ツヴァイ・セス書店
「ピエリス様。この後、少し書店へ寄らせていただいてもよろしいでしょうか」
薄くなったアイスティーを飲み終え、ぐぐーっと体を伸ばしていると、恋愛小説を鞄に仕舞ったクリスが少し申し訳なさそうにして言った。表情の変化が乏しい(ほぼない)クリスだが、申し訳なさそうにしているだとか、何故だかわかるのだから不思議なものである。
「続きが気になるのです」
「あ、続きものなのね」
よほど続きが気になると見える。クリスはこくこくと頷いた。
アシュレイ家の書斎や、魔術院の図書室の蔵書量は素晴らしく、稀覯本も多く保管されてはいるのだが、いかんせん恋愛小説というものはどちらにも置いてない。そのため、恋愛小説が読みたいのならば、王都もしくはアシュレイ領のそこそこ大きい町にある図書館で借りるか、書店で新しく購入するかしかないのである。
王都にもアシュレイ領の図書館がある町にも、我が家からオベリスクで繋がっているから、一瞬で移動することは当然できるのだが、時刻はもう夕方の四時である。
この世界の大抵の図書館はちょうど四時には閉まってしまうので、今から図書館で恋愛小説を借りるのは難しい。今は夏であるが、この世界にサマータイムという概念は存在しないのだ。
だからクリスは書店に行きたいらしい。
続きが気になって気になって仕方がないという調子であるし、断る理由もないーー城下街の書店へ寄って行くことにした。
カフェから出て、さらに下の大通りへと向かう。
もう夕方という時間帯であるが、日が長くなっているため、辺りはまだまだ日中の賑わいを見せていて、それなりに活気が感じられる。
大通りには様々なショップが立ち並んでいて、カフェにレストラン、デリカテッセンやパティスリーといった飲食店の他、雑貨屋やアクセサリーショップ、薬屋、それから魔術院の制服なども取り扱う服飾店などがある。
この通りは『ネイビーストリート』と呼ばれ、この島に住む人々だけでなく、魔術院の生徒たちもよく訪れる城下街のメインストリートとなっている。
魔術院下にある商店街なだけあって、雑貨屋であれアクセサリーショップであれ、魔力が付与されたものを売っている店が多い。
魔法の存在しない世界を生きた経験のある身としては、どれを見ても面白く、このネイビーストリートをふらふらとウインドウショッピングするだけで、ゆうに数時間は時間を潰せるものである。
どうでも良いことだが、何故この商店街は『ネイビーストリート』というのだろう。逆にひとつもネイビーの色合いを外観に持つ店はないのだから謎である。
私とクリスはネイビーストリートのちょうど中央辺りにある、一番大きい書店へと向かった。
書店『グロウリー・ブックハウス』ーーアーチ型の両開きの扉の上に見える、開かれた本を形どった看板が目印だ。
カランカランという、入店を知らせる音とともに中へ入る。
大げさでない程度の冷房がつけられていて心地良い。
当然、この世界にエアコンなどといった空調設備は存在しないのだが、足りない科学技術を都合良く補填しているのが、毎度のことながら魔法である。この世界ではエアコンに代わる魔道具『温度調整器』なるものがある。名前がそのまんますぎる。
グロウリー・ブックハウスは、さすがネイビーストリートで一番大きい書店なだけあり、豊富な種類の本がコーナーごとに、ずらーっときれいに整列している。
恋愛小説が並んでいる棚を探して、そちらへと足を運ぶ。
日本の書店とは違って、どれもこれも背表紙が似たようなものばかりであるから、お目当ての本を探すのに時間がかかりそうだ。
クリスが目的の恋愛小説の続巻を探している間、私は手持無沙汰に適当な本を手に取り、ぱらぱらと捲る。
長時間の立ち読みはやはりご法度であるが、この程度であれば咎められることもない。
……うん?
何の気なしに開いた本は、真っ白だった。
首を傾げて表紙を見る。茶色の表紙に赤い文字で『リリスの赤い毒』と書かれていた。これ、舞台化して大成功したやつじゃん。
でもなんで真っ白なんだ? と、一ページ目に戻ってみると、
『あなたの名前を教えてくださるかしら?』
という一文の下に、何やらテスト用紙の氏名欄のように、空白の記入欄があった。一ページ目の最下部には小さく『この物語はあなたの選択によって変化します』と書かれている。
……ゲーム・ブックというやつでは。
恐らく、空欄を埋めたり、選択をしたりしていけば、それに応じた物語が空白のページに表示されていくのだろう。ラブサスペンスでゲーム・ブックとはこれいかに。というか、ゲーム・ブックを舞台化って、よくやったなと謎に感心してしまう。こういうのってマルチエンドじゃないの?
私は『リリスの赤い毒』を閉じて、元の場所に戻した。
「ピエリス様、ありました。買ってきますね」
「いいよ、アシュレイ家で支払いましょ」
「いえ、大丈夫です」
やはり頑ななクリスである。
「読み終えた後いつもどうしてるの?」
「使用人部屋に置いといています。他の方が自由に読めるように」
「じゃあアシュレイ家支払いでいいじゃない」
私はそう言って、クリスの手から本を抜き取り、会計カウンターへと持っていく。この城下街でも、魔術院の学生証を提示すれば、ある程度の上位貴族はキャッシュレスで買い物を済ますことができるのだ。
会計を済ませて、購入した本をクリスに手渡す。
「すみません。ありがとうございます」
クリスは無表情のまま深々と頭を下げた。
「大した出費じゃないんだから、クリスはもっと欲しいもの言っていいのよ?」
「……次回何かあれば」
「うん、ぜひそうしてちょうだいな」
物欲がほとんどないクリスである。いつもたくさんの世話をかけているのだ。金銭面でくらい頼ってもらいたいものである。……まあ、アシュレイ家のお金であって、全く私のお金ではないのだが。親のすねかじりもいいところである。
グロウリー・ブックハウスを出て、そろそろ帰るかと来た道を引き返す。
オベリスクは魔術院だけでなく、城下街ネイビーストリート横の広場にもいくつかあるのだ。春のうちに登録申請を行っていたので、今ではそちらからでも自宅へ帰ることができる。
ーーと、そちらへ向かって歩いていると、不意にとある雑貨屋の横から細長く繋がっている路地が目に入る。
立ち止まって、その路地をじいっと見つめた。
……『かなメロ』になんかあったな。裏道に入ったところのお店。
『かなメロ』は、放課後などに街に移動すると、アイテムを購入することができるシステムとなっていた。
各パラメーターを底上げするアイテムであったり、スタミナ(これが低下するとパラメーターが上がり難くなる)を回復するアイテムであったり、様々なものを購入することができるのだ。
ゲーム操作としては、画面上に城下街のマップが表示され、行けるようになっているお店へカーソルをあてて選択すると、そこの店に移動できるーーというものである。
そのショップ一覧の中に、確か裏道にある魔法具店、魔道書店がなかっただろうか。
確か魔道書店の方は、中盤ほどになると、何故か行けなくなったような記憶がぼんやりとだがある。
「どうかされましたか?」
「ねえ、ちょっと寄り道してってもいい?」
クリスは、アシュレイ家の使用人たちに支給されている懐中時計を見て頷いた。
「あんまり遅くなるとお叱りを受けてしまいますけど、少しであれば」
我が家に明確な門限というものは設けられていないが、大体夜の六時を回ったあたりで「遅かったじゃない?」と、にっこり顔の母に圧をかけられることが多く、七時を回ると「早く帰ってきなさい!」と、普通に怒られる。休日に友だちと出掛けたときはその限りではないが。
「じゃあ、ちょっとだけね」
クリスのお許しが出たので、雑貨屋横の裏道へ足を踏み入れる。
賑やかなネイビーストリートに比べて、やはりこちらは道行く人々も少なく、建物に日の光が遮られているため若干薄暗い。壁際には、何が入っているのやら……木箱が積まれて置いてあったり、大きな麻袋が無造作に置かれていたりする。木箱の上で寝そべっている黒猫が、にゃあと鳴いた。雰囲気あるなあ。
しばらく歩いたところに、壁面から突き出した看板があった。
古ぼけた板に、少し掠れて『ツヴァイ・セス書店』と書かれている。
これが『かなメロ』に出てきた魔道書店かは思い出せないが、埃のせいか曇った窓ガラスに、薄汚れたアンティークドアという店構えが、いかにも隠れた専門店という様相である。
控えめにドアを開ければ、カン……カン……という、やる気のないベルの音が鳴った。ドアの上側を見上げれば、入店用のベルが錆びているらしい。
店内はさほど広くはないが、店の奥に二階へと繋がる木の階段が見える。商品がきれいに陳列されていたグロウリー・ブックハウスとは違って、本棚以外にも無造作に本が積まれていた。その多くの本はいずれも分厚く、とても新品ではないーー古書のようである。これはマニアにはたまらなそうだ。
入口のすぐ横には会計のカウンターがあって、その向こうにダークグリーンのローブを着た人物が座っている。
こちらに背を向けており、頭にはフードを被っているため、その人の性別、年齢は窺い知ることができない。店主だろうか? 入店を知らせるベルが鳴っても、振り返りはしなかった。店主もやる気がなさそうである。
クリスとともに店の中へと足を踏み入れ、雑多に置かれている本を見て回る。
やはり、どれも魔道書のようだった。『魔術と真理の究明』といった胡散臭いものや、『空間魔術式分解法・下』……気になるが上がない。『魔術透徹理論』といった論文めいたものもある。
グロウリー・ブックハウスにはないような魔道書ばかりだ。クリスも興味津々なようで、いくつか手に取って捲って見ている。
それにしても全然客がいないな……。
店内は奥まで見渡せる程度の広さしかない。だというのに、客は私たち以外におらず、ガランと静かだった。知る人ぞ知るといった感じの店なのだろうか?
そう考えていると、固い靴底が板を踏むような音が響いた。ちょうど階段を降りるときのような音だ。
奥にあった階段を振り返って、私は「あ」と、声を上げた。
「……ピエリス・アシュレイか?」
階段で二階から降りてきた人物はーー黒く長い髪に、赤い瞳。銀音学級の担当教員であり、『かなメロ』においての攻略対象キャラクターでもある、シア・ムンドゥアだった。




