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七年前の邂逅 ※ハリク視点

 遠い記憶を辿る。

 七年前。私が八歳であったとき。


 高熱に魘され、死の淵に瀕していたスヴェン・モロン。

 私が、彼を抱えて途方に暮れた表情をした妹のアリア・モロンと出会うきっかけになったのは、結局のところ、今隣に座るピエリスだった。


 真剣な眼差しでこちらを見るピエリスは、私の父と彼女の父が、互いの子の婚約させる方向で事を進めていることを一切知らない。聡明な彼女。私は幼いときには、ピエリスに対して嫉妬にも似た感情を抱いていたものだった。


「……確かその日は、私は王都の下町に新しくできた病院へ視察へ出ていたんです」


 瞼を閉じる。

 まだまだ幼かった頃の自分。王である父に、視察に行ってみたいと言って下町へ足を運んだのは、市井の人々の暮らしや現状を、一国の王子として把握しておきたいーーなどという殊勝な心がけによるものでは決してなかった。


 数人の護衛を引き連れて、初めて訪れた王都の下町。

 見るものは何もかもが驚きに満ちていて、きっかけはなんであれ、見聞を広めるには良い機会となったのは間違いなかった。

 だからこそ、私は、あのときのことを今でも鮮明に覚えているのだ。


 それに、何より。

 ピンクゴールドの髪をした少女。

 私は彼女のことを、ずっと忘れられずにいたのだから。





「ピエリスお嬢様はひと月に数度、領内の視察に赴いているらしいですよ」


 教えてくれたのは、私の教育係であった女史のひとりで、確かに数か月前に会ったキャメルもそんなことを言っていたなと思い出す。


『私も最近は修道院に行くようにしているの』


 そう言ったキャメルは五歳のときとは打って変わって、溌剌として凛々しい少女へ成長していた。


 ……そういえば、レイラークも修道院でよく神官見習いとして雑務をしていると言っていたな。


 彼の場合は紋章を持って生まれたからであって、自主的なものではなかったのかもしれなかったが、周りの同年代の子どもたちは、まだ八歳という年齢であるにも関わらず、ささやかなものではあろうが社会的な奉仕活動を行っているという。


「さすが名門アシュレイ家のご息女でいらっしゃいますわ。しかも非常に聡明でいらして、病院に視察に出た際に、衛生問題について言及され、改善案までお出しになられたようで」

「……そう」


 私は面白くなく、興味なさげに返事をした。

 その様子に女史は少しだけ怒ったように眉を釣り上げる。


「殿下も将来この国を担うお役目だということをお忘れなく」

「わかってるよ」


 何度も言われた言葉だった。

 だが、みなはそう言うが、私には王都でさえ自由に出歩かせてくれないではないか。


 ピエリスとは、レイラークやリヒトに比べて頻繁に会う機会はそこまでなかった。それでも、彼女の話題は事あるごとに耳に入る。そのどれもが彼女を褒め称えるもので、彼女が次代の王妃になればこの国も安泰だと、気の早いことを言う者までいた。


 私はピエリスのことは嫌いではなかったが、幼い子どもの自尊心を刺激するのには十分で、また、その当時の自分には「病院に赴いて衛生状況について確認する」といったような考えは一切なかったものだから、そんなことを同じ年齢で行ったピエリスに対して大いなる劣等感を抱いたものだった。



「父上、私も市井の病院を見学に伺いたく思います」


 ーーだから私は、子どもらしい愚かな感情を原動力に、渋る父を説得して……確か無音なしおとの月。王都の下町にある病院へ行くことにしたのだ。





 メルディア聖王国は長いこと安定しており、干ばつや大規模な飢饉、流行り病といった災害とは、ほとんど無縁でいた。

 また現国王である父はのほほんと見えて、あれで手腕が良いようで、王領においてはそれなりに人々は豊かな暮らしを営むことが出来ている。特に王都は治安も良く、貧困層というのも他国に比べて圧倒的に少ないのは、その当時も今も変わらない。


 王都に病院はいくつかあったが、せっかくの機会であるのだし、私は普段目にすることが全くないような区画を見て回ってみたかった。

 そうして訪れた場所が、王都の中でも最も低所得層が居住を構えているという区画だった。


 低所得者層の住まう区画とは言っても、やはりいわゆる貧困街と言うほど貧しく窮しているわけではない。

 国の方針によって、仕事の斡旋や定期的な食事の配給、家のない者には居住スペースの提供なども行っているので、それなりの水準は保たれているのだ。


 だが、普段王宮で裕福な暮らしを送っている自分にとっては、とても信じられないような生活水準であって、その区域の通りに足を踏み入れたとき、生活臭ーーというべきか、そういった生々しい空気が辺りに重く漂っているように感じて、強い衝撃を受けたものだった。


 お忍びであったため、王家の家紋が入っていない質素な馬車で近くまで行き、そこからは徒歩で病院へと向かった。

 連れているのは腕利きではあるが数名の護衛。

 私も彼らも、人目を阻むように王族にとっては粗末なローブを羽織って下町を歩いていた。


 頭まで被ったフードの下で、私は辺りをおずおずと見て回った。


 他の区画とは違って全体的に狭い路地が多く、日が建物に遮られているため薄暗くてどことなくカビ臭い。王宮では雑巾にも使われなさそうな布が、建物の窓から向かいの窓まで渡されたロープに引っ掛け干されている。冬であるため吐く息は白かった。その下を潜って、複雑に入り組んだ道を進む。

 その数年後にひとつの事業として今では解消されているが、当時は路地にゴミ袋が散乱していた。カラスや猫がそれを漁り散らかしており、悪臭が漂っている場所もあったのを覚えている。転がった空き瓶の傍で眠る者。ガラクタにしか見えないようなものを店頭に並べて怪しげな露店。こちらを注意深く、探るように向けてくる不躾な視線が恐ろしかった。


 私は初めて訪れた、自分が生きている世界とはあまりにもかけ離れたーーまるで異世界のようなその場所に、胸中では怯えを抱いていたのだけれど、それを護衛の者に少しでも気とられたくなくて、あくまで堂々として歩いて見せていた。

 虚栄心。ピエリスはこんな風には思わないかもしれないと感じて、また劣等感、羞恥心。

 誰も表立って私とピエリスを比較したようなことを口にはしないけれど、きっと裏では彼女と比べられているのだろうと思うと悔しかった。情けなかった。


 病院に着いたら、自分も何か意見しようかーー目的と手段が逆になった浅はかな考えを持って、間もなく病院、というところだった。


「……何か言った?」

「いえ、私どもは、何も」


 声が聞こえた気がして、護衛たちを振り返ったが、彼らは揃って首を横に振った。


 聞き間違えかーーそう思ったときだった。


「……よう…………どうしよう……」


 やはり聞こえる。

 ぐすぐすと嗚咽混じりの小さな声。女の子のものだった。


 貴族の子女は、感情を表立って出さないように教育される。

 特に涙ーーというものは「本当に大事なときにしか見せてはいけませんよ」と家庭教師や母親から口酸っぱく注意されるのだと、いつだかキャメルがぼやいていた。

 だから私の身近な女の子……妹のモニカは別として、幼馴染のピエリスやキャメルは私の前で泣いたことなど一度もなく、そのすすり泣く声は私の興味をそそったのだった。


「殿下……? どちらへ」


 護衛の潜めた声を無視して、私はその嗚咽の聞こえる先へ足を向ける。

 狭い路地を二度ほど曲がって、そこにいたのは、同い年くらいの少年を抱えた、ひとりの少女だった。



 白く細い腕。下町の薄暗い路地に不釣り合いだと感じるほど、美しく艶やかなピンクゴールドの髪。

 抱えられた栗色の髪の少年は、ぐったりとしていて呼吸が荒い。

 自分の上着を少年にかけて、少女は寒々しい七分袖の姿で道の端に座り込んでいた。


「うっ……おに、ちゃん……」

「具合が悪いの?」


 少女はこちらには一切気が付いていない様子で、そのとき私は自分でも驚くほど躊躇いなく彼女に声を掛けた。


 はじかれたように、少女が顔を上げる。


 今にも泣きそうに歪められた顔。それでもなお、幼いながらにして端正に整っていて、その大きく見開かれた髪と同じ色の瞳には、見る者を吸い込むよいうな不思議な魅力があった。


「……」

「…………」


 少女は突然声を掛けられたからか(それもこちらはフードを被った大人を数人従えている)、目を驚愕に見開いたまま、言葉を発せずにいた。

 私も私で、少女の持つ不思議な雰囲気に一瞬にして飲まれ、こちらから声をかけたものの、二の句が継げないでおりーー沈黙。



 そんな居心地の悪い静寂を打ち破ったのは、少女が抱える少年の苦し気な呻き声だった。

 それを聞いて少女はハッとしたように「おにいちゃん、しっかりして」と、少年を揺さぶる。


 そうか、少女が抱えている少年は兄なのかーーと、頭のどこかで冷静に考えて、硬直の解けた私は急ぎ彼女のもとに近寄った。


「熱が出ているの?」


 彼女の目前に屈んで、少年の様子を観察する。

 少女はこくこくと何度も首を上下に振って頷いた。


「病院には行った?」


 この区域の病院では、低所得者層のために非常に安価もしくは無料での診療も行っていたはずである。もし彼らに身寄りがいなかったとしても、受診することは可能であるはずだ。

 そう思って問えば、「行きました」と少女の小さな声。


「お薬もいただいていたんですけど、全然効かなくて……」

「熱が下がらない?」


 再びこくこくと頷く少女。

 私は、ふむーーと、頷いた。


「どのくらい熱が続いているの?」

「もう三日です」

「……三日?」


 ずいぶんと長い。

 子どもの体力ではそろそろ限界が近いのではないだろうか? ずっと前に熱を出して寝込んだことを思い出す。一日ですぐに熱は下がったが、それでもかなり苦しかったのを覚えている。


「ーー熱が移りでもしたら大変ですので」


 護衛のひとりが言った。無感情に抑揚のない声。

 彼らの立場からすれば仕方のないことだったのだろうが、そのとき私は単純な怒りを覚えた。呼吸の荒い少年。その顔は紅潮しているどころか既に血の気が引いており、まるで死者のように青白かった。今まさに死に瀕している子どもがいるというのに!


「黙れ!」


 私は思わず声を乱暴に荒げた。

 そんな物言いをしたのは、後にも先にもあのときくらいだったと記憶している。


 護衛たちが息を呑んだ雰囲気を見せ、目前の少女がびくりと肩を跳ねらせる。

 その当時は気づかなかったが今になって思えば、そのとき彼女は、私がそれなりの立場にある人物だと察したのだろう。


 泣きそうな瞳。一文字に固く結んでいた唇を震わせて、高熱を出している少年に引けをとらないような青白い顔……彼女は意を決したように、掠れた声で言ったのだ。


「……た、たすけて」


 そのときの顔が、忘れられない。

 言葉にし難い、何かがあった。


 私を真っすぐに射貫いたピンクゴールドの双眸は、まるでひとつの罪を犯したかのような、壮絶な色を湛えていた。


「……これを」


 私が懐から出したものは、小瓶に入ったポーションだった。

 かなり上位のポーションだと父から持たされており、何でもほとんどの傷や病気をたちまち治すことができるものらしい。


 躊躇いなく小瓶の蓋を開ける。


 護衛のひとりが、その小瓶を見て「あっ」と声を上げた。

 私はそれを無視して、その少年の口にポーションを注いでやる。


 変化は明らかだった。

 一瞬のうちに、少年の顔に血が通う。荒かった呼吸が穏やかなものに落ち着いてくる。私はポーションがしっかり効いたことに、ほっと安堵した。


 そのとき、少年の頬の上に、ぽたりと落ちるものがあった。


 ーー涙。

 少女が、ほろほろと涙をこぼしていた。大きな瞳からとめどなく涙がこぼれている。それを見て、私はただ、美しいーーと、思った。

 人が誰かのために涙をこぼす姿。

 これ以上に、美しいものがこの世界にあるのだろうか。

 そう思うほどに、私はそのときの彼女の姿に強く胸を打たれていた。



 ……。

 勢いよく立ち上がる。

 この場に留まり続けるのは危険だ、と思った。


 だって、彼女と私の人生が、この先交錯することはもう二度とない。関わることはない。会うこともないだろう。だから私は、さっさと立ち去るべきだと思ったのだ。


「落ち着いたら、念のため病院へ行った方がいいと思う」


 私はそれだけ去り際に言って、踵を返そうとした。だがーー


「待って!」


 呼び止める声。

 私は半身だけ捻って振り返った。

 少女は涙に濡れた顔に、満面の笑みを浮かべて、言った。


「ありがとう!」


 このときほど、王族である身を呪わしく思ったことはなかった。





 まさか七年が経って、魔術院であのときの彼女と再会することになるとは夢にも思っていなかった。

 しかも彼女には聖女の資質がある。

 十八になる年の福音の月に、もし彼女が聖女と認められたらーー?


 微かな望みとともに、王太子にあるまじき欲が湧いてしまった。

 だからだろうか。だから罰があたったのだろうか。


「ーー私からお話しできるのは、このくらいですね」


 私はつきそうになったため息をひとつ飲み込んで、七年前にスヴェン・モロンに薬を与えたときの話を終えた。……当然、ピエリスへ抱いていた劣等感やアリアへ抱く想いは語っていない。


 魔女であるベルリンやシア先生は、スヴェン・モロンが呪いをかけられたときの何かの手掛かりになればと思って、私を呼んだのだろうが、私が語れるものなど、これくらいだ。

 予想通り、ベルリンとシアは「まあそんなものか」といったような表情をしていた。彼らもあまりあてにしていなかったのだろう。ーーしかし、隣に座るピエリスをちらりと盗み見て、ぎくりとする。


 彼女は、何か真剣な表情で考え込んでいた。


 ーーピエリスのこういうところが、少し苦手だ。


 たまに何を考えているかわからない、どこか遠くを望んでいるかのような目をする。

 私では到底理解の及ばない思考。

 幼少の頃から会う度にそれを痛いほど実感させられてーーいつかは結婚するかもしれない相手。私はずっとこんな劣等感を抱きながら生きていくのか? 追いつけるようにと努力もした。だが、埋まらないこの溝は何だ。


 隣に座るピエリスは、そんな私の気など知らず「お聞きしたいのですけれど」と。


「殿下は、どうしてそんな上位のポーションを持っていたんです?」


 問われて、私は、何か万が一のことがあったときのためにと、父に持たされていたのだと答える。


 私の曾祖母である太皇太后がわざわざパルディキアの行商から取り寄せたもので、とても希少なもので在庫がないことから、私も手渡されたときに「万が一のときに使いなさい。くれぐれも無駄遣いしないように」とよくよく言い含められていた。


 しかし、答えてーーはて。


 自分でも言って首を傾げる。

 そのポーションは何も、以前から持たされていたわけではなかったなと思い出す。持たされることになったのは何か理由があったのだったか。


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― 新着の感想 ―
ここまで一気読み とても読みやすく面白かったです いつか続きを見られることを楽しみにしています
ほんとにポーションですかぁ……
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