10:あちらとこちらを見張る者
奇妙で強烈な画家さんの世界を思い出して良く眠れなかったけど、何だか様子が変だった市松人形のサチヨさんが元の無表情に戻っていたのでホッとした。
日曜日の朝は快晴で、久しぶりに6畳間のカーテンを開けて万年青の鉢植えにたっぷり日光を当ててやる。白河氏が結界を張ってくれたお陰か、確かにカーテンを開けても外の眺めが気にならない。
今日帰る予定の菜々子は、のんびりと朝ごはんを食べつつ私に言った。
「結論として、白河さんはちょっと胡散臭いけど真面目で良い人みたいだね。でもねえ、お金とか何とか怪しい事を言い出したらすぐに逃げてよ」
私はコーヒーカップをぐぐっと握って、上目遣いで反論した。
「そんな人じゃないってば! それにちゃんとした恋人がいるかもしれないし」
以前見かけた、スーツを着た美女と親し気に話していた姿を思い浮かべる。菜々子はソーセージをもしゃもしゃ齧りながら言った。
「私の自慢の勘によると、そういう人はいないと思う。まあともかく、ひのかも独り立ちしたんだし後悔しないように頑張れ」
何をどう頑張ればいいんだ、と思いつつ一応素直にうなずいておいた。
昼頃、今度は温泉旅行だからね! と宣言して去って行く菜々子を最寄り駅で手を振って見送る。帰宅途中にスーパーに寄って買い物をしようかと思ったけど、冷蔵庫にあるもので適当に済ませる事にした。昨夜の事もあって、何だかどんよりと疲れている。
私は男性ときちんと付き合った経験が無い。
子供の頃から異性が苦手だった。友人の菜々子や同性なら強気に言い返したり出来るけど、同年代の男性とは今もうまく話せない。恋愛や彼氏などにはずっと興味も縁も無くて、別にそれでいいやと思っていた。
だからあの時、初対面の白河氏にいきなり引っ張られて喫茶店まで付いて行き、お喋りしたり文句を言ったり、その後色々相談している自分がちょっと信じられない。
白河氏に恋愛感情を持っているのは自覚した。けど。恋愛感情というものが初めてなので、どうしていいかわからない。
でもそれより、今の私は何だか頼りっぱなし、迷惑のかけっぱなしの存在でしかないようで気が重い。霊能者として対応する白河氏は真剣で、最後は動けなくなるぐらい疲労していた……私はせいぜい霊感しか無いけど、少しぐらい手伝えないだろうか。気さくだけど大人びている白河氏から見たら頼りないだろうけど……。
考え込みながら歩いていた私は、いきなり「ひのかさん!」と声をかけられて飛び上がった。白河氏!?
びっくりしつつ嬉しくて声がする方に顔を向けた私は、そのまま固まってしまった。
私の方に片手を上げて近づいてくるのは、間違いなく白河氏だ。でも服装が。
いつも黒づくめの垢ぬけたお洒落なファッションで目立っていたのに、今日は黄色と赤色の鮮やかな花柄のシャツに白いチノパン。陽光に映えてド派手に目立ちまくっている。目立ちすぎだ! おまけに背が高くて似合っている分、どういう訳か胡散臭さが100倍増しだ。菜々子がこの場にいたら、両眉が上がって白河氏の評価が激変確実だよ。
「昨夜はどうもお邪魔しました。んで何? 目を真ん丸にして。妙なモノでも見たの?」
「いえ、いつもと服装があまりにも違い過ぎてびっくりしただけです」
「ああ、今日は気楽な普段着で来た」
「……普段着ですか」
「あれ? このシャツお気に入りだけど、似合ってない?」
「いえ、とても似合っています!」
私は急いで断言した。
「そりゃ良かった。それで、これから俺と一緒に来てもらっていいかな。すぐそこだから。見せたいものと話したい事がある。時間は大丈夫?」
「あ、はい、大丈夫です」
「じゃ、ついてきて」
私に背を向けて、細い横道を歩き出す白河氏の背中に、長い髪をざっくり結んだ馬のしっぽのような髪が揺れる。
「今日は三つ編みじゃないんですね」
「うん、今朝は編んでくれる人がいなくてね。自分じゃ上手く編めないからそのまま」
そっか、やっぱり毎朝編んでもらってるんだ……と思った時、白河氏が足を止めた。本当にすぐそこだった。くすんだ銀色の真っ直ぐな外壁、真四角な2階建ての大きな建物。どう見ても倉庫だ。
白河氏は建物に近寄ると、横手のドアの鍵を開けながら言った。
「ここは俺が借りてる倉庫。名義は知人だけどね」
後に続いて中に入ると、何も無いガランとした空間が広がっていた。窓が幾つもあるので、中は十分に明るい。隅に幾つかのパイプ椅子と長い机と段ボール箱が数個置かれている。
「倉庫なのに何も無いんですね」
私の勤め先の、荷物がぎっしりで採光窓も塞がりかけている薄暗い倉庫を思い出しながら言うと、白河氏は窓を開けながら笑った。
「実は俺の隠れ家。住んでいるのは別の所だけど、用があると何日か籠る。一応洗面所もあるし、風呂や飯は何とかなるからね。夏は寝袋で寝るけど、真冬はテントを張ったりするよ」
私はへええ……と思ってから、ふと気が付いた。
「私のマンションからも近いですね」
白河氏はちらりと私の方を見てから、天井を見上げて言った。
「今お茶は出せないけど、もう少ししたら知り合いが色々持ってきてくれるから。その前に見せたいものがある」
壁際の鉄製の階段を上って同じように何も無い薄暗い2階に上がり、そこから建物の外側の階段を上って屋上に出た。地面の照り返しで眩しく、低い柵の向こうに街並みが広がる。白河氏が指差した。
「ほら、あれ。ひのかさんのマンション」
私はそちらを見て、予想はしていても驚いた。
「うわ、すぐそこじゃないですか」
黒い霧がかかったような『メゾンあけやま2号館』の正面側が良く見える。私の301号室の窓は見えないけど。
「うん。ここからあの建物を見張ってた」
「見張ってた?」
白河氏は別の方角を指差した。
「あの建物。でっかいアンテナが屋根にたってる大きな平屋。あれが朱山の婆さんが住んでいる家」
私はびっくりした。
「大家さん、あの家に住んでたんですか? 私、散歩の時に前を通ったことがありますよ。野良猫がいっぱいいたので、覚えてます」
高い塀に囲まれた古くて陰気な感じの家で、確かに道路からでもアンテナは目立っていた。だけど大家さんが住んでいるとは知らなかった。表札なんか気にしないし、お金持ちだから立派な一戸建てか高級マンションに住んでいるとばっかり思ってた。
白河氏は、ふう、と小さく息を吐いてから言った。
「あそこは、拝み屋をやってる婆さんが代表の『光の調和団』の本拠地でもある」
――光の調和団??
「それは、宗教団体みたいなものなんですか?」
「そう。俺はあの家をずっと見張っていた。ぶっ潰すためにね」
倉庫の1階に戻り、パイプ椅子に座った白河氏は、向かいに座った私に落ち着いた声で話し始めた。
「発端は、俺の親父。親父には霊感があったけど、大したことは無かった。でも霊能力者の真似事をして他人の相談に乗ったりしてた。修業とかを嫌がったくせに、相談者の感謝や尊敬の念を欲しがったわけだ。そこを朱山の婆さんに付け込まれた。
朱山の婆さんは親父を持ち上げ、『光の調和団』の幹部に仕立てた。信者の人たちに囲まれて有頂天だったよ……その頃には、母親も団体に所属して夫婦で言いなりだった。親父はそこそこ裕福だった家の金をどんどん寄付して、あちこちに借金までして寄付をした。それでも足りなくて親父はとうとう勤めていた会社の金を盗んで、発覚した。だけど全額返済を条件に、警察沙汰にはならなかった」
白河氏は、一旦言葉を切って横を向いた。
「捕まれば良かったんだよ……親父は自分は運が悪かっただけと、全く反省しなかった」
黙って聞いていた私は、その苦々しい口調に胸が痛んだ。
「俺は10歳だった。その頃から色々とモノが見えていた。朱山の婆さんの事もね……だから親父を非難し、あの団体と縁を切ってくれと泣いて懇願した。それを知った朱山の婆さんは、俺を絶縁して家から出せと親父に申し渡した。全ての諸悪の根源は、お前の息子の眞琴だ、このままならいずれ団体全体に害を及ぼす存在になるとね」
「そんな酷い……」
「両親は、朱山の婆さんの言う事に従った。親父にもうお前は息子じゃないとはっきり言われ、家を出された俺は、父方の祖母の家に引き取られた。祖母はとっくに親父とは縁を切っていたけど、孫は哀れに思って受け入れてくれた」
私を見る白河氏の目が冷たく光った。
「そこまではまだ仕方ないと我慢できた。俺も子供なりに諦めて、親父を見放していたしね。だけど、その時。兄貴……5歳年上の兄の勇一が、親父に猛反発して俺と一緒に家を出た。絶対に弟を独りにしたりしないと言い張ってね。親父は長男である兄は引き留めようとして、俺は悪運を招く存在だと言った。でも兄は、親父に向かって眞琴にひどい事を言うなと俺を庇い、兄ちゃんは絶対にお前の味方だと言ってくれた」
白河氏はメガネを外すと目元を揉むようにし、私はそっと視線を逸らした。メガネを掛け直し、白河氏はきっぱりと言った。
「俺たち兄弟を引き取ってくれた祖母には、もちろん感謝してる。だけど今なら良くわかる。15歳で泣き虫の弟を支える事になった兄貴がどれだけ大変だったか。でも兄貴のおかげで俺は何とか生きてこられた。だから俺は、親父と朱山の婆さんごと『光の調和団』をぶっ潰して復讐する。兄貴にとんでもない苦労をさせた報いを絶対に受けさせる。それが俺の目的」
私がどう言えばいいのか迷っていると、白河氏が立ち上がって首をぐるぐる回した。
「なんか辛気臭い長話になってごめん。でもひのかさんには事情を知っておいて欲しかったから」
「いえ、聞かせてもらって良かったです……それで、ええっとお祖母様は今は?」
あやうく、ご両親は? と尋ねそうになって焦って言い繕う。
「祖母ちゃん? 元気元気。大相撲の熱烈なファンで何とかって力士の追っかけをやってる」
白河氏は腕時計を見た。
「俺の眞琴って名前はさ、兄貴がつけてくれたんだよ……そろそろ時間だな」
その時、入り口のドアが開き、声がした。
「眞琴さん?」
落ち着いた、良く通る女性の声で、私はどきりとした。白河氏が、そちらに歩いて行きながら声をかける。
「お疲れさん。腹減ったー。お客もいるよ」
白河氏と並んで歩いてくる女性……やっぱりそうだ。あの時、親し気に立ち話をしていたボーイッシュな雰囲気の美人だ。
今日も濃紺のビジネススーツを着て、ピクニックバスケットらしき物を持っている。白河氏のためのお弁当だろうか。ヒールでコツコツと音を立てながら私の方に真っすぐにやって来るので、急いで立ち上がる。どう挨拶すればいいのか迷い、とりあえず黙っておく。
「お客様とは、この方ですか」
……妙に丁寧というか堅苦しい言い方だな。無表情で感情がわからない。嫌がられてるのかもしれない……。
「例の天城ひのかさん。都合が良かったので来てもらった」
女性は、白河氏には直接反応せず、固くなっている私に向かって言った。
「どうぞ、お掛けください」
私が大人しくパイプ椅子に座ると、女性はピクニックバスケットを長机の上に置いて白河氏に顔を向けた。
「このような場所でこのように突然では、きちんとおもてなしできませんね」
「別にいいよ。今日は顔合わせだけで」
「眞琴さんは良くても、私は困ります」
確かに親し気なんだけども、どうも女性の方に迫力があるというか何というか。
女性が音を立てずに私の向かいのパイプ椅子に姿勢良く座り、観察するように全身を見るので緊張する。本当に白河氏とどういう関係なんだろう。私、まだこの場にいていいのかな……2人きりになりたいんじゃ……。
「とても素直そうな方です。ウサギのように可愛いらしい。だから見込まれたようですね」
女性が頷いてから妙な事を言い、白河氏が女性の横のパイプ椅子に座る。
「素直だから朱山の婆さんに騙された。ドジっ娘さんだよ」
白河氏が軽口をたたいた瞬間、女性が目にも留まらぬ早さで手を伸ばし、白河氏の頬をぎりぎりとひねり上げた。はいいい?
「眞琴さん。あなたは霊能者としては喋りまくるのに、それ以外では肝心な事は喋らず皮肉ぶって誤魔化す。悪い癖です」
「いだだだ! 仕方ないだろ! 事情とタイミングってもんが」
「事情? タイミング? 一番大切な方に不安な表情をさせるなんて最低です。そもそも、天城さんに私の事を何も説明していませんね」
「だって、姉ちゃんって呼んだら怒るじゃないか!」
え、姉ちゃん? 女性はようやく手を離し、目を細めて白河氏を見た。
「当然です。私は勇一さんの婚約者で半同棲をしているにすぎません。婚姻関係に無く、妻ではありませんから義姉及び姉ちゃんという不正確な呼び方は断固拒否します」
「今の台詞、兄貴が聞いたらショック死するぞ」
「これぐらいの発言内容で人間は死にません」
やれやれと頬を撫でながら、白河氏がポカンとしている私に言った。
「ひのかさん。この人は俺の知り合いで、仕事仲間で、兄貴の婚約者。有能で料理が上手くて、冷静冷酷で情け容赦がない」
お兄さんの婚約者さんだったのか。胸の奥でホッとしたけど、しかし強烈な人だな。女性は白河氏を無視して、どこからか手品のように名刺を取り出し、美しい所作で私に差し出した。
「あらためてご挨拶を。初めまして、九条と申します。眞琴さんからいつも天城さんの事は伺っています」
私は、慌てて小さな花が印刷された上品な名刺を受け取った。
【便利屋 家政婦 九条理沙】
便利屋? はともかく、家政婦? 白河氏の仕事仲間なのに霊能者じゃないんだ。
「あの、名刺に家政婦とありますが、九条さんのお仕事は家政婦さんなんですか?」
私の疑問に、九条さんは両手を胸の前で組み、輝くような笑顔を浮かべた。
「私は、ルーシー・アイルズバロウに憧れて家政婦になったのです。天城さんは彼女をご存じですか?」
「……すみません、全然知りません……」
私が小声でそう言うと、白河氏が愉快そうに笑い声を上げた。




