20.セラップの傷
けもの? ああ、他の獣、か。そうだったかも知れない。自分はまだ小さくて、大きな獣にすればエサの対象だ。近くに兄弟もいたような気がするが、みんなはどうなっただろう。
こうして誰かの声を聞いている、ということは、少なくとも自分はその襲って来た獣から逃れられたのだろう。
いや、これは子どもではなく、実は死の門番の声かも知れない。
「この子、つれて帰って、手当てしてあげようよ」
「そうだね。このまま放っておいたら、死んでしまうから」
ふわりと身体が浮いた……ような気がした。冷たい地面から離れ、身体を支えてくれるものがとても温かい。
揺れているのは移動しているためだろう、とぼんやり考える。
それからのことは、よく覚えていない。意識が戻ったりまた遠のいたりして、記憶が途切れている。
ずっと意識があったとしても、目を閉じたままだからどこへ移動して何をされたのか、あいまいでしかなかっただろう。
「まぁまぁ、何てことでしょう」
「王子、メリアーティス。また『あやかしの森』へ行かれたのですか。魔物が現れるから危険ですと、いつも申し上げているではないですか」
「それなのに、よりによってどうしてそんなものを……」
また別の声が、いくつか聞こえた。たぶん、これは大人達だろう。その口調だと、頭を抱えているような雰囲気だ。
「そんなものって、そんな言い方、ひどいじゃない。これはケガをしたトリさんよ」
女の子が言い返したことで、大人が言った「そんなもの」は自分のことだとわかった。
「……ケガをしているのはわかりますが」
「いいですか。その鳥は白魔鳥と言って、魔物なのですよ。普通の森にいる普通の鳥ではないのです。さぁ、こちらへお渡しください。元いた所へ返して参りますから」
元いた所。そこへ戻される、ということは……たぶん、死を意味する。
「ダメだよ。ケガしてるんだから。ちゃんと手当てしてあげないと、死ぬかも知れないだろ」
「そうよ。こんなにケガしてるのよ。森にもどしたりしたら、またおそわれちゃうわ」
「それがこの鳥の運命であれば、仕方のないことです」
「ケガが治った途端、人間に襲いかかって来ることだってありえるのですよ」
やけに頭の上が騒がしい。自分をここまで連れて来た子ども達と、それを見た大人達が口論している。
自分を守ろうとしてくれる子ども達と、その子ども達を守ろうとする大人達。
どちらもきっと、悪くない。ただ、大きな声での言い合いは、傷に響く。
頼むから静かにしてくれ、と言いたいが、声が出ない。未だに目を開けることすらできず、身体のどこにも力が入らなかった。
「まぁ、お待ちなさい。そう頭ごなしに叱りつけては、幼子の優しい心を傷付けてしまいますよ」
「あ、マルゴー様」
それまでとは違う声が聞こえた。どうやら、別の誰かがまた現れたらしい。この先、あと何人現れるのだろう。
「白魔鳥はあなた方が思われる程、そう恐ろしい魔物ではありません。我々魔法使いでも、この鳥を使い魔として利用したりもするのです。個体によっては魔力の強い者もいますが、人間に好意的なことが多いですし……今はこの鳥がお二人に危害を加えることはなさそうですからね。わしが責任を持って、面倒をみましょう。ここは見逃してもらえませんかな」
「まぁ……それはマルゴー様がそうまでおっしゃるなら」
「王子達が危険でないことが本当なら、我々は構いませんが」
大人達の話に、子ども達が歓声を上げるのが聞こえる。
どうやら、自分はここにいられるようになったらしい。……ここがどこなのか、わかっていないが。
とにかく、あの暗く危険な森へ、もう戻らなくてよくなったのだ。少なくとも、今は。
それから、どれくらいの時間が経ったのだろう。
気が付いて、目を開けた。開けられるようになった。あんなに重かったのが嘘のように。
視線を動かすと、小さな少年と少女がこちらを嬉しそうに覗き込んでいた。
その顔を見ていると、とても心が安らぐような気がする。
太陽の色をした金の髪に、真っ青な空色の瞳の少年。安らかな闇色の髪に、萌える緑の瞳の少女。
まるで昼と夜の精霊が、天と地の精霊が一緒にいるようだ。
二人から何か色々と話しかけられたが、残念ながらその時のことはよく覚えていない。
それ以降の記憶にあるのは、その二人の手が自分へと真っ直ぐに差し延べられたこと。
「じゃあ、きみの名前はセラップだよ」
「ソルフォードとあたしで考えたの。ステキな名前でしょ?」
二人の子どもが、楽しそうに笑顔でそう告げた。
セラップ? 名前? ……よくわからない。まだしっかりと、頭が働いていないようだ。
それでも、特別な贈り物をもらったような気がした。
☆☆☆
「セラップ……ねぇ、セラップ、しっかりしてよ」
メリアーティスの声で、セラップは徐々に意識を取り戻した。
どうやら、遠い昔のことを夢に見ていたようだ。
とても懐かしい気分になる、どこか切ない夢だった。できることなら、ずっとその夢を見たままでいたかったのだが、そうはいかないようだ。
現実でも、自分はあの夢のようにケガをして動けないでいる。どうしてだったかと記憶をたどり、あの不気味な魔性にやられたのだ、と思い出した。
今は気配が感じられない。どうやら意識がない間に、あの魔性はいなくなったらしいと知る。
誰かが切り捨てたのか、逃げたのか。
どちらでもいい。いなくなったのなら、ひとまずは安心だ。
そんなことをつらつらと考えるセラップを、メリアーティスとソルフォードは介抱していた。
セラップはローズに強く地面に叩き付けられたことで、片方の翼の骨が折れている。
ルクスソーヴァ家を出る前に治療していた傷も、戦ったことでまた口が開いてしまったようだ。純白のはずの羽が、赤く汚れていた。
「みな様……わたくしのことはここに捨て置いて、早く先へお進みください。一刻も早く、王子の身体を取り戻さねばなりません。わたくしがいては、足手まといになります」
かすれかけた声で、セラップは一行の出発をうながす。
自分のせいで王子やメリアーティスが危険にさらされるのは、何があっても絶対に避けたかった。
今より面倒なことになって二人が傷付くことがあったりしたら、死んで詫びる、なんてくらいでは足りない。
「何を弱気なことを言ってるの、セラップ。置いて行ける訳ないでしょ。あなたの身体なんて軽いもの。運ぶのなんて、訳ないわ。少し傷にひびいて痛むかも知れないけど、馬に乗って行けばお城はすぐよ。そうしたら、さっさとソルフォードの身体を取り戻して、ちゃんとした治療してあげられるから」
「そのお言葉だけで十分です、メリアーティス。どこかの物陰にでも隠してくだされば、それで結構です。こんな弱った鳥一羽には、魔物だって見向きもしないでしょうから」
これまで、かなり無理をしていたのだろう。意識が戻っても半分くらいしか開いていなかった目を、セラップは弱々しく閉じてしまう。
メリアーティスがどんなに元気づけようとしても、セラップはそれに応えようとはしてくれない。
「なぁ、ドーアン。メリアーティスの屋敷で話していた治癒魔法っての、何とかならないのか?」
「ええ、完治は無理ですが。ただ、今のセラップは精神的にもかなり参っているようですから、ぼくくらいの魔法ではあまり効果がないかも知れません」
それでも、ドーアンはセラップに手をかざし、呪文を唱えた。
小さな傷が消え、大きな傷も半分近くふさがれる。だが、セラップはぐったりしたままだ。
「セラップ? さっきよりは楽になったでしょ。ドーアンがかなり傷を治してくれたのよ」
メリアーティスが声をかけるが、セラップからの応えはなかった。目を開けてくれず、意識があるのかも定かではない。
「治療も大切ですが、恐らくセラップには休息が必要なのです。魔性が現れてからずっと、飛んで戦って傷を負って……。これまで休む時間がほとんどなかったでしょうから」
「ずっと動きづめってことだからな。いくら魔物でも、疲れはたまるか。だけど、休ませるったってなぁ……」
ラツィオが困惑したように、周囲を見回した。





