12:幽霊屋敷にいらっしゃい
日曜日の朝は、残念ながら曇りで雨が降りそうだった。まあ6月だから仕方ないね。
私は鏡を見て髪が跳ねていないのを確認し、お気に入りのベージュ色のゆったりしたワンピースを無意味にぱたぱたとはたいた。
今日はこれから白河氏と2人で私の実家に行くのだ。楽しみだけど緊張する。
準備が出来たので、大きなタオルに丁寧に包んだ市松人形のサチヨさんを入れた布バッグを胸に抱えて出発した。
マンション向かいの『メゾンあけやま1号館』は入り口に立ち入り禁止のテープが貼られ、無人状態だ。
先週、1階の管理人室に発火物が投げ込まれて火事になるという大事件があった。幸いボヤで済んだけど放火という事で警察の捜査が入り、住民は皆一時避難してしまっている。『2号館』ただ1人の住民(多分)である私の部屋にも警官が来て、警備はしているけど十分に注意するように言われた。私は建物の外側の避難階段を確認して、何かあったらすぐに飛び出せるように心構えをしている。貴重品はもちろんだけど、サチヨさんと白河氏に貰った万年青の鉢植えは絶対に持って出ないと。
白河氏に騒ぎをメールで連絡すると、別件の依頼仕事で遠くにいるとの事だったけど、心配して何度かメールや電話をくれた。素直に嬉しい。
ただ九条さんの方から白河氏に連絡があって、放火騒ぎがあった同時刻に大家の朱山さんが倒れて救急車で運ばれたらしい。それで火事現場にいなかったのか……命に別状は無く、翌日には退院した。でも『メゾンあけやま2号館』を覆う黒い霧は薄くもならず相変わらずの状態だ。何だか一度に色々起こって事態が変わり始めているようで、どうにも落ち着かない。
だから引っ越し以来初めての実家への帰省は気分転換になりそうで楽しみだった……今回は市松人形のサチヨさんが白河氏を『招待』した形になっている。歩き慣れた駅への道を歩きながら、胸に抱いたサチヨさんに「これから白河さんに会うけどさあ、下僕扱いして我儘言わないでよ」と言って聞かせる。
白河氏の都合がいいという事で、最寄り駅の駅前広場で待ち合わせをしている。到着して、白河氏を探すと駅前広場の隅に立っていた。
いつものように黒い上下に生成りのサマージャケットを着て、サチヨさんを運ぶためのナップザックを背負っている。でも、あれ? と思った。隣に同じくらいの身長のスーツ姿の男性が立って、何やら話している。
そろそろと注意しながら遠回りに近寄った私は直感した。白河氏のお兄さんだ! メガネをかけていない顔立ちが何となく似ている。
ただ、こちらは「ザ・正統派スーツ美男子」で、髪はきっちり整えられた短髪でグレーのサマースーツを着こなしネクタイも上品。しかし日曜日の朝なのにスーツばっちりでアタッシュケースまで下げているって、兄弟なのにかなり違うな……。
その時白河氏が私に気づき、笑顔で声をかけてくれた。
「ああ、ひのかさん、こっち」
「はい。おはようございます」
お兄さんが声を出した私に気づいてじっと見てから、いきなり白河氏の耳を引っ張った。
「いだだだ! 何だよ」
「何だよじゃない。こちらにきちんと朝の挨拶をしないか」
「ひのかさんの前で子供扱いするなよ!」
「やかましい。お前なんぞまだまだ子供だ」
感じのいい低音ボイスだけど、えらくまた手厳しいお兄さんだな。
お兄さんは白河氏の耳を話すと、少し固くなっている私にすっと近寄り、滑らかに手を動かして名刺を差し出した。
「初めまして。眞琴の兄で経営コンサルタントの白河勇一と申します。よろしくお願いします。天城さんの事はいつも弟から伺っています」
私は慌てて受け取った。ラインの飾りがカッコいいけど文字がぎっしりの名刺だ。
【 公認会計士 税理士 経営コンサルタント 白河勇一 】
うわ、公認会計士に税理士。凄いな。お兄さんが愛想よく言った。
「今後、弟が天城さんに何らかの面倒をかけて困った事態になりましたら、遠慮なく私の携帯電話番号まで連絡をしてください。警察沙汰に悪口愚痴でも何なりと。24時間即対応いたします。もちろん天城さん個人の税金などのご相談も受け付けます。安心確実秘密厳守。お気軽にどうぞ」
「はい、ご丁寧にありがとうございます……」
心の中で、なるほどあの九条理沙さんの婚約者だなあと妙な感心をしてしまう。
「兄ちゃん! ひのかさんが困ってるだろ。それに俺は警察沙汰なんか起こした事は無いぞ」
白河氏が口を尖らせて小声で抗議しても、お兄さんは知らん顔である。
「弟の仕事に口出しはいたしませんが、いかんせん社会的トラブルという面では弱いので前もってご挨拶をしておきます。それはそれとして、今後も眞琴をよろしくお願いいたします」
「いえ、こちらこそよろしくお願いします」
頭を下げる私に、お兄さんはにっこり笑った。
「ありがとうございます。ちなみに弟の好物は、果物がたくさん乗ったケーキやパフェやプリンアラモードです。では、私はこれで」
そう言うと、今から仕事ですのでとお兄さんはさっさと立ち去った。少し離れた所にある駐車場に車を停めていたらしい。
お兄さんの姿が見えなくなってから、白河氏が苦笑して言った。
「いきなりでごめん。ひのかさんにどうしても一言挨拶をするって今朝になって言い出して、くっついて来た」
あれ。という事は。
「白河さん、お兄さんと一緒に暮らしているんですか」
「そうだよ。言ってなかったっけ? でも最近、経営コンサルとして引っ張りだこで不在がちなんだよね。今日みたいに日曜でも仕事に行くし」
お兄さんの話をする白河氏の表情は、優しくて誇らしげだ。
「……白河さんの三つ編み、お兄さんが編んでたんですね」
白河氏は穏やかに言った。
「うん。子供の時からね」
そうだったんだ……耳を引っ張って厳しいお小言を言っても、お兄さんには大事な弟なんだな。
しみじみしてから、私はあれ? と思った。何でお兄さん、弟である白河氏の好物をわざわざ私に? 果物がたくさん乗ったケーキやパフェやプリンアラモード……。首をひねっていると、サチヨさんが「早く下僕に背負わせろ」とうるさく要求しているらしいので、白河氏がわざわざ担いできたナップザックにサチヨさんを布バッグごと入れてもらう。全く市松人形なのに我儘者だ。下僕扱いの本人は面白がって笑っているけど。
電車に乗って実家に向かう道中、サチヨさんを背負った白河氏から、霊能者としての修行を始める為に大学に行かないと決めてお兄さんと大喧嘩になったとか、色々な思い出話を聞く。男兄弟だなあという感じだ。白河氏は電車の窓の外を流れる光景を見つめながら、ぽつりと言った。
「此岸は、霊も人も世界も何かも変わるのに彼岸は何一つ、永遠に変わらない。でも俺はそんな彼岸を見ていなきゃいけない……兄貴には心配かけて申し訳ないけど、でもこれが俺の運勢だから」
電車を乗り換え、到着した駅から少し歩き、ようやくゆるい坂の上に実家というか天城家が見えてきた。久しぶりに見ると、やっぱり大きい。そして古い。
ふと見ると、屋根の上で白地に水玉模様のワンピースを着た女性が手をひらひらさせ、くるりと回転して踊っている。私は隣の白河氏に言った。
「白河さん、見えますか? 屋根の上」
「うん。女の人が踊っている。ずい分古い時代の人だな」
「そうなんですか? うちでは水玉さんって呼んでます。あの人が屋根の上に出ると、しばらくして雨が降り出すんですよね」
「へえ。雨がねえ」
白河氏は立ち止まり、ちょっとメガネを上げて水玉さんを眺めてから言った。
「大正時代ぐらいに亡くなってる。水難の気配も無いし、単に雨模様が好きなだけの機嫌のいい人……ああ、わかったわかった」
苦笑しながら、白河氏がナップザックからここまで担いで来たサチヨさんを取り出し、包んであったタオルも外してサチヨさんを腕に抱える。背の高いお洒落で美形の男性が、赤い着物の市松人形を抱えて立っている。大変シュールな眺めだ。
「ほら、天城家に着いたぞ。しかし俺も人形に『招待』されたのは初めてだ」
門をくぐり、玄関まで歩く間も白河氏は興味深そうに周囲を眺めて呟く。
「へえ、居心地がいいなあ……でも確かに幽霊屋敷だな」
私がただいまーと言いながら久しぶりに家の戸を開けたら、祖母が仁王立ちになっていた。
「わああ! びっくりした! 何よお祖母ちゃん!」
祖母は驚く孫娘を無視して、続いて入ってきたサチヨさんを抱えた白河氏を無言でじっと見ている。礼儀正しい白河氏も、なぜか祖母を見て黙っている。仕方ないので私が紹介しようとした時、いきなり祖母がきっぱりとした口調で言った。
「よし決めた。青年。あんたがこの屋敷を継いで守っとくれ。この賑やかな孫娘と一緒なら退屈しないと保証するよ」
ちょっとお祖母ちゃん、突然何を!?




