青天の霹靂 ※ハリク視点
今にも泣きそうな顔をした少女のことを、今でもよく覚えている。
*
突き抜けるような白郡の空。雲ひとつない、快晴。
キンーーという鋭い金属音が響く。
連続して打ち出される斬撃。重いくせに速い。踊るようにこちらを攻め立ててくる鈍色の刃を幾度となく弾きーー態勢を一度立て直すべきか。後方へ飛び退いて距離をとる。
「……っ」
が、瞬く間に灰色の頭が眼前に迫ってくる。
握った両手剣で振り降ろされた斬撃を受け止めーー腕に痺れるような衝撃が走る。青い双眸と視線がかち合った。緊迫した空気。互いに言葉を交わすことはない。
今度はこちらから連撃を放つ。いつまでも受け身のままでいるわけにはいかない。が、難なくいなされ、思ってもいない角度でその鋭利な刃が首元に迫る。咄嗟に上体を逸らし、自分の首があった位置で動きを止めた一瞬の隙をついて、そのまま左足を軸に体を半回転させ、袈裟懸けに剣を振り払った。
ーー見開かれた目。私は寸でのところでその刃を止めた。
一瞬の静寂。
私たちはその態勢のまま、しばらく動かずにいた。
穏やかな一陣の風が頬を撫で、目の前で灰色の髪が揺れる。ふーーと。リヒトは目元を和らげて微笑んだ。
「降参です」
王宮の中庭の一角。
指南役の騎士から剣を習うときや、リヒトとこうして手合わせを行うときはいつもこの場所だった。
始めたときにはまだ低い位置にあったはずの太陽は、すでに真上へと上っていた。結構長い間やっていたなーーリヒトが予め用意していたタオルで汗を拭い、水を口にする。
「とうとう負けちゃったなあ」
タオルで汗を拭うリヒトは、先ほどまでの鋭い雰囲気を纏った人物とはまるで別人のように、その顔に柔らかな笑みを浮かべた。そこに嫌味はひとつもない。ここには、私とリヒトの他に今は人がいないから、リヒトもくだけた口調で話す。
私はわざとらしく肩を竦めて見せた。
「ようやくだ。しかも普段は双剣じゃないか」
そう言うと、リヒトは困ったようにその眉をへにゃりと八の字に下げる。
彼が今腰にさしているものは、私のものと同じ、訓練用の両手剣だ。
この一見にして優男なリヒトは、優秀な騎士を代々輩出しているエードモロ侯爵家の令息であり、実際その家名に恥じぬ実力の持ち主なのである。ーー彼の本来のスタイルは双剣だ。
私はリヒトと幼年からの付き合いであったが、今まで彼に手合わせで勝てたことは、ただの一度もなかった。
手合わせにおいては、主従という立場に関係なく、互いに手加減なしの全力で行うことにしている。今日に至るまでの百戦は優に超える試合は、情けなくもリヒトの全勝という圧倒的力量差があった。相手は両手剣であったとはいえ、ようやくの初の白星である。
「今度からは双剣でやる?」
「……安定して勝ちをとれるようになったら双剣を使ってくれ」
それはあまりにも負けが見えていた。先の勝利も接戦の末の辛勝である。何度も危うい場面があった。
リヒトは私がそう答えるのがわかっていたようで、くすくす笑っている。
「でもレイには余裕で勝てるだろうね」
「あいつは訓練をサボりすぎだ」
「筋はいいのにもったいないよね」
リヒトと同じく幼馴染であるレイラークは、紋章を持って生まれたためか、ウェンディル家では大分甘やかされているらしく、本人もそれを良いことにのらりくらりとやっている節があった。……両親と王宮に来るときの様子を見るに、”甘やかされている”というよりは”腫れ物に触れるように”ーーという表現が適切な気がするが。王室含め貴族家は何かと難しいものだ。
中庭の芝生の上にどかりと腰かけて、リヒトとしばらくの間のんびり休憩をしていると、
「王太子殿下、休憩中のところ申し訳ございません」
ひとりの騎士がこちらへ近寄って来て、言った。
急いだ様子の騎士の姿に、私とリヒトは立ち上がる。
「国王陛下がお呼びでございます」
「父上が?」
「はい、急ぎとのことでございますので、そのままの恰好で良いと」
訓練用に誂えられた上衣は、真夏の日差しの下、手合わせをしていたこともあって汗でべたついていた。
本来ならば肉親とはいえ、父はこの国の王であるので、しっかりと着替えた上で赴くのが常であるが、そのままで良いと言われたので、帯刀していた両手剣とタオルをリヒトに預け、急ぎ父の元へ向かうことにした。
ーー執務室。
国王である父は、机に両肘をついて考えこむような恰好で私を出迎えた。その傍らには宰相であるピエリスの父、ルーウェン・アシュレイが控えている。
「稽古中だっただろう、急にすまないね」
「いえ、ちょうど終わったところだったので」
執務室には私たち三人だけである。
私は父に許可をとらずにソファに腰かけた。
「急ぎとのことでしたが、何かありましたか?」
「ああ、実はお前にも話しておかないといけないことがあってな」
ふうーーと、ため息をついた父は、組んでいた指を解いて背もたれに深く寄りかかった。その顔はどことなく疲れて見えるーー周囲にはわからないであろう、微かな差だ。
「なに、どこから話したものかな」
「私からお話ししましょうか」
「ああ、そうだな。そうしてくれ」
ルーウェン・アシュレイの申し出に、父はすぐさま頷いた。
ピエリスの父である彼は、父と幼年からの付き合いで、ちょうど私にとってのリヒトやレイラークのような存在であるらしかった。であるからこそ、互いのことをよくわかっており、父はルーウェン・アシュレイに大して全幅の信頼を置いている。それに加えて、ルーウェン・アシュレイは宰相として敏腕であるらしかった。
その娘であるピエリスも、さすがルーウェン・アシュレイの子というべきか、非常に聡明で器量も良い。父はピエリスをいたく気に入っているため、聖女の資質を持つアリア男爵令嬢が現れなければ、とっくにピエリスを私の婚約者に据え置いていたはずだ。
ピエリスのことは、嫌いではない。
むしろ友人としては、かなり好ましく思っていて、周囲に人目さえなければ、気兼ねなく話をできる数少ない人物のひとりには違いなかった。だが、そこに恋焦がれる気持ちがあるかと問われると、正直にただの少しもない。あくまで、彼女は幼馴染で、良い友人だった。
ルーウェン・アシュレイの顔はどこか浮かない。
なんとなく、これから話されることを察して、私は「こういうものだ」と、思った。
ルーウェン・アシュレイが娘に家を継がせたいと考えていることは、父がいつか言っていたのを覚えている。娘が王妃になるのであれば喜ぶ親が大抵であるような気がするから、彼のこの反応はかなり珍しい部類ではないのか。そんな野心のないところを父は好ましく思っているのだろう。
ーーそんな風に考えていたのだが、ルーウェン・アシュレイの口から語られたものは、ひとつは憶測が合っていたものの、全体を通しては予想を遥かに越えていた。
呪術というものの存在。
そして、アシュレイ家の持つ秘密。
その秘密があるがために、ピエリスと私の婚約を近いうちに考えているーーと。
それを聞いて、胸のうちに湧く感情は何もなかった。
ただ、ひとつ、思う。
「それを今、私に言って良かったのですか?」
「うん?」
首を傾げる現国王、父。
隣に立つルーウェン・アシュレイは、一瞬のうちにハッとした表情になって「あちゃあ」と、口元に手をやった。……善政を敷いているとは聞いているが、こんなふたりでこの国は本当に大丈夫なのだろうか。仄かに心配になる。
「呪術とやらがかけられていないかどうか、私はまだ検査を受けていなかったかと」
「……あちゃあ」
肩を竦めて言えば、今度は父がはっきりと情けない声を口にした。
アシュレイ家の持つ秘密についてしっかり聞いてしまったが、もし私が呪われていたら、情報が筒抜けになってしまうのではないか。自身が呪われているような自覚はさらさらなかったが、本来呪術とはそういうものだと聞いたので、いささか不安になる。
「……いやはや、最近対応に追われていてね。これでも少し疲れているんだ。…………いやあ、やってしまったなぁ」
そう言って、ばつが悪そうに頭をぼりぼりとかく父。そこに現国王としての威厳は微塵もない。
私はため息をひとつこぼして「私の検査を早めることはできますか」と言った。
万が一、呪われていたとすれば、もう聞いてしまったことはどうにもならないが、それでも調べないよりはマシだろう。父も同様に思ったのか、顔をわざとらしく引き締めて深々と頷いた。
「太皇太后に言われていたが、急遽検査の順を変更した方が良さそうだな」
太皇太后、というのは先王の母君ーー私の曾祖母にあたる。
「……ハリクやモニカも念のため調べた方が安心なのはもちろんなのだが、それよりも国政に関わっている王族以外の者を優先すべきだろうとのご意見でね」
それを聞いて、私は首を捻った。
客観的に考えると、いくら国政に関わっているとは言っても、王太子である自分よりもそちらを優先するのは良くないのではないか? それは不敬であるからーーとか、そういう理由ではなく、王位継承権を持つ自分が万が一呪い殺されでもすれば、世継ぎ問題というのが発生してしまうからである。それに普段は王が成すことに一切口を挟まない太皇太后が?
疑問に思う心を顔に出したつもりはなかったが、ルーウェン・アシュレイは私の疑問に答えるように口を開いた。
「太皇太后陛下はパルディキアの王室にいらっしゃいましたから、元々呪術についてはご存じでして、王太子殿下やモニカ第一王女様に呪いをかけられている可能性はほとんどないと見て、先に政に関わっているものを調べるべき、とご助言されたのですよ」
「そうだったんですね。……ちなみに、どうして私やモニカに呪いがかけられている可能性は薄いと考えられているんです?」
「未成年の場合には、呪いをかけられた際に死亡することがほとんどーーいや、生き残るケースの方が滅多にないそうで」
なるほど。だからこそ、私やモニカはほとんど可能性がないと考えられているのか。しかし、そこでやはり疑問に思うことは、今回の騒動の発端となっているスヴェン・モロンである。
「モロン男爵令息は、ではかなり珍しいケースであると?」
「発見した魔女は、あり得ないことだ……と言っていたな」
あり得ないこと。
そうですかーー私は曖昧に頷いた。
「お前の検査はまた日程を調整するとして……ああ、そうだ。その魔女がお前に聞きたいことがあると言っていてな」
「私に、ですか?」
「ああ、近いうちに彼女を訪ねてもらうことになるから覚えておいてくれ」
父が言うには、その魔女というのは名前をベルリン・ムンドゥアといって、ムンドゥアという姓で明らかなように、銀音学級の担当教員であるシア・ムンドゥアの家の者であるらしかった。
本来であれば用があるのはあちらなので、王太子自ら出向くようなことはせず、あちらから王宮に赴くべきではあるのだが、どうやらその呪術の有無を調べているのは主に彼女であるらしく、かなり無理をさせているので、少しでも負担を減らしてやりたいのだと父は言った。
呪術を知っている者は、そもそもこの国にはほとんどおらず、それを調べることができる者も、五本の指に満たないほどであるらしい。なんでも、そのベルリンという魔女は、エルメス魔道魔術機構の次代機構長となるのが濃厚と見られていて、かなり優秀な魔女であるらしい。今はワケあって機構を離れているらしいが……。
私としては、こちらから足を運ぶのは一向に構わなかった。
それもベルリンは、今は魔術院のある島の城下街に住んでいるとのことなので、放課後などに寄れば大した労力でもない。
「わかりました」
素直に頷くと「また日にちは改めて伝える」と言われる。
ベルリンは呪術の対応に忙しくしているらしい。よほど急ぎの用でない限り、一週間のうちに呼び出されることはないのではーーそう悠長に構えていたが、城下街にある魔女の店を訪ねることになったのは、そのわずか二日後のことであった。
ーーそこで彼女に尋ねられたのは、思いもよらず、七年前のとある出来事のことだった。
*
大きな瞳に涙を湛えた少女。
彼女はその細い腕で、同じくらいの体躯の少年を抱えていた。
「……た、たすけて」
か細く、震えた声。少女は真っ青な顔で、そう言った。




