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17/20

17:真夏の顛末

 私は、結局2週間も入院していた。


 火事の火傷は軽度で、打撲もアザとあばらにヒビが入ったくらいだったけど、なぜか衰弱状態がひどく、安静と治療が長引いたのだ。画家さんの世界とサチヨさんの世界を通り抜けたからだろうか。でも私は、燃えて消えたサチヨさんの姿が忘れられず完全に落ち込んでいたので、お医者と看護師さんの指示を大人しく聞いて、黙って病室の窓から空を眺めていた。火傷やあばらが痛むたびに、サチヨさんを思い出して、一人で布団をかぶって泣いた。


 あの七夕の夜、マンション『メゾンあけやま2号館』の1階に車が猛スピードで突っ込み、破壊炎上した。運転手は何とか脱出し、その後は襲来した野郎集団の大乱闘が繰り広げられ、付近一帯大騒動になった。消防車とパトカーと救急車と警官と野次馬で道路はごった返し、逆に私は目立たず白河氏の付き添いで病院に搬送された。自覚は全く無かったけど、ずっと抱えていたらしいナップザックは無傷で、貴重品を全部持ち出せたのは幸いだった。マンションの建物は火災であらかた燃えたけど、3階の私の部屋は奇跡的に無事で、ほとんどの家具や荷物を運び出せた。でも、大事にしていた菜々子と姉の鉢植えは完全に枯れていたと両親から聞いて、また落ち込んだ。


 市松人形のサチヨさんと、白河氏に貰った万年青の鉢植えだけが消えていた。


 泣きながら何があったのか話す私の混乱した話を聞いてくれ、家族が到着するまで付き添ってくれていた白河氏は、病院に姿を見せず連絡もなかった。でも私は気にしなかった。


 警察などに事情を聴かれたけど、「何か凄く嫌な予感がしたので土足で部屋に駆け込み、貴重品を持ち出そうとして、部屋が揺れて電気が消えて、気が付いたら地面に倒れていた」という証言で押し通した。実際、朱山さんに襲われ、衝撃でベランダから放り出された時の事はよく覚えていないし、思い出したくも無かった。

 マンションの1階に車が突っ込んだ理由も興味は無かった。ヤバい組織の内部抗争とか、別のヤバい組織との乱闘騒ぎとか、耳にしたけどどうでも良かった。


 仕事で遠くに出ていて連絡が付かないという姉以外の家族はもちろん、友人の菜々子も見舞いに来てくれて心配してくれた。でも私は皆の顔を見ても、現実感がほとんど無かった。


 全てに無反応だった私の意識がはっきりしたのは、入院して10日目。会社の先輩が、皆の代表として病室まで見舞いに来てくれたのが切っ掛けだった。

「天城さん、会社が倒産したよ」

「はあ!?」

 何と粉飾決算がばれ、社内告発が公になり、社長が金庫から現金を掴んで失踪したのだった。もちろん即倒産である。逃げた社長は見つかって捕まったけど、持ち逃げした金はヤケクソで使い切ってたらしい。大馬鹿野郎だ。衝撃と腹立ちで、やっと現実感覚が戻って来た。雇用保険は出るようだけど、先行き不透明もいいところである。私は退院してから、白河氏のお兄さんに相談しようと決めた。退院してからは、しばらく自宅療養になる。その間に今後の事をじっくり考えよう……住む所も勤め先も無くなったけど、幸い住む家はある。幽霊屋敷だけどね、と苦笑した。


 それからようやく私は、音沙汰の無い白河氏が心配になってきた。もしかしてサチヨさんに繋がっていたせいで何かあったんじゃ……。私は散々迷ってから、スマホから短いメールを送信した。

<白河さん、大丈夫ですか? 私はだいぶ良くなりました。もうすぐ退院です>

 しばらくして同じように短い返事が来た。

<良かった。お見舞いに行けなくてごめん。今どうしても動けない。また電話します>

 ほっとしたけど、白河氏には最後までとんでもない迷惑をかけてしまったなあ……私はしょんぼりと落ち込んだ。


 無事に退院して、車で迎えに来てくれた両親と実家に帰り、祖母と戻ったばかりの姉が出迎えてくれた。家族に囲まれるのは嬉しかったけど、家の中のどこにもサチヨさんの姿が無い事が寂しくて仕方が無い。心なしか、運転手さんや他の幽霊たちも寂しそうに見えた。


 姉の綾乃は、電気も来ていないような山奥の小屋で占い師の会合に参加していたそうで、私の顔を見るなり泣かれて困った。

「ごめんね、ごめんね、すぐに病院のひのかちゃんの所に行けなくて。ちょうど大雨で道が不通になって知らせが届かなくて」

 私は、姉の背中を叩いて慰めた。

「大丈夫だよ。お姉ちゃんこそ無事に帰れて良かったね」

 私は火事の後、サチヨさんがいなくなったんだよ、とだけ話した。

「そういえば、お姉ちゃん。白河さんと一緒にサチヨさんの着物を着替えに来た時、帰りに玄関で私に火傷に気を付けてねって言ったけど、なんか予感があったの?」

 姉はおっとりと首を横に振ってから涙ぐんだ。

「ううん。予感じゃなくてね。あの時ね、ひのかちゃんが火傷をして、痛がっているような感じがすごくしたの。私のせいみたいで凄く悲しい」

「関係ないって。気にしなくていいよ」

「でも悲しい。それとねえ。もしかしたら。サチヨさん、お別れにきたのかなあ」

「え? お別れ?」

「あの時ね。みんなでお茶を飲んでいたら、サチヨさん何度も順番にみんなの顔を見ていて不思議に思ったの」

 胸がずきりと痛んだ。気づかなかった。そうだ、あの日からサチヨさんは大人しくなったんだ。もしかして、消える事を予見していたんだろうか……。


 そして、久しぶりに白河氏から電話がかかってきた。

 この炎天下に例の倉庫から撤収する作業をしていたり、霊能者としての緊急の依頼があったりと猛烈に忙しかったらしい。私がまだサチヨさんの事でしょげているのを気遣いつつ、今回の騒動の事情を手短に話してくれた。


<実は、口止めされてたんだけど。サチヨ、あの2号館に縛り付けられていた霊や怪しいモノ連中をほとんど全員子分にしてたんだよね>

「子分に? サチヨさん、建物内をうろうろ移動してたんですか?」

<そう。ひのかさんが引っ越したその日から。1階に朱山の婆さんの差し金で隠れ住んでた連中がいるのも、勿論知ってた。ひのかさんには黙ってたけどね>

「……それはもしかして、白河さんも知ってたと?」

<知ってた。ごめん。謝る。でも連中、ひのかさんに絶対にばれないように出入りしてたし、ひのかさんに危険は無かったよ>

「うー、それはそうかもですが」

 サチヨさんに口止めされてたとはいえ、内緒にしてたのか。まあ、朱山さんが関係してた事なら仕方ないか……。ちなみに1号館の放火は、本当に内部抗争での脅迫でサチヨさんは無関係。でも、同時に朱山さんが倒れたので何か嫌味な攻撃をしたのかも、と白河氏は言う。そういえば放火騒ぎの後、妙に興奮してたっけ。


<サチヨはね、子分たちに命じて連中を見張ってた。非常階段に山ほど影を立たせて、ひのかさんの住んでる上階に行けないようにしてたし、室内では徹底的に怯えさせてたんだよ>

「は? 怯えさせてた?」

<2号館の子分たち総出の、いわゆる怪奇現象のオンパレード。ドアは勝手に開け閉めするし、半透明の女はうろうろするし、電気は勝手に消えるし、悲鳴は聞こえるし、寝たら金縛り。加えて怖い顔の市松人形が、どこからか出現して睨みつけて消える。そりゃ怖いよ>

「サチヨさん、そんな事してたんですか!?」

<連中からすればそれまでは何ともなかったのに、いきなり怪奇現象が始まってパニックだよ。でも大金やら隠しているし、組織の上層部の命令だから連中も勝手に逃げ出せない。一番霊感のある野郎が、こんな所にはいられないって外に飛び出して、暴れて取り押さえられたり、下っ端仲間内では揉めてたらしい>

 そういえば、1号館の放火騒ぎの後、真夜中に何人かの男性が路上で喧嘩している声を聞いたな。あれが多分1階の連中だったんだ。しかしサチヨさん、私の知らない間にそんな派手な事をしてたのか。


 そして怯えていた霊感野郎は、別名でSNSに体験した怪奇現象を投稿しまくり、事故物件の居住者として一部で話題になっていたらしい。市松人形に襲われたという文章を見つけた白河氏(SNSは幅広くチェックしているとの事)が気づいて、ずっと追跡していたけどサチヨさんの集中攻撃を受けている様子があったという。


<サチヨは肝心な事は俺に何も言わなかったけど、その霊感野郎を恐怖感で誘導して、マンションに放火させるのがサチヨの計画だったんだと思う。結果、野郎は更に過激に車で突っ込んで、怪我で済んだけど爆破炎上だ。その後、乱闘騒ぎが起こった理由はわからないけど>


 あの時私が幻視した、燃える1号館と2号館……黒い霧が消えた2号館……。

「白河さん。サチヨさんはあの時、私がサチヨさんを助ける為に部屋に戻るって予想してたんでしょうか?」

<それは、わからない>

 私は涙声になった。

「戻らなければ良かった。そうすれば朱山さんに襲われず、サチヨさんは燃えなかったかもしれない。画家さんの世界は燃えたけど、部屋は無事だったんですから!」

<ひのかさん>

 私は逆上していた。言葉が止まらない。

「あんな大騒動を起こして、建物1つ燃やして、色んな人に迷惑をかけて。車で突っ込んだ人も、私とは無関係なのに怪我をさせられて気の毒じゃないですか。そこまでして、火事を起こす必要がサチヨさんにはあったんですか? 自分は燃えて消えて、白河さんも巻き込まれて、私は火傷をしないといけない理由があったんですか? 朱山さんが私を画家さんの嫁にするためにあの部屋に誘い込みましたけど、でもあんなひどい事をする必要がサチヨさんにあったんですか!?」

 私は言葉に詰まり、白河氏はしばらく黙ってから静かに言った。

<ひのかさんの怒りも苛立ちも当然だよ。でも詳しい事は、ひのかさんがもっと落ち着いてから話す。今回の件で一番大変で辛かったのはひのかさんだ。でもサチヨは、ずっとひのかさんを守る事だけを考えて動いていた。それだけは忘れないで欲しい>


 ――ひのかはあの部屋を通り抜ける必要があったんです

 ――ひのかも、これから少し熱くて痛くなりますけど、我慢してくださいね。ひのかにとって必要な事なので


「私を守るって……」

<守っていたよ。それにね、俺は霊能者として、朱山の婆さんとの『縁』の関係でサチヨと関わった。了解の上だったから、ひのかさんが気にする必要は無いよ>

 私は泣きそうになるのを我慢して、わかりました、と言った。白河氏は、とにかくゆっくり養生して、と言い電話が終わった。


 それから何日か、私は家の中で大人しくしていた。でも食欲が無く、本を読む気にもならなかった。

 祖母とお喋りをしたり姉と居間で映画を見たり。母は、私の好物をせっせと作ってくれるし父は会社から帰宅する時、必ず手土産のケーキなどを買って来てくれる。友人の菜々子はお見舞いに可愛いお花を届けてくれた。みんなに感謝はするし、早く立ち直りたいと思うのに私はまだ動けないでいた。


 理沙さんからもお見舞いの電話があった。サチヨさんが言ってたように、朱山さんがあの日祭壇前で倒れて、まだ意識が戻らないとの事だった。私が入居した頃から色々具合が悪かったらしい。所有物件の部屋をヤバい組織にこっそり高額の家賃で貸していた件で調べられていて、理沙さんも大変との事だった。サチヨさんは完全な因果応報だと言ってたけど、やっぱり後味が良くない。


 何より私は燃えるサチヨさんを思い出してしまい、眠れないのが辛かった。

 サチヨさんは『身代わり人形』として、私の<何か>を引き受けて燃えて消えた……私の死ぬ運命をサチヨさんが引き受けたんだ……画家さんの嫁になる時に朱山さんに殺されていたのか、火事で焼け死んだのか……白河氏はサチヨさんは宿命を全うしたと言ってたけど……。そういう事ばかりぐるぐると考えてしまう。


 ――これから先のひのかの人生に私はいませんが、どうか元気で


 私は何だか空っぽだ。これからどう生きていけばいいかわからないよ、サチヨさん……。



 その日も猛暑で、夕方になってもまだ暑かった。私は庭に出て、夕焼け空を眺めていた。そういえば画家さん、夕焼け空は悲しくなるから苦手だって言ってたっけ。今頃どうしているんだろう。万年青の鉢植えは枯れてないかな。そんな事をぼんやり考えていると、部屋着のポケットに入れたスマホが鳴った。見ると白河氏からだ。こんな時間に珍しいな。

「はい、もしもし」

<ああ、ひのかさん。今少しいい?>

「どうぞ、大丈夫ですよ」

<ひのかさん、ひとつ聞きたい。あの時ベランダから落ちて、それからどうなった?>

「え? えっと画家さんの世界に入り込んで、画家さんと話をしましたけど」

<画家の世界に? すぐにサチヨと話をしたんじゃなくて?>

「はい。あれ、私、この話は白河さんにしてませんでしたっけ」

<ひのかさんはサチヨの事でずっと泣いてたから、後日にしようと思って詳しい事は尋ねなかった。ただこの間、画家の世界が燃えたと言ってたのが気になって>

「画家さんの部屋に、万年青(おもと)の鉢植えを抱えて窓から飛び込んだんです。でもこの辺は記憶にないんですけど、その後しばらく話をしました」

<そうだったのか……ひのかさん、覚えている事を話して欲しい。大事な事だから>

「あ、はい」


 私は頑張って思い出しながら白河氏に話した。画家さんの世界での記憶は、今ではかなりおぼろになっている。画家さんの部屋、画家さんの過去、モモヨさんの事。


<なるほど命日が7月7日だったのか。それで朱山の婆さんが儀式を行おうとして、サチヨは全力でぶつかった訳だ>

「はあ。えーとそれから部屋の外に出て、変な家がたくさんある所を抜けて、草原みたいな場所で彼岸に帰るという画家さんを見送りました。線路が境目みたいになっていて、その向こうの菜の花畑が綺麗でしたね。画家さんが、私はここまでだと言うので、万年青の鉢植えを餞別に渡してお別れをしました」


白河氏が呟くように言った。

<菜の花畑……>

「はい。画家さんは真っすぐに菜の花畑を歩いていって、それから燃える家が崩れ落ちて、気が付いたら全然違う世界でサチヨさんがいて……画家さんの世界も燃えて消えたと言われました。そういえば画家さんの世界にいる間は、妙に色々忘れていましたね。覚えているのはこれぐらいです」


 白河氏は、ずい分長い間黙っていた。何か考え込んでいるようだった。

「あの、白河さん?」

<ああ、ごめん。ひのかさんの話を消化してた。良くわかった、ありがとう……ひのかさん>

「はい」

<3階から1階までは飛び降りると2秒もかからない。その2秒で、ひのかさんは画家の世界とサチヨの世界を通り抜けた。ひのかさんが思っている以上に、体も精神も負担が大きかったはずだ。だから焦らずに療養して欲しい。しっかり食べて良く眠って>

「はい、ありがとうございます」

 白河氏が心配してくれるのが、とても嬉しかった。電話を切ってから、私はだいぶ暗くなってきた空を見上げた。


 画家さんの事を白河氏に話して、何だか気分が軽くなったような感じがする。今夜は久しぶりに眠れるかもしれない。

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