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第16話 消えた者の共通点

 エリアスは、王立記録院の閲覧室に三つの資料を並べていた。


 一つは魔王討伐までの公式記録。もう一つは旅の途中で補給された物資の台帳。そして、彼自身が書き残した手帳だった。


 どれも、単独では決定的な証拠にならない。公式記録には不自然な空白があり、物資の台帳は人数の違和感を示しても、誰が同行していたかまでは語らない。手帳に至っては、書いた本人であるエリアス自身が、記憶にない記述と説明できない空白を抱えている。


 それでも、三つを並べて見比べれば、別々の方向から同じものを指し示すことがある。


 エリアスはまず、リゼットの記録を確認した。


 彼女の名が残っている箇所は、ほとんどない。自分の手帳に記した一文と、消された別経路を示す地図のかすかな線。それに、六人分と考えられる物資の数量。どれも彼女の存在を直接に説明するものではなかったが、互いに無関係とも考えにくかった。


 次に、ガレクについて調べた記録を開いた。


 戦闘報告には、狭い通路を塞いで大型の攻城兵器を食い止めた戦士の記述があった。だが、公式記録に記された勇者一行は四人であり、その戦士の名はない。アルトの盾には、正面から受けた傷とは異なる損傷が残っていた。物資の消費量にも、記録された人数だけでは説明しにくい部分がある。


 エリアスは羽根ペンを置き、二つの資料の束を見比べた。


 リゼットとガレク。二人は役割も性格も異なっていた。リゼットは道を探し、仲間が進めるように先を確かめる斥候だった。ガレクは前に立ち、危険を引き受ける戦士だった。二人が同じ時期に同じ場所で働いたと断定できる資料はない。


 それでも、記録から消えているという一点だけは共通していた。


 しかも、ただ名前が抜け落ちているわけではない。


 彼らの働きがなければ説明しにくい結果は残っているのに、その働きを担った人間だけが記録の中に見つからない。周囲の人間も、二人の名を知らない。エリアスが覚えていることを伝えても、誰もその記憶を自分のものとして受け入れられなかった。


 最初は、記録の誤りだと考える余地があった。次に、誰かが意図的に名前を消した可能性を疑った。


 だが、リゼットの痕跡とガレクの痕跡を比べるほど、その二つでは説明できない部分が増えていった。


 記録を書き換えるだけなら、現場に残る傷まで説明する必要はない。人々の記憶を操作するだけなら、物資の数量や地図の不自然な線まで同時に変わる理由がない。


 反対に、単なる記録の誤りや記憶違いなら、異なる種類の資料に同じ方向の欠落が重なることを説明できなかった。


 エリアスは新しい紙を取り出した。


 そこに、二人について確認できた事実と、まだ推測にすぎないことを分けて書き始めた。


 リゼット。公式記録から名前が消えている。地図には、彼女が見つけた可能性のある道の痕跡が残る。物資の数量は、記録上の人数と一致しない。


 ガレク。公式記録から名前が消えている。戦闘報告には、記録された一行の人数だけでは役割の担い手を特定できない戦果が残る。アルトの盾には、誰を守ったのか分からない傷がある。


 そして二人とも、エリアス以外の人間の記憶から失われていた。


 ペン先が止まった。


 彼は最後の一文を読み返した。そこには、今まで個別に扱っていた問題が、一つの形として現れていた。


 リゼットが消えたあと、ガレクが消えた。二人の消失には間があったが、起きていることは似ている。名前や記憶が失われ、公式記録がその変化に合わせて整えられていく。それでも、すべての痕跡が一度に消えるわけではない。


 まるで、世界のほうが、彼らが存在しなかったという状態に少しずつ合わせられているようだった。


 エリアスは、その表現をすぐには書き留めなかった。比喩としては適切でも、原因を説明したことにはならない。世界が意思を持っているのか、何らかの魔術が働いているのか、それとも別の仕組みなのか。今の段階では何一つ確かではなかった。


 ただし、偶然の連続と考えるには、共通点が多すぎた。


 エリアスは紙の上に、二つの仮説を書いた。


 一つは、誰かが意図的に人々の記憶と記録を改変しているというもの。もう一つは、何らかの現象が起きた結果として、記憶と記録が変化しているというものだった。


 どちらも、今ある証拠だけでは否定できない。


 だが、前者を採るなら、誰かがリゼットとガレクを選び、彼らに関する記録だけでなく、周囲の人間の記憶まで改変していることになる。しかも、その作業は完全ではない。物資の数量や戦闘の痕跡が残っているのだから、意図的な隠蔽としては不自然な部分が多かった。


 一方、後者なら、欠落が不完全なまま残っていることにも説明の余地がある。


 記憶や記録が最初から消されているのではなく、何かの影響を受けて、少しずつ変化しているのだとすれば。


 エリアスは、そこで考えるのを止めた。


 仮説を一つ選んでしまえば、その仮説に合う証拠ばかりを探すようになる。記録を扱う者として、それがどれほど危ういことかは知っていた。彼が今すべきなのは、もっともらしい説明を作ることではない。説明のつかない事実を、説明できないまま残しておくことだった。


 それでも、二人の消失に一定の仕組みがあるという考えは、彼の中で揺るがなくなりつつあった。


 エリアスは紙の端に、短く書き加えた。


 ――消失は、一度の出来事ではない。


 その文字を見つめていると、閲覧室の扉が開いた。


「まだ調べていたのか」


 アルトだった。手には、武具工房から受け取ったらしい小さな書付があった。


「盾について、何か分かったのか」


「鍛冶師に見てもらった。傷の形は、正面から一撃を受けたものとは限らないそうだ。盾を傾けて、横から来た力を受けた可能性がある」


「誰かを守った傷だと?」


「そうかもしれない。だが、相手が誰だったかは分からない。鍛冶師も、傷だけでそこまでは判断できないと言っていた」


 アルトは書付を机に置いた。そこには損傷の特徴が簡潔に記されていたが、誰を守ったかについての記述はなかった。


 エリアスは書付を読み、先ほどまとめた紙の横に並べた。


「分かったことは、それだけか」


「それだけだ。期待していた答えではないだろうが」


「期待していた答えが得られなかったことと、調査が無駄だったことは違う」


 アルトは、わずかに目を細めた。


「お前らしい言い方だな」


「記録に書くなら、そうなる」


「記録に書かないことは?」


 エリアスはすぐには答えなかった。


 以前なら、記録に書けないことは、ひとまず判断を保留する対象だった。確かな証拠がない以上、断定しない。それは今も変わらない。だが、証拠が足りないからといって、何も起きていないことにはできない。


「……分からないことがある、と書く」


 アルトは机の上の紙を見た。


「二人について調べていたのか」


「リゼットとガレクだ。別々に調べていたものを並べてみた。二人の消失には、共通する特徴がある」


「どんな特徴だ」


「名前が記録から消えている。周囲の人間は覚えていない。それなのに、二人が関わった可能性のある仕事や戦闘の結果は、いくらか残っている」


 エリアスは、二つの資料を指で示した。


「リゼットの場合は、道の痕跡や物資の数量だ。ガレクの場合は、戦闘報告と盾の傷。どれも単独では証明にならないが、複数の資料を照合すると、記録上の人数だけでは説明できない部分が浮かび上がる」


「つまり、俺たちが忘れているだけではない、と」


「それだけなら、記録まで同じように変わっている理由が説明できない」


 アルトは黙った。


 彼の視線は、リゼットとガレクの名が書かれた紙に留まっていた。どちらの顔も、彼の記憶には浮かんでこない。エリアスが語る人物像を聞いても、それを過去の自分の経験と結びつけることはできなかった。


 それでも、盾の傷はそこにあった。


 自分が覚えていない誰かを守った可能性。その誰かが、記録から消えた戦士だった可能性。どれも確定した事実ではない。しかし、否定する根拠もなかった。


「この現象は、これからも続くと思うか」


 アルトが尋ねた。


「今のところ、二人に起きたことを別々の事件として説明できない。なら、続く可能性を考えておくべきだ」


「次は誰だ」


「分からない」


 エリアスは、答えを飾らなかった。


 セレナの治療記録には、すでに不自然な空白があった。治療が行われた事実は残っているのに、誰がその処置を施したのかが分からない。薬草の消費量も、記録された治療内容も、彼女が関わった可能性を示していた。


 だが、リゼットとガレクの消失を確認した今、それを単なる記録上の不備として片づけることはできなかった。


「セレナの記録も、もう一度調べる必要がある」


「彼女まで消えると考えているのか」


「まだ、そう断定はできない。ただ、似た欠落がある以上、無関係だとは決めつけられない」


 アルトは、机の上に置かれた資料を一枚ずつ見た。


「王都で調べられることには限界があるな」


「そう思う。ここに残っているのは、旅の結果を整理した記録ばかりだ。実際に何が起きたのかを確かめるには、現場を見なければならない」


「魔王城か」


 エリアスはうなずいた。


 公式記録に記された旅程は、魔王城へ至る道のすべてを説明していない。地図には別の道筋が残り、戦闘報告には記録された人数だけでは説明しにくい戦果がある。王都で資料をどれだけ重ねても、そこに記された結果の原因を完全に再構成することはできなかった。


 魔王城には、戦闘の痕跡が残っているかもしれない。失われた旅路を示す地形も、公式記録にはない出来事を記した資料も、まだ見つかる可能性があった。


「行こう」とアルトは言った。「ここで同じ記録を調べ続けても、分からないことは分からないままだ」


 その言葉には、以前のように調査を止めようとする響きはなかった。アルトがすべてを信じたわけではない。自分が忘れていることを認めたからといって、失われた記憶が戻るわけでもなかった。


 それでも、彼は不確かなものを不確かなまま調べることを選んだ。


 エリアスは、机の上の紙をまとめた。リゼットとガレクに関する資料の間に、二人の共通点を記した紙を挟む。


 彼は最後に、その紙の下部へ一文を書き足した。


 ――消失は、記憶と記録の両方に及んでいる。残された痕跡には不完全な部分があるが、二人の消失には共通する仕組みが存在する可能性が高い。原因は未確定。王都の資料だけでは解明できない。


 書き終えたエリアスは、手帳を閉じた。


 リゼットが消えた。次にガレクが消えた。


 二人の名前を知る者は、もうほとんどいない。公式の歴史では、彼らは最初から存在しなかったことになっている。だが、その歴史には説明できない傷が残っていた。


 エリアスは、それを単なる欠落とは呼ばなかった。


 まだ名前のない現象が、確かに進行している。


 そして、次に何が失われるのかを、彼は知らなかった。

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