巨大な渦
山唄の月、第三週、二日。火の日。
「ピエリス様、何かありましたか?」
「え?」
朝、魔術院へ行くために、クリスとともに庭園にあるオベリスクへ向かっていると、不意にクリスがそう言った。
「ん? なんで?」
これでも一応は王妃候補として、レベッカからそれなりに厳しい教育を受けてきた身である。落ち着かない心境であっても、それを周囲には悟られないように取り繕う術は身に着けてきた……はずだったのだが、長年の付き合いであって、実の肉親よりもいつも一緒にいたからか、どうやらクリスにはお見通しであったらしい。
「ずっとそわそわしてらっしゃるので」
と、事もなげに言われて、謎の敗北感。
私は、ふう、とひとつため息をついて、オベリスクの前で立ち止まり「今日は放課後、ツヴァイ・セス書店に行くことになったから」と言った。
「ツヴァイ・セス書店ですか? 今日もアリア様たちと課題をする予定では?」
「うーん、急遽用事ができちゃって」
「そうですか」
クリスの言う通り、今日も昨日に引き続き、放課後にはアリアとハリク、そしてリヒトと課題を行う予定であったのだが、昨晩、スヴェンと共有しているはずの伝達帳に、なぜかベルリンからメッセージがあったので、ツヴァイ・セス書店へ行く用事ができてしまったのだ。
『ーーツヴァイ・セス書店のベルリンよ。事情があって、彼から預かっています。彼のことで、どうしても話しておきたいことがあるの。急で申し訳ないのだけれど、明日お店に来ることはできないかしら』
文末には「今までのやりとりは彼が切り取って燃やしていたから見てないわ。安心して」と書かれていた。
スヴェンとのやりとりは日本語であったから、前世のことや『かなメロ』のことを知られる心配はなかったが、それでも万が一読まれでもしたら、不審に思われることは間違いなかったので、その文を読んで微かに安堵したものだった。
ーーいや、しかし。
いったい、何がどうしたら伝達帳をベルリンに預けるということになるのだろう?
私がそわそわしている理由はそれだった。
最近のスヴェンの様子がおかしいのと何か関係があるのだろうか。
クリスとともにオベリスクに触れ、一瞬のうちに魔術院へと転移する。
「それでは、放課後はエントランスホールでお待ちしておりますね」
「ええ、よろしくね」
大広間でクリスと別れ、銀音塔へと向かえば、一階の談話室に、今日も今日とて友人たちと談笑するスヴェンの姿があった。
……。
その姿は、至って普通である。
彼がアリアを避け続けているーーということを除けば、彼に何ひとつおかしいところはないように思える。
本当に、どういうつもりなんだろうか。
人目を憚らず、問い質せれば楽だった。
この前スヴェンに声をかけたときも、彼と一緒にいた友人たちは気を利かせて立ち去ってくれたが、それでも周囲には多くの生徒がいたため、強く問い質すことはできなかった。
私は結構直情的な部分があるので、この状況には非常にやきもきする。今日の放課後、ツヴァイ・セス書店で何かわかれば良いのだが。
ため息をつきたくなるのを堪えて、スヴェンから視線を逸らせば、ローラとアリアが楽しそうに話しているのが目に入る。そちらのテーブルへ向かえば、私に気が付いたふたりはその顔に満面の笑みを浮かべた。めっちゃかわいい。癒しである。
「ピエリス様、おはようございます」
私も挨拶を返して、何の話をしていたのかと聞けば、ふたりは最近流行っている恋愛小説の話をしていたらしい。なんかタイトルに聞き覚えがあるなと思ったら、クリスが読んでいた恋愛小説だった。なんでも世間で空前の大ヒットをしているのだとか。私は恋愛小説を読まないので、当然会話についていけるはずもなく。それを気遣ったふたりが違う話題を振ってくれるのだが、なんだか少し寂しく感じた。うーん、私も今度読んでみようかな。
今度クリスに借りるかなあ、なんて考えつつ、彼女たちとお喋りに興じていると、一限目の予鈴が鳴った。談話室で思い思いに寛いでいた生徒たちが、それぞれ教室へ移動し始める。
先週から続いているので、最早慣れてしまったが、相変わらずスヴェンはアリアを振り返りもしない。私たちは銀音学級で三人組でいることが最近は定番となり始めている。
「あ、そうだわ。アリア様」
「なんでしょう~」
もう四か月も経てば慣れたものだが、講義室は三階であって、その分螺旋階段を上らないといけない。この魔術院はその構造上、上下の移動が多いので、エレベーターが恋しくなってくるーー階段を上りながら、私はそうだったと思い出してアリアに声をかけた。
「申し訳ないのだけれど、今日の放課後、急用ができてしまって」
「あら、そうなんですね」
「約束していたのに、ごめんなさい」
「いえいえ、気にしないでください~。殿下も今日は用事があるらしいので」
「殿下も?」
「はい、ピエリス様がいらっしゃる前に少しお話ししてまして~」
まあハリクも王太子であって、何かと忙しい身である。
だからハリクが急用ができたと言って約束をキャンセルすることに、特別何の疑問も抱かなかったわけだが、どうやらリヒトの方は変わらず一緒に課題をする予定であるらしい。私とクリスのように、ハリクとリヒトはだいたいいつもセットでいるので、珍しいこともあるものだ。
ちなみに、昨日は家の用事があって不参加であったローラが、今日は空いているとのことで一緒に課題をすることになったらしい。私が間に入らなくとも、アリアとローラは良い友人関係を築けているようで何よりである。
ーー魔術院での一日はつつがなく進み、放課後。
一回生の授業は基本的に、一日三コマとなっている。
午前に二コマ。一時間のお昼休憩を挟んで午後に一コマだ。二回生からは選択科目が増えるので、場合によっては一日二コマになったり、四コマになったりするのである。
三限目を終えた後は、前世の学校のようにホームルームなどがあるわけでもないので、銀音学級の生徒たちに挨拶をして(基本ローラとアリアとばかりいるが、彼女たち以外にも親交がある学生はいる)、エントランスホールへ向かえば、そこにはすでにクリスがいた。
クリスとともに城下街へ下り、ネイビーストリートからツヴァイ・セス書店のある路地裏へと進む。
ちなみに今日ベルリンの元を訪ねるにあたって、侍女のクリスがいても良いかどうかは、念のため伝達帳で確認済だ。
ひとりでこんな路地裏に行ったのがバレたら、さすがに怒られちゃうからなあ……。
城下街はさすが魔術院のおひざ元なだけあって、治安は頗る良いが、それでもこの裏道はどことなく怪しげな店も立ち並んでいて(ツヴァイ・セス書店だって外観は怪しい)、いかにもな雰囲気を醸し出している。現に、少し前の方には、黒いローブをフードまで被った二人組が歩いていた。人目を憚るような様子は怪しいことこの上ない。クリスがやや警戒して歩調を落とした。
なんか怖いなあ、とか思っていると、彼らはとある店先で立ち止まった。
「ーーあ」
思わず声が出る。
壁面に突き出した看板には、ツヴァイ・セス書店の文字。
私の声に反応したひとりが、こちらを振り返る。ーー見知った顔だった。
「……ピエリス?」
ばちりと碧色の瞳と視線がぶつかる。黒いフードの下で、男のくせに美しいブロンドの髪が微かに揺れていた。
こちらを見て怪訝な声を上げたのは、急用ができたと言っていたハリク・ラ・メルローだった。
*
書店の二階ーー急勾配の古い階段を上った先は、少々埃っぽく、本やら実験器具やらが乱雑に散らかっていて、偏見かもしれないが、いかにも学者気質・研究者気質な人間の部屋……といった感じだった。
部屋の中心にはテーブルとイスが置かれており、その上には人数分のグラスとアイスティーらしきものが用意されている。
もともとそういうレイアウトなのではなく、壁側に机やソファなどの家具が適当に寄せられているところを見るに、急遽誂えたような印象だ。
ひとつだけある窓は濃紺のカーテンがしっかりと閉められていて、まだ昼間だというのに部屋の中はどことなく薄暗い。……。
映画とかの密談するシーンみたいだ。
そんな感想を抱きつつ「適当に座って」と言われたので、イスに腰かける。クリスもそれに倣って隣のイスに座り、クリスとは逆側の隣の席にローブを脱いだハリクが座った。
机と挟んだ正面の席には店主であるベルリンと、着ていた黒のローブを脱いだシアのふたりである。
黒いローブを着ていた二人組のうち、もうひとりは銀音学級の担当教員であるシアだった。
「ピエリスちゃんも、急に呼んでしまってごめんなさいね」
「いえいえ、大丈夫です」
魔術院の”平等”の理念に基づいて王太子であっても呼び捨てにため口であるシアとは違って、ベルリンの方はハリクをしっかりと王族として扱い、先に呼び立てたことへの謝罪を先に行っていた。ハリクの方はシア同様、気楽に接して欲しいと口にしていたが、ベルリンは頑なに首を縦には振らなかった。まあ、当然の反応である。
浮遊魔法を使っているのか、魔道ポットが宙で全員分のグラスにアイスティー(らしきもの)を注いでいる。
氷のカランカランという音が妙に涼し気で、このいかにもこれから密談しますといった雰囲気の空間に不釣り合いだった。しかしこの部屋は温度調節器もないのか、じめじめしていて暑いので冷たい飲み物はありがたい。
「これから話すことは、決して口外しないようにお願いね」
そう言うベルリンの顔には、濃い疲労の色が如実に現れていた。
しかも、それはベルリンだけではない。シアのいつも不機嫌そうな顔も、最近はどことなく疲れているように見えていたものだった。
決して口外しないようにーー物騒な前置きだ。
というか、やっぱり密談。
やや緊張して姿勢を正した私は、それからちょっと思考が停止するような、とんでもない話を聞かされることとなった。
ーー呪術。
スヴェン・モロンは呪いをかけられている。
そんな言葉で切り出された話は、まさに寝耳に水であった。
呪い、という言葉は前世にもあって、今世にも当然あるのだけれど、実はみなが知らないだけで、確かなひとつの術としてかつてこの世界に存在していたのだという。
魔術とは根本からして別物であるらしいそれは、あまりにも凶悪で恐ろしいものであるがために、エルメス魔道魔術機構は長い時間をかけて、この世界からなかったことにしたーー抹消した……はずだったものが、スヴェンにかけられていた、と? 突拍子のない話に私は目を白黒させた。
さて、このことで問題となるのが、三つ。
ひとつ目は、当然、その呪術の使い手の存在。
エルメス魔道魔術機構のトップである機構長や、高名なケヴァン院長でさえ使うことができないと言う呪術を使うことができる人間。そんなレベルの魔術師ーー呪術師と言うべきだろうか? 危険極まりなく、野放しにしておけないため(事実、スヴェンは呪いをかけられている)、急ぎ調査を行っているとのことだ。
ふたつ目は、すでに呪いをかけられている人間が、スヴェンの他にいないかどうか。
呪術とは、対象を操ったり、意識を制限したりーーといったことを可能とする術であるらしい。
魔術でも同じことはできるのだが、市井にも広く普及している護身魔法具によって、防ぐことが可能である。だが、呪術はそうはいかない。
そんなものを国の要人にでもかけられていたとしたら、国家の一大事であるから、王室を始めとして、早急に呪術がかけられていないかどうか調べないといけないらしいのだ。
しかしこれがまだ進捗芳しくないらしく、なぜかと言うと、呪術がかけられていないかどうかを調べられる人間が、この国にはベルリンの他には、エルメス魔道魔術機構の機構長、そしてケヴァン院長しかいないと言うのだ。
魔道魔術機構の機構長と魔術院の院長に並ぶベルリン何者。
思ったが、それを突っ込むと脱線するので黙っていた。
そして、そのエルメス魔道魔術機構の機構長の方は、今は国外に仕事の関係で出ているらしく不在である。
つまるところ、呪術がかけられていないか調べるのは、時間も魔力も体力もかなり要すると言うのに、絶望的に人手が少ないので思うように進んでいないらしいのだ。
「私の魔力と体力では、一日にひとりがせいぜいなの」
と、疲れた顔をしたベルリンは悔しそうに言った。よくよく見てみれば、部屋の中には栄養ドリンクポーションの空き瓶がたくさん転がっている。
王族の中では、ハリクとモニカ王女様がまだ調べられていないが、一応この段階で、スヴェンの他に呪術がかけられている者は見つかっていないとのことだった。
「王家を全員調べ終えたら、三大公爵家も調べないといけないから……ピエリスちゃんもじきに順番が回ってくると思うわ」
「私もですか?」
「ええ、お父様は宰相でしょう? 念のためね」
確かに、もし私が呪いによって操られ、父を刺し殺すーーなんてことがあれば空恐ろしい。
しかし、呪いをかけられている……考えるが、全くピンと来なかった。そのままの感想を口にしたら「だから呪術は怖いのよ」と、ベルリン。
「普通は気づけないからな」
だからスヴェン・モロンが呪いによる違和感に自力で気が付いたのは奇跡に近いーーと、シアは言う。
スヴェンは、呪いの存在を知っていたのだろうか。
まさか、こんなご都合主義なゆるふわ乙女ゲームの世界に、そんなものが存在しているとは夢にも思わなかったが、それは私が他のルートをプレイしていなかったからかもしれない。もしかしたら、スヴェンは全ルートをやりこんでいたからこそ、違和感に気づいたときに、それを疑い、シアを頼ったのかもしれない……だが、そもそもその違和感にさえ普通は気づけないというのだから、やはり呪術というものは恐ろしく、それに打ち勝って意識を向けることができたスヴェンの、妹ーーアリアへの愛情の深さは計り知れないものがあった。
ーースヴェンは、自分でしたくてアリアを避けていたわけじゃなかったんだ。
それどころか、妹への想いがあったからこそ、違和感に気づくことができたのだろう。
それを知って、スヴェンの今置かれている状況を思うと、決して安堵はできなかったけれど、それでも、良かったーーと、思う気持ちがあった。
そして最後に残る問題が、その件のスヴェンの処置である。
シアとベルリンは、包み隠さず「死の可能性がある」と語った。
それに顔を青くしたが、どうやらスヴェンが呪いをかけられたのは七年も前のことであるらしく、今日に至るまで生き永らえているので、呪いをかけた何者かは、何らかの目的があってスヴェンを利用するために殺さずにいるのだろうというのが、この問題を共有している大人たちの見解だった。
「それで、今日は王太子殿下に七年前のことをお聞きしたく、お呼び立てしました」
ベルリンが丁寧にそう言って、そこでようやくハリクがここにいる理由に合点がいった。
七年前。
きっとスヴェンが死の淵をさまようほどの高熱を出したーーというときのことを指しているのだろう。
スヴェン自身も覚えていなかった出来事。アリアはハリクとそのときに邂逅したのだと聞いている。
しかし、ハリクが呼ばれた理由はわかったが、どうして私も呼ばれたのだろう? それにクリスにも聞かせて良かったのだろうか。
「七年前……今でもよく覚えています」
ハリクは神妙な面持ちで深く頷いた。
記憶を辿るように、ゆっくりと話し始めるーー……
*
不穏な影はすぐそこまで迫ってきていた。
大きなひとつの渦に私たちは飲み込まれていく。
このひと月後。
メルディア聖王国に大きなニュースが三つ流れることとなった。
モニカ第一王女の失踪。
隣国パルディキア第二王子の留学。
そしてーー三公アシュレイ家の一人娘ピエリス・アシュレイと、王太子ハリク・ラ・メルローの婚約である。




