わず声が出そうになった。

 反射的に後退ってしまったせいで、低く積んであった本がバラバラと崩れていく。

 ヤバい! と思ったのも束の間、「うん……?」と気の抜けた声が聞こえた。この場で僕の声じゃないということは、十中八九、女子生徒の声でしかない。

 僕は更に慌てて飛び退いた。もう、本を踏まないとか崩さないとか、そういったことに気を遣う余裕はなかった。


「…………うー……」


 女子生徒が座ったまま伸びをする。セーラー服の上から、白いラインが二本入った真っ赤なジャージを羽織っていた。胸元には『比良坂』という刺繍がされている。

 深緋という文字を崩したような円形のロゴがジャージの襟にプリントされていた。深緋寮のジャージ? ということはゆくゆくは僕もこれを着る羽目になるのだろうか。なんか、ダサい。着る機会がないと良いのだけれど。


「くぁ……」


 欠伸をした彼女は、眠たげな目をこちらに向けた。

 癖のあるぼさっとした黒髪、その重たげな前髪の隙間から、血のように赤い眼がじっとりと僕を覗いている。

 寝起きのだらしない格好のままでも、彼女はあまりに綺麗だった。

 CGみたいだ。昔見た日本のホラーゲームに、こういう可愛い女の子がいたような気がする。ちょんとした高い鼻とか、半開きの小さな口とか、心配になるほど細い首とか……本当にゲームの世界から出てきたみたいだ。

 僕は言葉を失って彼女を眺め続けていた。

 彼女もまた、同じように長いこと僕を見つめていて……それでとうとう何十秒かが過ぎた頃、漸くまともに言葉を発した。


「えぇと、誰かな」

「だッ……、えと、凜句・カーナハンだ。三年三組の」

「……三年、三組。んぅ……、いたかな、凜句・カーナハン。そんなひと」

「今日転校してきたんだ。今朝、ホームルームで挨拶もした」

「今朝……。あー……しかたが、ないね。わたし、ずっとここにいたから……。眠くて、眠くて……」

「……えー……、と言うとお前も三組の?」

「うん……」


 女子生徒はやっぱり眠たげにコクリと頷いた。もはや頷いたのか、船を漕いでいるのかもわからないくらい。


 僕が彼女の様子を訝しんでいると、彼女はやっとブランケットの上で立ち上がった。

 高校三年生というより、中学三年生みたいな体格をしている。小さくて細くて、体の中身が詰まっているなんて嘘じゃないかと思えるような、見目ばかりが規格外に美しいその姿。

 ワンサイズは大きなジャージの袖を捲って、生白い、植物のような指を出して彼女は握手を求めてきた。


比良坂(ひらさか)です。比良坂羽香(うか)……よろしく」

「ああ、よろしく」


 比良坂は、ふ、と小さく微笑んだ。

 表情は乏しいが、ひたすら眠気がそうさせているだけで、悪い奴ではなさそうだ。

 何がそんなに彼女を眠たくさせるのかは不明だけれど……。


 比良坂はきょろきょろと倉庫の中を見渡した。

 僕以外に誰かがいるのかと考えているようだった。


「ああ、ここに来たのは僕だけで、その、──ッ!」


 刹那、耳鳴りと共に激痛が脳を焼く。

 頭を抱えて蹌踉(よろ)めく僕の前で、きょとんとしている比良坂が見えた。彼女の口が『だいじょうぶ?』と動くのだけが網膜に焼き付いて──


 そして、襲い来る未来のヴィジョン。

 目にも止まらぬ捷さで過ぎる、赤い羽織。あれは、大江? いや、違う……背格好からしてもっと小さい。なら、あの羽織はジャージだ。比良坂の。

 それから窓を突き破り、落下していく男子生徒。あれは豊川だ。豊川の体は中庭の木々に何度も、何度も引っ掛かって、どうにか大した怪我も無く花壇の真上へ尻餅をついた。


「……だいじょうぶ……? カーナハン? 大丈夫?」

「あ……ッ!」

「頭、痛い? ……うん……雨だもんね。痛いよね……雨……眠くも、なるね……?」


 比良坂は何か勘違いしているようだが、僕にとっては多少都合がいい。


 僕は──僕はこの転校を機に、未来視の力はもう誰のためにも使わないと決めた。これは自分の為だけに使う、自分だけのものだ。

 僕がどれだけ声を枯らして、激しい痛みに耐えながら未来を伝えたって、良い結果になるとは限らない。

 僕の気持ちが報われるとも限らない。

 だから僕は、もう二度と……!


 ……あのヴィジョンは何だったのかを考える。

 あれは、多分、比良坂が豊川に何かをした瞬間だ。比良坂の蹴りが豊川の頬へぶち込まれる、信じられないような光景を確かに視た。

 僕は豊川を追っていて、目の前には比良坂がいる。ヴィジョンに視た花壇は雨でぐしょぐしょにぬかるんでいたから、あれは今から起こること……。


「……なあ、あのさ比良坂。ものは相談なんだけど」

「うん……? なにかな……」

「一組の豊川南吉って知ってるか? 木賊寮の奴らしいけど」

「……(なん)ちゃん、うん、知ってるよ。……ああ……盗まれた、の? なにか……」

「そ、そうだけど……そんなに盗みで有名なのか? 大丈夫かよ」


 ほんと、大丈夫なのか? この学園。

 僕がやれやれと肩を竦めていると、比良坂は「大丈夫……だよ?」と胡乱に答えた。


「え? ああいや、そっちじゃなくて学園が大丈夫なのかって……」

「大丈夫。取り返せば、いいんだね。それじゃあ……ちょっと、走ってこようかな……ふぁあ」

「ひらさ、か」


 僕が声を掛けるたった一秒そこらのうちに、バンッ! ──と扉が激しく開け放たれて、そこから突風が飛び出していった。

 僕は風に弾かれるようにして倉庫から押し出され、カビ臭い床に背中を思い切り打ち付けた。


「え……、……えぇ!?」


 やはり比良坂の姿はもうそこには無く……残った風に煽られて本の山が次々と、そこかしこでバタバタ崩れる音だけが鳴り止まないのだった。

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