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「メールを仕込んだのは私よ。どう? びっくりしたでしょ」
朱美はなんてことないような軽い口調でそう言った。そのことに志穂は安堵する。良かった、怒らせることにならなくて。そう思って同時に感じる。私、こんなに朱美を恐れてたんだっけ。
「もしかしていらない仕込みだったかしら」
「いらないというか。どうしてそんなことをしたのかなと思って」
指定された場所は喫茶店だった。周囲は学生が目立つ。控えめな談笑がそこここで聞こえる。その中で朱美の存在は一人浮いているように見えた。しかし悪い目立ち方ではなかった。
その証拠に、注文を取りに来た男性店員の目の色が変わっていた。きれいな人に出会えてラッキー。そんな内面が透けて見えるほどに。妖艶な魅力は老若男女問わないのだろう、きっと。
「童貞君の夢が具現化されたようなメールを送っておいたわ。あの子も最後の最後にいい夢を見れたんじゃないかしら」
「そうかも、しれないですね」
志穂は曖昧に笑ってみせた。改めて朱美の隙のなさに震えながら。
志穂の質問に答えてくれない。そう思っていたらコーヒーが運ばれて来る。二人ともコーヒーだ。
「もちろん殺しやすくするためよ」
「えっ?」
「だから、志穂ちゃんが殺しやすく出来るようにメールを送っておいたのよ」
朱美が言う。コーヒーに角砂糖を入れながら。何個も何個も朱美は角砂糖を投入していく。
「甘くなりませんか」
思わず言ってしまった。朱美がニヤリと笑んでみせる。
「甘いのが好きなのよ。自分にも甘いから」
何故だかその言葉に志穂は慄然とした。どうしてかが分からない。
志穂が覚えたその恐怖の内訳は、朱美に対する得体の知れなさからだった。メールの内容よりもメールを送れたことに恐怖を覚えた、ということも志穂は分かっていない。朱美という得体の知れない存在により、恐怖の分析ができないでいた。ただ怖い。そんな本能的な不気味さを、朱美に対して抱いてしまっている。
「それでね志穂ちゃん。仕事のお話なんだけれどね」
甘すぎて胃がもたれそうなコーヒーをすすりながら朱美が言う。
「仕事の質と量を増やしてもらいたいの」
「はあ」
仕事の量が増えるのは分かる。でも、質とは? その思いがそのまま顔に出ていたのだろう。朱美は続けて言った。
「不愉快な死を増やそうっていう魂胆よ。前に言ったでしょ。ねえ、それってとてもゾクゾクすることだと思わない?」
朱美が言った。実に楽しげに。
それって、たくさん殺していいってことですか。志穂はそう訊ねようとした。もちろん楽しみを抱えた言葉として。
それなのに。
志穂はそれを訊ねなかった。訊ねることが出来なかった。
ただただ心の内に、不安だけが広がった。
さっき調査員に会ったせいだ。志穂はそう思うことにした。圭とか名乗ったあの男のせいでか
き乱されているだけだ。
そう思うことにした。強く強く、そう思うことにした。
圭のやることは決まっていた。寺門志穂を捕まえる。そのために何をするべきか。まず考えたのが、寺門志穂に自首をしてもらうこと。
これは圭の鬼になれない性格上の問題だ。何人もの自殺を請け負っている自殺人が、自首を頼んではいそうですかと頷くわけがない。それでも圭は確認したかった。寺門志穂がどういう人間なのか、それを知りたいと思っていた。
圭は志穂が通う高校に来ていた。学校関係者に調査が必要の旨を伝えて、来校者のカードをもらう。学校関係者に寺門志穂のことはもちろん伝えない。深度状況による調査だと伝えた。まったくの嘘ではない。志穂の深度状況は確かに知りたかったから。
深度調査担当の星崎という教諭に、過去の深度表を見せてもらう。
「国のためになるならお手伝いしますよ」
星崎教諭は目を輝かせてそう言った。調査事務所は政府が自殺防止のための目玉政策として設立されたという背景がある。しかし自殺防止という掲げた理想をそのまま鵜呑みにしている者は少ない。
星崎教諭は政府の素晴らしさを、何の脈絡もなく説き始めた。圭が調査員だから安心して政府の良さを語れると思ったのだろう。まさかつっぱねることも出来ない。この人は倫理観の担当かな。そう思いながら適当に相槌を打つ。
話がひと段落したところで、ようやく深度名簿を手にすることが出来た。しつこく手伝いを申し込んでくる星崎には辟易したけれど、殺し文句を言えば黙って部屋から出て行ってくれた。これは極秘なんです。政府のために働いてくれてありがとうございます。
「国のために働けて幸栄です」
そう言って星崎は出て行った。自分の言葉に胸やけしながら圭は名簿を開く。
寺門志穂の名前を見つける。深度調査は三か月に一回行っていた。頻度としては多い方だ。現在は二年三組に所属。入学してからの深度評価を確認した。圭は息をのむ。
深度0。1年次から現在まで、志穂の深度は一貫して深度0と記載してある。
心ここにあらず。深度0の人間をそう呼んだりもする。まったく心が読めないから。心の読みようがないから。
これは異常事態だ。圭は名簿を閉じて星崎に簡潔に礼を言って足早に校舎を出る。
時間帯は放課後になっていた。圭は急いで校門前に向かう。校内放送で呼び出してもらうことも考えたが、あまり大きなことにしたくないという思いがあった。既に帰ってしまってないことを願いながら、寺門志穂が通るのを待った。
願いは通じる。寺門志穂が圭のすぐ目の前を通り過ぎる。
すぐには声を掛けなかった。圭は辺りを窺いながら志穂についていく。周りに生徒がいなくなったのを確認して呼び止めた。
寺門志穂が振り返る。
「なんですか」
志穂が怪訝な声で訊ねてくる。
どこからどう見ても、ごく普通の女子高生。それが自殺人の正体。圭は呼び止めておきながら、なんて言葉を掛ければいいかが分からなくなる。志穂がいっそう眉を顰める。不審者と断じてしまいそうなほどの沈黙を経て、圭は言った。
「寺門志穂。君のやっていることを知っている」
圭の言葉を訊いて、志穂が虚を突かれたような顔をする。しかしそれは一瞬のことだった。すぐに表情を戻す。いよいよ不審者扱いするように。傍から見たら誤解されるのかな。圭はそんなことを思った。
「なにを言っているのか分からないのですが」
「調査員の今居圭と言います」
「ですから、なんなんですか」
「自首してください」
圭はここで奇妙な態度をとった。深く頭を下げる。懇願だった。
「お願いです。自首すれば心象が大きく変わる。だから、だから」
「言ってる意味が分かりません」
相手が未成年の高校生だからだろうか。まだ更生の余地があると思ったのか。
志穂が遠ざかっていく。その小さくなっていく背中を見ながら、圭は自分がとった行動の意味をはかりかねていた。
俺は、甘いんだな。つくづく。
圭はその場に立ち尽くす。




