千里の過去5
『その後のことはよく覚えていない。多分、また泣き疲れて寝てしまったのだろう。私は夢の中で家族3人幸せな生活を送っている夢を見た。そこには、笑顔の両親と屈託無く笑う私もいた。このまま、夢から覚めなければいいとどれだけ願っただろうか。目を覚ましたら、待っているのは私にとって地獄の世界。居場所も何もない。黒く染まった世界。私の心のように…』
「千里ちゃん。千里ちゃん」千里は自分を呼ぶ声に目を覚ました。目の前には、ついこの前家に来た施設の人間である田嶋がいた。
「……」千里は無言で田嶋を睨みつけた。
「千里ちゃん、怖い顔しないで。これから、千里ちゃんは施設に行くことになるけど、すぐに仲良くなれるから。安心して」田嶋は、優しく声を掛けた。
『私は施設の人の話などどうでもよかった。どうせ行くつもりだったからだ。どこにいても同じなら、こんな所から逃げ出したかった。』
千里はベッドから降りると軽く頷き、田嶋について行く。田嶋が母親と挨拶を交わすと、千里に挨拶するように促してきたが、千里は目も合わせなかった。その時、
「ちょっと待って!」血相を変えて現れたのは、千里の母親の姉であり、千里の叔母に当たる菊子であった。
「まさか、こんな話になってるなんて思わなかったわ。どうして、言わなかったの!?」
「どうして、姉さんがここに!?」
「新聞を見て知ったのよ!報道が少し遅れたらしいからすぐには行けなかった。あんた、千里ちゃんをどうするつもりなんだい?」
「見ての通り、施設に預けるのよ。私一人じゃ育てる気力も財力もない。この子を幸せにできないから…」
「甘ったれたこと言ってんじゃないよ!」菊子の堪忍袋の緒が切れた。
「お金がないから幸せにできないんじゃない!あんたがそんなんだから千里ちゃんは、千里ちゃんは…」菊子は泣き崩れた。
「姉さん…」
「あんたには失望したよ。子供のことを第一に考えるのが親だと私は思っていたけどね、もういいわ。千里ちゃんは私が引き取る!施設の人には申し訳ないですけど、この子は私が責任を持って育てます」菊子は真剣な眼差しで田嶋に訴えかける。
「……わかりました。親族の方の意思でしたら話は別です。手続き等がありますので、この後よろしいですか?」田嶋は少し考えた後、了解をした。
「はい。大丈夫です。」
「では、行きましょう」田嶋は菊子と家を出て行こうとする。
「準備があるから千里ちゃんは明日の朝に引き取りに行く。今日は千里ちゃんをここに置いていくから、いいね!?」菊子は振り返り、語気を強めて言った。
「う、うん…」千里の母は勢いに押され、頷く。
『私は明日までの辛抱だと心を決め部屋に籠った。母親とは顔を合わせるのも嫌だった。当時の私は、叔母さんには数回しか会ったことがなかったが、優しくしてもらった覚えがあり、叔母さんが来てくれた時は嬉しかった。でも、その日にあいつが家に来たんだ。』
『私は子供ながら大事にしていた本など、最低限の荷物をリュックに詰めていた。その時、母が何か大声で叫んでいるのが聞こえた。直後に誰かが大きな足音を立てながら二階に上がってきたんだ。私はただならぬ予感を感じ怯えていた』
「このガキ!まだ居やがったのか!」知らない男がいきなり部屋に入ってくるなり、千里を蹴り飛ばした。千里は恐怖で怯え、声も出なかった。
「やめて!この子には手を出さないで!」母親が男を止めに入る。
「うるせぇ!話が違うじゃねーかよ!ガキは今日の朝には施設に入れられるんじゃなかったのか!?」男は激昂し、その顔は鬼のようであった。
「事情が変わったの!明日には居なくなるから、手を出さないで!」
「じゃあ、お前ならいいのかよ!」男は母親の髪を掴み、殴り倒した。
「や、やめ…」声が出ない。今まで体験したことのない恐怖が千里を襲う。
男は千里の母親の顔が腫れるほど殴り続けた後、煙草に火をつけ、勉強用机の椅子に座った。
「あんたなんて生まれてこなければ良かったのよ!」母親は、突き刺さるような鋭い視線を千里に向けた。
『気が付いたら朝だった。気を失ってたのかもしれない。家の中には母もあの男もいなかった。あの男が誰なのか、母とどういう関係なのかもわからない。知りたくもない。私は荷物を背負って一階のリビングで膝を抱えていた。その後、直ぐに菊子叔母さんがやって来て、誰もいないことを伝えると、私をギュッと抱きしめてくれた。昨日は恐ろしくて出なかった涙が一気に溢れ出した。』
「千里ちゃん、どうしたんだい?やっぱり、家を離れるのは寂しいかい?」
千里は菊子の質問に対して、号泣しながら首を横に振った。
「うんうん。いっぱい泣きなさい。大丈夫よ。私がいるからね」菊子は優しい声を掛け、千里を抱き抱えて家を後にした。




