第24話 旧封印
魔王城での調査を始めてから、二人は城内に残された記録を少しずつ集めていた。
管理記録、封印の維持に関する報告書、術式を描いた金属板。どれも損傷が激しく、単独では意味を読み取れないものばかりだったが、複数の資料を照合すると、繰り返し現れる用語や番号が見つかった。白紙現象を抑えるための封印が存在し、その維持には人間を犠牲にする方式が使われていたらしい。そして、その仕組みは安定しておらず、旧式の封印を停止したあとに現象が再発する可能性も記録されていた。
しかし、最も知りたいことは、まだ分かっていなかった。
封印は、どのような仕組みで現象を抑えていたのか。
魔王が倒されたあと、その封印はどうなったのか。
そして、今起きている白紙現象と、過去に記録された現象は、本当に同じものなのか。
エリアスは手帳に書き出した疑問を眺め、筆先で最後の項目に印をつけた。
今の段階で、すべての答えを求めるのは無理だった。だが、封印の仕組みを理解できれば、少なくとも魔王城で何が行われていたのか、その一部は明らかになるはずだった。
「昨日の部屋から、もう一度調べよう」
エリアスが言うと、アルトは頷いた。
「石板のあった部屋か」
「ああ。あの石板には、封印の維持に関する刻印があった。ほかの資料と照合すれば、何か分かるかもしれない」
二人は、城の奥へ続く通路を進んだ。
魔王城の内部は、場所によって崩れ方が異なっていた。外壁に近い区画では風雨の影響が大きく、床や壁が広範囲に失われている。一方、城の中心に近い区画は比較的形を保っていた。外気が入りにくかったためか、壁に刻まれた文字や、棚の奥に残された記録も、いくらか読み取りやすい状態だった。
石板のある広間に着くと、エリアスは前日に記録した図を取り出した。
壁の石板には、白紙現象と封印維持に関する刻印が残されている。中央には複雑な図形があり、そこから伸びる線が、周囲の小さな刻印へとつながっていた。
エリアスは図を見比べた。
「やはり、さっきの金属板と似ている」
アルトが隣から覗き込んだ。
「同じ仕組みを示しているのか?」
「その可能性は高い。ただ、図の一部が違う。金属板に描かれていたものは、構造の一部分だけを抜き出したものなのかもしれない」
エリアスは石板の刻印を順に写し、金属板に記された番号と照合した。
いくつかの番号は一致していた。さらに、別の資料に記されていた用語も、石板の刻印と同じ位置に現れている。資料の用途や作成された時期は異なるようだったが、いずれも同じ封印の構造を示していると考えられた。
エリアスは、石板の下部にある文章を調べた。
その部分は風化が激しく、文字の半分ほどが失われていた。読める単語を拾い、前後の文章と照らし合わせても、意味を確定することはできない。
ただし、最後の行には、はっきりと残された言葉があった。
負担の集中を避けること。
エリアスは、その一文を手帳に書き写した。
「負担の集中?」
アルトが繰り返した。
「封印を維持するための負担が、何かに集中していたということだろう。何に、どのように集中していたのかは分からないが」
「人間を使っていたことと関係があるのか」
「関係している可能性はある」
エリアスは、先ほどの管理記録を開いた。
そこには、封印の維持に必要な供給や、対象者の状態を確認するという記述が残されていた。負担の集中を避けるという石板の言葉は、その記録と無関係とは考えにくい。
だが、これだけでは十分ではなかった。
人間を用いる方式が、負担をどのように引き受けさせるものだったのか。その人間が何を失い、何を背負わされたのか。資料の中には、具体的な説明が見つからない。
エリアスは石板の周囲を調べ続けた。
中央の図形から伸びる線は、床の一部へ向かっていた。そこには、薄い金属板が埋め込まれている。表面には細かな傷があり、周囲の石材との境目には、何度も取り外されたような跡が残っていた。
アルトが金属板の縁に指をかけた。
「外せそうだ」
「無理はするな。下に何があるか分からない」
二人で慎重に持ち上げると、金属板は小さな音を立てて外れた。
その下には、浅い窪みがあった。
窪みの底には、円形の刻印がある。中央から放射状に伸びる線が、外側の複数の刻印につながっていた。石板の図形と似ているが、こちらはより単純な構造だった。
エリアスは膝をつき、窪みの周囲を調べた。
内側の石には、何かが長期間置かれていたような跡がある。中央部分は周囲よりも滑らかで、端には細い溝が刻まれていた。
何らかの部品が収められていたのかもしれない。
しかし、それが封印の一部だったのか、別の装置に使われていたのかは分からなかった。
エリアスは寸法と刻印の配置を記録し、金属板を元に戻した。
「ここに何かがあったことは確かだ」
「それがなくなった理由は?」
「分からない。装置の修理や交換で取り外されたのかもしれないし、城が破壊されたときに失われたのかもしれない。今の状態だけでは判断できない」
アルトは窪みを見下ろした。
「封印を維持するためのものだったとしたら、これが失われたことで何かが変わった可能性もあるな」
「そうだな。ただ、そこは推測として記録しておく」
エリアスは、手帳に新たな項目を加えた。
封印に関係すると思われる構造物があり、その一部は失われている。負担の集中を避けるという記述が残されている。人間を用いた維持方式との関連は考えられるが、具体的な仕組みは不明。
記録を書き終えたところで、アルトが広間の奥を指さした。
「あそこにも扉がある」
石板の裏側に、細い通路が伸びていた。その先には、壁と同じ色をした扉がある。表面には装飾がなく、取っ手も目立たない。近づいてみると、扉の周囲には文字が刻まれていた。
エリアスは、その文字を一つずつ読み取った。
封印の維持に関する記録を保管する区画。
その下には、閲覧に関する制限を示すらしい短い文があった。
「記録の保管場所か」
アルトが言った。
「そうらしい。ここに入れれば、もう少し詳しい資料が見つかるかもしれない」
扉は鍵が壊れていた。アルトが押すと、重い音を立てて内側へ開いた。
部屋の中には、低い棚が壁に沿って並んでいた。棚の多くは空だったが、奥の一角には金属製の箱が残されている。箱には、これまでに見つけたものと同じ番号が刻まれていた。
エリアスは箱を開けた。
中には、薄い板状の記録媒体が数枚と、折り畳まれた大きな紙が入っていた。紙は何度も折り直された跡があり、端が破れていたが、中央の図は比較的よく残っている。
図には、封印の構造が描かれていた。
これまでの資料と異なり、複数の部分が分けて示されている。それぞれの部分には番号が振られ、線でつながれていた。図の端には短い説明が添えられ、封印全体の構成を示しているようだった。
エリアスは紙を机に広げた。
図の中央には、ひときわ大きな円があった。その円の周囲には、複数の小さな円が配置されている。外側の線はそれらを結び、中央の円へと集まっていた。
エリアスは、石板の図形を思い出した。
あちらでは、複数の線が一つの中心へ集まっていた。ここでも、同じように線が中心へと向かっている。
しかし、こちらの図では、中央の円と外側の円が異なる記号で示されていた。中央には「核」を意味する文字があり、外側の円には、それぞれ別の番号が振られている。
エリアスは、紙の端に記された説明を読んだ。
旧式封印の構成。
負担を引き受ける対象。
維持のための接続。
それらの言葉は、これまでの資料にあった記述と一致していた。
そして、図の中央には、ほかの箇所よりも濃い筆跡で、短い注記が書かれていた。
負担の集中に注意。核となる対象への過度な偏りは、封印の安定性を損なう。
エリアスは、息をついた。
ようやく、これまでの断片が一つの構造として見え始めていた。
封印は、何らかの負担を引き受ける仕組みを持っていた。その負担は、核となる対象に集中することがあり、過度に偏れば封印の安定性が損なわれる。
だが、核となる対象が何なのかは、図だけでは分からない。
物体なのか、魔術的な装置なのか。それとも、人間なのか。
エリアスは、図の周囲に記された小さな文字を追った。
外側の円には、いくつかの注記があった。維持の補助、接続の調整、負担の分散。いずれも封印を安定させるための役割を示しているように見える。
しかし、中央の円には、それらとは異なる説明があった。
核となる対象は、封印の維持に必要な負担を引き受ける。
エリアスはその一文を何度も読み返した。
「核となる対象……」
アルトが声を低くした。
「人間のことか?」
「可能性はある。さっきの記録では、封印を維持するために人員が使われていた。ここにある図の説明とも矛盾しない」
「つまり、一人の人間が負担を引き受けていたのか」
「そこまでは分からない。図の中央に一つの円があるからといって、必ず一人の人間を示しているとは限らない。ただ、負担を引き受ける対象が、封印の中心に置かれていた可能性はある」
アルトは図を見つめた。
「もしそうなら、その人間はどうなったんだ」
エリアスは答えなかった。
図にも、記録にも、対象者のその後を示す説明はなかった。人間を使う方式が採られていたことは読み取れても、どのような状態で負担を引き受け、何を失ったのかは分からない。
ただ、管理記録には、対象者の状態を監視するという記述があった。封印の安定性が損なわれるほど負担が集中した場合、対象者にも何らかの影響が生じると考えるのが自然だった。
エリアスは、紙の下に挟まれていた別の記録を取り出した。
こちらは、旧式封印の運用に関する報告書だった。
紙の冒頭には、負担の分散を目的とした複数の方式が記されている。だが、いずれにも問題があったらしい。ある方式には、維持に必要な魔力が不足すると書かれ、別の方式には、長期間の運用に耐えられないという注記があった。
最後の項目には、こう記されていた。
負担を一つの対象に集中させる方式は、短期的な安定性を得やすい。ただし、対象の状態に封印全体が左右されるため、長期的な維持には適さない。
エリアスは、記録を机に置いた。
短期的な安定性。
長期的な維持には適さない。
その説明は、旧式封印が抱えていた問題を示しているようだった。
負担を一つの対象に集中させれば、封印を安定させやすい。しかし、その対象に何かが起きれば、封印全体が影響を受ける。長く維持するには、別の方法が必要だったのだろう。
その後の資料には、封印の維持方式を変更する検討が記されていた。
だが、変更が実行されたのかどうかは、はっきりしなかった。
エリアスは図と報告書を並べ、記録のつながりを確認した。
旧式封印には、負担を引き受ける核となる対象が存在した可能性がある。その対象に負担が集中しすぎると、封印の安定性が損なわれる。人間を使う方式が採用されていたことを考えると、核となる対象も人間だった可能性は否定できない。
しかし、ここで結論を出すことはできなかった。
核となる対象が人間だったとしても、それがどのように選ばれたのかは分からない。複数の人間を交代させていたのか、一人が長期間にわたって負担を引き受けていたのか。それとも、時期によって方式が異なっていたのか。
資料は、そのどれにも答えていなかった。
エリアスは、手帳の新しい頁に仮説を書き留めた。
旧式封印では、負担を引き受ける核となる対象が存在した可能性がある。負担の集中は封印の不安定化につながる。人間を用いた維持方式との関連が考えられるが、対象の正体と運用方法は未確認。
書き終えてから、彼はその下に線を引いた。
ここから先は、まだ推測だった。
それでも、今までの調査で得られた情報の中では、重要な手掛かりだった。
魔王が人間を犠牲にしていたという事実は、単に残虐な行為の記録として存在しているのではない。白紙現象を抑えるための封印と、何らかの形で結びついていた可能性が高い。
そして、その封印には、負担を引き受ける対象があった。
エリアスは、図の中央に描かれた円を見つめた。
もし、そこに人間が置かれていたのなら。
その人間は、何を知っていたのだろう。
自分が何を引き受けることになるのか、理解していたのだろうか。
それとも、何も知らされないまま、封印の一部として扱われていたのだろうか。
記録には答えがない。
だが、エリアスは、答えがないからといって、その人間の存在を単なる仕組みの一部として片づけたくはなかった。
彼は紙を慎重に畳み、金属の箱へ戻した。
「この図は持ち帰って、ほかの記録と照合したい」
アルトが頷いた。
「核となる対象が何なのか、調べるんだな」
「ああ。今のところ、封印の仕組みを理解するために必要な手掛かりは、これが一番多い」
アルトは、机の上に並んだ資料を見渡した。
「一つの対象に負担を集中させる。もし、それが人間だったなら、長く続けられる方法じゃない」
「資料にも、長期的な維持には適さないと書かれている」
「なら、魔王がやっていたことは、いつか限界が来る仕組みだったのかもしれない」
「その可能性はある。ただ、魔王がどの方式を使っていたのか、最後まで同じ方式だったのかは分からない」
エリアスは箱の蓋を閉じた。
魔王城で見つかった資料は、少しずつ一つの方向を示していた。
白紙現象を抑える封印があり、その維持には人間が使われていた。封印には核となる対象が存在した可能性があり、その対象に負担が集中すると、仕組みそのものが不安定になる。
もし、この仕組みが魔王の死後も何らかの形で残されていたのなら。
そして、旧式の封印が停止したあと、別の方法で維持しようとした者がいたのなら。
その方法を探すことが、今の現象を解き明かす鍵になるかもしれない。
だが、まだ資料は足りなかった。
封印の中心にいた対象が何者だったのか。負担が集中することで、どのような変化が起きるのか。旧式の封印が停止したあと、誰が何を引き継いだのか。
その答えを知るためには、さらに記録を探す必要があった。
エリアスは手帳を閉じ、アルトとともに部屋を出た。
通路の向こうには、まだ調べていない区画が残っている。
魔王城の奥へ進むほど、彼らは過去の仕組みに近づいていた。しかし、それと同時に、これまで知らなかった問いも増えていた。
魔王が人を犠牲にしていたことは分かった。
その仕組みが不安定だったことも、少しずつ見えてきた。
けれど、魔王が倒されたあと、誰がその問題を引き受けたのかは、まだ分からない。
エリアスは、手帳に書き留めた「核となる対象」という言葉を思い返した。
負担を引き受ける者。
封印の中心に置かれた者。
もし、そんな人間が本当に存在したのなら、その人物について記した資料が、どこかに残されているはずだった。




