16:これが私の一代記
私は笑顔を浮かべる、綺麗な衣装を着た市松人形のサチヨさんを見た。
「驚いた。本当にサチヨさんと話せてる……」
サチヨさんは、可愛いらしい声で答えた。
「ひのかとお話が出来るようになりましたから、諸々の事情を説明しておこうと思いましたの」
「でもサチヨさん、さっき画家さんと一緒に彼岸へ……」
「それはそれ。気にする必要はありません」
サチヨさんは妙な返事をしてから、ふうっと息を吐いた。
「さてと。あまり時間がありません。よろしいですか? そもそもの最初から、きっちり手っ取り早く、テキパキと話しますので、しっかり聞いてくださいね」
「あ、はい」
思わず素直に返事をしてから、私はなぜか体が恐ろしく重いことに気が付いた。上手く動けない。
「私は、勝子さんが産まれた時に勝子さんの『身代わり人形』として作られました。勝子さんに<何か>あれば、私が勝子さんの<何か>を引き受ける。それが人形である私の魂が持つ宿命でした。勝子さんは無事に成長されて、私を抱いて天城家にお嫁入りしました。私はずっとモモヨと勝子さんに呼ばれていたんです。ところが、勝子さんの旦那様のお姉さまの早逝したお子様が偶然にも桃代というお名前だったんです。そこでサチヨと呼ばれるようになりました。でも私はずっと、自分の本当の名前はモモヨだと思っていました」
曾祖母の旦那の姉の早くに亡くなった子供がモモヨって……そりゃ今の時代にわからない筈だ。
「あの、これからもサチヨさんって呼んでいいんだよね?」
「モモヨと知ってくれてれば構いません。さて勝子さんは天寿を全うされて亡くなりました。でも私の魂の宿命は果たされずにいたので、勝子さんの子孫の女の子の『身代わり人形』になると決めました。中々女の子が生まれず私はずっと待ち続けやがて綾乃さんが産まれましたけれど、あの人は違いました。これは私にしかわかりませんけどね。でも次に産まれてきたのが、あなた。ひのかだったんです。私はひのかの『身代わり人形』になり、小さな赤ん坊だったひのかは、めでたくも無事に成長しました」
サチヨさんが私の『身代わり人形』……そうか、だから私の代わりに画家さんと一緒に彼岸に行ったんだ。じゃあここにいるサチヨさんは……体も重いけど頭の中もぼんやりしているような気がする。
「あの日の夜、葵さんがお茶会の知り合いから不動産屋の名刺を持って帰ってきました。その時に、何者かがひのかを狙っているとわかりました」
「え? あの時から?」
「実は朱山が、あの名刺による『縁』を使ってこちらに探りを入れていたんです。私は気づいて『縁』を辿ろうとしましたが、遠くて無理でした。でも呪いの力が強い人間だというのは分かり以後私はずっと用心をしていました」
そういえば、あの日からサチヨさんは頑固に私の部屋に居座っていたな。しかし朱山さん、私が名刺を手にした時から狙っていたのか。なんて執念深い……。
「そして、ひのかが『縁』によりあの部屋に移る事になり、朱山と接触し私にも見えました。朱山はあの部屋にひのかを誘い込もうと必死だったんです」
「ええ? あんな恐ろしい脅迫みたいな事を言ったのに? 私、入居をやめようと思ったんだよ」
「完全に余裕が無くて、焦りまくっていたんです。更に言えば、朱山の精神状態は歯止めが利かなくなっていました。自業自得ですけどね」
「なんでそんなに焦ってたの。朱山さんの年齢的なものだったの?」
「それもありますが、単純に金と欲の問題です」
サチヨさんは嫌そうに眉間に皺を寄せた。
「朱山は、他人に嫌がらせをして喜ぶ性格でした。ひのかが移動をやめたら、それこそ朱山は何をしでかしたか。だからともかく入居しておけという、下僕の忠告は正解でしたね。そして私はひのかと一緒にここに移動しました。途中で、近くをうろうろしていた下僕をきっちり捕獲できたのは良かったです。私の声を聞く事が出来る人間は貴重ですもの」
私は思わず言った。
「貴重って、散々白河さんをパシリみたいに使ってたじゃない。なのに下僕とか捕獲とか、白河さんに失礼な事ばかり言って」
サチヨさんは、何やら厳しい表情になった。
「ふん。お互い様です。下僕は下僕で渡りに船でほいほいと……手を出したら最大級に呪うと脅してたので、精一杯カッコだけはつけてましたけどね」
「どういう意味よ」
「そのままの意味です。ひのか、下僕は霊能者としては非常に優秀ですが、実生活ではまだまだ頑固なガキです。覚悟をしといてください」
「はあ? 頑固なガキ? そりゃサチヨさんから見れば子供だろうけど」
サチヨさんは私の抗議を無視して話を続けた。
「ひのかが誘い込まれたあの部屋は、いわゆる怪奇現象が一切起こらない部屋でした。なぜか? 下僕の言う彼岸、死後の世界とほぼ直結している部屋だったから、そういう類のモノは一切近寄れなかったのです」
サチヨさんは、じっと私の目を見た。
「死後の世界は清浄で、幽霊や怪しいモノ達にとっては避けたいのです。生者にはわかりにくい感覚ですけども、あの部屋は彼岸に似た雰囲気に満ちていました。空気が美しかったでしょう? ひのかが快適に感じるように朱山が調節していたんです。あの部屋をずっと無人にしていたのも、無用な生者の存在感を残したくなかったからですね」
「朱山さんに言われたけど、あの部屋で暮らしていたら彼岸に馴染む、とか?」
「そうです。暮らすとは無防備になるともいえます。ひのかを死者の嫁にするため彼岸の空気に馴染ませる。朱山の遠大で迷惑な計画でした」
淡々としたサチヨさんの説明を聞きながら、私はぞっとした。事故物件じゃないけど、それ以上に恐ろしい部屋だったんだ。絶対に怪奇現象の起こらない快適さが罠だったのか……。
「あの、何で私が朱山さんに目をつけられたの?」
「ひのかの霊感が強かったからです。死者の嫁にするための必須条件が強い霊感のある女性でした。あと、あの死者が捨てられた恋人は女優で美女でした。だから朱山は逆に、素直で大人しそうで可愛いひのかを選んだのです」
さすがの鈍い私も少しばかりムッとした。
「つまり私は美女とは逆って事ね」
「いいじゃないですか、ひのかはこの世で一番可愛いんですから」
サチヨさんに何だか嬉しそうに言われて、私は仕方なく黙ったけど、なんか面白くない。
「半面、あの部屋に入居して暮らすのは、ひのかの運勢でもありました。ひのかはあの部屋を通り抜ける必要があったんです」
「ああ、白河さんもそんな事を言ってた。つまり私は逃げようにも逃げられなかったんだ」
「そうとも言えます。事態が複雑になっていったので、断言は出来ませんけどね」
私はあれ、と思った。どうもサチヨさんの歯切れが悪い……何だろう、息がしにくい。ここはどこなんだろう。
「朱山はどうしても『光の教祖』を仕立てる事が必要でした。以前の教祖が年月経過により消滅し、団体の影響力が無くなり自分に金を持ってくる信者も減るばかり。朱山は財産がありましたが、投機に手を出したために激減し、質の悪い借金まみれになっていたのです。金を手に入れるためには、団体を復活させるのが手っ取り早い。その為に死者を取り込み、嫁を見つけてやると約束しました。教祖は男女一組にする必要がありました。教義とか夫婦神とか言ってましたが、男女の方が朱山は動かしやすかっただけ。全くろくでもない」
サチヨさんは眉をひそめた。
「朱山は死者を教祖に仕立てるために、あの死者の世界を作り上げ死者を待機させました。死者は時間の経過が全く違うので、こちらの世界になるべく合わせて過ごさせる必要があったからです。死者を捕まえておくのも結構大変なんですよ。ところが、嫁になれる条件の女性が中々見つかりません。予定よりも年月がかかり、どんどん死者の世界は朱山の手に余るものになっていったんです。朱山は出入りは出来ても制御が不可能になり、空間が無闇に広がり、死者が描いていないモノが出現し、同時に死者の方も記憶を忘却していったのです」
そういえば画家さんも、描いた覚えのない夕焼けが出現したと言ってたな。
サチヨさんの話は続く。
「そこで、朱山は嫁を探すのでは無く誘い込む事に決めました。建物1号に若い女性がたくさん入居していたので思いつき、向かいにそっくり同じ建物2号を建て呪いと仕掛けをしまくりました。まあ朱山にとって最後の賭けでしたね。そして数年後、ついにひのかを見つけたのです」
私は思い切り呆れていた。それほど焦っても、数年の歳月が必要だったんだ。執念深いを通り越して狂気じみてるし、画家さんが本当に気の毒だ。
「ところで、建物を覆う黒い霧みたいなのは何のためだったの?」
「あれは、その辺をふらふらしている霊などを捕獲するためです。あの建物2号に押し込めて逃げられないようにして、建物全体を『霊山』ぽくしてた。あとは、霊感のある人間を引き寄せる目的と権威誇示ですね。人間の世界もくだらない事で大変ですこと」
霊山ぽくするってどこが! でもそれで『メゾンあけやま2号館』が妙な建物だったんだな、と思いつつ私は強いめまいを感じた。なんだか振り回されているような……私は重い手を持ち上げて目をこすった。ひどい耳鳴りもする。
「そういえば、あの日の夜、朱山は様子を見るために部屋に侵入してきました。その時に私に気づき、外へ放り出そうとしましたが、私は強烈に抵抗し、結局風呂桶に放り込まれました。あー腹の立つ! でも確信しました。老齢による能力の衰え。朱山も自覚はあったので、余計に焦っていました」
「あれは怖かったなあ……ところでサチヨさん、ここはどこなの?」
私は初めて疑問に思い、サチヨさんが静かに言った。
「3階から1階に落下している途中の世界です」
「え?」
「外部からは何も見えませんし、ひのかが酷い怪我をする事はありません。安心してください」
「落下って、301号室から?」
「そうです。ひのかは事故の衝撃で3階の窓から放り出されたんですよ。もう少ししたら地面です」
「だから……体が重いの……」
「私は感じませんが、そうかもしれません。呼び出したので、下僕が必死でこちらに駆け付けようとしています」
サチヨさんは平静だ。いきなり、周囲が朱色に光り出した。生暖かい風もどこからか吹いてくる。サチヨさんは頭上を見上げるようにした。
「建物の1階が火事になっています。ほぼ予定通りですね」
いきなり頭の中で何かが閃き、私の口から言葉が勝手に飛び出した。
「サチヨさん……もしかして私は火事で、火傷で死ぬの?」
相変わらずサチヨさんは冷静に言った。
「いいえ、死にません。けれど朱山の企みは終わりです。今頃、祭壇前で倒れて死にかけているでしょう。当然です。完全な因果応報、朱山は全て自分で引き受けなければなりません。生きるか死ぬかは寿命次第ですね」
周囲が、どんどん明るくなってきた。火が強くなっているんだろうか。なぜか恐怖感は全く無い。死ぬかもしれないのに。
「この建物の火災は、霊などは無関係で完全に人間の仕業です。朱山が金に目がくらんで、建物の1階をヤバい悪人集団にこっそり使わせていた結果です」
「悪人集団に!?」
「詳細は落ち着いたら誰かが説明してくれるでしょう。私は朱山と戦っていましたが、ひのか以外の人間の事は知ったこっちゃありませんので。悪事の後始末と裁きは、お上に任せればいいですし、ひのかが気に病む事はありません」
「それは……そうかもだけど」
それ以上何も言えず、私はじっとサチヨさんの顔を見た。サチヨさんは周囲を見回した。
「さてと、話は終わりました。そろそろこの世界も終わりですね。ひのかとはこれでお別れです。勝子さんがお嫁入した時の衣装で消えるのが私の願いだったので、叶って嬉しいです」
「サチヨさん!?」
私の瞬きのうちに立ち上がったサチヨさんは、笑顔で私に手を振った。
「私はひのかの『身代わり人形』として<何か>を引き受け、燃えて消えます。ひのかも、これから少し熱くて痛くなりますけど、我慢してくださいね。ひのかにとって必要な事なので」
「サチヨさん、ちょっと待って。画家さんと一緒に彼岸に行ったんじゃないの!? だからここで消えなくてもいいじゃない!」
「あのモモヨは、死者のためにほんの少しだけ魂を分けたんです。死者の描いた絵と同じ、形のある幻想で、私のようで私ではありません。私を気に入って褒めてくれたし、去ってくれた方が手間も省けましたからね。今頃はもう死者の世界は燃えて消えているでしょう。だからひのかも忘れてください」
私とサチヨさんを、いつの間にか炎の壁が取り巻いている。体が動かない。頬に当たる強い風が熱く、炙られているようだ。火傷……そうだ、お姉ちゃんが火傷に気をつけろって……。
「さようなら、ひのか。これから先のひのかの人生に私はいませんが、どうか元気で」
「そんな、待って、サチヨさん!」
「笑ってお見送りしてくださいな。私は人形です。小さなひのかが抱っこしていた市松人形のサチヨ」
手を振るサチヨさんの姿が遠ざかる。
「ひのかは私をモモヨと呼んで歌を歌ってくれました……とても嬉しくて私も覚えて歌っていました……ひのかに聞こえなくても……いつも……」
サチヨさんが歌いだした。私が歌ってあげた歌。
……赤いべべ着た
かわいい金魚
おめめをさませば
ごちそうするぞ……
サチヨさんの歌声が響く。私は動かない身体を何とかしようともがいた。と、いきなりサチヨさんの全身が炎に包まれ、私は必死で手を伸ばそうとしながら絶叫した。
「サチヨさん!! 嫌あああ!!」
赤い……金魚は
……あぶくを一つ
昼寝……うとうと……
夢……から……さめ……た……
サチヨさんの着物の袖や髪の毛が大量の火の粉と共に舞い上がり、一瞬全身が真っ白に輝き、すぐに黒い影のようになり、そして炎だけで何も見えなくなった。
「サチヨさん!! サチヨさん!!」
ずっと私と一緒にいた、私を見守ってくれていた、サチヨさん。
――立派で可愛い市松人形のサチヨさん。
「サチヨさん!!」
自分の叫び声ではっと気が付いた。
私はナップザックを抱えて地面に倒れていた。炎の音がして焦げた匂いの空気や風が熱い。顔や手がヒリヒリと痛み、全身がズキズキと痛んで動けない。息が苦しい。目が痛んで良く見えない。起き上がれない。私は口を大きく開けて呼吸した。
何も考えられずぼんやりとしている私の心の中に、白河氏の叫び声が響いた。
「ひのかさん! 返事をしてくれひのかさん!」
ああ、白河氏に初めて会った時も、こんな風に声が聞こえたっけ……白河さん……明日、お祭りに行けなくなったなあ……。
周囲は騒然としていて、怒鳴り声や様々な音で満ちている。突然、大きな人影が幾つも現れ、何事か叫びながら私を抱えて運んでくれた。
炎から遠ざかり息が出来るようになり、次に意識がはっきりした時、私は白河氏に支えられて道路に座り込んでいた。
夜なのに、ライトで照らされて辺りは眩しいほど明るい。
マンションのエントランスに車が突っ込み、炎上しているのが見える。それであんなに揺れたのか……でも何で車が……。
「ひのかさん、良かった。マンションに炎が見えた時、俺もう、本当に生きた心地がしなかった」
私を覗き込む心配そうな白河氏の顔を見た途端、涙がぼろぼろ出てきた。
「サチヨ、サチヨさんが……火の中に……私の代わりに……」
私が泣きながら訴えると、白河氏の顔色が変わった。一瞬唇を噛み締めてから、私の頬に手を当てて静かに言った。
「泣かないでいい。サチヨはね、宿命を全うしたんだよ」
「宿命って……そんなの知らない……なんで……サチヨさん……」
私は白河氏の胸にもたれて泣きじゃくり、救急車で病院に向かう間も付き添ってくれた白河氏の手を握り締めて、ただ泣いていた。
――私の心の中にいつまでもいつまでも、サチヨさんの可愛い歌声が響いていた。




