愛する景色
ぱからっぱからっと、私は今、馬に乗っている。
今日は土曜日ーー土の日である。
この世界における曜日の定めは”光火白木風土音”となっていて、土と音の日は、例の如く日本で言う土日にあたる。つまりは休日である。
さて、そんな休みの日に、何故私は馬に乗っているかと言うと、最近どうにもウエスト回りが気になってきたからだ。
先日、クリスに少し、すこーしだけ太ったのではないかと言われーーまあ、確かに? 以前は定期的に運動というものは行っていたが、魔術院に入学してからは授業は座ってばかりだというのに、ろくに運動もしていなかった。少しばかり体重が増加してしまうのも仕方がない、かもしれない。
クリスに言われて風呂上りの自分の体ーー主に腹辺りをむにっと摘まんでみて……私は無言で運動しようと心に誓ったのだ。
そんなわけで、乗馬である。
幼いときには、運動ついでに剣の稽古でもしたいと思ったものだった。
日本と違って武力というものが近いところにある世界であるから、少しの努力では焼け石に水というものかもしれなかったが、やらないよりかはマシかもしれないと考えたのである。護身術くらいは身に着けておきたいではないか。しかし、父の方は言わずもがなであったのだが、思った以上に母の方から猛反対を受けた。曰く、淑女は守られる者であって戦う者を癒すのが役目です! ーーだ、そうで。
この世界には騎士という者が存在するが、女性の騎士も普通にいるので、それが一般的な感覚でないことは幼い私にもすぐにわかった。
その後、レベッカが言うには、母の実家であるオルド辺境伯家はその地域の国境守備を担っているだけあって、非常に武に長けたお家であるらしく、その家訓のひとつに、先に述べた「淑女は守られる~」というものがあるらしいのだ。はあ、なるほど。めんどくさ……と思ったことは内緒である。
そういうわけで、私は剣を握ることさえ許されなかった。有事の際には、前世で得たジークンドーの知識をもって奮闘しようと考えている。
「おやまあ! ピエリス様じゃないか!」
「お久しぶりですわ!」
ぱからっぱからっと馬で街道を走らせてしばらく、広い畑が見えてきた。どこか心安らぐ田園風景である。田畑で農作業をしているひとりの女性がこちらに気が付き、手を振ってくれる。それに私も馬上で器用にバランスを保って手を振り返す。慣れたものだ。
畑の先に続くのは、アシュレイ家の屋敷に最も近い町である。
小さい町ではあるが、人の温かい平和な町である。町の名前はハーベストという。
幼い頃から乗馬で運動という部分を賄ってきたが、そのときに、この町まで馬でやって来ることが多かった。
町の人々はしょっちゅうやって来るアシュレイ家の息女に、最初どう接したら良いかわからず、ただただ恐縮そうにしているだけだったが、回を重ねるごとに、歳を重ねるごとに、自然と私と彼らの距離は近くなっていった。
我がアシュレイ家は、それなりに広い領地を管理しているくせに、貴族としては珍しく、その領民との距離は近い。それは父然りだ。
週に一度順繰りで領内の視察に出掛けている父は、行く先々で朗らかで優しい領主様ともっぱらの評判である。この世界にオベリスクという、一瞬で移動することができる便利装置があるからにして、週一視察などというものが成せていることも大きいだろう。後は父の生真面目かつ威張ったところのない姿勢によるところである。
私も私で、元日本人である故に、どうにも領民たちからは親しみ深く思われているらしい。良いことだ。私の社交の場における”貴族らしさ”というのは、努めて意識的に作り出しているものなので、オフのときにそういった堅苦しさを周囲に感じさせることもないのだろう。
一応「平民は平民、下々の者と気安く接するんではありません!」みたいなザ・お貴族なお家柄も存在するにはするらしいが、その概念は幸いなことに全貴族共通ではなく、我がアシュレイ家の父母は、平民だからと見下すような精神を持ち合わせていなかったので、それには嬉しい限りである。
「おーい! ピエリス様ぁ! まぁたダイエットかい!」
「乙女の悩みなのよ!」
わははと冗談混じりに声を上げながら、手を振ってくる領民たち。
ダイエットを意識する年頃になってから乗馬の頻度も上がり、この町へやって来る回数も増えたためか、乗馬イコールダイエットであることが、何故かこの町民たちにバレてしまっている。
そうして畑仕事をしている町民たちに、愛ある野次を受けながら馬を走らせていると、やがてハーベストの町の入口が見えてきた。せっかくなので立ち寄っていくことにする。
「あー! ピエリス様だー! クリスねえちゃんもいるぞ!」
馬から下りて、町へと入ると、嬉しそうな声を上げてわらわらと集まってくる子どもたち。言うまでもないことだが、乗馬のお供にはもちろんクリスもついてきている。後は念のための護衛が二名だ。
「なあなあ、クリスねえちゃん! またアレ見せてくれよ!」
アプリコットの籠を背負った子どもたち。収穫の手伝いをしていたのだろうーー彼らは私の横を素通りしてクリスへ声をかけていく。おいこら。私はジト目を送るが無邪気な彼らはお構いなしである。
あっという間に子どもたちに囲まれたクリスは、彼らのキラキラとした期待の眼差しを受け、無表情かつ無言で三本の小型ナイフを取り出す。それを器用にジャグリングして見せると歓声が沸いた。
……どこから出したんだ、そのナイフ。
『かなメロ』において、名もなき暗殺者であったクリスである。十年前、侍女として引き取ったからには、まともな侍女として教育してもらおうと思っていたはずが、私を守れるようにと、実は父から剣術や体術を仕込まれていたと知ったのは三年前ほどのことである。気が付くのが遅すぎた。慌ててクリスが行っているという訓練を止めさせようとしたが、時すでに遅し。クリスは戦闘センスが抜群であったようで、すっかり戦闘技術をマスターしてしまっていた。
そんなわけで、どこに仕込んでいるのかさっぱりわからないが、どうやらクリスは日常的にナイフを隠し持っているらしかった。まるで暗殺者である。この世界に銃刀法のような法律がないことが非常に悔やまれる。
ーーと、子どものひとりがアプリコットを何個かクリスに向かって投げつけた。
「おお~!」
飛んできたアプリコットを、ジャグリングしていたナイフで素早く両断するクリス。子どものひとりが、ささっと差し出した編み籠の中にきれいに収まった。しかもご丁寧に種がくり抜かれている。どんな神業だ。子どもたちは興奮した表情だ。楽しそうで何よりである。
元気いっぱいな子どもたちに手を引かれるまま広場へと赴くと、そこには町の女性たちが大鍋を取り囲み、その傍らではアプリコットを天干ししているようだった。独特なかぐわしい香りが町中に満ちている。
「ピエリス様、良いタイミングで来られましたねぇ。ちょうどハーベンアプリコットを収穫してるんですよ」
「それを見計らって来たんだよねー!?」
「こらこら」
作業台で種をくり抜いていた女の子が「だってピエリス様、ハーベンアプリコット大好きだもん!」と嬉しそうに言う。
「大好きなのは私だけじゃないようね、マシュー?」
私は笑いながら女の子ーーマシューの口の端についたアプリコットの食べかすを拭う。マシューは「えへへ、私も大好きー」と愛らしい笑みを浮かべた。
通常アプリコットの収穫時期は水陰の月から山唄の月であるが、この町で取れるハーベンアプリコットという品種はまさにこの春が収穫の時期となっている。やや酸味が強く、すっきりとした甘さであるのが特徴だ。
「今年はたくさん収穫できましてね。ーーああ、おやつにアプリコットの寒天ゼリーなどもみなで作ったんですよ。是非召し上がっていってくださいな」
町長さんの奥さんである女性が、大鍋をゆっくりとかき混ぜながら言う。
「えっ、そんな悪いですよ」
「何を言ってるんですか! ピエリス様もうちが収穫の時期だってご存じでいらしたんでしょう? みな喜んでますよ」
「うっ……」
確かに馬を走らせているときに「そういえばハーベンアプリコットの時期かぁ」などとぼんやり考えていたが、あくまでダイエットついでにやって来ただけであって、本当にアプリコットをご馳走になるためにやって来たわけではなかったのだ。……いや例年のことを考えれば、町のみんながこう言ってくれるのは、読めたはずなので何も返す言葉がない。
「……寒天なのでヘルシーですよ」
アプリコットを干していた別の女性が苦笑して言った。ダイエット中であるのがバレバレな領主の娘とはこれいかに。
私は照れ隠しに頬をかいて「では少しだけ……」と、結局ハーベンアプリコットの寒天ゼリーをご馳走になることになった。
スプーンでゼリーをすくって、ぱくりと食べる。途端に口の中に広がるのは、華やかで、それでいてくどさのないすっきりとした甘みである。
「私も作ったんだよ~!」
「私も! 私も~!」
「うん。すっごくおいしいわ」
破顔する子どもたち。ゆったりとした時が流れていく。
穏やかな休日の午後。
長閑な田園風景。そよぐ風は温かく、広場には人々の笑顔が溢れている。隣には、満面の笑顔を浮かべてゼリーを食べる子どもたち。
……ああ、しあわせだ。
優しい甘みのゼリーとともに、私は小さなしあわせを噛みしめる。
私は、こんな穏やかな気持ちになれるこの町を愛している。
ハーベストの町だけでない。
私はアシュレイ家が治めるこの領地を愛していた。
多くの自然と、人々の笑顔に満ちた愛すべきアシュレイ領。できることなら、この先もずっと、彼らと一緒にこの小さなしあわせを守っていきたい。だが、それも王妃となってしまえば叶わないだろう。
アシュレイ領も、国を構成する一部であるから、王妃になったとしても、統治するという意味では変わらないのかもしれない。それでも、こんな風に近い距離では決していられなくなってしまう。
私は凡人だ。
王妃の器ではない。努力を重ねれば、なんとかそれらしくはなれるのかもしれなかったが、それでもやっぱり向いてないと、思う。
だけどそれ以上に、私はこのしあわせを失うのが嫌だった。
ーーわがままかな。
天を仰いだ。アリアはどう思っているのだろう。
*
日が沈む前に、私たちはハーベストの町を後にした。
お土産にと大量のアプリコットジャムをもらったので、明日のお茶会へ持参しようと思う。ちなみに明日のお茶会は「男子禁制! ガールズトークの会INイレイザ家」である。今適当に考えた。招待客は私のほかにアリアとローラがいる。
帰宅して、いつも通りのボリューミーな食事を終えた後、風呂上がりに姿見でボディラインの確認をする。……ふむ。
「どうよ、クリス」
「来週はもう少し先へ遠乗りにでも行きますか」
「……あいあい」




