第六章 還る狐 5
猪俣さんは僕から手記を大事そうに受け取ると、街灯の灯りでそれを読み始めた。
「あの手記は明治期の十岐神社宮司、猪俣範頼氏によって書かれたものです。猪俣さんがあれを読んでいる間、何が書かれているか簡単にお伝えしましょう」
僕は手記の大意を説明した。閨狐退治の風習は明治期に入り廃れたこと。明治期の若い宮司が社務所に忍び込んだ盗人と揉み合いになったこと。賊を誤って川へ落としてしまったこと。それを見ていた瀬森・川名によって、賊が『バケネコ』として仕立て上げられたこと。それから、トラブルを起こした人間が瀬森・川名によって『バケネコ』として川に落とされるようになり始めたこと。その額には閨狐紋の傷をつけられ、神罰のように装われたこと。その宮司は人間が人間を『バケネコ』と断じることに抵抗を覚えたが、発端が自分であるという自責から止めることができなかったこと、またそれを強く悔いていること。
当事者とも言える瀬森村長、健造さんは困惑の表情だ。
沙耶が口を開く。
「でも、どうしてバケネコは必ず川へ落とされるの?さっきのバケネコ‥じゃない、閨狐の起源の話では川の話は出てこなかった。村人が嫉妬して迫害したり殺したりした、とはあったけど」
いい質問だ。ちゃんと沙耶は『自分の役割』を果たしている。
「そうだね、これも誤解なんだが、本来閨狐が川へ落とされるのは罰ではないんだ」
「罰ではない?川へ突き落とされているのに?」
「瀬森さん、バケネコを川へ突き落とすことをあなた達は何と表現します?」
「‥‥?」
「川へ還す、と。そう言うんですよ」
僕は川をちらりと見る。
「さっきの『十岐奇談拾遺』には続きがあります。閨狐は虐げられ迫害される過程で、防衛本能、ある種の生存戦略からか一つの能力に目覚めます。それは、自分を殺した加害者の精神を乗っ取ることです。この名残は、『代官とむすめ』の説話に伝えられています。娘を苛んで死なせた代官が娘のたたりで気が狂ったと。そして娘の霊を鎮めるため、その代官を処刑したのにまた処刑した人間が狂ったと。それもそのはずです。これは、被害者が加害者に乗り移る呪いだ。加害者を罰するということは即ち被害者を再び苛むことになるからです」
「その理屈が正しければ、咎人を見過ごすか、全滅するまで終わらないじゃないか」
瀬森村長が声をひねり出すように言う。
「そうです。だから、十岐神社の宮司―これは猪俣範頼氏よりもはるか先代の方ですが、十岐川の清き流れの神力によってこれを解決しようとしたのです」
「神力?」
「十岐川は時、刻に通じます。十岐神社の宮司は、閨狐の取り憑いた人間をこの川の力によって時渡りさせ、そもそも閨狐が殺される前からやり直させる。そう考えたのです」
「そうか、だから殺される前に『還す』のか」
「その通り。でも、それだけじゃありません。この十岐川の神力は、時を戻すことはできても乗り移りを無かったことにはできなかった。すると、どうなるのか?加害者に乗り移ったまま、過去に戻ってしまうんです」
そう。だから、また還さなきゃならない。
「例えば、いまここで僕が瀬森村長に突き落とされるとしましょう。僕は瀬森村長の魂に乗り移ります。瀬森村長の元々の意識は深層心理に閉じ込められて表には出てこれません。そのまま、2日前に時渡りをします」
僕は瀬森村長の方を向きながら続ける。
「殺されないようにする方法は簡単です。僕は瀬森村長に乗り移っているんだから、ただ僕が殺さなければいい。それでこの呪いは解決する。そうでしょうか?」
「そうなったら、元々の私は‥‥どうなるんだ?」
そう、そのとおりなんだ。僕は深く頷いた。
「乗り移られた人の魂は犠牲になってしまう。だから、これは本当の解決ではない。では十岐川はどうするのか。魂を元の場所に還すのです」
ここは少し難解なところだ。
「先ほどの例でいいましょう。僕は瀬森村長に殺され、あなたに乗り移ったとします。その後、今度は僕が瀬森村長を殺します。するとどうなるか?瀬森村長の中に入った僕の魂は加害者である僕の意識を乗っ取る。つまり、もとに戻る―還るのです」
「そんな、馬鹿なことが‥‥」
「起きるんです。いや、起きたのです。事実、僕はこの夏祭りの夜を既に5回経験している。瀬森さん、あなたにもなったし、健造さん、あなたにもなった。そして、猪俣さんにも沙耶、君にもなった」
僕は4人を見回す。
「話を続けます。もとに戻った状態で、誰にも殺されないように立ち回り、過ごすことができれば‥‥?閨狐は殺されていないし、乗り移りも起きていない。ここまでの条件が整って初めて、閨狐は還されたといえます。すなわち、十岐川の時渡りの力は発動せず、ようやく本来の時間が流れ始める」
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