七之一
萩野箏太郎が口をあんぐりと開けて、町家の密集する通りの先に聳え立つ名古屋城の壮麗な天守閣を眺めているのを、柳生十兵衛は何か面白いものでも見るような目で見ていた。
「箏太郎は、城を見るのは初めてかい?」
十兵衛がそう訊くと、箏太郎は、
「千代田のお城(江戸城)も見たことはありますが、ずっと離れた所から見ましたから」
「ふふん、城なんて見た目が豪華なだけで、中身はすっからかんの張りぼてさ」
「そうなのですか?」
もちろん、実際は天守閣には床もあれば壁もあるのだが、十兵衛にしてみれば、しょせん権威の象徴として庶民を威圧しているだけで、平時にはたいした役にも立たない、見せかけだけの建物だとでも言いたいのだろう。
「さて、尾張柳生の屋敷はこの辺りのはずだが、違ったかな。名古屋にきたのは久しぶりだからなあ」
そうして、人に尋ね尋ねてたどり着いた、城下伏見の尾張柳生屋敷で訪いを告げると、玄関に現れたのは、用人などではなく、九つか十の童子であった。
利発そうではあるが、どこか線の細い、病弱そうな雰囲気の童子である。
「江戸から柳生十兵衛が参りました。兵庫助殿にお取り次ぎ願いたい」
十兵衛が言うと、童子は怪訝な顔をした。
それはそうだろう、女が男の格好をしているうえに、柳生十兵衛だなどと名乗るのだから。
童子は小首をかしげていたが、
「暫時おまちください」
と歯切れよく言って、奥へと去っていった。
童子が居間へとゆくと、そこで柳生兵庫助がくつろいでいた。城で藩主徳川義直に剣術の稽古をつけて、下城したばかりであった。
「あのう、父上」
「なんじゃ、権平」
権平と呼ばれた童子は、困ったような声で、
「江戸から、柳生十兵衛というかたがいらっしゃいましたが」
「なに、十兵衛が?」
「それが、奇妙なのです。女子ですのに、男の身なりをしておりまして。うわさに聞く十兵衛殿を騙る偽物だと思うのですが」
「ははは、そうか、そっちの十兵衛が参ったか。いや、偽物ではない。その女子も十兵衛にかわりはないからの。かまわぬ、ここに通せ」
本物かどうか確かめる必要もない。女であるのに男の身なりをして柳生十兵衛を名乗るような酔狂な者など、日本中にひとりをおいて他にいようはずがない。
案内された十兵衛は、自分の家のようにずかずかと居間に入って、どっかと座った。
箏太郎は、廊下でだんご虫のように丸くなっている。
「お久しぶりです、叔父上」十兵衛がぺこりと頭をさげた。
「黙れ鞘花」兵庫助は一族でもほとんど知る者のない、十兵衛の本名を言った。「わしはお前の従兄だと何度言ったらわかるのじゃ」
柳生兵庫助利厳は、石舟斎の嫡男厳勝の息子である。十兵衛の父である宗矩は石舟斎の末っ子で、兵庫助とは年齢は近いが叔父甥の関係であるから、十兵衛からすると兵庫助は齢の離れた従兄にあたる。
「ははは、父とさほど齢の違わぬかたを、従兄とは呼びにくいですからね」
「ふん」と兵庫助は鼻を鳴らして、「権平、こやつに会うのは初めてだったかの。こんな変わり者でもお前の親戚。江戸からはるばる訪ねてきたのだから、なんのもてなしもせぬでは我が家の沽券にかかわる。茶でも持ってこい」
廊下に控えていた権平に命じた。
「して、そこの者は?」
「旅の連れでございます。八王子千人同心の家の者ですから、素性は卑しくありません」
「萩野箏太郎と申します」
深々と頭をさげて名乗った箏太郎に、兵庫助は、
「かまわん、入ってこい」
と手で招いた。
箏太郎は、恐る恐るといった態で膝行して入ってきた。
「今日、突然訪ねてきたのは、その者に関わりがあることなのであろう?」
「さすがは叔父上、ご明察」
また叔父と呼ばれて、兵庫助は背を伸ばし、齢の離れた従妹を睨んだ。
このとき、四十五歳の兵庫助である。衰えを感じさせぬ、贅肉のまったく見えない鍛え抜かれた体、頬骨の張った顔に、兵法家らしい猛禽のような目が鋭く光っている。
そうして凝視されると、さすがの十兵衛も、(いささかではあるが)畏縮せざるをえないのであった。




