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五人の悪役令嬢  作者: 九葉(くずは)
メイ編

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31/40

第1話 誘惑した覚えはありません

メイ編スタートです!!

「この女は不特定多数の男性を誘惑した魔女です!」


……手を握っただけなんだけどな。


舞踏会の広間に、聖女マリアベルの声が反響している。可憐な声。震えた指先。涙を堪えるように俯く横顔。完璧な被害者の造形。


──演技、だと思う。


断言はできない。でも私は、この人の恋人の手を七年間握り続けた。治療のために。マリアベルは知っていた。最初の頃は微笑んでいた。「ありがとうございます、メイさん」と。甘い声で。


今、同じ声で「魔女」と呼んでいる。


広間がざわめいている。好奇の目。蔑みの目。面白がっている目。そして一番つらいのは同情の目だ。「かわいそうに」と思っている人がいる。


かわいそうじゃない。私は何も悪いことをしていない。


でも、それを証明する言葉が出てこない。


「聖女様の恋人であるフリードリヒ様の手を、人目を忍んで握っていたのです!」


マリアベルの声が裏返った。広間がどよめく。


その通り。フリードリヒの右手を、週に三回、放課後の医務室で握っていた。


フリードリヒには幼少期からの慢性関節炎がある。骨の奥に巣食った炎症は、聖女のヒーリングでは表面の痛みしか取れない。根本を鎮めるには、私の回復魔法が必要だった。素手で触れて、体の深部まで力を通す精密治療。掌を密着させなければ発動しない。


だから手を握った。それだけだ。


フリードリヒは優しい人だった。治療の間、いつも申し訳なさそうな顔をしていた。「すまない、メイ嬢。こんなことを頼めるのは君だけなんだ」。私は笑って「お気になさらず。これが私の仕事ですから」と答えた。仕事であり、使命であり、この手に宿った力の正しい使い方だと信じていた。


でも、フリードリヒの持病を公にすることはできない。聖女の恋人が病を抱えていること。聖女のヒーリングでは治せなかったこと。患者の秘密を暴露すれば、フリードリヒの人生が壊れる。


(患者の秘密は──命より重い)


学園の医務室で先輩の薬師に教わった最初の言葉。治療者は患者の味方であれ。たとえ患者が沈黙していても。たとえ患者の秘密を守ることが自分の破滅を意味しても。


唇を噛んだ。血の味がする。


泣かない。泣いたら「かわいそうな魔女」になる。私は魔女じゃない。手を握っただけの、ただの薬師だ。



罪状の読み上げが続いている。


隣のカティアが拳を白くしている。あの人の拳はいつも硬い。でも弁明しない。弁明すれば守ってきた生徒の名前が出るから。


ソフィアは無表情。何もかも見透かしている目で、微動だにしない。カティアにだけ小さく頷いたのが見えた。あれは何のサインだろう。


リーリエが微笑んでいる。あの完璧な微笑みの裏に何があるのか、私には分からない。ただ、あの人が動じていないことだけは確かだ。


ヴィオラは──寝ていた。


断罪の最中に。こくりこくりと小さな頭が揺れている。


(……ヴィオラちゃん、大丈夫?)


あの子はいつも寝ている。でも不思議な子だった。ある日、廊下ですれ違いざまに「メイさん、来週フリードリヒさんの調子が悪くなるから薬を多めに準備して」と言った。根拠を訊いたら「夢で見た」としか答えなかった。


──当たった。来週、フリードリヒは高熱を出した。


偶然だと思おうとした。でも二度、三度と続くと、偶然では説明がつかない。


ヴィオラの頬に涙の跡がある。眠りながら泣いている。いつものことだ。あの涙の理由を、私はまだ知らない。


マリアベルが「起きなさい!」と叱責した。ヴィオラがゆっくり目を開けて、「ごめんなさい、いい夢見てて」と言った。


──この子だけは、どこか違う場所を見ている。



リーリエが最後に断罪された。婚約破棄を受け入れ、暗号鍵を返し、「聖女様ならおできになりますわよね」と微笑んで去っていった。


あの背中を見送った。追い出されたんじゃない。自分で歩いて出ていった。


少しだけ──羨ましかった。



追放。


門の外に出た。春の夜気が肌を刺す。舞踏会の灯りが遠ざかっていく。


足が重い。体じゃなくて、心が。


学園の廊下を歩いた。もう二度と通らない廊下。石畳の目地が靴裏に伝わってくる。この廊下で何度、治療を終えた生徒と歩いただろう。「もう痛くない?」「うん、メイ先生のおかげ」。その声が壁に染みついている気がする。


医務室の前を通った。閉まった扉。消毒液の匂いが隙間から漏れている。七年間、毎日通った場所。薬棚の配置も、診察台の軋む位置も、全部覚えている。あの棚の三段目には私が調合した軟膏がまだ残っているはずだ。誰か使ってくれるだろうか。使い方を知っている人はもういない。


扉の向こうから声がした。


「メイ先生、ありがとう」


囁くような声。誰かは分からない。フリードリヒかもしれない。放課後に手当てした子どもたちの誰かかもしれない。擦り傷を治して「もう痛くないよ」と笑った子たち。


涙が込み上げた。


こらえた。こらえて歩いた。


門を出て、夜の街道に立った。行く宛はない。革鞄一つ。中身は着替えと、七年分の治療記録の写しと、先輩の薬師にもらった薬草の本。


私の全財産。


月明かりの下で自分の両手を見た。右手。左手。指先。掌。


この手で何人の人を治しただろう。


頬の擦り傷。捻挫した足首。折れかけた肋骨。慢性の関節炎。原因不明の発熱。薬では届かない場所に、この手を当てて、力を通して、痛みを消した。


「魔女」と呼ばれたのは三回。「気持ち悪い」と言われたのは一回。「ありがとう」と言われたのは──数えきれない。


手を握ること。それだけが、私にできる全部。


──でも、それを呪いとは呼ばせない。


この手は誰かを傷つけるためにあるんじゃない。触れて、温めて、治すためにある。


南に行こう。誰も私を知らない場所へ。どこかに、この手を必要としてくれる人がいるはずだ。


歩き出した。春の夜風が髪を揺らす。背中が寒い。舞踏会のドレスは夜道に向いていない。


足元で小石を踏んだ。靴底が薄い。明日には履き替えなければ。


(……遠くに行こう。山の奥でもいい。海の向こうでもいい。この手が届く場所を、もう一度探そう)


街道の先、山の稜線が月明かりに浮かんでいた。どこかで梟が鳴いている。


四人の顔が浮かんだ。カティアの白い拳。ソフィアの読めない目。リーリエの完璧な微笑み。ヴィオラの涙の跡。


みんな、今夜それぞれの道を歩いている。


(……元気でいてね。みんな)


月が高い。

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