授業に集中できないふたり
モスグリーンのカーテンの間から、光の筒が漏れている。
ちゅんちゅんーーと、小鳥のさえずり聞こえる良い朝である。
「ふあぁ……」
自慢のプラチナブロンドも寝起きにはボサボサである。
ぬるま湯の入ったボウルと、朝の紅茶を乗せたワゴンを引いて部屋に入ってきた侍女のエマとクリスは、私の顔を見るなり、互いに顔を見合わせた。
「昨夜はあまり眠れなかったんですか?」
エマがティーカップに紅茶を注ぎながら気遣ったように言う。良い香りだ。ポットから注がれる乳白色、ロイヤルミルクティー。キッチンの鍋で作ったのだろう。茶葉はアッサムかな。
「ちょっと寝つきが悪くてね」
「就寝前のお茶を変えましょうか?」
「ううん。ちょっと考え事をしていたから……というかそんなに酷い顔?」
「今日もお美しいですが、少し翳りが」
翳りーーと濁しているが、要するに隈である。
「そう……またコンシーラーでカバーしてもらえるかしら」
「はい。薄いので、少し塗ってあげればすっかり隠れると思いますわ」
「お願いね」
ピエリス・アシュレイの顔は白磁のような肌をしているので、少しの夜更かしで隈が目立ってしまうのだから考えものである。
ーー昨夜。私とスヴェンはずいぶんと遅い時間まで伝達帳でやりとりをしていた。
今まで「なんでそうなってるんだ???」と、疑問に思っていた原作との乖離(だって私は何もしてないのだ)の多くが、解消されスッキリである。しかし睡眠不足のためか、ぬるま湯で顔を洗ってもいまだ頭はぼうっとしている。
前世の世界においては、社畜ーーというほどでもなかったが、仕事に比重を置いたライフスタイルを送っていたため、終電間際の夜遅くまで仕事をしていることもしばしばで。
帰宅して、メイクを落として、風呂に入って、食事を済ませて……あっという間に一時は回って二時頃にようやく就寝ということも少なくなく、そこからさらに動画なんかを見て思わずダラダラしてしまったときには三時になってようやく「やばいやばい」と布団に潜り込む始末である。前世の私はショートスリーパーというわけでもないのに、三時間や四時間ほどの睡眠があたりまえだった。日中のお供はブラックコーヒーに栄養ドリンク、そしてエナジードリンクである。
さらに今生においては、身の回りのことを何でも使用人がしてくれるという贅沢極まりないおかげで、規則正しい生活を、かれこれもう十年続けているわけである。
三時間ほどしか眠れなかった私は、それはもう体のだるさと頭の回らなさを痛感していた。
フランスの皇帝となったナポレオンはショートスリーパーだったと聞くが、毎日三時間程度しか眠らずに、まともな日常がはたして人間に本当に送れるというのか。前世の私は毎日が気だるげだったし、身の回りにそんな人物がいたことはない。
ショートスリーパーなんて幻想ーーそう僻みにも似た考えを持って、魔術院へ登校すると、そこには一切眠気を感じさせないスヴェンの姿があった。平然としゃきっとしてる上に、本当に辛くなさそう。ズルくない?
授業中は座学であるがために眠気が酷かった。眠気を紛らわそうと、また何故だか謎の悔しさがあったので、こっそり「平均睡眠時間は?」と伝達帳に書いて送れば「三時間」と返ってきた。こいつショートスリーパーなの。
*
さて、スヴェンが関わった”原作と乖離した理由”について少し頭の中で整理しておこう。
ほとんどモロン男爵家関連になるわけだが、まずひとつとして、原作にはなかった王都に広まった『モロン男爵家に聖女の資質を持った子どもが生まれた』という噂についてである。
なんてことはない。これはスヴェンが意図して広めたものであったらしいのだ。
どうしてスヴェンがそうしたかと言うと、原作通りだと、ヒロインたるアリアは魔術院で「平民から貴族に成りあがった」と陰口を叩かれるのだ。そういったストレスから彼女を守るために、噂を広めたとのこと。
遅かれ早かれ、どのみち周囲には知られることであるのだし、本当は「引き取った」が正しいのに「聖女の資質」というインパクトの方が噂話を聞いた人々の中では大きいため、そちらばかりが注目され、「生まれた」なのか「引き取った」なのかーーそこにフォーカスをあてる人は少なかったろうと彼は言った。
結果、魔術院内では「あれ? アリア・モロンって元々平民なんだっけ? 違ったっけ?」という真実曖昧な状況が出来上がったのである。
そんなにうまくいくもの? ーーと思ったが、実際だいたいその通りの状況が出来上がっているので何も言えまい。
また、「ライバル令嬢のピエリスには敵対視されるのは仕方ないかなって考えてた」とも言ったが、蓋を開けてみれば、そのピエリス・アシュレイの中には元日本人の転生者が入り込んでいたので、当然アリアに辛くあたるわけもなく。スヴェンが作り出そうとした状況以上に、アリアにとって優しい世界が作られたというわけだった。
ここまでがひとつ目。ふたつ目はスヴェン・モロンそのものの存在についてだった。
これはぶっちゃけ原作との乖離ーーと言うよりは、私がしっかり『かなメロ』をプレイできておらず、知らなかっただけではあるのだが、そもそもとしてスヴェンは本来、ゲーム作中ではモロン男爵家に引き取られておらず、魔力を持った平民として魔術院に入学することになるらしいのだ。
入学の儀にメイン攻略対象キャラたちは立ち絵が登場するのだが、スヴェンは登場しない。
隠しルートのスヴェンを出現させるための条件も教えてもらったが、それは今では不要なものなので割愛する。ただ無理じゃない? それ。って思うほど難しかった。
また、ゲーム冒頭にそれとなく仄めかすシーンがあったような、なかったような……と、思い出せずにいた記憶も、やはりスヴェンに関係するものであったようで、移植版『かなメロ』の冒頭は兄妹がいるーーというのをユーザーに仄めかす描写がやはりあったとのことだった。改めて教えてもらっても、さっぱり思い出せないので私の脳の記憶領域はポンコツである。
逆にスヴェンは何でそんなに覚えてるんだと問えば「かなメロだいぶやったし、昔から記憶力はいいんだ。だいたいのことは覚えてる」とドヤ顔で言われた。いや、顔は見えてないので知らんけど、きっとドヤ顔で書いたに違いない。
そしてその他に原作と乖離してしまっている点だが、攻略対象キャラとの邂逅イベントが、ことごとく本来のものとはかけ離れた展開で終わったというところである。レイラークとの邂逅然りである。
本来では授業をサボっているレイラークに遭遇するヒロインだが、この世界の中身日本人アリアは城下街で一緒にジェラートを食べるという形でファーストコンタクトを終えてしまっているのだ。他の三人のキャラとのファーストコンタクトも、スヴェンが聞いたところゲームとは異なる形のものとなっていたらしい。
直近のもので発生したゲーム通りのイベントと言えば、教師シアのものがいくつかと、先日二階の空き教室に呼び出されたものくらいだそうだ。
原作と変わってしまったところについては、大雑把にこんなところだろうか。
互いの情報共有というか、一方的に情報を共有してもらうような形で結局昨日は終わってしまった。
しかしなんというか、私が知っていることはすでにスヴェンは知っていそうで、こちらからスヴェンの耳に入れてやれる真新しい情報は特別ないように思える。
「ーーでは、教科書の四十五ページを開いて」
銀音塔三階、講義室。
眠い頭でぼんやりと情報の整理をしている内に、気づいたら午前の授業が一コマ終わっていた。
前世日本の学校と違って、間にたっぷり二十分の休憩をとって午前二コマ目の授業である。
今は魔法史の授業の時間で、講師はよぼよぼのおじいちゃんだ。
ケヴァン院長もかなりお歳を召しているように思えたが、この魔法史の先生もだいぶ高齢と見える。
席割は特に決まっていなく、大学の講義のように自由席だ。
私はたいていいつも一番後ろ、窓際の席を陣取っており、自由席ではあるが、魔術院に入学して二週間が経った今では、まるで暗黙の了解のように私専用の席となっている。ちなみに隣は伯爵令嬢のローラだ。
あくびを噛み殺して、ぼんやりと窓の外を眺める。
突き抜けるような晴天。雲ひとつ浮いていない。
……ああ、平和だ。
転生者が自分の他にふたりいる以上、私は断罪の未来から、かなり遠ざかったと思われる。そうなってくると、やはり新たな悩みの種というのは「王妃にはなりたくない問題」であってーーだが、その王妃の座のなすりつけ先(言い方が悪いが)にしようとしていたヒロインが、元日本人の同胞となってくると、急に申し訳なく思えてきて気が引ける。
難しいなあ……。
私は明らかにぼうっとしていて、授業に集中できていないのは一目瞭然なのだろうが、教科書の内容を朗読し、たまに注釈を加えるだけの教師には、それを咎める気配はまるでなかった。
いっそ、アリアとハリクが恋に落ちてくれればいいのにーーと、考えて、ふと伝達帳を開く。教科書と授業用ノートで隠すようにして、そこにペンを走らせる。
ーー”アリアさんの好みのタイプは?”
授業中だから気が付かないかな……そう思っていたが、予想に反してすぐにノートに文字が浮かび上がってくる。
ーー”急に何? 授業に集中しなよ”
私の座る席から三列前。三人掛けの長机の窓際の端に、栗色の頭がある。船を漕いでいる素振りは一切なく、しっかりと授業を聞いて、教師の解説をノートに書き写しているように見える。
ーー”あと好みって何の?”
端の席だけど、後ろの人に見られる心配してないのかなぁ。
私と彼の間にはひとり学生が座っている。スヴェンの手元のノートまで見えていないと良いのだが。まあ、万が一見られていたとしても、内容は日本語で書いているため大事にはならないか?
ーー”何って、異性の”
ーー”はあ? なんでまた”
直接会話をする機会は少ないが、すっかりノートでのやりとりに慣れてしまった。スヴェンも取り繕わなくて楽であるのか、言葉がぽんぽんとノートに追加されていく。
ーー”アリアさんが王子を好きになることあるかなって”
ーー”ないでしょ”
ーー”どうして言い切れるんです?”
思ったのだ。
私が王妃になりたくないからと言って、アリアも望んでいない王妃の座を押し付けるのは非常に心苦しい。だが、まだ本人の意思も確認していないではないか。
……あののほほーんとした雰囲気を鑑みるに、あまり権力や財力に関心のない性格な気もするから、王妃という身分を魅力に感じて、それを望む可能性は薄そうではあるが、では、もし王子ハリクを好いたとしたらどうだ。
そう思って、アリアはどういうタイプの男性が好きなのか、前世からの兄妹であるスヴェンに聞いてみたのだ。しかし、これは……。
ーー”そういう話、アリアさんとしないんですか?”
ーー”……しないでしょ、兄妹で、ふつう”
やっぱり。
私は、ふうーーと、ため息をついた。
隣のローラが気づかわし気にちらりとこちらに視線をやる。慌てて、腕をさりげなくずらして伝達帳を隠した。
「それでは、道具へ魔力を付加する技術について、世界で最初に行ったとされるのは誰か……レディ・ローラ、わかるかね?」
ローラは「エドモンド・ル・エルメスです」と、さらりと答えた。
彼女の気が私から逸れたので、私は再度伝達帳へと視線を落とす。
ーー”何を企んでるわけ”
ーー”企んでるというわけでなく……まあ正直に言うと、私、王妃なんかになりたくないんですよ”
ーー”それでアリアを王妃にしようと?”
ーー”もちろん無理強いはしませんよ。ただ、少しでも王子のことを好ましく思っているのなら可能性はあるのかな、と”
テンポの良かった言葉の応酬がピタリと止まる。後ろから見える栗色の頭は、今何を考えているのだろうか。
ーー”それに、男爵家に引き取られてしまった以上、政略結婚は避けられないのでは?”
いくらご都合主義な面が強かろうとも、この乙女ゲームは中世ヨーロッパをベースとしている世界である。自由恋愛よりは政略結婚があたりまえである貴族社会なので、せっかく引き取った聖女の資質を持つアリアを、モロン男爵が政略結婚させないとはあり得ない。
ノートに文章が浮かび上がってくる。
ーー”男爵は侯爵家以上の身分を期待しているらしい”
なるほど、侯爵以上。それはずいぶんと大きく出たものだ。いや、まあ聖女候補であるから、そのくらいは妥当と言えば妥当である。
ーー”思ったんですけど、どこぞの馬の骨とも知らない男性のところへ嫁がされるよりかは、人柄もよーくわかってる攻略対象の誰かの方が、顔面的にも、家柄的にも安心できません?”
少し考えて、私は思い切ってそう書いた。怒られるだろうか。しかし予想に反して返ってきた言葉は冷静だった。
ーー”そう考えたことはある。でも結局最後はアリアの意思を尊重するよ、おれは”
そこで一度区切られて、文章はさらに続いた。
ーー”もしアリアが望まない結婚を家がさせるようなら、そのときは、おれがアリアを連れて家を逃げ出す。平民として生きていこうと考えてる”
ふむ。本当に妹想いの兄であるらしい。
私は前世でも今生でも、ひとりっ子であって兄妹というものがなかったから、なんだか少し羨ましいと思う。
ーー”それは最終手段ということですね”
ーー”ま、そうなる”
ーー”ではとりあえずは、現状攻略対象たちのことをどう思ってるか聞いてみませんか? 実は心惹かれているという可能性も無きにしも非ずでしょう”
そう書いたところで、先生が低い声で「スヴェン・モロン!」と、言ったので、授業をおろそかにしていたことがバレたのではないかと、私は体を固くした。だが、どうやらそうではないようで、
「エドモンド・ル・エルメスが晩年に提唱した魔法理論は答えられるかね?」
私はほっと胸を撫で下ろす。伝達帳を没収などされたら目もあてられない。
「はいーー魔法はゼロから一を生み出すことはできず、変質的法則に則るものである」
「素晴らしい」
スヴェンは淀みなくスラスラと答える。おじいちゃんの先生は満足そうに、その顔の皺をさらに深めた。
「では、本日の魔法史の講義はここまで。各自しっかりと復習を行うように」
先生がそう言うと、見計らったかのように授業の終わりを告げるベルが鳴った。途端、講義室中に、どこか弛緩した空気が流れる。
「あの先生の授業はいつも眠くなりますわね」
「本当に」
私は寝不足であったから眠気が酷かったが、確かにそうでなくともあの先生の授業は眠気を誘う。いつもは優等生然としているローラも今は何だか気だるそうだ。私は苦笑して、教科書やノートを片付け始める。ーーと、伝達帳に、一文追加されていることに気が付いた。
ーー”そういうことなら、アンタからアリアに聞いてみてくれないか?”
なるほど。やはり兄妹で恋バナというのは気恥ずかしいのかもしれない。
私は少し考えて、ノートに素早く「OK」と走り書いた。




