「祝福」
「あら……シア先生、ごきげんよう。まさかこんなところでお会いするなんて思いませんでしたわ」
本当にこんなところで教師シアに会うなんて、思いもしていなかったので、驚きつつ先生に対してカーテシーの礼をする。
その言葉に反応したのは、シアではなかった。
「シアの教え子?」
女性の声だった。
そちらへ目を向ければ、カウンターの向こうに座っていた店主らしき人物が振り返っている。
大きなペリドットの瞳。ダークグリーンのフードの下で黒い毛先が揺れている。緩やかにウェーブした短い濡羽色の髪に、褐色の肌。釦の閉じられていないローブの下に、大胆に開いた胸元が見える。豊満なバスト……なかなかに艶めかしいーー大人の魅力溢れる女性であった。
「ああ、銀音の生徒でね」
シアが軽い調子で店主(らしき女性)に答える。私はおずおずと「お知り合いですか?」と尋ねる。
「姉よ」
「そうなんですね……え、姉!?」
予想だにしない回答に、うっかり頷きかけて、目を丸くする。
女性はその反応が期待通りのものであったからか、面白そうにくすくすと笑った。
「はあ……ただの幼馴染だ。ーー変なこと言うな、ベル」
呆れたようにシアが言う。
彼女の名前はベルというのだろうか。というか、彼女はパルディキア人なのだろうか。
この世界で褐色肌であるのは、隣国パルディキア人の特徴である。
ちなみにメルディア聖王国では、あまりパルディキア人を見かけることはない。
行商などで聖王国へやって来るパルディキアの人々もいるが、国内東方にある商業都市での交易が主なので、西方に領地を持つアシュレイ家にはあまり縁がないのである。
また、国内に永住権を持つパルディキア人もいるのだが、父母のどちらかがメルディア人というハーフの場合がほとんどなのだそうだ。
彼女もハーフなのだろうか? しかし初対面でそんなことまで突っ込んで尋ねるのは、不躾にもほどがあるだろう。
メルディア聖王国の貴族の中には、パルディキア人を見下したような考えを持つ者もいる。
先王の母君がパルディキアから嫁いできたお姫様なので、今ではそういった選民的思想は昔より薄れてきてはいるようなのだが、未だパルディキア人を「パルディキア人だから」と悪く言う者も、残念なことに存在する。
ご都合主義な乙女ゲームであるのに、人種差別があるとか聞いていない。ストーリー上では触れられてなかったじゃん。それともシアルートをちゃんとプレイしていたら、その辺りも出てきたのだろうか? ……だとしても人種差別問題のある乙女ゲームとかヘビーすぎる。
「……きみは魔道書を買いに来たのか?」
色々と考え込んでいると、シアがその辺に積まれていた本を手に取りながら言った。
「ええと……裏道を歩いていたら、こちらの書店を見かけたので、興味を引かれ……」
まさか店主を前に「買うつもりはなかった」と、堂々と冷やかし宣言をするわけにもいかないので、それとなく濁すと、ベルと呼ばれた女性は見透かしたように「自由に見てって」と笑った。
「ここの魔道書は、まだ一回生のきみには早いものばかりだからな」
「そうですね。非常に専門性の高そうな魔道書ばかりで、驚きました。……二階もお店なのですか?」
気になったので尋ねれば、シアは短く「違う」と答えた。じゃあ上は何なのだろう?
「二階は魔法薬を扱ってるの」
私が重ねて質問する前に、ベルと呼ばれていた女性が代わりに答えてくれた。
「魔法薬?」
「ほとんど趣味みたいなもので知り合いにしか売ってないのよ……ああ、ちゃんと免許は持ってるわよ」
「すごいですね」
魔法薬というのは、魔術院での授業でも調合方法は学ぶが、実際に製造・販売をするには免許を取る必要がある。それが何でも、取得試験はかなりの難関であるらしいのだ。
私が素直に感心して言えば、彼女は「これでもエルメス魔道魔術機構にいたからね」と言った。
エルメス魔道魔術機構ーーメルディア聖王国に拠点を構えており、魔術の研究、さらなる昇華を目的としている組織である。こちらも一員となるには大分ハードルが高いと有名で、それこそ一部のエリートしか入れないとさえ言われているような研究施設である。本当にすごい人じゃん。
そんなすごい人が、なんでこんなところで、それも裏路地であるーー小さな本屋など開いているのだろうか。
「そこのシアも機構の職員だったのよ」
「え、そうなんですか?」
「余計なことを言うな、ベル」
「ふふ、ごめんなさぁい」
咎めるような鋭い視線を向けるシアに、悪びれなく笑う女性。
そこには、幼馴染という関係性も納得な”慣れ”を感じる。
はえー、シアルートのライバル役ってこの人だったりするのかなぁ……なんて考えていたら、女性に向けられていた鋭い視線が、今度はこちらへと向けられた。
「きみももう遅い時間だろう。早く帰りなさい」
とても教師らしいセリフを言われて、私はハッとする。あれ、今何時。
「十八時前よ」
「もうそんな時間なんですね。帰らないと」
「私はここの店主、ベルリンよ。ベルって呼んでね」
ベルリン。ドイツの首都……いやいや、そうじゃない。私は慌てつつも、再び優雅に礼をした。
「ピエリスと申します」
「ピエリスちゃんね。良かったらまた来て?」
「はい! 是非」
私はあえて姓を名乗らなかった。
シアが何か物言いたげな顔をしているが、笑顔で押し切る。
”平等”を理念としている魔術院のある島なのだ。これくらいは見逃されても良いだろう。それに教師シアだって、生徒のことはみな等しく呼び捨てである。もれなく王子も呼び捨てなので、魔術院強いとしみじみ思う。
そうしてツヴァイ・セス書店を後にし、なんとか怒られないギリギリの時間に帰宅した私は、その夜。何の気なしに、伝達帳を開いて裏路地の古びた書店について書き込んだ。『かなメロ』に出てくる書店だったか、スヴェンなら覚えてるかな? と思ったからである。
そうしたら、とんでもない内容が返ってきた。
ーー”確かに『かなメロ』で行ける店だったけど、そのベルリンって人、シアルートのライバル役の魔女だし、なんならそれイベントじゃん”
たぶん、たっぷり十秒は、羽ペンを右手に握ったままフリーズしていたと思う。
ーー”エルメス魔道魔術機構にふたりが過去いた話とか、シアルートのイベントでヒロインが聞く内容”
あ、へえ、ふぅん。
まあ、たまたまだろう。たぶん、誰が行ってもそういう話の流れになりそうな感じだったし。
ーー”ええ……そうだったんだ。ちなみにアリアは行ったことある?”
ーー”いや、ないはず。それにもう行けないと思うな”
ーー”? 行けない、とは”
ーー”魔力測定用水晶砕いただろ? 「祝福」が高いとあの店入れなくなるんだ”
……ん? どういうこと?
頭の中がクエスチョンマークでいっぱいになる。
ちなみに魔力測定用水晶とは、その名の通り魔力を測定する水晶であって、これまた魔道具である。
水晶と言うよりは暗黒物質と言った方がしっくりくるような、驚きの黒さを持つサッカーボールほどの大きさのもので、それは魔力量が大きければ大きいほど、白に色を変え、魔力の質が高ければ高いほど、眩い光を放つ。つまり魔力量が少なく、魔力の質が良い場合には、真っ黒な玉から神々しい光を放たれる可能性もあるのだ。……まあ、魔力量が少なくて質が高いなんて人は滅多にいないから、そんな光景を目撃することはないのだろうが、一応理論上はそういうこともあり得るのである。
色の変化具合や発光具合で、はたして正確に計測ができるものなのかと、『かなメロ』をプレイしているときには漠然と思ったものだが、これが現実世界では案外しっかりしていて、あらかじめ色の濃度と光の強さを段階分けしたデータと、生徒たちの計測結果を、これまた精密な魔道具で参照した上で、魔力量と質のランク分けを行っているので、ほぼほぼ正確な判定となるらしいのだ。なんだか乙女ゲームの世界のくせによくできている。
そういった魔力の測定が、水陰の月の終わり(つまり先月だ)に初めて行われたのだが……その魔力測定用水晶を粉々にはじけとばすという偉業を成し遂げたのが、我らがヒロイン、アリア・モロンである。
補足すると、入学の儀に行ったものは、学級分けをするにあたって、大まかな魔力量を測るためのものであるから、その精度は当然、魔力測定用水晶を用いたものに比べて劣っている。
で、今回行われた魔力の測定ーー日本の学校などでも、身体測定やら体力テストなんかは、一学期の比較的早い段階で行われる印象があるものだが、どうして水陰の月の末頃での実施であるかというと、やはりここが乙女ゲームの世界であるからに他ならない。
ゲーム開始時のパラメーターの数値は全て等しく「5」しかいないのだ。魔力測定で良い結果を出すためには「魔力」と「芸術」のパラメーターを上げる必要がある。つまりは、プレイヤーがパラメーター上げを頑張る期間がしっかり設けられていての、水陰の月の魔力測定なのである。
この世界に生きるアリアは、プレイヤーの分身体ではない。転生者だ。
以前に、アリアはゲーム開始時のヒロインよりも「芸術」が高いのかもしれないーーと、考えたことがあったが、実際彼女は「魔力」も「芸術」もゲームのヒロインより圧倒的に高かったのだろう。
魔力測定用水晶のような、魔力を込めることによって作動するタイプの魔道具は、受け入れ可能範囲を超えた魔力量を供給されると、まあ今回のように粉々になるなどして壊れるのである。
過去に魔力測定用水晶を破壊した例は聞いたことがない。
パアアアン! と、一瞬のうちに弾けた閃光。派手に飛び散った真っ白の水晶の破片。みながみな、何が起きたのかわからないといった表情で、しばらく沈黙していて、動けなかった。あの冷静沈着そうなシアでさえ、ぽかんとしていたのだから、よほどだろう。
……余談だが、そのとき私はかなり肝を冷やしたものだった。だって、あの光を直視したのだ。
閃光弾が使われたときのような強すぎる光を直視すると、失明のリスクがあるのは有名であるが、魔力測定用水晶が飛び散った際に放たれた光は、恐らくそれと同等程度の明るさを持っていた(私は閃光弾の威力を前世で経験したことなどないので、あくまで「恐らく」であるが)。
そんな光を直に浴びて、私を含め生徒たちは誰ひとり、その目にダメージを負わなかったのは、アリアが女神メルディスの加護を受けた聖女候補だったからなのだろうか。その辺はよくわからない。
ーーと、まあ、そんなエピソードというか新しく誕生したレジェンドというか、文字通り目を見張る出来事が先月末にあったわけなのだが、それはアリアの「魔術」と「芸術」が、ちょっと人離れしているレベルで高すぎたためのことだと、私は認識していた……が。
……「祝福」って、なに。
私は思った通りに伝達帳に書き込んだ。すぐに返事が浮かび上がってくる。
ーー”え? まさか、知らない……?”
これを半笑いで書いたのなら、それは知識マウントに他ならないのだが、もし本気で困惑して書いたとすると、「祝福」とは『かなメロ』プレイヤーなら知っていて当然のワードだったのかもしれないーーこちらの知識不足が心配になってくる。
そしてどうやら後者であったらしい。
ーー”「祝福」は表示されない隠しパラメーター。移植前からあるって聞いてるし、公式サイトにも堂々と書かれてたはずだけど”
いや、公式サイトなんて一度も見たことないし。
心の中で言い訳をするが、初めて知るシステムの事実に愕然である。
「ええ……まじかぁ……」
夜の十時。
静かな部屋に、思わず小さな声が漏れた。




