09.助けを求めて
ブラウエルが片手を振った。
たったそれだけのしぐさ。身構える暇もない。
その途端、王子の周囲にいたマルゴーや兵士達の身体が、いとも簡単に飛ばされた。
「なっ……お前、何を……」
ブラウエルのしぐさは、うるさいハエを振り払った程度にしか見えなかった。
それなのに、十何人もいた大の男を一度に飛ばしてしまったのだ。
しかも、その中には魔法使いもいる。その彼が、魔性の使う力にまったく抵抗できなかった。
床に叩き付けられ、誰もが立ち上がれずにうめいている。
ソルフォードは腰に手をやったが、いつもあるはずの剣はない。こんな時に限って、手元にないのだ。
とにかく、丸腰はまずい。ソルフォードは、急いで倒れた兵士の一人から剣を取った。
「あらあら。無駄ですよ、王子様。我が兄ブラウエルの力に、そんな名もない剣で対抗しようなどと。往生際が悪い。男らしく、潔くあきらめなさいな」
魔物達は、いつの間にか完全に王子と魔性の兄妹を取り囲んでいた。この輪から逃げ出すのは、奇跡でも起きない限り、無理だ。
「お前は、ぼくをどうするつもりだ。……喰うのか?」
「喰う? それもいいが、身体には特に興味はない。わたしは、あなたの輝く魂が欲しい。言ったでしょう。無性に欲しくなった、と」
ブラウエルの横に、透明な水の玉のようなものが現れた。
最初は拳大だったものがどんどんふくれあがり、人間一人くらいならすっぽり入れるまでの大きさになった。
「もうすぐ消えてしまうあなたのために、教えてあげましょうか。これは創魂珠というもの。この中に人間を取り込み、魂だけを抜く。その魂はやがてこの珠と同化し、魔性の力の源に変化させる。魂の容器である身体は、魂が抜かれると外へ出されます。最終的には、ここにいる魔物達の餌になるでしょうね。得られる力はその人間の魂にもよりますが、あなたの魂はこの世で最高の聖精。どんな力をもたらしてくれるか、楽しみでなりませんよ」
「……母上や他の人はどうした」
「おや。こんな時に、自分より他人の心配ですか? それとも、誰かが助けに来てくれるまでの時間かせぎでしょうか? そんなことをしても、無駄だと思いますがね」
馬鹿にしたように、ブラウエルはのどの奥でくっくっと嗤う。ていねいな言葉遣いは、ただの慇懃無礼だ。
「まだ殺してはいませんよ。安心なさいませ、王子様。ここには便利な影の洞窟がありますから、全員そこへ放り込んでおきました。もっとも、死期はそう遠くないでしょうけれどね」
アルカが甲高い声で嗤う。神経を逆撫でするような声だ。
「セラップ、逃げるんだ」
肩にいるセラップに、ソルフォードはささやいた。
「何をおっしゃいます。王子を残して、わたくしだけが行けるはずはないでしょう」
第一家来を自負しているセラップが、逃げろと言われて素直に逃げられる訳がない。
「いいから、早くっ」
ソルフォードはセラップの身体を掴むと、天井へと投げた。王子達を囲んでいる魔物達は追いたそうにしていたが、主の許可がないからかじっとしている。
「ほう、鳥だけでも逃がしますか。まぁ、あんな鳥に用はありませんから、一向に構いませんが。お優しいですね、ソルフォード王子は。さすがは聖精を持つ人間、とでも言いますか。自分より、他の誰かを優先させるとは。だが、優しさは人を殺めるものですよ、王子」
ブラウエルの出した創魂珠が、ソルフォードに襲いかかってきた。巨大な水玉にしか見えないのに、まるで水の魔物だ。
ソルフォードは持っていた剣で払ったが、確かに二つに斬れたと思った創魂珠は水のように再び一つになり、王子の身体を飲み込む。
飲み込まれる瞬間、まるで大量の水をぶっかけられたように思えた。だが、それはやはり普通の水ではなく、ソルフォードを完全に包み込んでしまう。
余計な物と判断したのか、種を吐き出すかのように、創魂珠はソルフォードが持っていた剣を吐き出した。
水の玉の中に閉じ込められたかのように、外が見えているのに出られない。ソルフォードの身体は外を求めてもがくが、どう暴れてもまとわりつく水は離れなかった。
「もがいても抜け出せませんよ。手を伸ばせば、伸ばした分だけそこが変化する。魂を抜くまで、身体が外へ出ることなど無理ですよ。外から壊さない限りはね。まだどこかに御家来衆がいらっしゃるなら、その方達に期待するのですな」
ブラウエルの声はソルフォードまで届くが、抜け出せないと言われても簡単にあきらめられるはずもない。何とか脱出するべく、王子は懸命にもがく。
だが、それも長くは続かない。
力尽きたように、ソルフォードは動かなくなってしまった。創魂珠は王子を取り込み、宙に浮かんでいる。
ソルフォードの身体は、創魂珠の中で水に浮かぶようにゆらゆらと揺れていた。その姿は、胎内に浮かぶ子どものようだ。
新しい力の源を生み出すための、創魂珠はまさに子宮のようなものだった。
動かなくなったソルフォードを見て、ブラウエルは満足そうに笑みを浮かべる。
「ねぇ、お兄様」
「何だ、アルカ」
「魂が抜けたら、この身体は外へ出て来るのでしょう? こんな者達に喰わせないで、あたしにくださいません? さすがは聖精が入っている器、とでも言うのでしょうか。何て艶やかな金の髪。長く伸びた手足に、色気のある顔。瞳の色は、青でしたかしら。よく見れば、どの部分もとても美しいですわ。聖精が入っているくらいなのですから、身体の方もさぞかし……」
創魂珠から吐き出される身体は、魂がないだけでまだ生きている。いわば、仮死状態だ。
そこへ適当な魂を入れて動くようにし、その美しい身体を弄ぶ。悦楽や苦悶の表情はどれだけ悩ましく、麗しいだろうか。
ゆっくりと心ゆくまで全てを奪い尽くし、その後は文字通りに骨までしゃぶり尽くす。きっと今まで喰ったどの人間よりも、美味のはずだ。
その時のことを考え、アルカは舌なめずりする。
「好きにするがいい。わたしは、魂さえ手に入ればかまわん」
ブラウエルは、魔物達に床に転がっている人間達を影の洞窟へ放り込むように命令した。
「まだ喰うな。今はこやつらの恐怖心さえ糧になる。それに、支配される人間がいなくては、支配の仕様がないからな。後で街へ行き、人間どもを恐怖におとしいれて来るがいい。家に閉じこもった者は、放っておけ。だが、外をうろついて何かしようとしているようなら、構わん。殺すなり喰うなり、勝手にしろ」
ブラウエルの言葉に、魔物達は歓喜の声を上げて城の外へと飛び出して行った。
☆☆☆
セラップはソルフォードに投げ飛ばされた後、陰からソルフォードが創魂珠に取り込まれるのを見ていた。
何とかしなければならない。ソルフォードが自分を逃がしたのは、現状を打破する機会を得るためだ。
誰かに助けを求めるべく、セラップはキャプロックの城を抜け出してあちこちを飛び回った。
一刻も早く王子を救いたいのはもちろんだが、自分があの魔性にかなうはずがない。そばにいただけで、その力の強さを感じた。
飛びかかろうとしても、さっきのように手を振り払われたらそれで終わり。床に叩き付けられてしまう。
それに、あの大量の魔物達。
あれだけの数が一気にかかって来たら、あっという間にただの肉片になってしまうだろう。
誰かの助けが必要だ。自分一羽だけでは、何もできない。
だが、騎士や魔法使いなど、力の要となる人物はほとんど城にいた。あの魔性の言葉が本当なら、城の地下にある影の洞窟へみんな入れられてしまったはずだ。
つまり、この国でこの事態に対処できそうな人間は、誰もいない。
かと言って、ヴァイツェンを出たことのないセラップに、よその国で頼れる人間のつてはなかった。
ソルフォードやメリアーティスを知っている者なら、ほとんどがセラップのことは知っているはず。セラップ自身、顔見知りの人間はたくさんいる。
だが、知らない人間にとっては、白魔鳥というただの魔物だ。誰も助けてなどくれないだろう。へたすれば、こちらが退治される。
それに、あの魔性に対抗できる力を持つ者が、実際どれだけいる?
そこまで考えて、セラップの頭にメリアーティスのことが浮かんだ。





