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廻る刻の河  作者: 餅丸
第六章 還る狐
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第六章 還る狐 6

 猪俣神主はようやく手記を読み終えたようだ。その目は潤み、月光を浴びて光が反射していた。

「ありがとう、閨狐の若者よ。私はここに至って、ようやく自分のなすべき事が見えた気がします。あれだけの書物が、根拠があって、この真実にたどり着けなかったとは、今までの自分がまるで目隠しをして過ごしていたようだ」

 憑き物が落ちたような表情で僕に語りかける。

「川は滅するにあらず、ただ還す。川は罰するにあらず、ただ赦す。―猪俣家に伝わる成句です。その意味がやっと分かりました。十岐の祭祀を司る家門として、猪俣は当代よりバケネコ還しの私刑に一切関わらないことを誓おうと思う」

 猪俣神主は毅然とした声でそう宣言した。


「私は、そう簡単に納得できない部分がある。川名さんもそうだろう。私たちはバケネコによって身近な人間を喪ってきた。経緯はともかく、バケネコ退治はこの村の秩序を守ってきたはずだ。良し悪しではない。この村にとって正しいか正しくないか、ではないのか?」

 瀬森村長はそう言い返す。

「そう、よく知っています。私はあなた(・・・)でしたから。あなたがどのように井灘七瀬さんを喪い、バケネコ退治の務めを『正しいもの』と思うようになったか、私は他人事ではなく自分のことのように実感をしている。ただ、ひとつあなたが知らない真実を私は知っています」

 僕はポケットから髪飾りを取り出した。

 瀬森村長の顔が、最初は記憶を辿るように惑っている様子だったが、急に目を見開いた。

「な、な、七瀬姉にあげた髪飾りを‥‥なんで君が持ってるんだっ!」

「僕は、これを井灘七瀬さんのお父さん、精一さんからお預かりしてきました。七瀬さん、見つかった時これを握りしめていたんだそうです」

「なんで、この髪飾りを‥‥?」

「精一さん、言ってました。『小羽根のやつに傷つけられて、七瀬はしばらくふさぎ込んでいたんだが、高嗣くんがものすごく怒ってくれて、それで吹っ切れた様子だった』と」

「じゃあなんで七瀬姉は死んだんだ!?」

「あの日の夕方、七瀬さんは『高嗣がくれた髪飾りを落としちゃったかも。川辺に探しに行ってくる』と言って出ていったきり戻らなかったそうです。髪飾りを落としてしまい、探している最中に川に流された―そうは考えられませんか?」

「‥‥」

「『救えなかった』?違います。あなたの言葉で、あなたの髪飾りでとっくに七瀬さんは救われていたんです」

 今度は瀬森さんが髪飾りを握りしめている。そうだ。瀬森さんが正しい道へ戻って来るには、七瀬さんの力が必要だ。

「とっくに救われていたのに、小羽根を、バケネコを落とす、還す必要はあったのでしょうか?それは、村人たちが、あるいは瀬森と川名の両家が、正義を遂行した気になりたかったのではありませんか?」

 僕は敢えて言葉を選ばずに言った。

「あなたは、川辺で泣いていた七瀬さんにこう言ったはずです。『あいつ、どこや』『一発ぶん殴る。ほんで七瀬姉に土下座させる』。それがあなたに流れる瀬森の血の、心からの声ではないですか?この村を大事に思う。この村の人間を傷つけることは許さない。いっそ、一発ぶん殴って謝罪させたらよかったのかもしれません。少なくとも、神威を借りて行使する暴力など、まっすぐなあなたらしくない、迂遠で姑息だと今はそう思いませんか?」

「‥‥そうかも、しれない」

「川は罰するのではなく、還すのです。この髪飾りも二十五年の時を経てあなたの手に還ってきた。あなたも、本来の自分の姿に還るべきです。本来のあなたには、こんなねじ曲がった神威の力を借りずとも村の秩序を守る力があります。事実、この二十五年、バケネコを還さずとも村は平和に発展してきたではありませんか」

 瀬森村長は数秒の沈黙の後、ゆっくりと口を開いた。

「‥‥ふっ、これは一本取られたな。君の言う通りだ。ようやく思い出したよ。小羽根が実はバケネコで、川に落ちて死んだと聞いた時、『もしあいつがバケネコやったんなら、神様やなくて俺が川へぶち落としてやりたかった』と思ったんだ。神頼みや天罰を頼りにする村の連中や親父が、当時は許せなかったのに、今では神威をかさに着た私刑の行使を肯定している。これでは、七瀬姉も天国で失望しているだろう」

「まだ、遅くありません。当代の瀬森も猪俣も川名も、まだ(・・)バケネコを直接的に断じ、還したことはありません。少なくとも、今の時点では」

「わかった。川名さん次第ではあるが、私も君の考えに賛同しよう」

 瀬森村長は僕の目を真っすぐに見てそう言った。


 あとは健造さんだけだ。

お読みいただきありがとうございます。

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