第4話:泥船へようこそ
「ここは……どこだ」
長い時間、気を失っていたのだろう。
ひどい頭痛だ。頭が割れるように痛い。
瞼を開けようとするが、刺すような光で目を開けるのもままならない。
情報を探ろうとあたりに手を伸ばしてみると、机くらいの高さの台を見つけた。それを頼りにゆっくりと起き上がる。不意に、こめかみに酷い痛みが奔った。
「くそ……何が起こったんだ」
思い出すだけで頭が痛い。
何時間も白い処刑人クラッツォと戦った末、文楽は勝利を掴んだ。
自信はあったが、実際に自分の体を動かすのではわけが違った。
致命傷こそ避けられたが、満身創痍と言える切り傷を体のあちこちに負っていた。おそらく骨の一つや二つくらいは折れていただろう。
その勝利の末に、チュートリアルの部屋に鳴り響いたアナウンス。
『――下等勇者の処分を実行します』
不気味な声が聞こえた、次の瞬間だった。
自分に雷が落ちたのかと錯覚するほど強い電気が全身に迸ったのだ。
生き残った八人全員が為す術もなく、謎の攻撃を喰らっていた、。
文楽は痛みの中でも足掻こうとしたが、電気が体を硬直させていたのか、指一本動かすことができなかった。そうして――意識を失い、気がつくとここにいた。
「下等勇者の処分……か、はじめて聞く言葉だな」
なにが自分の身に起こったのかを考えているうちに、視界が戻ってきた。
世界の輪郭がはっきりと見えてきた。
文楽はその光景を見て、目を瞠っていた。
「これは凄い。ゲームの世界じゃないか」
目の前にはゲームを攻略する起点となるエリア、拠点の光景が広がっていた。
拠点――そこは宇宙船をモチーフとした白と灰色の建築物だ。
Hero's Ringでは、ここでクエストの準備を整える。武器や防具を制作したり、スキルを習得する訓練を行ったり、休息をとって体力の回復を図ったり――用途は無数と言っていいほどに存在する。このゲームの面白さの根源はここにあり、拠点でどんな育成をするかでクエストの攻略難易度が飛躍的に変わる。
「……にしても、なぜ俺はここにいるんだ。おかしい」
周りの景色をはっきりと見て、文楽は疑問を呟いていた。
いま、文楽のいるべき場所はここではない。
ここは、ずっと先で解放されるはずの部屋なのだ。
「指揮官室……クエスト70以降でないと解放されない部屋だよな、普通」
なぜチュートリアルをクリアした後に転移するべき、初期部屋に自分はいないのか。
そんな疑問を抱えながら、文楽は部屋を物色し始める。
ゲームで見たままの景色だ。
懐かしさを感じつつ、実際に手で触れられることへの違和感もある。
廃人になるほどにハマったゲームが、いま目の前に広がっている。
だがここはゲームとは少し違う。指揮官室のモニターを触ればひんやりとした触感があるし、鼻を動かせば新しい機材の香りもしてくる。何も映っていないモニターの黒い画面を覗くと、自分のみっともない姿が映る。
黒い上下スエットの寝間着は、クラッツォとの戦闘ですでにぼろぼろだ。
拠点へ移動したことで、拠点の回復機能が働き傷口は塞がったようだ。
だというのに、先ほど負った傷が古傷のようにズキズキと痛む。
ここはゲームだと理解しつつ、体はまだ未熟な引きこもりのままなのだろう。
少し生えてきた青髭に、明らかに体調が良くないだろう青白い肌は、元々引きこもりの廃人だったことを教えてくるようだ。どうみても勇者とは言えない風貌に、文楽は鼻で笑っていた。
今の自分は下等勇者どころか、浮浪者がお似合いだろう。
「転生……とは少し違うか。転移……巻き込まれた、あたりが正しいか?」
こんなことが本当にあるのだろうか。
もしかしたら自分はすでに死んでいるのではないだろうか。
あの日、あのとき、空で見た神のような偉業。そして巨大な睫毛の剣。
あれが降ってきて、気がつけば文楽はゲームの世界にいた。
あまりにも分からないことが多すぎる。情報がたりない。
だが、心臓に手を当てれば、鼓動する感触がある。体も温かく、死んでいるとは思えない。
なぜ、ゲームを攻略した自分がこうしてゲームの中にいるのか。
その答えを探す必要があると知った。
◆
指揮官室を物色して、三十分ほどが経過していた。
文楽は指揮官室の一番偉い席に座っていた。頭痛や古傷の痛みが止まず、休息をとっていたのだ。
不意に、目の前の空間が捻じれた。
正面にある一番大きなディスプレイの中央が、円形に歪んだのだ。
見ていると吸い込まれそうな黒と紫の渦が、人ひとり分ほどの大きさで現れた
「お……お待たせしてしまいすみません!」
ねじ曲がった空間から、ひょいっと小さな物体が飛び出てきた。
その物体――否、不思議生物には見覚えがあった。
薄い赤銅色の肌に、茶色いパーマがかかった髪の毛。
小学校中学年程度の身長には見合わない、ぴったりと着こなしたスーツ。
鋭い二本の牙、そして黄色くて禍々しい半ばから折られた角。
こいつは間違いない――。
「鬼子……か」
指揮官の高価な椅子で足を組みながら、文楽は当たり前のように尋ねた。
威圧的だった言葉に、鬼子は思わず目線を逸らす。
「あ、あなたは……プレイヤー様でしょうか? 我はまだ何も身分を明かして――」
「説明はいい、状況を教えてくれ。なぜ俺は初期部屋ではなく、指揮官室にいる?」
「し、指揮官室の存在も知っている。もしや…………は、は、は、廃人様!?」
もじもじとしていた鬼子は、明るい表情を文楽に向けていた。
チュートリアルをクリアすれば、鬼子の存在は誰でも知れる――つまり、プレイヤー様とはゲームをやったことのある存在を指すのだろう。そして鬼子の言った廃人様、おそらくそれはゲームをプレイし続けた者のことを指す。
このローグライクゲームは、鬼子すら毎回リセットされる奇妙なゲームだった。
普通はシステムを運用する側である鬼子をリセットする理由はないのだが、このゲームはとことんこだわって、毎回鬼子の性格や見た目、進行方法すら変わるという鬼畜仕様だった。
だからこそ、鬼子にすらアタリとハズレがあると言われている。
目の前にいるシャイな鬼子は、世間一般ではハズレ枠として知られている。
しかし、いまの文楽は笑っていた――運がいい、と。
「状況を教えてくれ、鬼子」
再度、文楽は強く尋ねた。
鬼子は気分が良くなったのか、少し声音を明るくして言い始めた。
「ほ、本来であればチュートリアル攻略後は、拠点の玄関口へ転移いたします。実際に他の拠点の方々は無事転移しております。ただ……廃人様は特異分子として、システムにError認定をされました。そのため、指揮官室へ一時的に転移させられていたのです!」
「クラッツォを倒したからか?」
「その通りです! 本来チュートリアルで処刑人は倒せない仕様なのですが……まだリリースしたばかりで、不具合が発生したようです。そのためシステムが緊急であなたたちを隔離しました」
あなたたち、ということは小神たちもどこかへ隔離されたのだろう。
ふむ――と考えつつ、文楽は再び口を開く。
「だから……あのタイミングで俺たちを気絶させたのか」
「はい。廃人様ならご存じでしょう……クラッツォの魔核には、特定のスキル獲得効果があります。現時点であれを獲得されては、ゲームバランスが崩壊してしまう。獲得される前にシステムが――あ、少しお待ちください」
鬼子はそう言うと、耳に片手を当てて小声でもごもごと話し始めた。
誰かと通信でもしているのだろう。
しきりにぺこぺこと頭をさげ、絵にかいたような冷や汗を掻いている。
まるで逆らえば命を取られんばかりの恐れと敬意が込められたような表情をしていた。
文楽が聞き耳を立てようとした、その瞬間だった。
ぞわり、と悪寒が全身を駆け巡った。
全身の汗腺から冷や汗が一斉に出てくる。
見えない大きな手に心臓を鷲掴みにされた気分だった。
まるで「これ以上立ち入るな」と神に言われているような恐怖だ。脳が強制的に信号を出して、生物としての防衛本能が働いた。相手は生物の強者だと、本能が直感したのだ。
鬼子が通信を終えると、あいも変わらず挙動不審に言った。
「お、お待たせいたしました」
突然、鬼子は姿勢を正し、礼儀正しい口調になった。
あまりの変わりように文楽は驚くが、続く言葉を促す。
「この度は、初攻略おめでとうございます――【シシバ】様」
「ああ」
その名前は、文楽の大事な名前だ。
中学生の頃にHero's Ringを始めて名付けたユーザー名で、攻略者の記録石碑に世界で初めて刻まれた名誉ある名前だ。
ユーザー名が呼ばれた、つまり鬼子は俺が普通の廃人ではないことをいま知ったのだ。
「マスターより報酬の贈呈をするよう仰せつかりました」
「報酬? 賞金のことか?」
「はい、現実の口座に振込が行われ――」
「待ってくれ。それは妹の口座に俺名義で振り込めるか? こんな非常識なゲームを運営するやつらだ、それくらいできるだろ?」
「承知いたしました。それともう一つ特別な報酬を渡されております」
「なんだ?」
鬼子はそう告げると、勢いよく右手を横へ薙ぎ払った。
次の瞬間、文楽の目の前にはホログラムのカードが五枚提示されていた。
「想定よりも10年早く攻略した貴殿にその中から一つ好きな報酬を与える、とマスターからの伝言になります。どうかご選択ください」
1、勇者格の二等級上昇
2、神話級武具を一式贈呈
3、神話級スキルの早期獲得
4、拠点移動の権利(五回分)
5、現実への帰還(記憶消去)
報酬カードに目を通した文楽は、五つ目のカードで目を疑った。
「鬼子……一つ聞かせてくれ」
「こ、答えられる範囲であれば……」
「これは現実か?」
鬼子は少し間を開けた。
「マ……マスターより回答承認が降りました。ここは現実です」
「そうか」
短くそう答えると、文楽は悲しそうな顔をした。
知りたくなかった真実を、一つ知った。
「ならば、俺しかこの世界を救う方法を知る奴はいないってことだな」
「…………お答えできません」
少し、鬼子は切ない瞳をしているように見えた。
そんな鬼子に向かって、文楽は手を差し出した。
いまから強者に歯向かうことになるかもしれない。
下手したら死ぬだろうが、それでもこれが最善の選択だと直感したのだ。
「おまえ、名前はなんと言う?」
「ト……トトコと申します。これでもオスです」
「トトコ……。抜けた名前だが覚えやすくていい名前だな」
「あ、ありがとうございます。名前を褒められたのは初めてです!」
「トトコ――俺はマスターの報酬を拒む。代わりに俺と契約を結ばないか?」
その言葉を発した瞬間、再び見えない大きな手が心臓を鷲掴んだ。
動悸が早くなっていく。冷や汗が止まらない。
それでも文楽の瞳は揺らぐことはなかった。
「お、鬼子はそう簡単に契約は結べな――」
トトコの言葉を遮るように、文楽は手をさらに強く握りしめた。
「俺が求めるのは『正確な情報』だけだ。俺には絶対に嘘をつくな。見返りとして、お前のランクを最高位まであげてやる。その角折った連中を、見返してやりたくはないか?」
半ばから折れた鬼子の角を掴み、文楽は鋭い目を向けた。
ここから必要なのは、なによりも正確な情報だ。
このゲームをクリアできなければ、この世界――地球は99体の魔王によって滅亡する。
大国も、小国も、そして俺のいる日本も、順番に滅亡していくだろう。
Hero's Ringは現実世界を舞台にして、クエストを攻略していくことで魔王を倒す術を手に入れ、人知れず密かに99体の魔王を倒していく真の勇者を選ぶ物語だ。
つまり、文楽が先頭に立たなければ、地球は滅亡まっしぐらだ。
世界でたった一人、このゲームの攻略法を知っているのは文楽だけだ。
他のゲーマーたちは皆こぞって失敗し続けている。
五つ目のカード「現実への帰還」を手に取れば、今だけは楽に生きられるだろう。
だが、いずれ記憶を失った文楽は、滅亡に巻き込まれて成すすべなく死ぬことになるはずだ。
もう一つ、自分の知る知識通りに進めれば、自分が闇落ちエンドとなってしまう。
だが、世界を救った挙句、自分はバッドエンドで地獄を見るなんて御免だ。
99体の魔王を倒し、地球を救ったうえで――自分も幸せなエンドを手に入れる必要がある。
起こり得る予測不能な事態のために、正確な情報を提供してくれる存在が必要だ。
鬼子との契約は、ゲーム上でも可能だった。それは99クエストの進行中に発生する最後のイベントだ。これを知る者は、文楽以外にはいない。
完全攻略への手札が揃っていれば、鬼子はプレイヤーと契約を選択するはずだ。
奴らは、そういう生き物だ。損得勘定で動く。
「――どうする? トトコ」
文楽は不敵に笑う。
鬼子にとって重要なのは、自分の拠点にいる勇者たちを成長させて、クエスト攻略数を伸ばすことにある。そうすれば自分のランクをあげて、彼らの目的を果たすことができる。
かといって、鬼子の契約は、自分の死をリンクさせる危険行為でもある。
勇者が死ねば、鬼子も死ぬ運命になる。
だからこそ、容易に鬼子も契約は結ばない。これと決めた勇者でない限り、生死はともにしない。しかもゾンビアタックがデフォルトのローグライクゲームだ、鬼子も易々と契約は結ばないだろう。
だが、鬼子の目の前にいるのは――世界で唯一の完全攻略者だ。
これ以上の契約対象は、この世に存在しない。
「わ……我は契約に同意しよう! わ、我を最高ランクまで成り上がらせろ!」
鬼子も不敵に笑って、右手を差し出してきた。
応えるように文楽も手を差し出すと、手首に鬼の文様が浮かび上がった。
文楽は誓った。
これは自分が英雄になりたいから、戦うのではない。
身近にいる、大切な人たちを守るためには、自分が戦うことが最善だと考えただけだ。
どうせ一度捨てたような命だ。守りたい者のために、もう一度立ち上がろう。
ここから人生をやり直すんだ。
「一つ言っておくが、俺は下等勇者だからな。夢のような生活は期待するなよ」
「――か、下等勇者!?」
「泥船へようこそ、トトコ」
文楽の不敵な笑みを見て、トトコは後悔したのだった。
この泥船が沈まないことを祈った。




