第3話 六人分の物資
王城の記録保管室を出たエリアスは、その足で遠征隊の物資を管理していた兵站部へ向かった。
公式記録にリゼットの名前はなかった。出発時の名簿にも、帰還報告にも、彼女の存在を示す記述は見当たらない。書類を何度読み返しても、結果は変わらなかった。
それでも、六人で旅をしたという記憶は消えなかった。
記憶だけを根拠にしていては、いずれ自分自身の確信まで疑わしくなる。エリアスはそのことを理解していた。記録係にとって、記憶は調査の出発点にはなっても、結論にはならない。だからこそ、別の角度から確かめる必要があった。
人間の記憶には、曖昧な部分がある。名前を忘れることも、順序を取り違えることもある。しかし、物資の数量は違う。誰が何を食べ、どれだけの薬を使い、どの装備を消耗したのか。そうした記録は、実際に旅をした人数や行動に左右される。
もし本当に五人しかいなかったのなら、五人分の物資が用意されていたはずだった。
兵站部は王城の北側にあり、遠征や軍の移動に関わる物資の管理を一手に引き受けていた。建物の前には荷車が並び、倉庫からは木箱を運び出す兵士たちの声が聞こえていた。討伐隊が帰還したことで、使い終えた装備や余った物資の返却も始まっているらしい。
エリアスが受付で用件を伝えると、担当の兵士は少し驚いた顔をした。
「魔王討伐の遠征記録ですか。昨日、帰還報告は提出されたと聞いていますが」
「その記録ではなく、出発前に用意した物資と、旅の途中で補給した数量を確認したい」
「物資の記録なら、倉庫の管理帳簿と遠征隊への支給票があります。少々お待ちください」
兵士は奥へ引っ込み、しばらくして一人の女性を連れて戻ってきた。年齢は三十代ほどだろうか。袖をまくった服には薄く埃がつき、腰には鍵束が下がっていた。
「私が今回の遠征隊の物資を担当しました。何か不足がありましたか?」
「不足ではない。支給された物資の数量を確認したいんだ」
「討伐隊の分ですね。こちらへどうぞ」
彼女に案内され、エリアスは帳簿を扱う部屋に入った。棚には分厚い台帳が年代ごとに並び、机の上には返却された装備品の一覧が置かれていた。室内は倉庫より静かだったが、窓の外からは荷車の軋む音が絶えず届いている。
担当者は棚から一冊の帳簿を取り出した。
「出発時の支給記録です。食料、飲料水、薬品、予備の装備品。それぞれ数量を記録しています。途中の補給については、こちらの別帳簿にまとめてあります」
エリアスは礼を言い、まず出発時の支給記録を開いた。
食料の項目には、保存肉、乾燥した豆、硬いパン、塩、干し果物などが並んでいた。旅の期間や進路が確定していなかったため、余裕を持たせた数量が用意されている。水袋も人数分だけでなく予備が含まれ、薬品は想定される負傷者の数に応じて多めに支給されていた。
ひと目見ただけでは、何もおかしくない。
エリアスは自分の手帳を横に置き、帳簿の数字を書き写し始めた。支給された食料の量。水袋の数。包帯や消毒薬の本数。携帯用の火起こし道具。夜営用の道具。それらを項目ごとに分け、記録に残された遠征日数と照らし合わせていく。
計算そのものは難しくなかった。難しかったのは、何を基準に数量を判断するかだった。
食料は予備を含めて多めに支給される。負傷者が出れば薬品の消費は増える。道中で獲物を得たり、町で追加の食料を購入したりすることもある。余った物資を返却したからといって、支給時の人数がそのまま分かるわけではない。
単純に食料の量だけを見て、六人分だったと断定することはできなかった。
エリアスは焦らず、ほかの項目も確認した。
水袋は、支給時に六つ用意されていた。五人分に予備を一つ加えたと考えることもできる。携帯用の食器は六組だったが、これも予備を含めた可能性がある。野営用の毛布は五枚。火起こし道具は二組。数だけを見れば、五人の遠征隊として不自然とまでは言い切れなかった。
期待したほど明確な証拠は見つからない。
エリアスは手を止め、帳簿の最初のページへ戻った。
支給記録には、物資を受け取った者の署名が並んでいた。勇者アルト、治癒師セレナ、魔術師ノエル、戦士ガレク、そしてエリアス。そこには確かに五人の名前があった。
しかし、署名の下には、受領確認のための小さな欄が設けられていた。支給品の数量を照合し、受領者が確認したことを示す欄だ。そこに記された数字を見て、エリアスは眉を寄せた。
支給品の一部に、受領者の人数と合わない数量が記載されていた。
水袋は六つ。食器も六組。だが、毛布は五枚だった。
帳簿の誤記かもしれない。予備の品が混じっていたのかもしれない。エリアスは数字を写し取り、担当者に尋ねた。
「この水袋と食器は、なぜ六つずつ用意されている?」
担当者は帳簿を覗き込んだ。
「遠征隊の支給品ですね。確かに六つずつになっています」
「名簿では五人だ」
「ええ。名簿上はそうなっていますね」
彼女は帳簿の数字を指でなぞった。すぐに答えが出ると思っていたのか、少し考え込んだ。
「予備を含めていたのかもしれません。水袋は破損することがありますし、食器も落としたり、壊したりすることがありますから」
「その場合、予備と分かるように記録するのではないか?」
「通常はそうです。ただ、出発前の準備では、細かな品目まで個別に理由を残さないこともあります」
説明としては妥当だった。
エリアスはそれ以上、彼女を問い詰めなかった。帳簿を作成した本人ではないかもしれないし、支給時の事情をすべて覚えているとも限らない。記録に残っていない理由を、担当者の記憶だけで補うことはできなかった。
彼は次の帳簿を求めた。
途中の補給記録には、出発後に立ち寄った町や村の名前が記されていた。食料を買い足した日、薬品を補充した日、装備の修理に必要な材料を受け取った日。遠征隊がどこを通り、どこで足を止めたのかを追うことができる。
エリアスは手帳に記した旅程と、補給記録を一つずつ照合した。
最初の町では、保存肉と乾燥豆が追加されている。次の村では、包帯と消毒薬が補充されていた。山道へ入る前には、食料と水がまとまった量だけ購入されている。どれも、長い旅を続けるために必要なものだった。
だが、数量には小さな偏りがあった。
食料の購入量が、記録された人数と旅程から予想される消費量よりも、わずかに多い。水の補給も同じだった。薬品については負傷者の数によって変わるため判断できないが、食料と水は何度か、五人分として計算するには余裕がありすぎる量が購入されていた。
一度だけなら、珍しいことではない。店に残っていた品をまとめて買ったのかもしれない。次の町までの道が予想より険しくなり、余分に持つことを決めた可能性もある。
しかし、同じ傾向が複数の場所で繰り返されていた。
エリアスは、補給記録の端に書かれた注記を見つけた。出発から数週間後、ある宿場町で食料を受け取った際の記録だった。
購入量の横に、短い文字が添えられている。
「人数分を追加」
その下には、数量を確認した者の署名があった。文字は古く、筆跡もほかの記載とは異なっていたが、読み取ることはできた。
エリアスはその一文を見つめた。
人数分。
何人分とは書かれていない。五人分とも、六人分とも記されていなかった。単に不足を補うための追加購入を意味する言葉かもしれない。これだけでリゼットの存在を証明することはできない。
それでも、彼はその記述を手帳に写した。
「その記録を書いた人間は、今もここにいるだろうか」
担当者は首を傾げた。
「当時の担当者ですか。異動した者もいますし、退職した者もいます。名前が分かれば調べられるかもしれません」
「分かった。あとで確認させてほしい」
エリアスは帳簿を閉じず、さらに先のページへ進んだ。
旅の後半になると、物資の補給は少なくなっていた。道が険しくなり、立ち寄れる町も限られていたためだ。魔王城に近づくにつれ、記録は簡素になり、購入品の種類も減っていく。
その中に、妙な記載があった。
魔王城へ向かう最後の補給地点で、保存食が通常より多く購入されていたのだ。数量は五人分として見積もった量を明らかに上回っていた。だが、備考欄には人数の記載がなく、購入理由も残されていない。
エリアスは前後の記録を確かめた。遠征隊が長期間の移動を予定していたことは分かる。しかし、記載された日程だけでは、これほど多くの食料を必要とする理由が見当たらなかった。
「この購入量について、何か分かることはあるか」
担当者は帳簿を確認し、困ったように口元を引き結んだ。
「この時期は、魔王城へ向かう道が分からず、進路を何度か変えたと聞いています。予定より長く移動することになったのなら、食料を多めに用意したのかもしれません」
「その話は、どこから?」
「帰還報告に書かれていたはずです」
エリアスは返却された帳簿を手元に引き寄せた。公式の帰還報告には、魔王城へ至るまでの道程が簡潔にまとめられている。だが、細かな進路変更についてはほとんど触れられていなかった。
進路が分からなかった。それなら、なぜ最終的に魔王城へ到達できたのか。
その疑問は昨日から彼の中にあった。アルトが祝勝会で口にした問いも、同じところにつながっている。魔王城へ至る道を、誰も正確に説明できなかったのだ。
エリアスは食料の購入記録をもう一度見た。
この量は、五人の遠征隊が予定外の移動に備えた結果かもしれない。あるいは、別の理由があったのかもしれない。今の段階では、どちらとも決められなかった。
だが、五人分という記録だけでは説明しきれない数量が、複数の帳簿に残っている。
それは、彼の記憶とは別の場所に存在する事実だった。
エリアスは必要な数字と注記を手帳に書き写し、最後に帳簿の番号を記録した。担当者に礼を述べ、閲覧した書類を元の場所へ戻してもらう。
「何か、分かりましたか?」
担当者が尋ねた。
エリアスは少し考えてから答えた。
「まだ、何も確定していない。ただ、もう少し調べる価値はありそうだ」
それ以上の説明はしなかった。
兵站部を出ると、日差しは昼に近い角度になっていた。荷車が通るたび、石畳に車輪の音が響く。兵士たちは忙しそうに荷を運び、倉庫の前では返却された装備品の数を確認していた。そこにあるものは、誰が見ても確かな物だった。木箱も、武器も、袋に詰められた食料も、数えれば同じ数だけ存在する。
人の記憶は、そうはいかない。
エリアスは建物の脇に立ち、手帳を開いた。
六つの水袋。六組の食器。五枚の毛布。複数の補給地点で、五人分としてはやや多い食料と水。さらに、魔王城へ向かう直前に購入された大量の保存食。
どれも決定的な証拠ではなかった。予備という説明は可能だし、予定外の移動に備えたという説明も成り立つ。帳簿のどこにも、リゼットの名前はない。六人目のために用意した、と明記された物資もなかった。
それでも、数字は嘘をつかない。
正確には、数字そのものが嘘をつくわけではない。数字を記した人間が間違えることはあるし、記録の意味を誤解することもある。だが、複数の記録に同じ傾向が現れているのなら、そこには何らかの理由があるはずだった。
エリアスは手帳に、新しい項目を書き加えた。
「物資の数量は、五人という記録と一致しない」
その下に、彼は続けて書いた。
「ただし、六人目の存在を示す直接の証拠ではない」
書き終えてから、少しだけ迷った。自分の記憶を裏づけるものが見つかったのに、なぜわざわざ否定するような一文を添えるのか。
答えは分かっていた。
彼はリゼットがいたと信じたい。だが、信じたいという気持ちを根拠にしてしまえば、どんな数字も自分に都合よく解釈できてしまう。余分な水袋を見れば六人目のものだと思い、食料の多さを見れば彼女の分だと思う。そうして作られた記録は、真実を証明するどころか、彼自身の思い込みを補強するだけになる。
それだけは避けなければならなかった。
手帳を閉じたエリアスは、王城の方角を振り返った。
公式記録は五人だと告げている。一方で、物資の数量は、その記録だけでは説明しきれない部分を残していた。
その食い違いが何を意味するのか、今はまだ分からない。
しかし、少なくとも一つだけ確かなことがあった。
リゼットの存在は、彼の記憶の中だけに閉じ込められているわけではない。
彼女の名前が消えても、彼女が旅の中で必要とされた痕跡までは、すべて消しきれていなかった。




