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五人の悪役令嬢  作者: 九葉(くずは)
カティア編

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第9話 背中は任せた

作戦会議は、酒場でやった。


閉店後の『砕けた角杯亭』。テーブルの上にレオンが地図を広げて、あたしが短棍で拠点の位置を指す。グレタさんがエールを並べた。誰も手をつけない。今夜は酔う夜じゃない。


「組織の主要拠点はここ。港の東の廃造船所。ここに連中の人員が集中している。子どもたちが捕らわれているとすれば──」


「地下だ」


レオンが口を挟んだ。


「造船所の乾ドック跡に地下室がある。フェーレン側の設計図から確認した。入り口は二つ。正面と、海側の搬入口」


テーブルの周りに六人。あたしとレオンを含めて。


グレタさん。酒場の女主人。武器は使わないが、この町で三十年商売をしている女傑だ。人望がある。今夜、町の人間を動かせるのはグレタさんだけだ。


マルコ。酒場の常連。元傭兵。腕は立つが酒癖が悪い。今夜は素面だ。目が据わっている。あたしが事情を話したとき、「子どもに手を出す奴は殺す」と言った。「殺すのはやめて。制圧で」と返したら舌打ちされた。


ハンス。鍛冶屋の親父。でかい。腕も太い。鉄槌を振るわせたら町一番。「孫みたいな歳の子が攫われてるって聞いて黙ってられるか」と言って来た。


ユーリ。門番の若い男。あたしが来た日に目を逸らした奴だ。今夜は目を逸らさなかった。「カティアさん、俺にもやれることあるっすか」。あるよ。門を閉めろ。逃がすな。


四人。あたしとレオンを合わせて六人。組織の拠点にいる人員は十人前後と見ている。数では負けている。


「数の不利は速さで補う」


レオンが言った。


「正面からカティアが突入。敵の注意を引きつける。その間に俺が海側から地下に入り、子どもたちを確保する。マルコとハンスは正面の援護。ユーリは外周の逃走路を塞ぐ。グレタは──」


「あたしは町の連中を起こして回るよ。騒ぎを聞きつけた奴らが駆けつけるように。あと、怪我人が出たときのために診療所の先生を叩き起こしておく」


グレタさんが腕を組んで言った。この人が後方にいるだけで安心感が違う。


「質問は」


レオンが全員を見渡した。


マルコが手を挙げた。「殴っていい数は」


「全員だ。ただし殺すな」


「ちっ」


あたしはマルコを見た。こいつ、気が合うかもしれない。



深夜。


月のない夜を選んだ。雲が厚い。潮の匂いがする。港の波音が遠くに聞こえる。


廃造船所の前。あたしは短棍を握って闇の中に立っている。


隣にレオンがいた。あと三十秒で、あいつは海側に回る。ここで別れる。


「レオン」


「何だ」


「背中、任せた」


短い沈黙。


「ああ」


それだけ。それで十分だ。


レオンが闇に消えた。足音はない。影が影に溶ける。


あたしは正面に向き直った。深呼吸。一回。


拳を握った。短棍を構えた。


──行く。


正面の扉を蹴り開けた。



中は暗かった。松明が二本。造船所の広い作業場に、木箱が積み上げられている。奥に人の気配。


「誰だ──!」


見張りが一人、振り返った。あたしの顔を見て目を見開いた。酒場の用心棒だと気づいたのだろう。短剣を抜こうとした。遅い。


踏み込んで、短棍で手首を打った。短剣が落ちる。そのまま肩を押さえて壁に叩きつけた。気絶。


奥から足音。二人、三人──四人出てきた。


「侵入者だ!」


「一人か?」


「女だ──あの用心棒!」


正面から来た。四対一。


笑った。


四人くらい、酒場の喧嘩と変わらない。


一人目。棍棒を横薙ぎに振ってきた。しゃがんで避け、膝を蹴った。崩れたところに短棍で脇腹を打つ。倒れた。


二人目と三人目が同時に来た。右の奴の拳を左手で逸らして、そのまま腕を引き込み、三人目にぶつけた。二人がもつれたところに短棍を叩き込む。二人とも転がった。


四人目。こいつは退いた。腰の剣に手をかけている。抜くか抜かないか迷っている目。


背後から影が飛び込んだ。マルコだ。四人目の背中に体当たりして、そのまま床に組み伏せた。


「遅えよ、マルコ!」


「うるせえ、正面から突っ込む馬鹿がいるから合わせたんだろうが!」


ハンスが横の通路から入ってきた。鉄槌を肩に担いでいる。こっちに向かってきた男を一睨みで止めた。睨むだけで。鉄槌を振るうまでもなかった。


「奥に何人いる!」


「分からない。レオンが海側から──」


地下への階段口から、怒号が聞こえた。


走った。



階段を降りた。暗い。湿った空気。カビと潮の匂い。乾ドック跡の地下室は広くて天井が低い。


松明の明かりの中に──レオンがいた。


三人を相手にしていた。一人はすでに倒れている。残り二人がレオンを挟み撃ちにしようとしている。レオンは冷静に捌いているが、背後の壁際に──


子どもたちがいた。


五人。一番小さい子は七つか八つくらい。一番大きい子でも十二、三。縄で繋がれて、壁際にうずくまっている。怯えた目。声も出せないほどの恐怖。


あの目を、あたしは知っている。


学園で、リゼッタが同じ目をしていた。アンネが同じ目をしていた。エルザが──


頭の中が白くなった。


白くなったまま、体が動いた。


レオンの背後に回り込もうとしていた男の腕を掴んだ。捻った。関節が限界まで曲がる手前で止めた。止めたのは理性。体は折る気だった。


「がっ──」


床に叩きつけた。もう一人が振り返った。レオンがそいつの首を取った。絞め落とした。


静かになった。


地下室に、子どもたちの啜り泣きだけが残った。


あたしは短棍を床に置いた。


ゆっくりしゃがんだ。子どもたちの目の高さまで。


「大丈夫。もう大丈夫だよ」


声が震えた。自分でも分かった。でも構わなかった。


一番小さな子があたしを見上げた。涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔。唇が震えている。


「──怖い人?」


「ううん。怖い人を殴る人」


その子が、小さな手を伸ばした。


あたしの手を握った。


冷たい手。小さい手。震えている手。


握り返した。壊さないように。この手だけは、絶対に。


後ろから、他の子たちも寄ってきた。あたしの腕にしがみつく子。背中に顔を押しつける子。泣き声が大きくなった。怖くて声が出なかったのが、安心して泣けるようになったんだ。


あたしは五人を両腕で抱え込んだ。足りない。腕が二本じゃ足りない。もっとたくさんの子がいるかもしれない。他の拠点に。他の町に。


でも今は、この五人。この五人の震えが止まるまで。


「大丈夫。あたしがいる。大丈夫」


何度も言った。リゼッタに言ったのと同じ言葉。アンネに言ったのと同じ言葉。あの夜、学園の廊下で何度も繰り返した言葉。


──今度は、一人で言ってるんじゃない。


背後にレオンが立っている。何も言わずに。縄を切るための短剣を持って。子どもたちの手首の縄を、一人ずつ丁寧に切ってくれている。


あたしが抱えて、レオンが解く。それだけのことだ。それだけのことが、こんなに心強い。



子どもたちを地上に連れ出した。


グレタさんが手配した町の人間たちが、毛布と温かいスープを持って待っていた。子どもたちが一人ずつ毛布に包まれていく。泣きながらスープを飲む子。グレタさんの胸に顔を埋める子。


拠点は制圧された。組織の人間は全員縛り上げた。マルコが嬉しそうに見張りをしている。ハンスが腕を組んで仁王立ちしている。ユーリが門の外で逃げた一人を捕まえて戻ってきた。


「全員確保っす、カティアさん!」


ユーリの声が妙に誇らしげだった。


あたしは笑った。笑えた。


こいつら──グレンツの、このどうしようもなく雑で乱暴で人情深い連中が、子どもたちのために夜中に駆けつけてくれた。


一人じゃなかった。


学園では一人だった。誰にも言えなかった。誰にも頼れなかった。拳を握って、壁になって、一人で立った。


今夜は六人で立った。あたしの拳と、レオンの知恵と、マルコの腕と、ハンスの鉄槌と、ユーリの足と、グレタさんの人望。


──これが、「背負う相手を増やす」ということか。



夜明け前。


砦壁の上に座っていた。


隣にレオンがいる。二人並んで、足を壁の外側にぶらさげている。東の空が白み始めている。星が一つ、二つと消えていく。


しばらく、何も喋らなかった。


あたしは疲れていた。全身が痛い。拳の皮が剥けている。膝を打った。肩が軋む。でも気分は悪くない。悪くないどころか、ここ数ヶ月で一番まともな気分だ。


「子どもたち、全員無事だった」


レオンが言った。


「うん」


「五人とも身元が判明している。二人はグレンツの子ども。三人は近隣の村から攫われていた。明日には家族の元に帰せる」


「エルザは……いなかったね」


「ああ。ここにはいなかった。だが帳簿から他の拠点の位置は割り出せる。時間はかかるが、追える」


「……うん」


悔しくないと言えば嘘になる。エルザを取り戻したかった。でも五人の子どもを救えた。それは嘘じゃない。


風が吹いた。夜明け前の風は冷たくて、傷に沁みる。


「カティア」


名前で呼ばれた。こいつがあたしを名前で呼ぶのは、まだ珍しい。指で数えられるくらいしかない。


「任務が──」


レオンが言いかけて、止まった。


珍しい。言い淀むなんて。こいつは正論を迷わず吐く男だ。言葉に詰まるところを初めて見た。


「任務が、何」


「……任務が終わっても」


また止まった。


あたしはレオンを見た。横顔。頬の古傷。切れ長の目。夜明けの薄い光が、輪郭をぼんやりと照らしている。


こいつの横顔を、いつからこんなにはっきり覚えているんだろう。


「任務が終わっても──ここにいるか」


出た。


声が少しだけ低かった。いつもの抑揚のない声じゃない。何かを押さえつけている声。正論を言う時の声とは全然違う。


ここにいるか。


この町に、という意味か。それとも──


(ああ、違うな。この人は、そういうことを訊いてるんだ)


あたしだって鈍いけど、ここまで来れば分かる。


「レオン」


「何だ」


「あんたの背中、まだ使わせてもらうから」


レオンが黙った。


長い沈黙。長い──三秒くらいだった。体感では一時間。


「……そうか」


それだけ。


それだけなのに、レオンの肩の力がわずかに抜けたのが分かった。隣に座っているから。肩が触れているから。強張っていた筋肉が、ほんの少しだけ緩んだ。


こいつ、緊張してたんだ。この人が。正論男が。闇の中で音もなく敵を制圧する男が。あたしに「ここにいるか」と訊くのに、緊張していた。


──ばかだなあ。


笑った。声を出して笑った。砦壁の上で、夜明けの風の中で。


「何がおかしい」


「何でもない。──ねえ、レオン」


「何だ」


「あたし、ここが好きだ。この町。この汚くて雑な町。グレタさんの飯。マルコの悪態。ハンスの鉄槌。ユーリの敬語。全部」


空が白んでいく。雲の隙間から朝の光が差し込んで、グレンツの屋根を金色に染めていく。煙突から煙が上がり始めた。誰かが朝飯を作っている。


「あんたのことも」


最後に付け足した。小さい声で。聞こえたかどうか分からないくらいの声で。


レオンは何も言わなかった。


でも肩が触れたまま離れなかったから、聞こえたんだと思う。


朝日がグレンツの砦壁を照らした。冷たかった石が、少しずつ温まっていく。


あたしの拳も温かかった。握ってない。開いたまま、膝の上に置いてある。


隣のレオンの手も──見てないけど、たぶん同じだと思う。


夜が明けた。

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