千里の過去4
『次の日から母は人が変わった。目の下にクマを作り、手入れがされていた綺麗だった髪もボサボサになっている。寝ていないのは小さかった私でも分かった』
「お母さん?」
「……」
母は返事をしない。椅子に座り、テーブルに手をついたまま俯いている。
「ねえ、お母さん、お腹すいた」
千里は母を軽く揺すった。
「何?」
千里はゾッとした。母は今まで聞いたことのない程低い声で、千里を睨みつけた。
「えっ…な、なんでも、ない…」
千里は足早にリビングから出て行く。丁度そのタイミングでインターホンが鳴った。千里が恐る恐る玄関のドアを開けると、見慣れないスーツ姿の男女がいた。
「誰…?」
スーツ姿の男女は千里の姿を確認するとお互いに顔を見合い頷く。
「千里さんだね?私は児童保護施設の田嶋という者です。この度の件であなたを保護することになりました」
スーツ姿の男性が淡々と告げる。
「えっ?保護?なんで?」
千里は怯えるようにドアに隠れた。
「千里ちゃん、言いづらいんだけどね、お母さんの状態から見ると千里ちゃんを育てることは困難だって判断したの。お母さんいる?」
スーツ姿の女性は優しく話しかける。
「やだ…」
千里は首を振る。すると、家の中から母親が出てきた。
「千里、どきなさい。どうぞ、入って下さい」
母親は千里に二階へ上がるよう言うと、二人を家の中へ招いた。
「お母さんの精神状態からすると、千里さんを育てるのは困難でしょう。ですので…」
『私は話が気になって、階段の上から盗み聞きをした。微かに聞こえる話の内容に私は不安の色を隠せなかった。部屋に飛び込むと、私は膝を抱えて泣いた』
気が付くと外は暗くなっていた。
「お母さん?」
千里は目をこすりながら部屋を出て、階段を下る。
「お母さん?」
一階に降りるといい匂いがした。リビングの扉を開けると料理をするいつもの母の姿があった。
「お母さん!」
『私は母が元気になったのだと思い、駆け寄った。でも、そうではなかった。料理をする母の姿はいつもの母とは違った。死んだ魚のような目をしていた』
出された料理は美味しかったが、千里の目からは大粒の涙が出た。料理は温かいのに冷めた味だった。千里にはその料理に愛情が入っていないことがすぐに理解できたのだ。
『母はその死んだような目で私を見つめ、謝ってきたんだ』
「千里、ごめんね。私にはもうあなたを育てられる余裕はないの。さっき、施設の人とあなたの今後のことについて話してたの」
「知ってるよ。お母さんとはもう暮らせないんでしょ?」
千里は箸を静かに置いた。
「聞いてたの?」
「少しだけ聞こえちゃったんだ」
「うん。あなたはこれから施設に行くのよ」
「やだよ…。どうして?私、悪いことした?」
再び、千里の目からは大粒の涙が溢れた。
「分かって、千里」
「やだ!何でよ!?私、我慢するから、我儘言わないから、もっと勉強するから、だから、だから…」
千里は泣きながら母に訴えかける。
「それがもう我儘なのよ!あの人のいない世界なんて、意味がないわ!」
母も声を荒げた。
「お母さんは、お父さんがいれば私なんてどうでもよかったの?私は邪魔だったの?」
「…………」
母は何も言わなかった。
「もういい!」
千里はリビングを飛び出し、再び部屋に閉じこもった。




