終章 流れる河 3
ライトバンのアイドリングの音が聞こえる。健造さんがエンジンをかけたんだな。
「うんもう白瀬くん、せっかく来てもろたのに十岐川に落っこちるなんて、ついてなかったねぇ。これに懲りずに、また吉野瀬遊びにきてちょうだいよ?」
瑞穂さんは親戚のおばちゃんのように僕の背中をぽんぽんと叩く。
「おうぃ、白瀬くん、乗んな」
健造さんの熊のような声が響いた。僕と沙耶はガレージの方へ駆けていった。
健造さんとはあの川辺でのやりとり以来、ほとんど会話はない。もちろん、狐の面を被ってバケネコ退治の真実を喝破したのが僕だということはみんな分かっているだろう。ただ、なんとなくそれに触れにくい雰囲気があった。
「白瀬くん」
「なんでしょうか」
「娘を‥‥助けてくれてありがとう」
「いえ、体が勝手に動きまして‥‥」
「もしあの晩、沙耶を失っていたとしたら、俺は一生立ち直れなかっただろう」
健造さんは神妙な面持ちで言った。
「沙耶、白瀬くんはなかなか見どころがあるよ。気に入った。来年も連れてくるといい。白瀬くんなら俺も安心だ」
「ちょっと、お父さん!何言ってんのよ」
「なんだ、本当にまだ付き合ってねえのか。もう沙耶の方から告っちまったらどうだい」
沙耶は助手席から健造さんをグーパンチしている。
「おっと、ただひとつ忠告がある。白瀬くん、もし中途半端な気持ちで付き合って沙耶を泣かせるようなことがあれば‥‥」
「また川へ還すんですか?」
健造さんはにやっと笑った。
「いや、それはしねぇと決めた。川の堤防にでもセメントで埋め込んでやるさ」
常ノ口駅で電車に乗り、ボックスシートに二人で腰掛けた。
「すっかりお父さんとも打ち解けたね」
沙耶が呆れた調子で口にする。
「ま、僕も一度健造さんの殻に入ったからには他人とは思えない親近感があってね。来年は十岐時雨で酌み交わしたいな」
「来年って、また来年も来るつもり?」
「健造さんも歓迎するって言ってくれたし」
「あのねぇ!お父さんはさ、私たち付き合ってると勘違いしてんのよ?来年もまた来たら誤解が解けないでしょ!」
「誤解、じゃなくなればいいんじゃない?」
「‥‥えっ?」
沙耶の顔が真っ赤に染まる。
「沙耶」
僕は居住まいを正して沙耶に話しかけた。
「‥はい」
「真剣な話をするから聞いてくれ」
沙耶は黙って頷いた。
「‥レポート課題、全然進んでない」
沙耶は真っ赤な顔のまま、無言で僕にチョップを浴びせてきた。
「いてっ!」
車窓からは常ノ口町域を走る、少し太い十岐川の川筋が見える。あの河が血で濁ることはもうないだろう。川は、確かに再び流れ始めた。もう「同じ日々の繰り返し」ではなく、まだ見ぬ未来の海へ、また遥かなる旅路の始まりだ。
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あと1話で完結です。




