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13:赤いおべべと名付けの子

 私が焦りまくって祖母に向かって抗議の言葉を叫ぼうとした時、白河氏が落ち着いて答えた。


「初めまして、白河です。本日は天城ひのかさんの用件の為に訪問しました。有難いお話ですが、後日場を改めて伺います」

 ああ、良かった……しかし祖母は何を考えているんだ。良く見たら、妙にいい着物を着ている。そりゃ私が男の人を家に連れて来たのは初めてだけどさ。


 私が睨んでも祖母はそっぽを向いて、まあ今日は仕方ないかねえと呟き、廊下の向こうから母親が「いらっしゃいませ……あらサチヨさん? ひのか、我儘言ってこちらにご迷惑かけてるんじゃないでしょうね」と登場してくれたのでその場は落ち着いた。やれやれ。ともかく3人で、どうぞどうぞと白河氏を応接室に案内する。途中、廊下の隅に座っている太郎君や天井からこちらを覗く顔だけの幽霊を目にした白河氏が苦笑しているのがわかった。呆れているのかもしれない……。


 今日実家に戻るについて、サチヨさんから白河氏を通じて私に要望があった。

 家族全員が揃っていて欲しいという事と、着物を着替えさせろという事である。そして着替えたらまた私のマンションの部屋に連れ戻せというのである。もちろん理由なぞサチヨさんが言う訳がない。面倒だけども、仕方ない。

 実家には下僕、つまり白河氏が連れていけとサチヨさんが命令している。これも迷惑だけども、白河氏はあっさりと受けてくれた。

 ただ、私たち天城家の方からは報酬や交通費は出さないでくれと、こちらは白河氏から前もって頼まれている。サチヨさんから報酬を何らかの形で受け取るので、人間からは受け取れないらしい。なんか多大な迷惑を白河氏にかけているような気がする……。


 まあ日曜日だからさほどの難題ではない。私から事前に到着予定時間などを伝えてあったので、白河氏の訪問を待ってくれていた父親と姉が歓迎する。

 市松人形を抱えたお客の姿に別に驚かない家族で良かった……白河氏は丁寧に挨拶をしてから「まずお人形の要件を済ませます」と言って、何やら機嫌のいい祖母と「準備は出来てるよー」「ありがとうございます」と話しながら奥の和室に向かった。サチヨさんは家の中を結構好き勝手に動き回っていたけど、大体いつもこの和室の棚に鎮座していたんだよね。実は8畳もあるので無駄に広い。


 和室の畳の上には、すでにお人形さん用の赤や紺の色とりどりの着物が何着か並べられていた。着物の他に何本かの帯や和装用の小道具もある。こんなに色々あったのか。衣装持ちだったんだな、サチヨさん。

「これで全部だよ。納戸の奥に仕舞ってあったけど、桐箱に入れて虫除け対策はしてあったから綺麗なもんだ。で、サチヨはどれがいいんだい?」

 きちんと正座した白河氏がサチヨさんを抱えてしばらく黙り、迷わずに指差した。

「これがいい、と言ってます」

 それは赤い布地に花や蝶などの細かい文様が描かれている上品で華やかな着物だった。古典柄というやつだろうか。祖母が興味深そうに言った。

「ふーん。元々サチヨは私の姑が嫁入りの時に持参した市松人形なんだけど、その時に着ていた着物だね。正絹(しょうけん)の良いお品だよ」

 姑って、ひい祖母ちゃんか。私が生まれてすぐに亡くなったので写真でしか知らない。白河氏が尋ねた。

「モモヨという名前に何か心当たりはありますか? サチヨは自分の名前は、本当はモモヨだと言ってるんです」

 祖母が頬に手を当てて考えた。このポーズは、白河氏と話せて浮かれているな。孫の目は誤魔化せない。

「さあ知らないねえ。姑は勝子(かつこ)って名前だったし、ずっとサチヨと呼んでたしね。別にモモヨさんて人が入っているわけじゃないんだろ?」

「はい、人形の魂だけです。本人もサチヨと呼ばれるのは構わないと言ってます。ただ理由が気になっているので……」

 白河氏、初めてサチヨさんに話しかけられた時の事をずっと疑問に思っていたのか。そう言えば、画家さんへの自己紹介でもモモヨと名乗ってたな。

 サチヨさんを見ると、いつもの澄まし顔だった。白河氏にわざわざ説明する気はないらしい。


 祖母が着せ替えは久しぶりだね、と言いながら手際よくサチヨさんの着物と長襦袢(ながじゅばん)を着替えさせ、帯も金色のずっと豪華ぽい物に変える。筥迫(はこせこ)を胸元に差し込み、扇子を帯に差して、サチヨさんは見違えるような立派な市松人形になった。抱き上げてみると、前より重く感じる。小物のせいかな。ついでに髪の毛や顔も綺麗にして「サチヨさん、美人になったねー自慢そうだねー」といっぱいほめてやる。


 着替えたサチヨさんを抱えて、白河氏と祖母と一緒に応接室に戻る。

 時間的に母親と姉は昼食をご馳走したかったようだけど、白河氏はこの後仕事先に向かう約束があるし、私も一緒に帰るのでお茶だけになった。

 割と凝り性でコーヒー好きの父親が、豆から焙煎(ばいせん)して淹れた自慢の薫り高いコーヒーを飲み焼き菓子をつまみながら、しばらく歓談する。

「この家は確かに幽霊屋敷ですが、少し変わっていますね。霊という異質なモノにも人間にも居心地がいい、普通に暮らせる場所です」

 両親がふむふむと頷き、また祖母が張り切って何か言い出しそうになったけど、睨んで牽制しておく。


 何やら気配を察したのか、黒い人影の運転手さんが応接室にやって来て、しばらくふらふら歩き回ってから引っ込んだ。白河氏の説明によると、ずっと昔に事故で亡くなった男性らしい。

「迷っているというより、自分のお墓が気に入らなくてこの家に居候している感じですね。好奇心も強い人だな……彼岸への行き方はわかっているし、もう何年かしたらいなくなるでしょう」

 霊能者として声が聞こえる白河氏に、家の中の霊たちがあれこれ話しかけてきてるとの事。仕事での訪問じゃないのに申し訳ない。その後、父親が若い頃に目撃したという「深夜の神社の境内を飛び回る大量の青白い火の玉」の話で盛り上がっていた時、ほとんど黙ってコーヒーを啜っていた姉の綾乃が突然発言した。


「そういえば、ひのかちゃんは小さい頃、サチヨさんをモモヨさんって呼んでたねえ」


 ……はい? 私が? 思わず、私の横に座っているサチヨさんを見て姉を見る。

「ええっと、そんなの全然記憶にないけど」

「そりゃあ、ひのかちゃん、とても小さかったから」

 おっとりした姉の言葉に白河氏が素早く反応した。

「あの、すみません。どうして、幼いひのかさんがモモヨと呼んでいたんですか?」

「テレビ番組で歌っていうか童謡を聞いて、お人形の名前はモモヨさんって言い出したの」

「童謡?」

「ほら、あかいべべきた、かわいいきんぎょって歌」


 え? それって確か『金魚の昼寝』だ。でもあれ金魚で人形じゃないぞ。何を考えていたんだ、子供の私。でも白河氏はすぐに思い当たったようだった。


「ああ……『金魚の昼寝』ですね。歌詞は金魚ですが、幼いひのかさんは人形の事だと思った……?」

「そう。ひのかちゃんは小さかったから、()()()()()()()()()()()()()()()の区別がつかなかったのね。歌いながらサチヨさんを振り回して、モモヨって名前の方が絶対に可愛いよーって言い張って。モモヨさん、めをさましてくださーいって言いながら頭をばんばん叩いて、おままごとの食器を前に並べてたなあ」

「おめめをさませば ご馳走するぞ、ですか。なるほど」

 白河氏は感心したように言うけど、なんか私は物凄い乱暴者だったみたいじゃないか! 実はサチヨさんに恨まれてるかも、と思いながら横目で見たら案の定剣呑(けんのん)な目つきで私を見ている。後で謝っておこう……。それはそうと。


「お姉ちゃん、自分も子供だったのによくそんな昔の事を覚えてたね」

「んー? そりゃお姉ちゃんだもの。それにひのかちゃん、サチヨさんを引きずりながら私の後をずっとついて回ってたし」

 ぎゃー! それはかすかに記憶にあるからなんか猛烈に恥ずかしい! 情景を想像したのか、白河氏がくすくす笑う。

「モモヨという名前を、ひのかさんがどこから思いついたかわかりますか?」

 白河氏の質問に、姉はコーヒーを飲み、首をひねって、しばらく考えてから答えた。

「それはわからないなあ。絵本から思いついたのかな。ひのかちゃん、一日中絵本を読み散らかしている子だったから」

「その可能性が大きいですね。ありがとうございます、疑問が解消されました」

 姉の更なる思い出話によると、私がモモヨさんと呼んでいたのは1人の時か姉の前だけだった。だから他の家族は誰も知らなかったし、いつの間にか私がモモヨさんと呼ばなくなったので姉も、ついさっきまで忘れていたとの事だった。そうか。私も姉も忘れていたのに、サチヨさんだけは覚えていたのか。


 ……でもどうして、そんな昔に子供の私が言ったモモヨって名前を、サチヨさんは白河氏や画家さんには自分の名前だと言うんだろう?


 しばらくして時間になったので、私と白河氏は辞去する事にした。私は、またゆっくり来るねと言い、母親が持たせてくれた稲荷ずしの包みをバッグに入れた。

 サチヨさんの入ったナップザックを背負った白河氏が、玄関でお見送りしている皆にお礼を言った時、姉が妙な事を言った。

「ひのかちゃん。火傷(やけど)に気を付けてね」

 姉は占い師だけど、滅多にこういう事は言わないので驚いた。

「うん、火傷ね。わかった、料理の時に注意するよ」

 白河氏は何も言わず、けれどじっと姉を見ていた。


 家を出て、屋根の上で踊る水玉さんを見上げながら、白河氏と並んで歩く。

「ひのかさんの家族、いい家族だね」

「ありがとうございます。すみません、基本みんなお喋りでうるさくて……」

「いや、楽しかったよ。サチヨも満足したのか大人しいし。けど、ひのかさんがモモヨの名付け親だったのは予想外で驚いた」

「私もびっくりしました。でもなんで、サチヨさん今でも自分の名前だって言うんでしょう?」

「サチヨが話さないからわからないけど……。ただ人形って年月の感じ方も人間と違うから。サチヨにとって、幼いひのかさんにモモヨって呼ばれたのはつい最近の事なんだろうな」

 そうなのか。だけどそれ以上に、何だか思い込みの強さも感じる。私が白河氏みたいにサチヨさんの声が聞けたらなあ……。


 最寄り駅で、これから仕事先に向かうので違う路線の電車に乗る白河氏と別れる。お兄さんもだけど、兄弟揃って忙しいんだな。

 サチヨさんの入ったナップザックをそのまま借りて、よっこらしょと背負う。いささか妙な姿だけど仕方ない。手に持って歩いたら通報ものだもんな。サチヨさん、立派で可愛い市松人形なんだけど。

 去り際に、白河氏が私の顔を見て言った。

「ひのかさん、お姉さんと良く似ているね」

「はい良く言われます。性格は全然違いますけど」

 白河氏は笑った。

「お姉さんは感じる人なんだね。言われたように、火傷に気を付けて」

 そう言うと、手を振って早足で遠ざかって行った。


 見送った私がナップザックを背負って『メゾンあけやま2号館』に帰り付くのとほとんど同時に、雨が降り出した。


 夜になって、母親特製の稲荷ずしを食べながら私は祖母と電話で喋っていた。向こうから掛かってきたので、遠慮なく稲荷ずしをもぐもぐと味わう。

<ひのか、あんた私が貸してやった守護石の置物はちゃんと飾ってあるのかい?>

「うん、ノートPCの横にずっと置いてるよ。お祖母ちゃんから借りてるんだもん、心強いよ」

<ならいいけど。ところであんたのマンションの部屋、大丈夫なのかい? あんたは特に何も言わないけど、サチヨを連れて来たりちょっと心配だよ。まああの白河さんを捕まえたのはお手柄だけどさ>

 私は箸を置いた。

「そうだ! お祖母ちゃん、何で今日、初対面の白河さんに玄関であんな失礼な事言ったのよ!」

<別に失礼じゃないよ。窓からあんた達が並んで歩いてくるのを見ていたら、家の中の連中がはしゃいで騒ぎだした。つまり屋敷を守る次の人間が来たって事だよ。私が嫁入りした時もそうだったからねえ。だからさっさと捕まえようと思ったのさ>

「捕まえるって、猫じゃないんだから」

<白河さんも、声が聞こえる人だからわかってたと思うけどね。現に有難い話だから後日改めてって返事したじゃないか。そのうちにまた連れて来な>

「あのね、それは社交辞令みたいなもんだよ。白河さん、礼儀正しいんだから。そもそも私と白河さんはそういう……お祖母ちゃんが想像しているような仲じゃないから」

<馬鹿くさい。十分に仲がいいじゃないか。こちとらあんたより何十年も長く人間をやってんだ。見りゃわかる。ぐちぐち言わないで、しっかり向こうの首根っこを押さえときな。顔がいいから他の女がちょっかい出しそうだし>

「だからそれが失礼だって! 白河さんは良くしてくれてるけど、事情があるの! それに好きな人もちゃんといるんだから」


 祖母が他所を向いて、こりゃ(そば)の人間が苦労しそうだね、と小声で呟くのが聞こえた。どういう意味だ。


<ふん。あんたは白河さんに気があるんだろう?>

「いやその、そういう言い方はやめてよ。そりゃ凄くいい人だし、でも色々あって」

 真正面から聞かれると、もごもごと口ごもってしまう。祖母はわざとらしい溜息をついた。

<まあねえ、あんたはうるさいくせに引っ込み思案だから心配してたけど、ちゃんと選べたみたいだね。ともかく後悔しないように頑張りな。こっちは白河さんで無条件で賛成だからね>

 祖母は菜々子と同じような励ましだか何だかわからない事を言って、ほぼ一方的に電話を切った。全く。


 夕飯を食べ終わり、白河氏から借りたナップザックを、丁寧に拭いて部屋の壁に掛けておく。今度会った時に返さないと。でも、白河氏に母親自慢の稲荷ずしを食べて欲しかったなあ……理沙さんに負けないくらい美味しいと思うけど……私も母親に作り方を習って練習しようかな……。


 そして深夜。

 6畳間の隅で眠っていた私は、何かの物音で目が覚めた。火事騒ぎ以来、少し眠りが浅くなっているのだ。

 耳を澄ますと、窓の外から雨降りの音に混ざって洗濯機の音が聞こえる。


 ――……ゴォンゴォン……ゴォンゴォン


 そうか、画家さんが向こうの世界で洗濯をしているのか。別に怖くは感じないのでまた寝ようと思った私は、歌声も聞こえるのに気付いた。

 男性ではなく、女性の歌声だ。何の歌だろう? と気になったけどかすかで良くわからない。そのうちに聞こえなくなったので、また眠ろうと思いつつ、ふと枕元のサチヨさんの視線を感じた。


 着替えて立派になった市松人形のサチヨさんは、暗がりの中で澄まし顔で微笑んでいた。

※『金魚の昼寝』(1919年発表)

作詞:鹿島鳴秋作詞、作曲:弘田龍太郎

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