第3話:白い処刑人クラッツォ
「こっちだ、クラッツォ! こっちに来いよ!」
皆を率いる小太りな青年――勇貝守は、錆びた剣を何度も打ちつける。鉄と石の強い反動で手先が痺れようとも、青年は挑発を止めなかった。
「ユルルガァァァァァァアアァァッッ」
白い処刑人クラッツォの低く濁った唸り声が、空間に緊張感をはしらせた。
不快な金属音に反応して、青年目掛けて走り出した。四メートルの体躯からは想像できないほどにしなやかでいて、車をも超える速度――逃げることなど叶わない状況だった。
それを見て、文楽は確信する。
モンスターの習性や仕様は、ゲームのときと変わらない。
十年以上培った経験は死んでいない。クラッツォは殺せる存在だ――と。
「次!! 萬獄さんお願いします!」
小太りな青年――勇貝が、大声で叫んだ。
大部屋の方々に散らばった九人。
そのうち青年とは真逆の方向で待機していた壮年のいかつい男性に、青年は指を指していた。
「おう! 漆原組の看板に傷はつけられねぇんだよ! この萬獄園次郎に任せろやぁ!」
荒々しく、萬獄は真似をするように剣を地面に打ち付ける。
何度も、何度も、何度も――。
四度目の硬質な金属音を聞いた白い処刑人クラッツォは、音のする方向――萬獄へと標的を切り替えた。
「ユルァ!?」
クラッツォは怒りの咆哮を上げる。
本能に従い、大きな音のする方へと足を加速させた。
急激に迫りくる巨体に、萬獄は唾を唾を呑み込んでいた。
作戦よりも少し早く、焦って声を荒げた。
「オラァ! クソが! 次は、そこのおんなだぁ!」
「は……はい!」
剣を地面に打ちつけるのを止め、萬獄は別の方角にいた女性を指名する。
彼らの作戦は、音で敵の居場所を特定するクラッツォの習性を活かしたものだった。
大きな空間を最大限に活用し、指名した順番に大きな音を立て、クラッツォを混乱させて十五分間持ちこたえるというシンプルな作戦だ。
成功すれば理想的だろう。
だが、この作戦には大きな欠点がある。
死が近しい環境で、出会ったばかりの他人を信頼できる人はどれくらいるだろうか。
旗振り役の勇貝はともかく、度胸だけは群を抜いているだろう萬獄までは成功させた――が、全員が全員たったの数分で恐怖を克服できるわけではない。自分が行動を起こせば、次は自分の命が狙われてしまう。そして――次の人が同じく敵を引きつけてくれるとも限らない。
複数のキャラ、かつ出会ったばかりのキャラを利用した作戦が上手く行かないのは、ゲームでもよく見た光景だった。
下等勇者は欠陥だらけの存在だ。
特に最初の召喚で多いのが、精神不安定者。
戦う決断ができない、恐怖を克服できない、逃げ癖がある――欠陥品だ。
おそらくここにいる全員が、社会で何かしらの欠陥を抱えて生きてきた弱者たち。
それに、日本で生きる平和ボケした弱者が、そう簡単に恐怖を克服できるわけがない。
「お、おい……このアマ!」
「え……あ…………て、手が震えて……」
「クソババア!! 早く音を出せ――」
萬獄が喚き散らすとクラッツォは獰猛な笑みを浮かべ、さらに加速した。
「――おいおい、嘘だろ?」
気がついたときには、白い巨体が目の前にあった。
クラッツォは、豪華なガントレットが装備された拳を振りかぶった。
咄嗟に萬獄は防御の姿勢を取る――が萬獄の腕をへし折りながら、クラッツォの拳が鳩尾に直撃していた。
肺から空気が押し出される。
人から聞こえてはいけない破壊音が、静かな広間に響き渡った。
萬獄は経験したことのない威力で後方へ吹き飛ばされ、背中から壁に激突していた。
「ゴホッ…………」
赤い血が、口から零れ出る。
「――クソ……や……ろう……が」
クレーター状に割れた壁には、血が飛散していた。
萬獄の瞳から生気が徐々に消えていく。
ずるずると崩れおち、ぐったりと石畳に倒れ落ちた。
人が、肉の塊へと変わった瞬間だった。
「きゃー!?!?」
女性の叫び声が、部屋の中に響き渡った。
全員が目の前の衝撃的な状況についていけずに、動揺の表情を見せていた。
恐怖の顔を硬直させて動けなくなったもの、信じられないと手で口を押さえている者、舌打ちをして計画のとん挫を認識したもの、反応は様々だった。
そうして――剣と石畳の接触音が部屋から消えた。
恐怖が、空間を支配していた。
誰もが、次の音を鳴らそうとはしなかった。
部屋が静まり返る。
白い処刑人クラッツォが満足げに、振り返ると凶悪な顔を見せてきた。
「ユルルガァァァァァァアアァァッッ」
音が消えれば、次に頼る感覚は嗅覚だった。
近くで揺れ動く錆びた剣の匂いに誘われ、標的をその瞳がとらえた。
近くにいた女性――小神がロックオンされていたのだ。
「いや……」
小神は自分の番を想像し、恐怖で後ずさんでいた。
それでも震えた体を無理やり動かし、どこに逃げればよいかを考える。
「――クラッツォォォォッ!」
静かになった空間で、文楽が叫んだ。
ガンッ、ガンッ、ガンッ、と何度も地面を叩く甲高い金属音が響き渡る。
何度も、何度も――そうして注意を自分に向けさせた。
「そんなちんけな音に釣られるなよ。こっちの方が好みの匂いだろ? クソ猿」
挑発するように、文楽は錆びた剣の刃を前腕に当てて、引き斬った。
鮮血がじんわりと浮かび上がり、血生臭い匂いが鼻孔を通り抜けてきた。
濃い匂いに釣られて、クラッツォは振り返る。
文楽がいる場所は、チュートリアルの制限時間を示す時計の前。
そこで皆が気がついた、時計が――壊れている。
五本の錆びた剣が時計盤に突き刺さり、針の進行を無理やりに妨害していた。
そう、チュートリアルの司る時間が止まっていたのだ。
「ここからは無制限の殺し合いだ」
文楽は時計に解決策を見出していた。
チュートリアルはアナログな時計で管理されており、物理的な干渉が可能だと思ったのだ。
ゲームのときは、時計はただのオブジェクトだった。
一切干渉のできない破壊不能オブジェクトだった。
だが、ここでは違うと気がついた。
ゲームのように束縛はない自由な世界だ。
ゲームではできなかったことが、できる世界だと考えた。
最初の目的は時計の針を折ることだったが、貧相な剣では傷をつけることすらできなかった。
だったら――と思考を切り替え、針の進行を妨げるために五本の剣を時計盤に刺して、なんとか制限時間という概念を瓦解させた。
時計が停まれば、チュートリアルに時間制限は無くなる。
十五分という制約は、ここでは無意味になる。
その瞬間から、クラッツォは「逃げる」対象から「倒せる」対象に変わった。
(――神々廻先輩!?)
死を覚悟していた小神は、声に出さず驚いていた。
さっきまでやる気のなかった文楽が、武器を持って戦う意思を見せたのだ。
頼りになる先輩が戻ってきた、そう小神は確信していた。
「ユルルガァァァァァァアアァァッッ」
クラッツォは、体の向きを変えると文楽に向かって走り出す。
文楽はその様子を冷静に見つめながら、重たい錆びた剣を両手で構える。
意志に反して、手は微かに震えていた。
アドレナリンが出て、鼓動がどんどん早くなっていく。
だが、なぜか剣を持つその姿は様になっていた。
はじめて剣に触れたとは思えないほど、構えには芯があり、瞳には熱が宿っていた。
小さく、小さく――自分に語り掛けるように呟く。
「ここはゲームだ……思った通りに動け。そうすれば勝てる。クラッツォの動きは単調な物理攻撃のみ、回避と反撃だけに集中しろ」
文楽の瞳が戦士の色に変わっていく。
クラッツォは、チュートリアル限定のユニークモンスターだと思われがちだ。
だがそれは勘違いだ。50番目のクエストを攻略すると、希少エネミーとしてフィールドに登場する。つまり普通に倒せるモンスターなのだ。
50番目のクエストを攻略できた猛者すら少ないゲームなので、そうそう知られている情報ではないだろう。だから、勇貝が知らないのも無理はなかった。限られた最上級のゲーマーのみしか知らない極秘情報だ。ネットにもその情報は出回っていない。
それに――白い処刑人クラッツォは、攻略に欠かせない必須スキルを入手できる必須攻略対象だ。倒せる機会があるならば、積極的に倒すべきボーナスモンスターなのだ。
「な、な、な……何をやってるんだ! きみは、は、は!」
ありえない文楽の行動に、小太りな青年――勇貝は声を荒げていた。
なんて馬鹿な発言なのだろうか、と文楽は思わず呆れていた。
彼のすぐ傍には、白い処刑人クラッツォがいるというのに。
クラッツォは邪魔だと言わんばかりに、通りすがりに勇貝を裏拳でぶっとばした。
本気の拳は、頭部を粉砕していた。呆気ない死に方だった。
どれだけゲームに詳しかろうと、たったひとつのミスが死を招く。
『Hero's Ring』とは、そういうゲームだ。
鬼畜設定で、どれだけのゲーマーたちの心を折ってきたことだろうか。
勇貝、彼も心へし折られたゲーマーの一人にすぎない。結局のところ50番目のクエストすら攻略したことのない、廃人以下の存在だったのだ。
そうこう考えているうちに、クラッツォが文楽の目の前にたどり着く。
「ユルルガァァァァァァアアァァッッ」
白い処刑人が、下から大きく拳を振りかぶった。
――が、その拳は空を斬る。
「ユラァッ?」
回避の方向さえ間違えなければ、クラッツォを倒すのはそう難しくない。
下からの大振り攻撃は、一見隙が無いように見えて、振り上げの瞬間に姿勢を屈めて攻撃判定外に回避すれば躱せる単調な物理攻撃だ。
タイミングと角度さえ間違わなければ、絶対に死なない。
クラッツォは物理攻撃に特化していて、機動力が高く、ときおり即死攻撃がくる程度。
50クエスト以降では群れでいるモンスターだが、ここでは単体でしか存在していない。
思った通りに動けば、まず負けるはずがない。
「さて、物は試しだ」
隙を見て、クラッツォの首元に錆びた剣が突き立てる。
しかし、剣先はクラッツォの皮膚を多少気傷つける程度で止まっていた。
そのまますぐにぽきっと半ばから折れてしまい、剣は使い物にならなくなってしまう。
それでも、そこからさらに剣の柄を強く押し込んでみるも、クラッツォの体には簡単に傷を付けられないようだと知る。
やはり攻撃を通すには、ある程度の踏み込みとクラッツォの体重を利用しなければ難しい。
「これもゲームの仕様か」
そりゃあ当たり前だ。
文楽は下等勇者で、レベルも1のまま。
スキルもなければ、武器も錆びた剣という簡単に砕けてしまうゴミしか持っていない。
普通ならば勝てない相手だろう。
だが武器は腐るほどここに転がっている。
時間も無限にあるんだ。
「ユラァ……」
クラッツォは獰猛な笑みを浮かべていた。
剣が自分の皮膚を貫通できないことで、勝てると確信したのだろう。
飼い犬とじゃれるように、舐めた速度で文楽へ両拳を振り下ろした。
ゲームならば、右斜め後ろへの回避ボタンひとつで解決できる。
だが、現実ではそう簡単にはいかない。
そうすぐに判断した文楽は、咄嗟に地面を大きく蹴って転がりながら回避する。
地面が割れた衝撃で飛んできた石礫の一つが、頬をかすめた。
温かな鮮血が傷口から流れ出てくる。
それでも文楽が動じることはなかった。
「俺に殺せないとでも思ってるのか?」
「ユラァ」
「残念だが、俺は他人よりも少しだけ……地獄に耐えるのは得意なんだ」
文楽は新しい錆びた剣を手に取って、そう宣戦布告した。
クソ上司のパワハラに耐えた三年間、十万回以上やり直したクソゲーへ挑戦し続けた苦しみに比べたら、こんな瞬間的な地獄など地獄とは呼べない。
何時間だって戦い続けてやろうじゃないか。
必要なスキルを手に入れられるならば、地獄にだって落ちてやる。
時計がない空間での生死のやり取りは、こうも時間が早く感じるものかと感じていた。
息はとっくのとうに切れている。
効いているかもわからない無謀な攻撃を続けた影響で、手の感覚はほとんどなかった。
手のひらの皮膚はずる剥け、血で染まっている。
全身の擦り傷が、動くたびに痛む。
だというのに、思考と結果がついてきた今は死ぬほど楽しいと思えた。
「ハァ……ハァ……終わりだ、クラッツォ」
クラッツォの首元の肉の隙間から覗いた、拍動する黒い魔核を貫いた。
体内にある魔核を破壊すれば、モンスターは必ず倒せる。
百回以上、首元の一か所を攻撃し続けた結果、ようやく露出した黒い魔核。
それを文楽はようやく破壊することに成功したのだった。
「ユ……ユラァ…………」
クラッツの瞳からは生気が消えていく。
そのまま力なく地面に倒れ込み、地面に溜まっていた土埃が舞う。
その光景を見届けると、文楽も石畳に倒れ込んでいた。
胸で大きく息をしながら、天井を仰ぎ見ている。
壮絶な戦いだった。
誰の力も借りず、たった一人の下等勇者が怪物を倒したのだ。
『Congratulations!』(おおめでとうございます!)
『勇者として、誰も成し得ない偉業を達成しました!』
『偉業を讃え 豪華な報酬が支給されます!』
文楽は嬉しそうに拳を握りしめていた。
チュートリアルで初めて聞く、アナウンスだった。
ゲームでは時計破壊なんてバグ技使えなかったので、そりゃあそうだ。
肩で息をしながら、次のアナウンスを待つ。
『■■■■■■■■■■■■■■■■■■』
『Error Error Error Error Error 』
『下等勇者が偉業を成し遂げました』
「……なんだこれ」
『――下等勇者の処分を実行します』




