一之七
巨躯の石鎚弾右衛門が、十兵衛に迫った。
そのとき、みっつの黒い塊が、風切る音も鋭く、筋を描いて弾右衛門目がけて飛来する。
弾右衛門は、しかし慌てもせず、大長刀を軽々と閃かせ、ふたつを弾き飛ばした。ひとつは軌道が逸れて足元に突き刺さる。十字手裏剣であった。
男たちの視線は、瞬間、草庵の屋根の上に注がれた。
十兵衛は振り返る余裕はなかったが、おそらく昨日の忍だろう。何故、銅鏡を奪おうとした忍が、十兵衛の援護をするのか。
忍だけではない。草庵のなかで固唾を飲んでいた箏太郎と照潤も、刀を抜き、心張棒を構え、縁側に躍りでてきた。
ぴんと張り詰めた空気が、十人の間に満ちた。
六人の男たちにしてみれば、十兵衛以外はまったくたわいない相手だろう。
四人の剣客は、それぞれ狙いを定めた相手にむけて、余裕を浮かべた顔をして足を踏みだした。
と――。
「まて、皆の衆」
普賢丸が声をかけた。
「今、ふっと面白い趣向を思いついたぞ」
剣客たちが一斉に普賢丸に、不服そうな視線を投げかける。
「このまま、この小生意気な娘どもを膾に刻んでもよいが、それでは芸がない」
何か言いたげな男たちであったが、
「ここは一旦退け」
普賢丸にそう言われて、刀を鞘に納めた。
屈強な男たちが、このなかで一番の若輩の命令に唯々として従う姿は、一種不思議な光景である。
「柳生十兵衛。またいずれ」
普賢丸がそう言って踵を返すと、他の男たちも後に続く。
男たちは、黒い影を長く引きながら、境内から去っていった。
十兵衛は吐息をつき、納刀しながら振り返ると、縁側でまだ得物を構えたまま固まっているふたりに頷いた。
そうして、屋根を見あげ、山吹色の忍装束の女に言った。
「なぜ、助けてくれたの?」
忍はかすかに笑ったようである。
「ご想像におまかせするわ」
その声はまだ若い、おそらく十兵衛と同じくらいの娘だろう。
「ひとまず、礼を言っておく」
答えもせず、忍は跳ねて、屋根のむこうへと姿を消した。
箏太郎は、肩を落としうなだれている。
「あのような者たちが相手とは……」
敵の凄まじい威圧感に、銅鏡を守りきろうとする意気ごみを失ってしまった様子だ。
「ならどうする、逃げるか、箏太郎?」
十兵衛の問いにも、箏太郎はうなだれたままだ。
「しかし、身を隠す以外、いかがすればよいと言うのです?」そう答えたのは照潤であった。
「攻めるんだ」十兵衛はいたずらっぽく笑った。
「な、何を仰せです。いくら剣の達者である十兵衛殿とはいえ、あのような人知を超えた者どもを相手にして、かなうわけがありません」
「たとえ逃げたところで、あやつらは追ってくるだろう。奥州だろうと蝦夷だろうと、地の果てまで追ってくるさ。だったら、反対に攻めてやればいい。死中に活を求めるのは、兵法の心得だからね」
「と申して、いずこへ?」不安げに照潤が問うた。
「尾張よ」
「尾張?」
「あの男たちの使った剣は、まさしく尾張柳生の剣。尾張柳生は江戸柳生と同じで御留流。命令がなければ、ああして我らに挑んではこなかったはず。命令したのは、師範である兵庫助殿か、それよりもっと上の者か……」
「その人物に会いにゆく、とおっしゃいますのね」
「その通り」
「会ってどうなさいます」
「さて、そこまではまだ考えていないなあ」
照潤はあきれたように口を開けた。
「どうしてそこまでお力添えくださるのですか?」唐突に箏太郎が訊いた。
「あの男たちには妖魔が取りついている。ああいう妖魔を退治するのが私の本分なのだけれど、何より、己の企望を果たすためなら、他人の命や人生を平然と踏みにじる、そんな奴らが嫌いなだけだよ」
十兵衛の答えを聞いて、箏太郎はぎゅっと唇を引き結んだ。
「と言うたところで、もう日も暮れてゆく。出立は明日にしよう」
そうして十兵衛は箏太郎を見つめた。
「箏太郎はどうする?」
箏太郎はきっと十兵衛の瞳を見返した。十兵衛の言葉を聞き、何かが心の奥で目覚めたのであろう。決然とした光が目から溢れるようだ。
「もちろん、ご一緒させてください」
「それでこそだ」
十兵衛はまたにっと笑った。
翌朝、日の出とともに山門をでる十兵衛と箏太郎の後ろに、照潤の姿があった。尼僧頭巾をかぶり、六尺の樫の棒を杖がわりに突いている。ぜひ行脚修行を、と和尚に懇望して、不承不承の許しを得たものだった。
黒い合羽をなびかせて、十兵衛は街道を歩く。
その颯爽とした姿を見つめるうち、箏太郎は、この先まち受けるであろう闘いの不安が薄らいでゆくようであった。




