f.w.05(やさしい嘘)
*
図書局の外では、日が落ち、冷たい風が吹いている。「あなたも知っていたのね、トム」それは(疑問でなく)断定だった。サリの顔は(夕焼け)逆光で観測できない。「共犯の模造人間」
深く昏く沈んだ声音に、トムはセシウムの励起が止まる思いをした。彼女の表情は、依然として見えない。
翌日、サリは姿を現さなかった。
相方不在のトムは、外に出ない代わりに、午前中は自分の(機械)身体を整備し、午後は、その身体の調整のため、ひとりで(バンに乗り)外に出た。(そして)空っぽになった家を見た。かって老女から本を受け取ったあの家だった。
本は、ニンゲンと等価のなのかと考えた。本のために、どこまでやれるのだろうと考えた。
日に日に陽は高くなっていく。世界は変容していく。本を本として護れなくても、体裁を変えながらも本を生かすために自分たちがいるのだと考える。
サリが不在のいま、トムは、〝ブリキの心臓〟を改めて調べ直している。
わずか数行に要約された回答でなく、──
もっと詳しい情報が必要ですか?(Y/N)
──もっと詳しい情報が必要だよ(Y)。
今や彼の容量の中に保管されている(本・本・物語)。読むことは容易なことでなかった。 彼にしてみれば初めてに等しい体験だった。
トムには長い文章を読み解くのは難しかったが、休憩を挟み、検索と支援機能を駆使し、物語を拾った(これが紙に印刷された時代なら、理解はおろか、そもそも読むことも叶わなかったと思った。収集事業が始まる以前の人々は、どれほどの手間をかけて本を利用していたのだろう?)。
トムの理解は、以前、確かにサリから教えられた通りであって、樵には旅の道連れがいる。
彼らに大魔王と名乗るペテン師が試練を与え、代わりに願いを聞き遂げられた。そのペテンは、〝とんち〟とも云える〝やさしい嘘〟の一部でないかと彼は思った。
それにしても、と、彼は思う。自分がブリキの心臓を持っているのなら、彼女は何故、自分をカカシなどと呼ぶのだろう?(本物の頭脳を持っているのに)。
彼は空を仰ぎ見る。そこには星間連絡船が浮かんでいる筈だ。火星へ行くか、ここに残るか。
ニンゲンは選択を迫られた。何故? そうするしかなかったから。どうして? ニンゲンは受け入れた。何故? ニンゲンに選択する術はなかった。だからニンゲンは、大きな銀の靴を欲したの? 踵を三回、打ち鳴らす? そんなことでニンゲンは自らを新天地へ託すのだろうか?
サリ。銀の靴を欲しなかったサリ。本物の頭脳を持っているのに、自らをカカシと呼んだサリ。
彼女の姿をずうっと見ていない。
トムは、ひとつの物語が、別の物語を誘発することを知った。
昼の時間が伸びていく。夏至の日が近づいている。
サリの所へ寄ろう。サリの考えを知りたい。彼女の思いを感じたい。
だから彼はそうした──夏至だった。
*
サリは自宅のソファの上で、タオルケットを被っていた。
トムが、「お腹は?」と訊ねれば、「空いてない」と応える。トムは、カップに入れた(チキン? オニオン?)スープの素をお湯で戻した。サリはタオルケットの下から顔を出して、暝く落ちくぼんだ目をトムに向けた。
「何か食べるんだ」と、トムがきっぱりと云えば、サリは(どうぞ、お好きに)とばかりに肩をすくめてみせる(のそりと起き上がった彼女は、
「たかが、本のことじゃないか」拗ねたように云うのに、トムはまた、衝撃を受けた。
「なんだい、トム。たかが、本だぞ」
「なんてことを云うんだ! 本だよ、本のことだよ、分かっているの?」
「どうして、ニンゲンであるあたしより、珪素の天国を信仰しているアンタが固執しているんだろう。自分はそうでない、自分がそうでないとでも云うのかい」
「違うよ、サリ。キミは、そう、キミはつまり、──」言葉に支える彼の言葉を、
「具合が悪いんだ」と、彼女が引き継いだ。
サリの目は、どこか(哀しげ)遠くを見ていて、だからトムは(ここにいない)何処かを感じた。
「トム」彼女は穏やかに呼びかけた。「理想を語るのはタダなんだ。理想は希望になる。素晴らしいじゃないか」
一転、サリは強く自分の唇を噛み、そして、「理想は毒にもなる」断定した。「こんな〈幼年期の終わり〉を人類は望んだのか」サリは気色ばんだ。「ボクの仕事は何だったのか」
「アーカイブだよ、サリ」
「そうだ」云いながら、サリは興奮していった。「いつか・何処か・何かのために!」
「サリ、──」
トムはカップで温めたオニオンスープをサリに渡した。起き上がってサリは、「ありがとう」素直に受け取った(そして、受け取ったカップのスープの匂いを嗅ぎ、わずかに顔をしかめた。トムはチキンスープにした方が良かったとメモをする)。
それでもサリは、スープを吹き冷まし、ひと口、啜った。
ほう、と息をつき、視線を手の中の温かなスープ(カップ)に落としたが、すぐにどこかを彷徨う。
「ねえ、トム」彼女の視線は遠くに投げられたままだった。「ボクがしているのは、──あんたたちの言葉を借りれば、クソだ、クソッたれ、とんだクソったれ仕事。畜生、クソったれの終末、地獄に落ちやがれ」
カップの中身が揺れて跳ねた。
「サリ──」彼女は、機械卑語をあえて使ったのだと思った。
「クソっ。大丈夫。大丈夫だ、トム」言葉通り、サリの視線はトムにしっかと向けられた。カップの中のスープは荒波からさざ波へとなり、やがて凪いでいく。
「トム、キミの魂はどこにある?」サリが問う。
「サリの魂はどこから来たの?」トムが返す。
「なるほどね」サリは薄く笑う。「ねえ、トム。人類はね、怠けるために頑張ってきたんだ。働かなくて良いように。いつか、労働に使われてた悩みを、やがて余暇にどうするか、それを考える時代が来ると予言された」
「それが今でないの?」
サリはむすっと口をすぼめ、「いいや」溜め息を吐いた。「なんだろう、ちっとも、しあわせに思えないんだ」そして、再びカップのスープに口をつけた。
サリがひと口、ふた口と飲んだのを見届けてトムは口を開いた。「それぞれの感じ方じゃないのかな。つらいことや悩みには、きちんと福祉局が対応してくれる」
「トム。キミは、しあわせになる薬って知ってるかい」
トムがショックを受けたのに気付いて、慌ててサリは付け加えた。「違法の話じゃない。処方されたり、お店で普通に買えたんだ。正規に流通していた、普通の商品、それは依存性もない──、」
「でも?」
問いかけるトムに、サリは淡く微笑んだ。「でも、その薬が効いてしまった時のことを考えると、一歩、距離を置いてしまったひともいるのも事実だ」
「飲んだ人は」
「もちろん、いたさ」さらにサリはスープを口に含み、飲み下す。「効いたひともいたろうし、期待どおりでなかったひともいたろう。でもね、やっぱり、どこか、自分の身体を、自分だけで完結できないことに、引け目はあったんじゃなかろうか。──」
「そうだろうね」トムには分からなかった。
「今はいい時代だ。そうだろう? 社会は手を差し伸べ、悩みを聞き、望みを叶え、殆どの人は新世界に適応している」
「でも?」
「ほんとに、キミは」と、サリは苦笑して、「でも、ね。個人で、気ままに、我儘を云い、受け入れられる、怠惰で自由な環境が、正解だとも思えないんだ」
スープカップを両手で持ちながら、サリは遠くを見ていた。「信仰が薄くなれば、法律書が厚くなる。規律と規範を明文化しなければ駄目なんだ。かなしいものだね。全員が同じ方角を向くことはない。人は本来、何をしてもいい。社会を作る時に、自由に枷をつけた。それがあたしたちの本質なんだ」
「サリ」それはひどい。そんなことはない。トムが言葉を必死に紡ごうとするのを制して、彼女は云った。
「責任の所在についての取り決めをしなれば、社会的自由なんて、成り立たない」
そうだろうか。トムは彼女を見た。スープを飲みながら、心ここにあらずと云った感じで彼女は外を見ていた。本当にサリは心からそう思っているのだろうか。──
スープを飲み干し、サリはカップをテーブルに置いた。「機械は入力に対して出力するだけのもの。ただ、決められた通りに。手順通りに。決まり事の通りに。迷いなく、最短の結果を出力する。ひとが読書と呼ぶ入力は、自身の心を通して出力される。その時の気持ち、その時の季節、その時の天気。どんな出力があるかなんて、自分だって分からない」そうして、彼女は少し、笑った。「時間は不可逆に流れていく。同じ自分が同じ本を読んでも、同じ感想にならない、不確かなものがそこにある」
それからサリはソファから立ち上がって、「ちょっと外の空気を吸いたい」
サリがトムに指示して訪れたのは、──
「夏至祭り」そこはまさに(夏至祭り)花火の上がる浜辺だった。




