18:葉陰と青空(前編)
私は、自分の部屋でゆっくりと着替えをしていた。
楽で涼しいワンピースの上から、大きなポケットがついてだぶだぶに見える薄いジャケットを羽織る。
火傷や打撲の痛みはほとんど消えたけど、まだ体のあちこちに湿布薬は必要だし、顔の頬の火傷跡にだけ大き目のテープを貼らないといけない。鏡で確認し、本棚の上から私を覗き込む半透明の女性に手を振ってから部屋を出る。階下に下り、母親に「公園まで散歩に行ってくるね」と声をかけてから、帽子をきちんとかぶって外に出た。
玄関の横に、運転手さんが立っている。外にいるのは珍しいので、今日も暑いよーと声をかけるとゆらゆら揺れながら庭の奥に消えた。
8月最初の今日も猛烈な暑さだ。見上げると、雲一つない真夏の青空。太陽はほとんど真上だ。
屋根の上に水玉さんはいないけど、2階の窓から着物姿の女性が立って私を見ている。『メゾンあけやま2号館』の2階部屋のベランダにいた人だ。私にくっついて来たらしく、屋敷の中をふらふらしているけど、別に何もしないのでそのまま好きにさせている。
……何で私にくっついて来たのかな。幽霊や怪しいモノにとって、私は気安い存在なのかな。
帽子を深くかぶり、照り返しが眩しく、サンダルの底まで熱く感じる道を歩いて公園に辿り着く。この公園は緑が多くて気持ちがいいけど、さすがに平日の今の時間は無人だ。
木陰のベンチに座り、ほっと息をついてからハンカチで汗を拭いた。こう日光が強烈だと、青空も白っぽく見える。
私はジャケットのポケットから持ち歩いている手帳を取り出し、最後のページに挟んである一枚の古い写真を見た。
七五三の時、庭で父が撮影してくれたものだ。7歳の私が、着物を着て市松人形のサチヨさんを抱いて笑っている。ピンク色の着物を着せてもらって、サチヨさんと同じ格好だねと嬉しくてはしゃいだ思い出。私はそっと写真のサチヨさんに触れた。もっと大事にして、もっと色んな歌を歌ってあげれば良かった…………何度も同じ事を考えてしまう。
ぼんやりとしていると、足音がして、「ひのかさん」と名前を呼ばれた。
顔を上げると、水色のシャツに白いズボン姿の白河氏が立っていた。電話では何度か話してたけど、会うのは久しぶりだ。少し日焼けしていて炎天下のカンカン帽が良く似合っている。相変わらず派手で目立つけど。
「白河さん……何でここが」
「お見舞いに家に行ったら、お母さんがこの公園に散歩に出かけたって教えてくれた」
「ああ。それで」
「うん。お見舞いのプリンを預けておいたから、後で食べて。横に座っていい?」
私はちょっと笑った。
「もちろんですよ。どうぞ」
白河氏はベンチに座ってから帽子をぬいで、ぱたぱたと扇いだ。
「しっかし今日も強烈に暑いなあ。顔の傷は痛まない? 大丈夫?」
「はい、大丈夫です。日光がきついから念のために貼ってるだけです」
「良かった。何を見てたの……写真?」
私は白河氏に写真を差し出した。手に取って見た白河氏が微笑んだ。
「ひのかさん、本当に可愛い。サチヨも嬉しそうだ」
「……もっとサチヨさんを大事にしてあげれば良かったって、そればっかり考えてしまいます」
「子供が成長して、人形と遊ばなくなるのは普通だよ」
「そうなんでしょうけど……」
私が元気なく反応すると、白河氏が写真を返してから溜息をついた。
「『光の調和団』、完全に解散って決まったって、今朝理沙さんから連絡があった。ヤバい組織との付き合いは、朱山の婆さんがやってた真っ黒なペーパーカンパニーだけで一応教団は無関係だけど、婆さんの後継者もいないし、もう活動は無理って事に落ち着いたってさ。理沙さん、俺からの依頼は終了したけど、年寄りばっかりで見捨てられないから、しばらく後始末を手伝うって宣言された」
「……そうですか。理沙さん本当に良い人ですね」
「うん」
ふと見ると、白河氏の背中に垂らした長髪が三つ編みになっていない。私は何気なく言った。
「三つ編みにしてないんですね。今朝はお兄さんが不在だったんですか?」
「いや。兄貴に編んでもらうのは止めた。習慣だったけどさ、兄貴が今のマンションから引っ越す事になったんだよね。元々、理沙さんのマンションは結婚して兄貴と暮らすために借りてたから、ようやく転がり込めるようになったわけ。俺は一人暮らしになるけど、まあお互い離れてもいい頃だなと思って」
少し白河氏が寂しそうだな、と感じた。それはそうか、ずっとお兄さんと助け合って生きてきたんだから。
白河氏はうーんと背を伸ばし、ふうっと大きく息を吐いた。
「あー、完全に気が抜けた。朱山の婆さん、命は何とか助かったけど霊能力は完全に使えなくなって、警察とかに徹底的に絞られた上に借金清算で無一文だよ。どっかの老人施設には入れるみたいだけど、ヤバい組織と関わった報いで、これからはもう何も出来ないだろうな。俺は復讐しようとずっと足掻いてたのに、結果的にサチヨがまとめて全部ぶっ潰してくれた。こういう終わりは予想もしてなかったよ」
「……」
「兄貴にさ、もう気が済んだだろうって言われた。俺の面倒を見ながら、大学で猛勉強して幾つも資格取って、祖母ちゃんに世話になった分の金を返すために必死で働いて。そんな兄貴をずっと見てたから、俺もムキになってた。でも兄貴はとっくに乗り越えてたんだな。だから俺も……許す気は無いけど努力はするよ」
私は、ちょっとほっとした。ご両親との過去は変えられないけど、白河氏が辛い思いを抱えているのはやっぱり嫌だ。
「無理せず、ゆっくりやってください」
「そうだなあ」
それからしばらく、2人とも黙って炎天下の公園の光景を眺めていた。
全部終わった。いい機会だ。私は両手を握り締めて思い切って言った。
「白河さん。もう私の事を心配して、会いに来てくれたりしなくていいですよ」
白河氏が身じろぎするのが感じられた。
「……どうして?」
「だって白河さんの目的も、301号室も無くなって、サチヨさんもいなくなったし。全部終わったでしょう? だから……」
でも、お祭りには一緒に行きたかったです。私はその言葉は我慢して俯いて足元を見ていた。白河氏は返事をせず、何か考えているようだったけど、ベンチから立ち上がりカンカン帽をかぶった。
「少し歩きながら話そう。足は大丈夫?」
「あ、はい」
私が立ち上がろうとした時、白河氏がすっと左手を伸ばして、自然に私の右手を握った。驚いたけど、そのまま白河氏がゆっくり歩き出したので、黙って手を繋いで歩く。私は私の手を握る白河氏の手を見下ろした。大きくて頑丈で暖かくて安心する。でも……。
白河氏は、厳しい陽射しを避けるように樹々の間の小道に入った。風が吹いて気持ちはいい。でも私は初めての経験にどうにも緊張して、かなりギクシャクと歩いていた。
歩きながら白河氏が私に話しかけた。
「燃えたマンションの様子を見に行ってみた。まだ建物横でうろうろしている霊がいたから話を聞いた。市松人形が黒い霧を消して火事を起こしてくれたから、捕らわれていた自分たちは解放されたと言ってたよ」
「サチヨさんが? 黒い霧を消したのは朱山さんだと思ってました」
「朱山の婆さんには、もうその力は残っていなかったと思う。サチヨはね、いずれ自分が解放してやるから、代わりに言う事を聞けと連中に交換条件を出してたんだよ。あの建物を燃やしたのは、連中を解放するためでもあったんだな。何というか、力が強い上にとんでもない策略家の人形だった訳だ」
「あの、火事と解放が関係あるんですか?」
「あるよ。まあ霊を縛り付ける法則の効率的な消滅ってとこかな」
白河氏が、大きな樹の下で足を止めた。シャツの上で踊る葉の影がきれいだなと見ていると、いきなり私の方を向いて言った。
「あの夜、3階の部屋のベランダからひのかさんは落ちたんじゃない。サチヨが突き落としたんだよ」
※最後のエピソードですが、長くなったので2話に分けました。後編とエピローグで完結です。よろしくお願いします。




