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11:有能なる家政婦事情

 九条さん特製のローストビーフがたっぷり挟まったサンドイッチ。九条さん手作りのちょっとピリッとしたマヨネーズと、九条さんが焼いたしっかりした風味のパンとの相性が最高だ。私はガツガツしないように注意しつつも夢中で食べ、感激して叫んだ。


「最高です! 最高に美味しいです、九条さん!」

 九条さんは、優雅に少しだけ頭を下げた。

「ありがとうございます。お口に会って良かったです」

 ポットから九条さんがカップに注いで手渡してくれた、熱くて香りの良いほうじ茶も美味しい。

「私が焙じました。紅茶や珈琲も好きですが、洋風でも軽食には日本茶というのが私の好みなんです」

 同意して深く頷く私と、黙って美味しそうに食べている白河氏を見て、九条さんは満足げに微笑んだ。


「念のために多く作ってきて良かったです……ところで天城さんは、アガサ・クリスティーのミステリ小説をお読みになった事は?」

 私は慌ててサンドイッチを飲み込んだ。

「ええっと、確か『オリエント急行殺人事件』を」

 私は読書は一応好きだけど、ミステリ小説はほとんど読んだ事がない。アガサ・クリスティーだって名前ぐらいは知っていますけど、のレベルだ。だけど、九条さんは私の反応などお構いなしに身を乗り出した。目が輝いている。


「私が先ほど憧れの人物として述べたルーシー・アイルズバロウという人物は、クリスティーの『パディントン発4時50分』というミステリ小説の登場人物です。一般的知名度としては地味ですが、私は傑作だと信じています。名探偵ミス・マープルの依頼で怪しいお屋敷に潜入して犯罪の捜査をするのが、家政婦ルーシー・アイルズバロウなのです」

「はあ」

「私は高校時代にこの小説を読み、将来は必ずルーシーみたいな有能な家政婦になろうと決意しました。ルーシーはオックスフォード大学を優秀な成績で卒業し、けれど思うところあって家政婦になり、その世界では超有能として有名になり引っ張りだことなります」

「はあ」

「さすがに時代も国も違いますから、まず頑張って国立大学に入学し卒業しました。ルーシーは数学というか理系の人でしたが、私は英文科で英文学を専攻しました……実は英国にはまだ行った事が無いのが残念です……卒業後すぐに家政婦の世界に入ろうかと思いましたが、その前に世間を広く見て対人関係の修行をしようと決めて某企業に入社し、主にクレーム処理などを担当しました。本当に色々な方と接して、人間というのは複雑な存在だと痛感しました」

「はあ。なるほど」


「やがて母が病で亡くなりました。父も亡く母子家庭だったので寂しくはなりましたが、良い機会だと退職し、本格的に家政婦の世界に入りました。ただ今の時代は、ルーシーのような働き方をするならば独立した方が有利だと判断し、個人事業主の便利屋となりました。家事代行、通いでの掃除、とにかく何でも引き受けていますが心は常にルーシー・アイルズバロウです。料理の修行も欠かしてはいません。ルーシーは大変な料理上手ですからね」

「はあ。凄いですねえ」

「今は眞琴さんの正式な依頼で、長期の住み込み家政婦をやっています。まさに『パディントン発4時50分』、私がルーシー・アイルズバロウの役割で眞琴さんがミス・マープルという訳です。つまり潜入捜査ですね」

 私は目をぱちくりさせた。

「え? 潜入捜査?」


 九条さんは、ほうじ茶を飲みながら面白そうに話を聞いている白河氏を見た。

「眞琴さん。天城さんは、眞琴さんと勇一さんの事情をご存知なんですか?」

「大体の事はさっき話した。昨日の今日だけど、早い方がいいと思ってね」

 九条さんは頷き、それからなぜか私の方をキッと見た。

「天城さん。よろしいですか。念のために忠告しておきますが、こちらの兄弟は揃ってとんでもない頑固者ですからね。覚悟しておいてください」

 白河氏はうるさいよと呟き、私ははい! と一応元気に返事をしておく。はて覚悟?


「それはさておき。私は約2年前から朱山さんのお宅に家政婦として、また宗教団体『光の調和団』の事務員として住み込みで働いているのです」

「朱山さんのところに!?」

「そうです。朱山さんもお年ですし、『光の調和団』の事務局長もご老人です。お陰様で家政婦としても事務員としても頼られています」

 白河氏が言う。

「あそこは、理沙さんが完全に掌握済だよ。あの口うるさい婆さんに、団体の表向きの運営者にならないかと打診されてるんだから。『光の調和団』は昔より信者数が激減して、今は爺さん婆さんばっかりの老人サークルみたいになってるけど、朱山の婆さんも面倒に思う事が増えたんだろうな」

「あのつまり、九条さんは白河さんのスパイとして……」

 九条さんが頷いた。

「眞琴さんの指示は、拝み屋としての朱山さんが何の目的で『メゾンあけやま2号館』を建てたのか、なぜずっと無人状態にしていたのかの理由を探る事です」

 白河氏が背中を伸ばした。

「あの団体を潰すための手がかりが、あの『メゾンあけやま2号館』にあると俺は考えている。けど公式に調べられる書類や帳簿はあっても、朱山の婆さんが拝み屋として何を考えて動いているかがわからない。だから理沙さんに依頼した。そしてひのかさんに『招待』してもらって、ようやく建物内と301号室に入って見られた訳だ」


 そうか、それで白河氏は内部事情に詳しかったのか。それにしても、復讐のために倉庫を借りて何年も見張って、その上潜入調査を画策して見ず知らずの私に声をかけて……私が複雑な思いで白河氏を見ると、私の表情で察したのかはっきりと言った。


「危ない橋を渡っている自覚はあるよ。何かあれば、俺が全て引き受けるから今は信用して欲しい」


 九条さんが静かに言った。

「『光の調和団』は小さな宗教団体です。信者さんからの寄付もわずかで、つつましくやってます。眞琴さんは潰すとは言ってますが、信者さんたちのためにも強引な事は私がさせません」

 白河氏は九条さんの発言を聞いても何も言わない。朱山さんと団体に対して復讐の思いはあっても、信者さんたちには恨みは無いからだろう……ご両親の事はともかく。


 私は、画家さんと話していた時の白河氏の真剣な言葉を思い出した。

 ――大丈夫。俺が絶対に切るから


 私はぐっと手を握り締めた。私だって、大家の朱山さんの何やら遠大で迷惑な計画に巻き込まれたんだ。踏ん張って覚悟を決めよう。

「わかりました。大丈夫です、白河さんと九条さんを信用して出来るだけお手伝いします」

 白河氏は小さく息を吐いた。

「ありがとう……でもひのかさんは十分に手伝ってくれたよ。とにかく、早急にケリをつけよう。これ以上ひのかさんを困らせたくないし、理沙さんへの依頼も早く終わらせないと兄貴に絞め殺される」


 九条さんが、これも作ってきたんですよ、と容器に入った丸いクッキーをピクニックバスケットから取り出して勧めてくれる。お菓子を作るのも修行中との事だけど、サクサクでこれまた美味しい。

 白河氏がクッキーを齧りながら言った。

「ひのかさんに『招待』してもらって建物と301号室を見たけど、建物全体は強力な事故物件みたいな感じだったな。朱山の婆さん、何を考えて幕を被せてモノを引き寄せまくってんだか……逆に301号室は、ひのかさんが快適に暮らせるように操作されている。俺は邪魔だと追い出されるような感覚があった。人形のサチヨも邪魔扱いされてたし。ひのかさんの友人の神代さんは大丈夫みたいだったけど」


 私は突然、引っ越しの日に大家さんが菜々子に向かって言った言葉を思い出した。

 ――あんたみたいに派手な娘はお呼びじゃないけどね。


 お呼びじゃないって、どういう意味か疑問だった。菜々子は一見派手ではあるけど、親しみやすい気さくな美人なのに。私がその話をすると、九条さんが言った。

「朱山さんが、私に言った事があるんです。ようやく見込みのある若い子が入って来る、やれやれだと。時期的に、天城さんの入居が決まった頃ですね。あの301号室の入居者に関しては、朱山さんも悩んではいたみたいです。ひのかさんにお会いして、素直で霊感があるから見込まれたんだなと思いました」

「つまり神代さんも邪魔か……守護が強い人だから追い出しはしなかった」


 白河氏は、しばらくの間考えてから言った。

「もう一つ気になるのは、ベランダ窓の外の世界を朱山の婆さんが完全にコントロール出来ているのか、だな。俺の気配を感じて出現したし……狙い通りではあったけどさ」

 白河氏がしかめ面になった。

「301号室に侵入して邪魔なモノを排除する行動。あれは婆さんがした事だろうけど、でも意図したことだったのかな……サチヨは『強い人形』だから室外に放り出せずに浴槽に放り込んだけど、何か曖昧で弱い」


 白河氏はもうひとつクッキーを齧った。

「何よりベランダ窓の外の世界は何もかもが歪すぎる。距離感も時間の流れもおかしかった。朱山の婆さんでも、あの世界に入り込むのは覚悟がいるはず。でも301号室の窓とは繋げているし切れないようにしている。あの洗濯機、あれは画家と画家が描いた世界を、此岸(しがん)に強引に縛り付けるために置いたのかもしれない」

 そういえば画家さん、洗濯機をとても気に入ってたっけ。


「あの画家の名前を知る必要がある。何もかも忘れているけど、名前で呼びかければ思い出して過去の事を話してくれるかもしれない」


 九条さんは、古い資料を調べて画家さんの名前を探してみる事になった。

「古い資料といっても、押し入れや納戸に書類が積んであるだけです。そろそろ夏ですし、私が全部虫干してきちんと整理する際に、一緒に調べて資料を作成すれば朱山さんは気にしません。電車飛び込みで亡くなったのなら、新聞記事なども調べてみます」


 白河氏と九条さんの打ち合わせが済み、倉庫の外に出る。私はご馳走様とお礼を言い『パディントン発4時50分』を読んでみますねと言った。九条さんは、今度の打ち合わせの時に又来てください。ジンジャーケーキを焼いて持ってきます、とピクニックバスケットを持って笑顔で去って行った。ルーシー・アイルズバロウの得意料理なのかな。


「いい人ですねえ、九条さん」

「うん。怒ったら怖いけど大好きな人だから、兄貴と合うだろうなと思って紹介したら会った瞬間一目惚れでさ。俺の目は確かだったな」

 大好きな人、と聞いてどきっとしたけど不思議に落ち込んだり、嫉妬めいた気持ちは湧いてこない。白河氏が九条さんを大好きならそれでいいや、と私は思った。


 少し歩いてから、突然白河氏が立ち止まり私の顔を見て言った。

「この夏で一旦ケリをつける。それまでに『メゾンあけやま2号館』の事がわからなかったら、理沙さんと一緒に撤収する。その後は、今度は俺がひのかさんのために動くから。朱山の婆さんとひのかさんの縁を俺が切って、ひのかさんを自由にする。約束するよ」

 私はどきまぎした。

「あのでも、白河さんの目的は……」

「別の方法を考える。ただどうも時間が無いような、切羽詰まった感覚はあるんだけど」

 大家の朱山さん、確かにお年だものなと私は考えた。

「俺さ、昔の事を話して、自分勝手だとひのかさんに嫌われたらどうしようかと心配してたから……安心したんだよね」

「いえそんな、嫌ったりしませんよ。そりゃ強引にもなるなと思いました」

 白河氏は笑った。

「うん。強引だったのは認めるし謝る。ともかくひのかさんが301号室に住んでいる間は、俺が全面的に守って怖い目に遭わないようにする。あと、朱山の婆さんには、ひのかさんを泣かせた分の仕返しだけはきっちりやるから。これは別口だな」


 私は嬉しいような恥ずかしいような気持ちになって、赤面した。



 その晩、私は早速購入した電子書籍版の『パディントン発4時50分』をスマホで読んでいた。確かにスーパー家政婦ルーシー・アイルズバロウは魅力的な登場人物だ。でもこの可愛い老嬢、ミス・マープルが白河氏ねえと面白がっていると、何やら外が騒がしくなった。画家さんの世界の物音かな? と顔を上げるとすぐ近くで消防車のサイレンの音がする。えええ!

 慌てて注意しつつ、6畳間からベランダに出て外を見た私はびっくりした。夜で良く見えないけど、向かいの『メゾンあけやま1号館』から煙が出ている。火事だ!


 一応部屋の鍵をかけ、上着を着てスマホを持って建物を出て見ると、道路には人だかりができ、パトカーも来て大騒ぎになっていた。幸い燃えたのは1階だけでボヤレベルだった。延焼は無さそうだけども、火事は怖いよ。大家の朱山さんの姿は、人混みの中のどこにも見えなかった。

 その時、「火炎瓶みたいな物が投げ込まれたらしい」という野次馬の声が聞こえた。じゃあ放火? と思った瞬間、私の眼前で『メゾンあけやま1号館』全体が激しい炎に包まれた。


 それは私の幻覚で一瞬で消えたけども、恐怖でガクガクと身体全体が震えた……。


 ともかく急いで『メゾンあけやま2号館』の中に戻る。ポストの上にざんばら髪の生首がいてぼーっとこっちを見ていたり、建物のどこからかバタンバタンとドアを激しく開け閉めする音が響くけど無視して部屋に飛び込んで、ほっとする。ここなら安全だ。とりあえず白河氏にメールをしておこう、と思いつつダイニングキッチンに入った私は、あれ? と思った。ちゃぶ台の横に座っていたサチヨさんがいない。

 どこかに移動したのか、それともまた何者かに浴槽に放り込まれたのか……こんな時に、と焦って「サチヨさん!」と呼びかけた私は次の瞬間「ぎゃー!」と悲鳴を上げた。

 サチヨさんがどこからか空中移動をしてきて私の顔に勢いよくぶつかり、へばり付くような状態になったのだ。

「ちょっとサチヨさん! やめてよね!」

 両手で持ち上げて顔を見ると、サチヨさんの表情は何やら猛烈に不満そうだ。えーと何が欲しいんだろう?


 座り込んで困っていると、スマホに着信音がして白河氏からのメールが届いた。

<サチヨが、俺にひのかさんの実家に連れて行けと言ってきた。どうしてもやる事があると主張している。来週の日曜日に一緒に行ってもらえるかな?>

※参考書籍

アガサ・クリスティー

電子書籍版『パディントン発4時50分』(クリスティー文庫) 早川書房


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