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14:歪な空が燃える時

 6月30日。今日は就職して初のボーナス支給日。

 仕事が終わって会社を出て、冷房の効きが鈍い電車に揺られながらあれこれ考える。家族みんなにご馳走して、菜々子と温泉に行って、あとは貯金だな。白河氏と九条さんにもお礼をしたいけど、落ち着いてからかな……けれど、私はウキウキではなく、かなりどんよりしていた。


 昼休みの休憩室で、ボーナスが大幅に減額された先輩社員たちから、会社の経営状態が非常にヤバい状態だと知らされてしまったのだ。

「入社したばっかで気の毒だけど、いざという時の為に色々調べておいた方がいいよ。時期的に転職も難しいだろうし。まあ夏場の売り上げが良ければ持ち直すかもだけど」

「天城さん若いから、十分やり直せるって」

 先輩たちに同情され、社長や経営陣への怨念をたっぷり聞かされ、ついでに色々アドバイスを貰ってしまった……。


 蒸し暑い道を歩きながら、会社って倒産の時は一瞬だよ、という先輩の言葉を思い出して溜息が出た。


 心持ち節約モードの晩ご飯を食べ、ついエアコンの電気代について考えてしまう。マンションの3階の廊下をペタペタペタ……と走り回る音を遠くに聞きながら、幽霊には悩みが無いだろうなあ。などと考えていたら、菜々子から電話がかかってきた。6月はブライダルシーズンで忙しかったけど、やっと一息ついたとの事。


<結婚式や花嫁さんのための花って、何回見てもいいもんだよ。あとさ、もっとフラワーアレンジメントの勉強をしなきゃと痛感したわ。花の道は奥が深い>

「菜々子なら大丈夫だよ。ずっとお花の勉強をしてたんだし、センスもいいし」

<さんきゅ。まあ長期の体力勝負になるけどさ、ひのかの結婚式や披露宴は任せて貰えるように頑張るよ>

「そりゃ絶対にお願いするけどさ……結婚式ねえ……」

 どうも自分が結婚するイメージが湧かないし、それ以前に勤務先がヤバいかもしれないのだ。

<そういえば、例の白河さんはどうしてんの? 連絡はあるの?>

「えっと、時々電話やメールをくれるよ。昨日から、スマホも繋がりにくいような山奥に仕事で行ってる」


 白河氏は、当然ながら仕事上の事は守秘義務として詳しい話は一切しないので、どこにいてどういう仕事なのかは知らない。そういえば菜々子には、白河氏のお兄さんに会った事や、白河氏が市松人形を抱えて実家に来た件は話してないな……まあ妙に盛り上がられても困るから今は黙っておこう。


<へえ。ほお。昨日から山奥に。いつ戻ってくるの?>

「それは知らないけど、今回の仕事は他の人も一緒で、待機時間が長くて大変だってぼやいてた」

<ほーん。そういう内容をひのかに電話で喋ってるわけねー。なるほどなるほど>

「いやほら、山奥だと退屈だろうし、この間は放火騒ぎもあったし、私の部屋の様子見も兼ねて電話で喋るのが丁度いい気晴らしで」

<ひのか、あのねえ>

 菜々子が、全く思ったよりモタモタしてんのね、と小さく呟いたのが聞こえた。どういう意味だ。

「何よ、モタモタって」

<ひのかに言ったんじゃないから無視して。まあ経過はともかく安心した。ところで放火騒ぎの方は落ち着いた?>

「うん。警察がパトカーでの見回りとかしてくれてるし、一応安心できてる」

<やっぱり、幽霊なんかより生きてる人間の方が怖いよねえ。ともかくまた遊びに行くから。温泉旅行の計画も練ろうよ>


 電話が終わって、私は壁に掛けている、借りたままの白河氏のナップザックを見た。

 菜々子も、白河氏もきちんと自分の一生の仕事を決めている。九条さんだって目標に向かって邁進しているし、白河氏のお兄さんも専門家として売れっ子だ。でも私にはまだそういう目標が何も無い。今の会社でネット通販に興味を持って、これから経験を積もうと思っていたら存続の危機かもしれないのだ。

 私は床にごろりと寝転がった。今夜は白河氏からの電話は無いようだ……サチヨさん経由で、体に気を付けてくださいね、と伝えられないのが残念だな。


 その日の深夜。エアコンは止めているので、少し蒸し暑い6畳間で眠っていた私は窓の外からの洗濯機の音で目が覚めた。


 ――……ゴォンゴォン……ゴォンゴォン


 聞き慣れた、画家さんの世界から聞こえてくるいつもの音だ。相変わらず洗濯をしているんだなあと思った時、外から人の声がするのに気付いた。複数の男性の声で、罵り合っているような感じを受ける。放火騒ぎの後なので、気になった私はそっと布団から出てベランダの窓に近寄った。やっぱり声がする。マンション前の道路からだ。

 カーテンを少しだけ開けた私は、あっと思った。窓の外に画家さんの世界が広がっていた。

 明るい青空に、色とりどりの風船が浮かびゆっくり漂っている。距離感は相変わらず妙だけども、のどかな眺めだ。でも画家さんの姿はどこにも見えないし、窓も見えない。洗濯機の音は聞こえるけど妙な形に見える家だけが並んでいる。本当にどういう法則の眺めなんだろう。一旦カーテンを閉め、しばらくしてもう一度開けると画家さんの世界は消えていた。物音がしないように注意して、ベランダから身を乗り出して道路の方を見る。声も人の気配もしない。やれやれ、と思いながら窓をしっかり閉めて、エアコンのスイッチを入れた。


 ――ガタンゴトン、ガタンゴトン、ガタンゴトン……。


 しばらくして聞こえてきた線路を走る電車の音を聞きながら、私はまた眠ってしまった。



 いよいよ7月に突入した。

 夏物販売の繁忙期だけど、売れ筋の商品の入荷が大幅に延期になったり、社長や上層部のお偉いさん達が社内にいない時間が増え、社内は重苦しい雰囲気が流れていた。やはり経営状態が良くないのだろうか……と私は暑さと疲れでぐったりとなって帰宅した。商品入荷の遅れで、あちこちに謝罪するのは我々現場なので厳しい。おまけに明日は土曜日なのに出勤だ。何とか服を着替えて、ぼけーとしていた時、白河氏から電話がかかって来た。


<あーひのかさん、やっと帰ってきたー参ったよー>

 たとえ愚痴でも声が聞けてホッとして、おかえりなさいを言う。

<暑さはマシだったけどさ、虫が凄かった。滞在してた家の裏山をよじ登って、気が付いたら卒塔婆に囲まれてるし。当分山は勘弁して欲しい>

 一体全体、霊能者としてどんな仕事を!? と尋ねたいのをぐっとこらえる。

「それは大変でしたね。それで今自宅ですか?」

<いやまだ出先。これから依頼者の所に行くけど……ひのかさん、今部屋の方は何ともない?>

「はい、特に何も無いです。真夜中に、窓の外から画家さんの洗濯機の音が良く聞こえますけど、それぐらいです」

<ふーん。いや、サチヨが大人しいから逆に心配で>

「サチヨさんが?」

 壁際に座る市松人形のサチヨさんを見る。いつもの澄まし顔だ。

<ひのかさんの実家で着替えてから、妙に静かなんだよね。前はあれこれうるさかったんだけど>

「着物が綺麗になって満足してるんじゃないですか?」

<そんなところかな……ところでひのかさん、来週の水曜日の夜に、神社の七夕祭りに一緒に行かない?>

「は、え? 水曜日ですか?」


 いきなりさらりと言われて、焦りながら机の上の卓上カレンダーを見る。今日は7月3日の金曜日。水曜日は8日か。予定は無い。あっても消す。

「大丈夫です。8日ですよね」

<そう。良かった。俺の知り合いの神主がいる神社でさ、七夕祭りに力を入れてるんだよね。賑やかで面白いからどうかな、と思って。でもさあ>

 私は凄く嬉しいのに、白河氏が苦々しそうに言葉を続けた。

<本当は7日に誘いたかったけど、その日は俺がどうしても用があって動けない。全く今年に限って……>


 その瞬間、なぜか直感した。大家の朱山さんが代表をやってる『光の調和団』で何かあるんだ。ずっと動きを見張っている白河氏としては、気になるんだろう。私は明るく言った。


「あの、すごく楽しみです。私、今繁忙期で忙しいんですよね。頑張って仕事を終わらせて、8日の夜は楽しく盛り上がりたいです」

<うん、俺もひのかさんと息抜きがしたい。8日でも神事があるし。美味しい焼き鳥とかの屋台が出るから、晩飯も一緒に食べよう>

 結局、待ち合わせの場所や時間などは、電話で再度打ち合わせをする事に決まった。

<じゃあ、また俺の方から電話するから。おやすみ>

「おやすみなさい」

 白河氏との会話は終わったけど、私は最高にうきうき気分になり、疲れも全部消えたような感じがした。

「サチヨさーん、白河さんと七夕のお祭りに行くんだよー」と私はサチヨさんの頭を撫でながら話しかけた。でもサチヨさんの表情は変わらず、澄まし顔のままだった。


 白河氏との約束を楽しみに、それからの私は休日出勤を乗り切り、仕事を頑張った。けれど社内の雰囲気はやっぱり悪くて活気が無く、いきなり退職する人の噂がちらほら流れ始めた。覚悟を決めた方がいいのかな、と思いつつ、ともかくお祭りを楽しんでから考えようと私は決めた。


 そして7月7日、七夕の日。

 少しだけ残業をしてから最寄り駅で電車を降りると、駅前広場に大きな笹が飾られていた。今夜は暑いけど晴れて良かったなあ。星はちょっと見えないけど……今夜の晩ご飯は素麵にしようかと考えながら歩いていた私は、『メゾンあけやま2号館』の建物を見て足を止めた。


 マンションの道路から見える側の部屋全部に明かりがついている。


 こんな事は初めてだ。しかもどの部屋も窓が全開ぽい。けれど何より驚いたのは、ずっと建物を覆っていた黒い霧が無くなっている。以前のように向かいの『1号館』に移動してもいない。大家の朱山さんが、何らかの事をして黒い霧を消した? 急いでマンションの前に立って見上げた私は、ぞっとした。建物の壁に、何人もの人間の影がへばりついて動き回っている。2階の部屋のベランダには着物姿の女性が立って、私に向かって手を振っている。


 私は足が動かなくなり、その場に立ち竦んだ。とにかく今夜は、マンションの部屋に戻らない方がいいだろう。この場から離れて、白河氏にメールで連絡しよう……。


 そう考えた瞬間、マンションの建物が完全に業火に包まれた。

 音のしない幻覚だけども、以前のように一瞬で消えない。巨大な炎は、暗い夜空まで赤く染めている。私の見ている世界全てが燃えている。


 私は叩きつけられるような衝撃を受けた。

 建物が、『メゾンあけやま2号館』が崩壊する……それは圧倒的な予感だった。すぐに逃げないと危険だ……でも私の部屋……301号室にいるサチヨさんだけは何としても助け出さないと!


 そう決意すると、マンションが燃え盛る幻覚は消えた。私は夢中でエントランスに駆け込んだ。普段は暗い管理人室まで電気が煌々とついている。1階の奥の方で何か妙な気配と物音を感じたけど、無視をして非常階段を駆け上る。ドアが激しく開け閉めされる音、笑い声、走り回る足音、全部無視だ。階段で私の前に立つ人影には「邪魔! どいて!」と怒鳴りつけて強引に通り抜ける。ぞわぞわと悪寒がするけど、こっちだって伊達に幽霊屋敷で育ってないよ! これぐらい平気だ!


 3階の301号室のドアは閉まっていた。深呼吸をして気持ちを落ち着かせ、鍵を開けて暗い玄関に入る。この部屋では何の気配もしない。でも今夜は駄目だ。靴も脱がず土足で上がり込む。

 私は電気をつけて、大事にしていた菜々子と実家の姉に貰った花の鉢植えを見る。ごめん、今は置いて行く。市松人形のサチヨさんと白河氏に貰った万年青(おもと)の鉢植えで手一杯だ。白河氏に借りたままのナップザックを使わせて貰おうと、6畳間に入って電気をつけた私はぎょっとした。


 サチヨさんが机の上から移動して、ベランダの窓のカーテンを背中に座って、私をじっと見ている。


 でも今は細かい事は気にしていられない。私はまず通勤バッグに貴重品袋を突っ込み、次にナップザックにノートPCと通勤バッグを一緒に入れて担いだ。重い。ごめん、お祖母ちゃんに借りてた守護石も置いていく。これで両手が空いた。サチヨさんを抱き上げ万年青の鉢植えを抱える。よし、これでいい。全力で走って脱出だ。


 その時、すぐ近くで声がした。


「逃がしゃしないよ、小娘。まったく手間と面倒ばっかりかけるんじゃないよ」


 私はゆっくりと声のした方を向いた。


 大家の朱山さんが、高級そうな黒い着物姿でダイニングキッチンの真ん中に立っていた。


 完全に興奮状態の私は、驚きも怖さも感じなかった。何より、この朱山さんは今までと違って上品な雰囲気だけど実体じゃない……。


「ほっといてください。私はこの部屋を出て行きます」

 朱山さんの目が細くなった。

「口答えすんじゃないよ。さっさとその忌々しいモノを捨てな。邪魔だ」

「何ですか、忌々しいモノって」

「人形と万年青だよ。今日日(きょうび)の若い小娘が持ち込むとはね。誰の入れ知恵だか」

 私は両手に力を入れた。

「お断りします。私にとって大事なモノなんですから」

 サチヨさんが細かく震えだした。サチヨさんが何かを猛烈に訴えている。


 いきなり朱山さんが、手を伸ばし、私に近寄って来た。

「お前の行く先は決まっているんだ。お前はこれからあいつの嫁になるんだよ。予定が狂っちまったけど、何としても終わらせるからね」


 私は後ずさった。でもすぐに背中が窓に当たる。嫁になる? 予定が狂った? バッグの中のスマホの着信音が小さく聞こえる。白河氏からだ。


 いきなり外から物凄い音、何かが衝突したような破壊音がした。部屋の中がぐらぐらと揺れ、電気が消えた。同時に朱山さんの気配も消えた。私は暗闇の中でガクガク震えながら、それでも外に出ようと足を踏み出した。


 ベランダ窓の鍵がカチンと鳴り、ガラガラガラガラと開いた。


 思わず振り向いた私は、カーテンが開いた窓の向こうの空、画家さんの世界の全てが燃え上がり、空が炎で赤くなっているのを見て息をのんだ。早く、早く逃げないと!


 でも逃げられなかった……サチヨさんと万年青をしっかり抱えたまま、私は何かに凄まじい勢いで突き飛ばされ……意識が薄ぼんやりとする中で、私は白河氏の叫び声を聞いたように思った……。

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