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五人の悪役令嬢  作者: 九葉(くずは)
カティア編

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第10話 あと三人

道場の朝は早い。


日の出と同時に木剣の素振り。五十本。あたし自身の鍛錬のためでもあるし、子どもたちへの手本でもある。


「カティア先生ー! 五十本終わりましたー!」


「嘘つけ、三十八で数え間違えたの見てたよ」


「えー!」


トビー。十一歳。救出した五人の中の一人で、家族が見つからなかった子。グレンツに残って、うちの道場に住んでいる。元気がよくて嘘がへたで、少しだけ昔のあたしに似ている。


「やり直し。今度は声出して数えな」


「はーい……」


道場、と言っても大層なものじゃない。砦壁の近くの空き家をグレタさんの口利きで借り受けて、板の間を敷いて、木剣を並べただけ。看板は手書き。『グレンツ道場』。マルコが「もうちょいマシな名前なかったのか」と言ったけど、分かりやすいのが一番だ。


孤児院も兼ねている。トビーの他に、近隣の村から身寄りのない子が二人来ている。三人分の飯を毎朝作る。最初は全部焦がしていたが、グレタさんに手取り足取り教わって、どうにか食べられるものが出せるようになった。味は相変わらず大したことない。でもトビーは「うまい!」と言って食べる。優しい子だ。あるいは味覚が鈍いだけかもしれない。



道場には近所の子どもたちも通ってくる。剣術を教えている──というより、体の使い方を教えている。


「剣は最後の手段だ。まず逃げ方を覚えろ。逃げ方が分かってから、初めて立ち向かい方を考える」


学園では教えてもらえなかったことを、あたしが教える。


誰かに腕を掴まれたときの外し方。暗い道で後をつけられたときの対処法。怖い目に遭ったときに声を上げる練習。


「声を出すのは恥ずかしくない。助けてって言うのは弱くない。一番強い技は、助けを呼ぶ声だ」


子どもたちが真剣な顔で頷いている。


──あたしが学園にいた頃に、こういうことを教えてくれる大人がいたら。


いなかった。だから自分がなる。



昼過ぎ。


道場の掃除をしていたら、グレタさんが紙の束を持ってきた。


「カティア、これ。商人の荷に混じってたんだけど、うちの酒場宛てに届いてた。差出人は──どこだい、この町。マーレブルク?」


マーレブルク。聞いたことのない港町の名前だ。


紙の束を受け取った。丁寧に折りたたまれた、大判の紙。広げる。


──新聞だった。


『マーレブルク通信 創刊号』


活版印刷。黒インクの匂いがまだ新しい。見出しが大きくて読みやすい。紙面の構成が妙にこなれている。段組み、リード文、小見出し。この世界の印刷物とは思えないほど洗練されている。


一面の記事に、目が釘付けになった。


見出し。


『"暴力令嬢"の真実──学園の守護者だった侯爵令嬢』


心臓が止まった。比喩じゃなく。


記事を読んだ。


──「クラウディア王立学園で"暴力令嬢"と呼ばれた侯爵令嬢カティア・ベルンハルトの暴力事件について、本紙は複数の関係者への取材を行った」。


──「カティア嬢が暴力を振るったとされる相手は、全員が学園内での不正行為に関与していた人物であることが、複数の証言と記録から裏付けられた」。


──「カティア嬢の行動は、学園内で弱い立場にあった生徒を保護するためのものであり、"暴力"とされた行為の実態は"守護"であったことが明らかになっている」。


記事は事実だけで構成されていた。感情的な表現はない。「かわいそう」とも「正義の人」とも書いていない。証言と記録を並べて、読者自身が判断するように組まれている。


この文章。この構成。


(……ソフィア)


確信はない。でも、この文章の冷静さ。事実を積み上げて読者の判断に委ねるやり方。穏やかなのに刃がある文体。あたしが知っている人間で、こういう文章を書けるのは一人しかいない。


ソフィア・クラインツァール。毒舌の噂屋。情報を武器にも盾にもする女。


「あいつ……勝手なことを」


声が震えた。笑いながら、目が熱くなった。最悪の組み合わせだ。


あたしは名前を出すなとも、記事にしてくれとも、何も頼んでいない。ソフィアが勝手に調べて、勝手に書いて、勝手に刷って送ってきた。


──勝手に。あたしの七年間を、正しい名前で呼んでくれた。


「暴力令嬢」じゃない。「守護者」。


紙面がぼやけた。涙だ。また泣いてる。最近涙もろくなった。レオンのせいだ。あいつが泣いていいと教えたから。


「どうした」


声。振り返った。


レオンが道場の入り口に立っていた。三日間の調査から戻ってきたところらしい。旅装のまま。フードを下ろしている。


「おかえり」


「ああ。──泣いてるのか」


「泣いてない。目に汗が入っただけ」


「目に汗は入らない」


新聞をレオンに渡した。レオンが黙って読んだ。読み終わるまで、あたしは鼻をすすりながら待った。


レオンが新聞を折り畳んで返した。


「事実だろう」


「……うん」


「事実が書かれているだけだ。泣くようなことじゃない」


「うるさいな、分かってるよ。分かってるけど──」


七年間。十三回。一度も、誰にも言えなかったことが。紙に印刷されて、人の手に届いて、「事実」として世に出た。


あたしの拳は暴力じゃなかった。


知ってた。知ってたよ、自分では。レオンにも言ってもらった。でも「世界に向けて言ってくれる人」がいるのは、また別の話だ。


「……ソフィアに、礼を言わなきゃ」


「差出人は匿名だ」


「でもソフィアだよ。文体で分かる」


「お前に文体が分かるのか」


「ばかにするな。あたしだって本くらい読む」


レオンが何か言いかけて、やめた。口元が──ほんの少し、動いた。笑ってはいない。でも笑いを噛み殺している。


「何よ」


「いや」


このやり取りにも、慣れた。



新聞をもう一度広げた。


一面の記事の横に、小さな囲み記事がある。


『港町マーレブルクで週刊新聞創刊。編集長は匿名の令嬢。活版印刷による定期刊行物は王国初の試み。購読者は創刊一ヶ月で三百部を突破──』


港町。匿名の令嬢。活版印刷。


(やっぱりソフィアだ)


あの女、追放先でとんでもないことを始めている。新聞。この世界で初めて。情報を紙に乗せて、人の手に届ける仕組みを、一から作り上げた。


──あいつらしい。


紙面の端まで読んだ。三面に小さな記事がある。


『クラウディア王国、外交条約の更新に難航。隣国フェーレンとの通商交渉は三ヶ月連続で暗礁に──』


外交。リーリエ。


『辺境の山村で原因不明の疫病が収束。地元の医療者の尽力により──』


医療。メイ。


全部載っている。断片的に、小さな記事として。ソフィアが集めた情報の中に、四人の影がちらちらと見え隠れしている。


あいつら、全員やってる。


散り散りになって、全員それぞれの場所で、自分の力で戦ってる。


道場の窓から外を見た。グレンツの午後の空。雲が流れている。


あたしはここにいる。この町で。子どもたちと、グレタさんと、マルコと、ハンスと、ユーリと。そしてレオンと。


居場所がある。拳を振るう場所がある。守るものがある。


悪くない。悪くない人生だ。



夕方。


道場の前で子どもたちが遊んでいる。トビーが木剣を振り回して、他の二人が逃げ回っている。「振り回すなって言ったでしょ!」とあたしが怒鳴る。日常だ。


レオンが道場の柱にもたれて、それを眺めていた。


子どもたちに剣術を教えるあたしを、黙って見ている。旅装は解いて、いつもの黒い上着だけ。腕を組んで、頬の傷痕に夕日が当たっている。


目が合った。


「何見てんの」


「帰ってきた」


「それはさっき聞いた」


「もう一度言っている」


──ああ。


そういうことか。


「帰ってきた」は「ただいま」じゃなくて、「ここが帰る場所だ」って意味なんだ。


「……おかえり」


もう一度言った。さっきとは少し違う声で。


レオンが柱から背を離して、道場の中に入ってきた。トビーが「レオン先生おかえりー!」と飛びつく。レオンが「先生じゃない」と言いながら、トビーの頭を不器用に撫でた。


あたしは新聞を丁寧に畳んで、懐にしまった。手紙の束の隣に。十一通の手紙と、一枚の新聞。あたしの七年間の証。


拳を握った。


いつもと同じ拳。でも今は、この拳が守るものの形が分かっている。この道場。この子たちの笑い声。あの新聞を書いてくれた友達。散り散りになっても、どこかで戦っている四人。


暴力令嬢は引退しない。


引退しないけど、一人で殴りに行くのはやめた。背中を預けられる相手ができた。帰る場所ができた。待ってる子どもたちができた。


──次に拳を振るう時は、もっと大きなものを守るためだ。


窓の外、夕日がグレンツの砦壁を赤く染めている。


どこかで、あの四人も同じ空を見ているだろうか。


リーリエは交渉のテーブルで。ソフィアは印刷所で。メイは誰かの手を握って。ヴィオラは──たぶん寝てる。


笑った。


大丈夫だ。あいつらなら。あたしたちなら。


夕日が沈む。明日もここで、子どもたちと木剣を振る。


それがあたしの幸せで、あたしの戦い方だ。

カティア編、完です!!

次はソフィア編でございます!

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― 新着の感想 ―
聖女(笑)がよくあるヒロイン病のお花畑かと思ったらガチの犯罪者下衆なんですかね。 ソイツをありがたがってる国家中枢の王侯貴族が、騙されてるにしろ結託してるにしろ、終わっとりますな
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